「愛さない」を選ぶほうが、うまくいく関係《週刊READING LIFE vol.135「愛したい? 愛されたい?」》
2021/07/19/公開
記事:小北 采佳(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「愛がないほうが、うまくいく関係ってあるんだよな」
居酒屋のカウンターでビールを飲みながら、上司のNさんは言った。
「特に、上司と部下の関係は」
「愛」というのは、大抵の場合ポジティブな感情であり、プラスの感情だ。家族や恋人、友人、または自分が情熱を持てる何かに対して、いとおしいと思う気持ちであるからだ。
例えば私の場合は、買い物に行っておいしそうなパンを見つけたりすると、「あ、これ家族にも食べさせてあげたいな」と思ったりする。そしてパンを買いながら、家族の喜ぶ顔を想像して、なんだかワクワクする。そして自分も幸せな気持ちになれる。
愛とは、そんなふうに人を満たしてくれる感情だ。だから、愛することも愛されることも、とても尊いことだと思う。
でも、愛がいくらプラスの感情であっても、愛という感情をあえて持たないことによってうまくいく関係も、実はある。
私の会社の上司であるNさんによると、その代表格が「上司と部下の関係」だ。
Nさんは私が働いている会社で部長を務めている男性だ。
何十人もの部下をマネジメントする立場にあることから、彼が常に考えていることがある。それは、どのようにして上司と部下との理想的な関係を築いていくことができるか、そして雰囲気のよい職場環境を作っていけるのかということだ。
とりわけ昨今は、企業内でのパワハラ・セクハラなど、様々なハラスメントに対する世間の目が厳しくなっている。ハラスメントが明るみになると大々的にニュースで取り上げられたりするし、そうなると企業のイメージも悪くなってしまう。
私の会社でもハラスメントが完全にゼロというわけではない。もちろん、ハラスメントを見逃さないために、部下が上司を評価する制度があったり、定期的に研修が行われたりといった対策が行われている。
ハラスメントに対して社会全体が敏感になる中で、Nさん自身も、「職場内でのハラスメントはどうしたらなくなるのか?」といった課題により一層向き合っていかなければならなくなっている。そして、上司と部下とのよりよい関係について、以前よりもっと頭を悩ませているような状況なのであった。
今日は仕事帰りにNさんと久しぶりに飲みに来たのだが、話題は自然と上司と部下の関係性に移っていった。
「コロナが流行してからは職場のメンバーと飲みに行く機会が減ったけど、飲み会ってハラスメントが起きやすい場だったなって、思うんだよ」
Nさんは2本目の煙草に火をつけながら言った。
「飲み会って、職場での緊張感がどうしても薄れてしまうからね。フランクな雰囲気になるし、お酒が入ってしまうと、ついついやってはいけないことをやってしまうわけだ」
私はかつて参加した職場の飲み会を思い出して、渋い顔で答えた。
「そうですね。私が新人の頃は、同じ課の男性の上司で、飲み会になると必ず全裸になる人がいたんです。その場は割と盛り上がっていましたけど、私はかなり戸惑った記憶があります。昭和っぽいノリというんでしょうか……昔はそういう人も多かったみたいですけど。でも今のご時世、これってセクハラだよな、と思いました……。」
「それは間違いなくセクハラだよな。俺は部長という立場上、なんでハラスメントが起こるのかってことをよく考えていてさ。俺が常々感じてるのは、上司から見た部下のイメージと、部下からみた上司のイメージにギャップがあるってことなんだ。このギャップがあることが、よくないんじゃないかと思ってて」
「どういうことですか?」と私はつっこむ。
「俺が新入社員として入社したばっかの頃は、上司はすごくエライ人に見えたわけ。特に、当時俺が配属された課の課長は若くて、まだ30代後半だったんだけど、俺はその人のことをすごく偉大な上司で、尊敬すべき存在だと認識したんだよ」
「確かに、特に新人の頃は上司ってすごくエライ存在に見えますよね。特に若くして課長ともなると、すごく仕事ができるんだろうなあ……と思うし」
「そうだな。でも、実際自分が上司の立場になってみて分かったんだけど、部下って基本みんなかわいいんだよな。上司の俺に仕事の相談してくれたりすると嬉しいし。だから、俺は部下の成長を温かく見守りたいと思ったし、親身になって話を聞いてあげたいと思った。いわば、かわいい部下たちの頼れるお兄さん、みたいな気持ちになったわけだ」
「ああー、そうですね。特に一生懸命仕事している後輩は、かわいく見えますね。応援したくなるっていうか」
「そうだろ? でもさ、部下から見た上司は『偉大な存在』だけど、上司から見た部下は『かわいい弟や妹』ってことじゃん。部下から上司がどう見えるかっていうのと、上司から部下がどう見えるのかっていうのが、全然違うってことなんだよな」
確かに、Nさんが言うように、部下が上司にどんな感情を持って接しているのかと、上司が部下にどんな感情を持って接しているのかとの間には、大きなギャップがあるといえる。
Nさんは煙草の煙を吐き出しながら言った。
「近頃はこのギャップが、パワハラとかセクハラのもとであるような気がしているんだよな」
このギャップがどうしてハラスメントにつながってしまうのだろうか?
私は以前、自分と課長とのやり取りでモヤモヤしたことを思い出していた。
「そういえば、私の課長は部下のことを『おまえ』って呼ぶことがあるんですよね。私も『おまえはさあ……』って呼ばれたことがあって、ちょっと違和感があったっていうか。ハラスメントとまでは思わなかったですけど、なんか威圧的な呼び方だなって思いました」
私はビールを飲みながら続けた。
「でも、そのあと会社の研修で上司とのコミュニケーションについて勉強する機会があって。研修の講師にそのことを話したら、『それは上司なりの親しみの表現だ』って言われたんです。特に年配の上司だと、部下を『おまえ』って呼ぶのは親しみを表しているんだって。でも、若手の部下の方は『おまえ』って呼ばれることが親しみの表現だとは思わないから、そこでお互いの気持ちにズレが生まれてしまうみたいなんですよね。私と同じような悩みを抱えている若手は多いみたいで、その講師の人は、似たような相談を持ち掛けられることがたびたびあるっておっしゃってました」
Nさんはうなずきながら言った。
「そうだよな。それも上司が部下を『かわいい弟や妹』みたいに見てるからこそ、起こる問題だと思うんだ」
確かに、課長が私のことを「かわいい妹」のように見ているからこそ「おまえ」と呼べるのかもしれない。「かわいい妹」と思う時点で、それは私のことを下の立場として見ていることになる。仮に私のことを対等な立場だと思っていたら、「おまえ」とは呼ばないだろう。
では、この上司と部下との間のギャップをなくすにはどうしたらいいのだろうか?
Nさんは「大事なのは、お互いにリスペクトの気持ちを持つことだ」と言う。
「部下から見た上司は、基本的にリスペクトの対象だよな。たいていは自分よりも、社会人経験や業務経験が豊富で、上司から教わることは多いわけだし。それと同じように、上司も部下に対してリスペクトの気持ちを持つことが大事だと思うよ。上司が部下から学べることだって、たくさんあるからね」
確かに、上司が部下から学べることは多い。私も、後輩の仕事の進め方やコミュニケーションの取り方から日々多くのことを学んでいると感じている。後輩の仕事のスタイルから私自身の仕事のスタイルを見直して、自分のスタイルをよりよい方向に軌道修正していけることもある。これが切磋琢磨というやつだと思っている。
それに、会社に長く在籍している私が「あたりまえ」と思って行っていることも、後輩から「それはもっとこうした方がいいと思う」などと意見され、はっとすることもある。彼らは経験が少ないからこそ、新しく自由な視点を持っているので、とても勉強になる。
私自身は、後輩に対してリスペクトの気持ちを持てているだろうか?
自分の行動を振り返ってみると、そうではないこともあると気づいた。私が今のところ後輩に対して抱いている気持ちは、かつてのNさんと同じように、リスペクトの気持ちというより、「かわいい弟・妹」といった感情の方が大きいかもしれない。
Nさんはこうも言う。
「部下を『かわいい弟・妹』として見ることは、兄弟愛とか親子愛みたいな感情に近いと思ってるんだ。でも、逆に部下から上司に対して『親子愛』みたいな感情は、そもそも持ちづらいと思う」
私は考えながら答えた。「確かにそうですね。元々、上司と部下というのは立場上の上下関係が明らかなので、そのような状態になってしまうのだろうと思いますね」
「そう。つまり、部下から上司に対しては、『リスペクト』は持ちやすいが、『兄弟愛とか親子愛みたいな感情』は持ちにくい。一方で上司から部下に対しては、『兄弟愛とか親子愛みたいな感情』は持ちやすいが、『リスペクト』は忘れがちになってしまう、ってことだな」
上司が部下に対して、「温かく成長を見守りたい」とか、「まるで弟や妹たちのように慕う」というのは、一見良い関係を築いているように見える。でもそこには、「上司である自分が、後輩の成長を見守っている」という上下関係が隠れているのだと思う。上司と部下との間に立場上の上下関係があることに加えて、心理的にも上司が部下を下に見ているということになる。そうなると、上司は「自分より下」と思っている部下に対して、ハラスメントをしやすくなってしまうことにつながるのだろう。つまり、上司から部下に対して一方的に持っている「兄弟愛・親子愛」のような感情が、マイナスに働いてしまうということだ。
兄弟愛・親子愛のような感情ではなく、リスペクトの気持ちを持つことで、上司と部下という立場上の上下関係があっても、気持ち的には対等な関係で接しようとすることができるように思う。相手が自分より業務経験が多いか少ないかに関わらず、お互いに学べるところを探して敬意を持って接すれば、プロフェッショナルとプロフェッショナル同士の対等な関係が築きやすくなるのではないだろうか。
上司と部下の関係においては、あえて「愛さない」「愛されない」を選ぶことで、よりよい関係を築いていける。
それに気づかせてくれたNさんに対しては、仕事の先輩としても人生の先輩としても、リスペクトの気持ちでいっぱいである。
あなたは上司に対して、あるいは部下に対してどのような気持ちで接しているだろうか?
お互いにより対等な関係を築いていきたいと思ったら、愛よりもリスペクトの気持ちを持つことを考えてみてほしい。そうすれば仕事のパートナーとして、よりよい関係を築いていくことができるだろう。
□ライターズプロフィール
小北 采佳(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山形県生まれ。山形→仙台→ハワイ→東京を転々とし、現在は東京都在住。
高校時代、数学のテストで200点満点中4点しか取れないほど理系科目が苦手だったが、現在はシステムエンジニアとして日々奮闘中。
故郷山形と東京を行き来する中で、地方と都市部に住む20代~30代女性のライフスタイルについて考えている。
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