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週刊READING LIFE vol.134

『つむじ風食堂の夜』で見つけた、つまらない日常を愉快な物語にする魔法《週刊READING LIFE vol.134「2021年上半期ベスト本」》


2021/07/12/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
別に、ドラマチックじゃなくてもいいんじゃない?
 
そう、最近、思えるようになった。
昔は、特別になりたくて堪らなかった。例えば、私は漫画とアニメの「美少女戦士セーラームーン」シリーズ世代ど真ん中だった。ごく普通の女子中学生のうさぎちゃんが、不思議なしゃべる猫のルナに導かれ、セーラー戦士に大変身! 悪の魔の手から、人々を救う愛と希望の物語だ。現在、リバイバル放送がされているそうで、心に乙女を抱いている我々大人世代だけでなく、令和の少年少女たちの心を鷲掴みにしているという。
幼少期の私も、それはもう夢中だった。劇場版はすべて見たし、おそらく探せばその時のパンフレットも、ぬいぐるみなども実家で見つけることができるだろう。
 
すてき、わたしもうさぎちゃんみたいになりたい!
 
まだ、現実と夢の狭間を行ったり来たりしている、乙女心200%なお年頃だった幼稚園生の私。なかば本気で、ルナのような不思議な導き手が現れて、美少女戦士や、魔法少女になれると思っていた。その日がいつ来るのかと、心待ちにしていた。
だが、幼稚園高学年、小学校に上る前。唐突に、それが幻想であると気がついてしまった。
近所を一人で散歩しながら、私はぼんやりと暮れていく空を、口を開けて見上げていた。
セーラームーンは、漫画とアニメの中の世界だ。
現実に起こりっこない夢物語だ。
だから、ルナが迎えに来ることもないし、セーラー戦士として、愛と希望で世界を救うこともない。
わたしは、ただの田舎の平凡な幼稚園生。
このまま、何のドラマチックなことが起きることもなく、学校へ行き、会社へ行き、おばあちゃんになって。
そして、死んだら燃やされて、灰になって、そしてこの世からいなくなるのだ。
平々凡々な人生。
世の中の脚光も浴びず、静かに消えてなくなるなんて。
 
あ~なんて、現実ってつまらないんだろう!!
 
虚ろな目をした私の目の前を赤とんぼが飛んでいく。ひらりふわりと、私の手の届かない高い位置を、自由に泳いでいる。
透明な羽が陽の光を反射して、宝石のようにキラキラと光った。眩しくて目を細めると、赤とんぼは夕日に溶けて混ざり合って見えなくなった。
 
わたしも高いところまで飛べるようになったら、自由になれるのだろうか。
どうにかして、人生をドラマチックにして、世の中の人を驚かせ、行きた証を残したい。
 
それが、つまらない現実を生きるための、私の目標になった。
 
だが、現実はうまくいかない。
青春を注いで熱中した演劇部。俳優になるのもいいな、と思った。
大好きなアニメの世界。声優になるのもいいな、と思った。
図書館と本屋に通い詰めて、虜になった物語の世界。小説家になるのもいいな、と思った。
だがどれもこれもすべて、夢のまま、儚く散った。
どの世界にも、私より優れた人はいる。そして、大人という障壁が、現実と心配というメッキで覆って、夢見る少女を叩きのめしてきた。
その世界は猛者揃いだ、性格的に向いてない、なれるわけがない。
夢を掲げる度に、叩き潰されて。
「いいや、私はなれる!」
そう、拳を掲げて叫んで飛び出せるような、そんな環境でもなかった。だから、私は、いい子の仮面をかぶった、自己肯定感の低い人間として仕上がるしかなかった。
 
つまらない、生きるって。
どこかに、楽しいことが落ちてやしないかな。
 
石ころを蹴りながら、うつむいた。
 
そんな、空虚な青春時代を救ってくれたのは、本の世界だった。
本を開けば、私は主人公と一緒に、異世界へと旅立てる。魔法使いにも、宇宙飛行士にも、平安貴族にも、なんだってなれるのだ。
高校生の時は、「ハリー・ポッター」シリーズのブーム真っ盛りだった。私も夢中で読み、劇場版を見るために映画館へと友人と一緒に、バスで片道一時間をかけて都会へと行った。
洋画の多くは、まさにドラマチックだった。世界を救うヒーローとヒロイン、あっと驚く大逆転ストーリー、攻めてきた宇宙人と手に汗握る大乱闘。話題になる作品はだいたい、全米が笑って泣いた超大作。驚きと感動がまるでゲリラ豪雨のように降り注ぐ、非日常の世界だった。
はじめは、私も洋画を友人や家族と連れ立って見に行っていたが、次第に見に行かなくなった。
気がつけば、邦画と日本人作家の小説の世界に夢中になっていた。
「え、何で? 洋画とかの方がドラマチックだしスケールが大きいし、スカッとするのに。変わってる!」
みんなに口々に言われ、私は苦笑いを返した。その頃は、私自身、なぜ、そんなに好きなのか、わかっていなかったのだ。
洋画などを批判する気持ちはないけれど、どうしても邦画などの日本人作家の作品の方が、私にはしっくりと収まりがよかったのだ。
 
「この人の本、知ってる? きっと好きだと思うんだよね」
ある時、職場のA先輩にそう声をかけられた。彼女は、私より人生経験も、活字中毒者経験も深い方だった。職場の活字中毒者で集まって、小説や漫画の貸し借りをしていたのだ。人としても、読書の趣味もAさんと特に馬があった。そんな、彼女が推薦してくださるのだ、ハズレなわけがない。
「どんな本ですか?」
「『クラフト・エヴィング商會』って知ってる? 本のデザイン、執筆、出版も手掛けているクリエイターのユニットなんだけど。その吉田さんの小説がおもしろいんだよ」
「何ですかそれ!? すてきですね!」
私は、すぐにスマートフォンのメモ機能に記録を残した。
だが、鼻息荒く本屋に行ったものの、先輩が紹介してくれた最新作は見つからない。先輩が薦めるくらいだ、人気なのだろう。肩を落としつつも、本屋の在庫を、検索機で探す。もう、過去作でもいい、あきらめ悪く、指でたどった。
「……あ、あった、一冊だけ!」
 
『つむじ風食堂の夜』吉田篤弘 著作
 
それは、ザ・文庫といったクラシックさと、本好きを惹き付ける魅力的なデザインの表紙だった。まずは、お試しとして一冊。私は、うきうきとレジへと向かった。
 
「……さ、最高だ」
 
鼻をすすりながら、私は、本を持ったまま震えた。
私が欲しかった、まさに邦画の世界、そのものだった。
主人公の「私」は、年齢や容姿が描かれていないが、おそらく私と同じ位の年齢の青年と熟成された大人の間ぐらいの男性。とある街に引っ越した「私」とご近所の方々との日常が短編で描かれている。
少し押しが強いけれど憎めない、帽子屋のおじさん。
主人公として舞台に立つことに憧れる舞台俳優の奈々津さん。
物静かで茶目っ気のある、読書好きな果物屋の青年。
物語の舞台の多くは、安価だけれど味のある食事が楽しめる、通称「つむじ風食堂」で人々が集うとこからはじまる。他は、「私」の住むアパートメント、お店の軒先、「私」の思い出の場所など、とてもミニマルな世界で展開される物語だ。
物語は、短編が次第に一つの道筋になるように作られている。
そこでは、誰かが大事件を起こすとか、殺人事件が起こるとか、宇宙人が攻め込んでくるとか、大どんでん返しの恋愛ストーリーが訪れるとか、そんなことはない。全米が大きく揺さぶられるゲリラ豪雨のようなビッグな感情は巻き起こらない。
だが、私は、その本を読んで静かに涙した。
人々の淡々とした、でも、人のぬくもりを感じる物語が、私の心を静かに揺らした。
一雫の雨だれが、積み重なることで石にくぼみをつけ、そして穴を開けるような、染み入るような確かな感動があった。
 
「私」の今は亡き手品師のお父さんと幼少期に通った、おいしい「エスプレーソ」が飲めるカフェの思い出。
ごく普通の万歩計を<二重空間移動装置>と呼び、思い描きながら歩けば、憧れの地にたどり着いた気持ちになれるのだと力説する帽子屋さんの話。
古本屋のおじさんに本を「三百万円で売ろう!」と言われ、街を駆ける大真面目な「私」の話。
 
そんな、日常の中に、一匙のファンタジーが織り込まれている。
まるで、その街と「私」たちが現実にいて、今日もどこかで物語を繰り広げているのではないか。そう、やさしい妄想を繰り広げてしまう。
登場人物も、「私」をはじめ、美男美女でも、ものすごいバックグラウンドがあるわけではないけれど、人を惹き付ける魅力がある。
 
あぁ、私も「つむじ風食堂」に行って、「クロケット」を食べながら、「私」や帽子屋のおじさんと話がしてみたい。
 
ドラマチックでもスペクタクルでもない物語。でも、手が届きそうで届かない。淡くてやさしい現実と夢の狭間を行き交うような、味わい深い小説だった。
 
みんなそれぞれ悩みを抱えつつも、日常を愛している。そして、それをどうやったらもっと愉快にできるかを日々たくらんでいる。
 
私は、どうだろう?
魔法少女にも、俳優にも、声優にも、文豪にもなれなかったけれど。
でも、その半生は本当につまらなかったのだろうか。
幼少期に過ごした、季節ごとに表情を変える瑞々しい九州の自然。
友人たちと将来の夢や、大好きな作品について語り会った夕暮れの教室。
仕事や旅先で出会った人々と紡いだご縁と経験。
しょっぱくても、苦くても、甘くても。どれも味わい深い日々だった。すべて過ぎてしまった時間で、もうその場所に帰ることはできない。
もっと、楽しんで味わい尽くせば良かった。
振り返れば、そう思うことができる。
 
二度と戻れない時間。
だが、私は、それを取り戻す方法を手に入れたはずだ。
私が修行中のカメラとライティングは、<二重空間移動装置>と同じ力を持っている。
過去の切なさや喜びを、写真と文章で表現することで、これからの未来へ向け、私の作品を見た人に伝えることができるのだ。
つまらいと蹴った日常を、私の感性と技術で愉快に仕上げる。
たまに、そこに一匙のユーモアを。
日常と非日常が混ざり合わさっていく。
今までの経験と記憶がなければ、私でなければ絵描けないものがある。
 
全米が笑って泣くゲリラ豪雨を巻き起こせなくても、そっと一雫、どこかの誰かの心を揺らす雨だれになれる。
はじめは小さな波紋でも、いつしか、石に穴を開けるように人々の心に残ることができるかもしれない。
 
今、世界中で人々は不自由な生活を送っている。
会いたい人に会えず、行きたいところに飛んでもいけない。自宅や職場の往復しかできない、とてもミニマルな閉ざされた世界。
だからこそ、その生活をいかに楽しむか、が突破口になるのではないかと思う。
つまらないと、石ころを蹴る日常を送るか。
日常の中にささいなよろこびや、驚きを見出すか。
前者と後者では、精神的な安らぎも経験も違ってくるだろう。
表現方法は色々とある。
カメラで写真に残すこと、小さなことでもブログで発信すること、今まで挑戦していなかったジャンルの料理を作ること、近所の路地裏をのぞいて探検してみること。
あなたに合ったことを何気なく試して伝えて見ると良い。
そうしたら、意外にも他者の反響をもらい、驚くことになる。未来の自分のために、記録として残して置くと、意外にも味わい深い思いを描く。
 
小さな小さな一雫が、いつしか大きく広がっていく。
 
生きていると思わぬことが起こる。苦しいことも楽しいこともあるだろう。
「なんてつまらなくて、歴史にも残らない平凡な生活なんだろう!」
そう、匙を投げて、下を向かないで。
一つ一つを手にとって見てみると、意外にも味わい深くなるものだ。
今は味わえなくても、噛み締めていくとどんどん愉快になってくる。
 
別に、ドラマチックじゃなくてもいいんじゃない?
 
日常を愛してみると、新しい自分と景色に会える。
それは、邦画の世界や『つむじ風食堂』で巻き起こる、やさしくて、手を伸ばせば届くような。
あなたにしか描けない、愉快ですてきな物語。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、タロット占い、マヤ暦アドバイザーなどの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォト・ライター」。職人の手仕事による品物やアンティークな事物にまつわる物語、喫茶店とモーニングが大好物。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-07-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.134

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