週刊READING LIFE vol.133

ただ、望み通りにして欲しいだけさ《週刊READING LIFE vol.133「泣きたい夜にすべきこと」》


2021/07/05/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「放っておいて下さい!!」
悲しんでいたり、悩んで苦しんでいたりする人に声を掛けると、大抵の場合、この答えが返ってくるものだ。特に、泣いている場合は尚更だ。
これは、感情に対する理性の抑制が効かなく為っていることに他ならない。人間は、感情を有する動物だ。
 
人は時に、無性に泣きたくなる時がある。悲しい時や苦しい時ばかりではなく、嬉し過ぎて感極まった時もそうだ。
これは、年齢が上がったからといって減ることは無い。しかし、大人になると本来は自制力が付く為か、涙してしまう機会は減ってくるものだ。
 
近頃では、『涙活』とかいう新語も生まれている。これは特に、泣くことを奨励している様にも思われる。しかし実情は、より泣ける人間をどこかで持ち上げ様としているとしか思えない節がある。
そうでなければ、わざわざ“活動”してまで泣こうとは思わないだろう。
 
そもそも“泣く”という行為は、『号泣』という語彙が示す通り、感情が爆発し制御不能に陥っている状態をいう。子供ならまだしも、大の大人なら決して褒められる状態ではない。
しかし、その褒められない状態に自ら進んで飛び込んで行っているのだ。昨今の『涙活』は。
これは多分に、現代のストレスフルな社会が大きく関わっていると思われる。溜まりがちなストレスを、“泣く”という行為で一気に解消しようとしているように見受けられるからだ。
勿論、人間は感情の動物なので、人為的に感情のリミットを外すことが出来れば、十分にストレス発散と為ることは承知している。しかしそれは、余り褒められたものでは無いことも理解している。
何故なら、感情というものはリミットを外すと暴走し爆発するからだ。他人が『号泣』している様子は、感情の暴走に他ならない。
感情が爆発している人間は、手に負えないものだ。そうなると、爆発が収まるまで放置する他ない。泣いている子供をあやすのに、苦労するのと同じだ。
 
従って私は、泣いている人を見ると、何も語り掛けず放置することにしている。
無論、見捨てる訳では無い。声は掛けないで見守るのだ。正確には、それしか手立てが無いのでそうするのだ。
 
なので、大人に為っても泣きたくなったら泣けばいいと思っている。
ただし、なるべく早く感情の暴走を止めて欲しいとも思っている。
暴走を始めるのも止めるのも、自助でしかないからだ。
また、感情の爆発をしないのではなく、上手に収めることが出来ることが、大人のたしなみとも思っているからだ。
 
40年弱前、私の兄貴分に当たる方の結婚式に出席した。7学年上の、私とは趣味が合う良い兄貴だ。
私の周りには、兄貴の友人達が席を並べていた。その中に、兄貴とは大の親友が居た。私はその先輩とも既知の仲だった。
私は、披露宴の開始早々から、先輩の酒が進み過ぎていることが気に為っていた。
ホテルで行われた披露宴では、いくら吞んでも給仕は直ぐにお代わりを出してしまう。私はほとほと困っていた。
何しろ、友人代表のスピーチをする段に為っても、先輩は既に酩酊していて、とてもスピーチが出来る状態では無かった位だ。
私は、宴の式次第を考え、急遽代理でスピーチを任された。
人前で話すことを苦にしない私は、問題無く役目を務めることが出来た。しかし、兄貴と先輩の関係を考え、出しゃばり過ぎかと思った。先輩は、酔っ払っていたので問題無いが、兄貴の心情が問題だった。
しかし兄貴は、私に対し、
「すまんな、山田君。代わってやってくれよ」
と、言う様に私に頷いてよこした。
 
相当酔いが廻った先輩は、披露宴の間中、私に延々と兄貴との想い出話を語っていた。酔っ払いの常だが、話は取り留めも無いものだった。
私はそこに、兄貴と親しい先輩だけが持ち合わせている、全く他人が入り込む余地の無いものを感じ取っていた。それは、弟分である私であっても入ることを許されないものだ。
時として、男同士の友情は、固くなり過ぎて困ることが有る。
取り留めの無い先輩の話は、多分、これから先、兄貴の結婚によって先輩との間柄が、これまでと全く同じとはいかなくなることを察したことから出て来たものだろう。
勿論、他の誰より、何なら当の兄貴よりも先輩が喜んでいることでもある。
それは丁度、長渕剛の『乾杯』に唄われている“大きな喜び”と“少しの寂しさ”から来る動揺を、先輩の理性が制御し切れなく為っていたのだろう。
表面上は酩酊している先輩は、心の中では既に『号泣』していたのだろう。
 
私は仕方なく、先輩を放置することにした。
お開きとなった披露宴の後、私は先輩をタクシーに押し込み、二次会の会場へと向かった。
多分先輩は、その時泣きたかったのだろう。嬉しさが抑えきれなかったからだ。
そして、その晩は泣き通しだったろう。これから続く“少しの寂しさ”を耐える為に。
 
私は今でも、その時の対処を後悔してはいない。
何故なら、大の大人でも、感情を抑える時間が必要だったと思うからだ。
 
兄貴の結婚披露宴の数日後、先輩から、
「披露宴では、酔っ払い過ぎてスマン」
と、電話が入った。私は、
「これからは、兄貴がしていた役目の半分だけも任せて下さい」
と、応えた。
 
今から10年少し前、先輩から兄貴に関するメールが入った。
先輩が酩酊した兄貴の披露宴から、25年以上が経っていた。
 
その頃、兄貴は某化粧品会社の研究所で要職に付いていた。理系の大学院で修士号を取得した頭脳明晰な兄貴だったが、体調がすぐれないでいた。
先輩からのメールには、
「奴の病気が判明した。覚悟を決めたら言ってくれ。病名を伝えるから」
と、強く短く書かれていた。
先輩と一緒なら大丈夫と、私は直ぐに腹を括った。
 
2日と開けずに先輩と逢った私は、衝撃的なことを告げられた。
兄貴は、重い難病に掛かっていて、再起は不能とのことだった。
ただ、当時はよく判明していなかった病なので、最悪の場合、認知症状が進み我々を判別出来なくなるかも知れないというのだった。
そして、決めろと言った覚悟とは、そんな兄貴を見届け続けることだった。
もしかしたら、自分達よりも兄貴が、認知症状態のまま長生きしてしまうことだってあり得るというのだ。
私は先輩に、
「苦しさを半分だけ担がせて下さい」
と、率直な気持ちを告げた。更に、
「先輩となら、必ず兄貴の為に為ると思います」
と、加えた。
私以上に悲しんでいる筈の先輩に対し、少しでも助けになりたかったのだ。
 
先輩は、
「有難う。助かるよ」
と、今度は正気のまま言ってくれた。
 
病名判別から約1年半後、兄貴は58歳の若さで逝ってしまった。
何だかあっけなかった。
兄貴逝去を知らせる先輩からの電話に、私は冷静に対応出来たつもりだった。
しかし、途轍もない悲しみと寂しさに、感情が爆発しそうだった。
知らせが入ったのが日中だったことも有り、私は粛々と関係各所への連絡を行った。一通りの連絡を終えた後、私は先輩に電話を入れた。
「ところで、兄貴が自宅に居る内に逢いに行きませんか?」
「それが、奴がまだ若いので家族葬で済ませるそうなんだ。行ったら、迷惑だろうに」
先輩は、妙に冷静な返答をしてきた。
「それはそうかもしれませんが、先輩は友人でも私には兄貴なんです。だから、今の内に一度逢ってきます。何も話してはくれなくても、積もる話があるんです」
と、私は感情に任せて告げた。
更に、
「しかも、家族葬なら猶更行きます。何せ兄貴ですから」
加えて、
「兄貴の家族で男の人は、一人息子と義理の弟だけでしょう。後誰が棺桶を担ぐんですか。葬儀に行けなけりゃ、弟分として悔いが残ります」
と、早口で先輩に告げた。相当に、感情が制御出来なくなっていたのだろう。
私の異変を感じた先輩は、
「山田の気持ちは解かった。ただ、急に押し掛けると迷惑だから、これから伺うとだけ、奴のカミさんに告げるから少しだけ待ってくれ」
と、冷静に対応してくれた。
多分、私の心の『号泣』を見抜いていたのだろう。
 
兄貴は、御自慢の自宅で既に納棺された状態で待っていてくれた。
奥様から頂いた、御気に入りのネクタイが結ばれていた。
私は、生前はおしゃべりで色々と話をしてくれた兄貴に、何も言えないでいた。私は、既に泣き止んだ状態に為っていたからか、涙も出て来なかった。
先輩は、暫く兄貴と無言の対話をしていた私の背中を叩き、
「さ、そろそろお暇(いとま)しよう。明日・明後日、改めて別れを言いに来よう」
と、優しく誘ってくれた。
 
二日後の葬儀。先輩は御子息と共に兄貴の御棺の前方に付いた。私は、義理の弟さんと共に、後方に位置していた。親友である先輩より、前に出ることを躊躇ったからだ。
兄貴の御棺は、思ったよりもずっと軽かった。
 
あっけない位にあっさりと、兄貴は天国へ行ってしまった。
私の感情は、『無』に為っていた。
 
兄貴の葬儀の帰路、先輩は運転中の私に向かって、
「これからは、奴と同じ様に俺のことを兄貴と思っていいぞ。俺も、山田の事を弟分として扱うから」
と、言ってくれた。
突然のことに、私は胸が一杯になった。運転中だったので何とか堪えたが、泣き出す寸前だった。
先輩はこれから来るであろう私の感情爆発を、事前に察知して言ってくれたのだろう。先輩は私を放置せず、見守っているぞと先に告げてくれたのだ。
私は先輩の思いやりに、ただただ有り難いと思った。
本当に嬉しかった。
 
先輩は尚も、
「山田という弟分が居て、俺は奴のことが羨ましかったよ」
と、本音を吐露してくれた。
 
私が欲することを、的確に施してくれる先輩の存在に、感謝するばかりだ。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th&39th&40th Season三連覇達成

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

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2021-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.133

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