週刊READING LIFE vol.132

小心者から脱却するスキルは、海外旅行で鍛えられるのかもしれない《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》

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2021/06/29/公開
記事:中川文香(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
海外には数えるほどしか行ったことが無いけれど、いくつか印象に残っている思い出がある。
 
記憶に新しいのは、一番最近行った台湾だ。
最近とは言っても、もう4年ほど前の話になるのだけれども。
 
その時私は30歳になりたてで、初めての一人海外旅行にチャレンジしたのだった。
そもそも海外旅行自体ほとんど行ったこと無いくせに、一人で、しかもパックツアーなどではなく、飛行機とホテルの手配だけ旅行会社に任せて、あとは自分で計画を立てて行動しないと何も出来ないような状況で行った。
その方が安いから、というのもあったけれど「自分一人で行けるものなのか試してみたい」という単純な好奇心と、周囲に一人で海外旅行している友人がいたので「私も出来るかも?」という安直な考えが大きな理由だった。
今思い起こしてみると、当時の私にとっては結構思い切った行動だった。
それでも、元来の気質である小心者具合はどうにも出来ず、「飛行機とホテルは、さすがに行き当たりばったりだとこわいかも……」と、そこだけは旅行会社にお任せしたのだった。
 
旅行会社に打ち合わせに行った時に、
「人気の小籠包のお店もオプションで予約お取りすることが出来ますがどうされますか? 行列ができるようなお店なので、予約が無いと入れない可能性もありますが」
と聞かれ、もしも食べられなかったら後悔するかも……と予約を入れてもらった。
 
当日になり、出発前には何度もパスポートを確認し、往きの福岡空港国際線ターミナルでは、「台湾ドルはどっちで両替した方がお得なんだろう? でももしも向こうで替えられなかったらこわいから念のため日本でも替えておくか……」と両替をし、飛行機が台湾に近づいてくると窓から外を眺めてドキドキし、着いたら着いたで入国審査の長蛇の列に並んでエアポートバスに間に合うかハラハラした。
無事にホテルに着いて、カウンターの女性から「ご予約の方ですね」と流ちょうな日本語で声をかけられたときには心底ほっとした。
良かった、とりあえずここまで無事に着いたら後はなんとかなるだろう。
なんだ、出来るじゃん!
到着しただけなのに、既に大仕事を達成したような気分になった。
 
その日の夜、予約した夕食の時間になったので小籠包のお店に入ったところ、相席を案内された。
どうやら日本からの他のパックツアーの参加者と同じ時間に組み込まれていたらしい。
その時間は一人がけの席が埋まってしまっていたようだった。
案内された席には、中年の男性と女性、私より少し年下くらいの女性のグループがおしゃべりしていた。
 
「相席頼まれたのですが、すみません、いいですか?」
とドキドキしながら尋ねると、
「どうぞ、どうぞ」
と笑顔で迎えてくれた。
 
ほっとして腰を下ろすと、
「一人で来てるの?」
と早速質問される。
「はい、そうです。皆さんはご一緒ですか?」
「そうだよ。へえー、すごいなあ。一人でなんて来られへんわ」
「うちも」
と三人は口々に関西訛りの言葉で話し始めた。
 
一人で海外旅行に来たのは初めてだったこと。
ホテルは日本語が通じて、そこまで不便はしていないということ。
これからこんな場所に観光しに行こうと思っているということ。
そんなことをぽつぽつと話していくと、その度に三人は「すごいなぁ」「行動力あるね」などと褒めそやしてくれた。
よくよく考えてみると特に褒められるようなすごいことをしたわけでも無いのだけれど、そうやって言われるとなんだか自分がちょっと成長したような、こそばゆいような感じで嬉しくなった。
そのうちに、熱々の小籠包が運ばれてきた。
食べながら、また他愛もない話をする。
さっき会ったばかりの見ず知らずの人たちだけれど、普段あまり自分のことをしゃべらないのに気が付いたら色々なことを話していた。
海外にいるという感覚からかなんとなく気が大きくなっていたのかもしれない。
 
たくさん積み重ねられた小籠包の籠が全て空になると、
「美味しかったね。じゃあ、またね」
と、次にどこかで会う約束をしたわけでも無いのに、なんとなくそんな挨拶を交わした。
「良い旅行になると良いね」
にっこりと笑う三人に手を振って、一人街へと出た。
 
初めての夜の街をあてもなく歩く。
2月の台湾は寒かったけれど、美味しい小籠包と先ほどの会話でお腹が満たされ、体はほかほかしていた。
「せっかく来たんだし」と夜市を覗いてみたり、タワーに上って一人夜景を眺めたりした。
どこに行っても人であふれ、もちろん観光客もたくさんいるのだろうけれど、何と言いようもない熱気というか、エネルギーで溢れていた。
人が生活を営んでいる様がはっきりとあちこちにみられるような気がした。
商売をして豊かになりたい。
もっといい暮らしをしたい。
夜市で楽しく遊びまわりたい。
友達と楽しく過ごしたい。
そんな生のエネルギーみたいなものが渦巻いて、冬なのにどこもほかほかと活気づいているように見えた。
日本の街には無いような熱があった。
 
そうやってぶらぶらしていると、ある記憶が蘇ってきた。

 

 

 

台湾への一人旅よりさらに数年前、会社の周年記念の社員旅行でシンガポールを訪れた。
シンガポールもそうだった。
なんだか何とも言いようのない熱気のようなものが街に溢れていた。
たくさんの屋台が軒を連ねる市場のようなところで食べたごはんは、とても安かったけれどどれも美味しかった。
色鮮やかな寺院の飾り彫りや、次々に目に飛び込んでくるカラフルな雑貨のせいでそんな風に思ったのかもしれない。
そこに住んでいる人にとっては当たり前の日常かもしれない世界が、私にとってはとても色鮮やかで、強い生命力をまとってキラキラと輝いて見えていた。
 
「せっかくシンガポールに来たんだから、シンガポール・スリングを飲もうよ」
という部長の一言で、私たちは連れだってバーに向かった。
シンガポール・スリングの発祥の地だというラッフルズホテルの『LONG BAR』、せっかくだからそこに行ってみよう、と部長の後に続く。
バーと言ってもものすごく広々としていて、長いバーカウンターに加えてテーブルと椅子のセットもいくつも置かれていた。
茶色と白の落ち着いた内装の天井にはうちわがたくさん付けられていて、ゆっくりと左右に動いてそよ風を送っている。
床にはピーナッツの殻が散乱していて最初は面食らったけれど、どうやらこのバーではこういうしきたりらしい。
店員の男性も、テーブルの上のピーナッツの殻を、無造作に床に落として片付けていた。
 
案内されて席に着くと、奥の方でバンドが生演奏をやっているのが見えた。
何曲かの演奏の後、日本の曲を演奏した。
何の曲だったかはもう覚えていないけれど、日本人観光客が多かったためのサービスだろう。
バンドの目の前のテーブルのお客さんも日本人グループだったようで、演奏が始まると「あっ」という顔をしていた。
 
ほろ酔いのところに、耳なじみの音楽。
夏のシンガポールの熱気にあてられて、なんだか気分もふわふわとしている。
天井のうちわも気持ちよさそうにゆっくりと動く。
ボーカルの女性は体を揺らして歌いながら、何度も「おいでよ!」という感じでお客さんに手招きをしている。
 
……踊りたいな。
 
ダンスなんて全く自信が無いけれど、その時ものすごく、心の底からそう思った。
 
この音楽にのせて体を動かしたら、どんなに気持ちが良いだろう。
にこにこ歌っているあの女性と一緒に踊ってみたら、どんなに楽しいだろう。
 
女性は歌の合間に何度も手招きしている。
目が合ったような気もした。
うずうずしている私の気持ちが伝わったのかもしれない。
 
それでも、私はテーブルから立てなかった。
 
「すごいですね」とか「気持ち良いですね」とか同僚と言い合いながら、音楽に合わせて手拍子しながら、そわそわと椅子から離れようとするおしりを抑えながら、どうしても立つことが出来なかった。
 
“恥ずかしい” という気持ちに勝てなかったのだ。
 
「皆そんなに気にしないよ」という言葉を何度も自分に言い聞かせた。
えいっ、と立ち上がってその場でもいいから体を揺らして踊ってみようかと、何度も妄想した。
 
けれど結局、何も出来なかった。
せっかく気持ちよかったのに、思い切った行動が出来ない自分に苦々しい気持ちを抱いた。
シンガポール・スリングを流し込んで、にこにこ座っているだけだった。
 
あの時、踊ればよかった。
 
その記憶が、数年経った今でも小さな後悔として残っている。
 
周りなんて気にしないで、楽しかったのだから楽しさを全身で表現すれば良かったのに。
あの女性と、バンドの音楽に合わせて踊ってみたら、どんなに気持ち良かっただろう。
そうしたら、ただバーに行って飲んだ、という思い出に色が添えられたのではないか。
そんな気がした。

 

 

 

そうか、あの時の後悔があったから、今回私は一人旅をしよう、と思いきることが出来たのかもしれないな。
 
台湾の寒空の下そう思った。
あの時、勇気を出して行動出来なかった代わりに、たった一人で違う世界に飛び込んでみたらもう少し思い切った行動が出来るかもしれない。
無意識の深いところでそう思って、一人旅をしようと思ったのかもしれない。
 
なんとなく納得して辺りを見回してみると、いつの間にか道を間違ったらしく、夜の盛り場のような通りに紛れ込んでしまっていた。
怪しげな光に照らされた噴水のある、いかにも、というようなホテルが通りの真ん中に建っている。
道端には客引きのような男性も立っていて、若い男女のグループもたくさんいる。
これはまずい。
女性一人でここを通るのは危ないかも。
咄嗟にセンサーが働き、冷や汗をかきながら元来た道を引き返したら無事に帰ることが出来た。
思い切りは必要とはいえ、危険からは自分で身を守らないといけない。
 
翌日、目が覚めると、窓の外からお経のような声が聞こえた。
それも結構な大音量だ。
一人ではなく複数のお坊さんが輪唱のように口々にお経を唱えている。
窓から覗いてみると、ホテルのすぐそばにある寺院でなにやら祭事が執り行われているようだった。
 
なんとなくワクワクして、急いで着替えてお寺を覗いた。
 
お寺には大きな祭壇が組まれ、果物やお餅のようなものやお供え物がたくさん並べられ、お坊さんがずらりと並んでお経を唱えていた。
敷地に入って良いのか分からずに隅っこの方からそっと覗いていると、現地の方なのか一人のおじさんが気付いて手招きしてくれた。
 
「Japanese?」
尋ねられて頷くと、英語でぺらぺらと話し始めた。
英語は好きだし得意な方だけれど、それでもさらさらと話すおじさんの言葉を捕まえるのは苦労した。
しかも結構な台湾訛りの英語だ。
私が困った顔をしているのに気付いたのか、おじさんはゆっくり話し始めた。
 
「今日は収穫をお祈りするお祭りのような行事で、これは一年に2回しかやらないんだ、あなたはラッキーだね。ゆっくり見ていったらいい」
 
そう言ってニカッと笑ったおじさんの口元には、歯一本分の隙間があった。
 
それから、あっと気付いたように「こっちにおいで」と私を祭壇の側まで連れて行った。
 
「このお香に火を灯して、お供えするんだ。持って行っていいよ。上の階にも違う神様がいるから、見てみてね」
 
長い棒状のお香を私に手渡してくれた。
 
ありがとう、とお礼を言ってお香を受け取った。
しばらく二人で黙ってお経を聞いていたら、おじさんともっと話してみたくなった。
 
「ここはどんな神様が祀られているんですか?」
「どんな作物を育てているのですか?」
 
思いついたことをたどたどしい英語で尋ねてみると、おじさんは私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれた。
お礼を言って上階の神様の祭壇を眺めたり、美しい彫刻に見ほれながら回っていると、結構な時間が経ってしまっていたようだ。
いつの間にかお坊さんたちのお経は止んでいた。
一階に戻るとさっきのおじさんがいた。
 
「たくさん見られた?」
「すごく綺麗でした、ありがとう」
 
またお礼を言うと、
「良かった。良い旅行になると良いね。来てくれてありがとう」
笑顔になり、手を振って見送ってくれた。
当たり前だけれど、相変わらず前歯には隙間があった。
おじさんのそのかわいい笑顔を見たら、なんだかすごくあたたかい風にふわっと背中を押された気がした。
 
一人で入るのにはちょっと勇気がいったけれど、覗いてみて良かった。
 
英語がペラペラじゃなくたっていいじゃないか。
気になったところは覗いてみたらいいじゃないか。
 
自分が思っているよりも、案外人はおおらかで優しくて、言葉がきっちり通じなくたってなんとなく分かり合えるんだ。
日本人だって、台湾人だって、その日会ったばかりの人だって、こちらから心を開けば受け止めてくれるんだ。
同じ人間なんだから、きっとそうだ。
 
一人海外旅行、挑戦してみて本当に良かった。
こんな小心者でも、思い切ってやってみればなんとかなるのだ。
ほんの少しの思い切りが、その先の楽しさを数倍にするのだ。
おじさんと別れてから歩いた台湾の街並みは、なんだか前よりも一層熱を帯びてエネルギーが溢れている気がした。
 
台湾旅行ではバーには行かなかったので、音楽に合わせて踊ることは出来なかった。
でも、次にそんな機会があったら、今度はきっと、えいやと踊ってみよう。
そうしたら、やっぱり気持ちいいと思う。
そうしたら、私ももう一皮剝けるような気がする。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE編集部公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。

Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。

興味のある分野は まちづくり・心理学。

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2021-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.132

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