週刊READING LIFE vol.136

ピンクが好きな男、ブルーが好きな女《週刊READING LIFE vol.136「好きな男・好きな女」》

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2021/07/26/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
初めての家族旅行で、父は私とお揃いのピンクのシャツを着た。
 
小学一年生の初めての夏休み、母の妹を訪ねる旅だった。叔母はその年に結婚し、愛媛の新浜というところで新婚生活を始めていた。気風のいい人で、結婚前は私のことをよく可愛がってくれたものだが、神奈川と愛媛は子供が気軽に遊びに行ける距離ではない。遠くまで旅をすること以上に、大好きな叔母に久々に会えることに私は浮き足立っていた。兄は兄で、新幹線に乗れることを楽しみにしているようだった。出発の何日か前、みんなで荷造りをしている時に、父と母がニコニコしながら何かの袋を持ってきた。
 
「旅行の時はこれを着るよ」
 
袋から出してきたのは、ピンクが2枚に青が2枚、家族4人でお揃いの半袖のシャツだった。すごい、みんなでお揃いなんて初めて! 私はてっきりいつもの服で行くのだろうと決めつけていて、出発の日はお気に入りのペンギン柄のTシャツを着ようとセレクトしていたところだった。ピンクと青が2枚ずつ、誰が何色だろう。私と兄の分は大きさを見れば一目瞭然だ。1番小さいピンクが私、その次の青が兄、納得のセレクトだ。だが残された2枚をみて、私は首を傾げる。
 
「おかあさんがピンク?」
 
お母さんは青だよ、と母。じゃあピンクは誰が着るの? と聞くと、父がニコニコしながら自分を指差した。
 
「ピンクはお父さんが着るよ。けいとお揃いだよ」
 
目を輝かせ、どこか誇らしげな様子の父。ふーん、そうなんだ。ピンクって女の人が着る色かと思ってたよ。私がそう返すと、父は「お父さんが着てもいいんだよ」とニコニコしていた。言われてみれば、大人用の2枚は青の方が少し小さくて、ピンクの方が大きい。もしかして、お父さんがピンクを着たがったから、お母さんは青にしたのかな? お兄ちゃんが一人で青になって可哀そうだから? お母さんは本当はピンクが着たかったんじゃないかな。そう思いながら母の顔を見上げてみると、母も父と同じように嬉しそうにニコニコ笑って、自分の青のシャツを手に取っている。お母さん、青でいいんだ。女の子どうしでピンクが良かったけど、代わりにお父さんがピンクならまあいいか……。
 
かくして旅行はそのシャツと共に特別な思い出になった。ラジオ体操よりも早く起きて駅に向かったこと、行楽シーズンのため新幹線をいくつも乗り継いだこと、開通したばかりの瀬戸大橋に乗ったこと、大好きな叔母に会えたこと、叔父がお手製のうどんをふるまってくれたこと。瀬戸内海のどこかの島でキャンプをしたこと、海がとても綺麗だったこと、バーベキューがとても美味しかったこと。小学生の夏休みってこんなに楽しいんだ。お父さんと私がピンク、お母さんとお兄ちゃんが青。みんなでお揃いの服、探検隊の制服みたい。思い出の中の、写真の中の私はどれもゴキゲンに笑っていて、見るとあの時の気持ちが蘇ってくるようだ。
 
「……懐かしいなあ」
 
私はお揃いの服を着た家族写真をつまみ、ため息を一つついた。今度は私が新婚になり、実家からほど近い新居に引っ越してきて、結婚式の準備をしているところなのだ。よくあるテンプレな結婚式はしたくない、プロフィールムービーなんてもってのほかだという夫に、会場に写真を飾るくらいはさせてくれと頼み込み、そのセレクト作業をしていたのだ。写真の中の私は無邪気に笑い、夏休みを満喫しているのが伝わってくる。こちらは仕事で疲れた体に鞭打って家事をして、更に式の準備をしているというのに。いいなあ、楽しそうだなあ。確かに愛媛旅行は楽しかった、この写真はぜひとも使おう。私は探検隊の写真をセレクト済の写真の山に移すと、他の写真の選定を始めた。
 
入籍した当初は、夫は私が一人暮らししていた1Kの小さなアパートに一緒に住み始めた。新居はもう決まっていたが、リフォームの都合で三か月ほどここで暮らさなければいけないのだ。キッチンは手狭で、電熱式のコンロが一つあるきりだ。私が一人で食べるような、木っ端野菜とハムを適当に煮込んだような食べ物を作るには十分だが、夫と二人分となるとそうもいかない。仕事が忙しい時期であることもあり、私がちゃんと食事を用意できないことを謝ると、夫はいいよいいよ、と笑った。
 
「あんな狭いところじゃ料理できないよ。引っ越したら俺がやるから」
 
そう言いながら、二人して近所の定食屋で食べたり、コンビニでテイクアウトするような夕飯を食べる日が続いた。そんなの不健康だし新婚らしくない。ちゃんと手作りのごはんを用意してあげてこその新妻じゃないか。出社する電車の中でそんなことを考えるものの、仕事を終えて帰りつくころにはへとへとで、最寄り駅で待ち合わせ、夫が言うがまま今日も定食屋に入ってしまう。明日こそご飯を作るんだ。明日こそ。そんなことを考えているうちに、見る見る間に引っ越しの日が迫り、荷造りに追われているうちに1Kでの生活が終了してしまった。
 
新居は中古の戸建てなのでキッチンは広々としている。リフォームの際、調理台は二人の身長に合わせて高めにしてもらった。さあこれで美味しい料理がつくれるぞ。そう意気込んだはいいが、仕事の量が変わるわけではなく、更に通勤時間が長くなったので、家に帰る頃には前にもましてへとへとになるようになってしまった。
 
「お疲れ様」
 
夫はそう言いながら食事を用意してくれるようになった。野菜と豚肉の中華炒め。ペペロンチーノ。焼き鮭。白米とみそ汁と一緒に出される素朴なおかずは、どれもとても美味しい。1Kに住んでいたころは、「俺がやるから」はリップサービスのようなものだと思っていた。本当に料理が出来る人なら、どんなキッチンでも料理が出来るはずだ。そんな思いもあったし、結婚前から夫が料理をするなんて一言も聞いたことがなかったからだ。ネットのファミリーエッセイ漫画でよく見かける口先だけはご立派な夫のように、私の夫も気前よく言っているだけなのだろう。そんなふうに高をくくっていたのだが、毎日出てくる麻婆豆腐に、カルボナーラに、私は唸らざるを得なかった。よくよく話を聞くと、大学時代にアルバイトをしていたバーで厨房も担当しており、その時に覚えたレシピで作っているとのことだった。
 
「だから、バーで出してなかったものは作れないんだよね」
「それにしたって美味しいねえ、作ってくれてありがとう」
 
料理が出来る夫、これは貴重だ。
エッセイ漫画にもそう書いてあった。
 
夫か料理をするようになって、私の家事は食器洗いや洗濯が主になった。これらは夫が作ってくれた食事を食べた後にやればいいので、どこか気が楽だ。一方もし私が食事担当だったとしたら、へとへとの状態でご飯を作らなければいけない状況ほど辛いものはない。その辛さを、夫が用意してくれた食事が取り除いてくれる。こんなに助かることはない、こんなに有難いことはない。友人や親にはそんな風に話していたし、私自身もそう思っていた。
 
だが、夫にありがとうと言うたびに、胸の中で何かが燻るのを感じる。
 
「……新妻なのになあ」
 
新婚と言えば、奥様が張り切ってご飯を作り、旦那様が美味しいよ、と微笑むものじゃないのか。どこか昭和的なステレオタイプのイメージを私も持っていて、それと現実がかけ離れていることを感じる度に、胃が痛むような心地になるのだった。料理は妻の私がやるべきことなのに、私が至らないから夫に助けてもらっている。本当は、私が美味しい料理を作って、美味しいね、って言ってもらう立場のはずなのに。私が帰ってくるのが遅いから、夫はさっさと料理の準備を始めてしまう、先回りするのは難しい。私だって料理がしたい、洗濯を畳むのは好きじゃない。妻の家事の花形ともいえる食事作りばかり夫がやって、私は地味な洗濯ばっかり。食事を作って、美味しいね、ありがとう、と言われることが、明日の家事への活力となるんじゃないのか。それを奪われて地味な家事ばかり担当しているなんて、全然新婚らしくない……。でもこの言いがかりのような論理を夫に訴えて、へそを曲げて食事を作ってくれなくなったら、それはそれで物理的に困ってしまう。
 
助かっているのは事実なのだから、私が呑み込めばそれで収まる。
そうするしかないんだ。
 
「…………」
 
ため息をついて、セレクトの山の一番上に乗せられた探検隊の写真をもう一度眺めてみた。父はピンク、母は青。その組み合わせを不思議に思ったのは最初だけではなく、この写真を見る度に、当時のことを思い出すたびに、疑問が頭をもたげた。父はそれまでピンクの服など着ているのは見たことがなかった。黒とか茶色とか青とか白とか、当時の男性がよく着る色を着ていたように思う。だから当時の私も当初は父が青だと思ったのだ。そんなにピンクが着たかったのかな、お父さん。お母さんはピンクと交換して嫌じゃなかったのかな。鬱屈とした気持ちが好奇心に変わるならその方がいい、電話して聞いてみよう。
 
[もしもし]
[あ、お母さん? ちょっといい? 今写真の整理しててね……]
 
みんなで四国に行った時の写真が出てきたんだ、覚えてる? 叔母さんのとこにいってさ、キャンプとかして楽しかったよね。覚えてるんだ、よかった。今その写真が手元にあってさ。
 
[お父さん、どうしてピンクのシャツだったの?]
[ああ……]
 
電話の向こうでも、母が少し照れ臭そうに笑ったのが伝わってくる。
 
[お母さん、ピンクが好きじゃなかったんだ。だから青がいいって言ったの]
[……そうなんだ]
[そしたらお父さん、けいが一人でピンクになっちゃう、それは可哀そうだから俺が着るって言って、ピンクになったのよ]
[……へえ]
 
予想だにしない答えだった。
 
思い返せば、確かに母はピンク色の服は持っていなかった。だが当時の私はピンクが好きで、女の子はみんなピンクが好きなのだと思い込んでいた。今では一番好きな色ではなくなったが、それでもピンクか青かと言われたらピンクを選ぶだろう。だから母もてっきりピンクを着たかったのに父に譲ったのかと思っていたのだが、順序が逆だったのだ。
 
青を着たかった母と、娘のためにピンクを選んだ父。
 
[そうだったんだあ、全然気が付かなかった]
 
母は笑いながら、父のピンクのシャツは大好評だったのだと教えてくれた。平成になったばかり、まだまだ男らしさ女らしさを求める社会において、性別、現代風に言えばジェンダーによるカラーも固定的だった。そんな時代に、レジャーというプライベートの場でピンクを堂々と着こなす父はとても新鮮でオシャレに見えたらしい。更に娘とお揃いというのがとても評判だったようで、父は行く先々でピンクのシャツを褒められていたそうなのだ。
 
[お父さんを真似して、旦那さんにピンクのセーター編んだ人もいたんだって]
 
どうやら叔母のご近所さんにちょっとしたメンズ・ピンクブームを巻き起こしていたらしい。全く知らなかった思いがけないエピソードに感心して電話を切り、改めて写真を眺めてみた。父は男はブルー、女はピンクという固定観念を飛び越えて、私のためにピンクを着てくれた。それを見た人たちは、男は青を着るべきだ、なぞ言う事もなく、素敵だね、オシャレだね、と誉めそやしてくれた。母の青だって、色白の母によく似合っている。男がピンク、女がブルーだっていいじゃないか。みんながなんとなくそう思い込んでいただけで、そうしなきゃいけない決まりなんてない。
 
そう、どっちが男で、どっちが女かなんて、決まっていないのだ。
 
「…………決まってないんだ」
 
新婚だから、妻だから、女だから。
共働きで、お互いに自立した協力関係でいると思っていたが、なんてことはない、私が私にステレオタイプを押し付けていただけだったのだ。新婚家庭で料理をするのは、夫でも妻でもいいじゃないか。家事は他にもいろいろあるし、感謝が欲しいならお互いにお礼を言う習慣を身につければいいだけだ。
 
明日の夕食は、心の底から夫に「ありがとう」と言えそうだ。
 
気分も晴れやかに、私は写真の仕分け作業を再開したのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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2021-07-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.136

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