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週刊READING LIFE vol.140

合鍵は、捨てておしまい《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
心底、嫌いになったというわけではない。
ただ、一人でいるということが寂しいだけ。
ただ、誰かのぬくもりを感じていたいだけ。
そんな気持ちのまま、元彼とダラダラと付き合ってはや数年が過ぎていた。
そろそろどこかで、この関係を終わらせなくてはという焦りと、すぐそばにあるぬくもりを手放すことへの未練が、自分の中でマーブル模様を描いていた。
もう元の純粋な色には戻れないと思っていた。
「男女の友情は成立すると思うか?」と尋ねられたら、今の私ならNOと言える。
 
初めに別れ話を切り出したのは、向こうからだった。
「もう、うんざりなんだよ」
吐き捨てるように彼は言った。
たしかに世話好きで、彼氏ができるとついつい自分を犠牲にしてでも尽くしたくなってしまうのは、私の昔からの性分である。
それですっと離れていった人もいたし、わりと付き合いが長く続いた人もいた。
しかし、そういうことを何度か繰り返しているうちに、「犠牲を払う恋愛」に正直疲れてきたのも間違いなかった。
その彼とは、顔を見たことがあるくらいで話したことはほとんどなく、ある飲み会をきっかけに再会して急接近した。
 
付き合い始めたのは、偶然にも高校や大学時代の同級生が次々と結婚していくラッシュの時期でもあった。
披露宴で微笑む花嫁の友人たちを見ながら、
「もしかしたら、私もあの高砂の場所に座る日が来るんじゃないか。結婚すれば、一人娘として、少しは親孝行ができるのではないか」
ということも考えていた。
実際にそういう話が持ち上がることもあったし、将来、一緒になることも視野に入れて二人でお金を貯めようとし始めたのも事実だった。
毎月いくらずつ貯金すると決めて、ある一定の金額に届いたらまた考えようと言っていた。
わずかではあるが、毎月通帳の上で少しずつ増えていく数字が、まるで幸せポイントの積み重ねであるかのように思われた。
 
私はその間に転職をした。結婚しても仕事はできる限り続けたいと思っていた私には条件も時間も給与面もなかなかよい会社だった。
新しい転職先にも慣れてきて、公私ともにかなり充実していた矢先のこと。
仕事中に彼からメールが入っていた。体調を崩して入院することになったという内容である。
よく聞いてみると、急に激しい腹痛に襲われて病院に行ったところ、腹膜炎を起こしているという。それまでは胃の辺りが少し痛むと言った程度だったので、急に心配になった。
それと同時に入院先の病院名を聞いて思った。
「あれ? なんでそこの病院なの?」
彼の家からその病院は少し遠かったからだ。
「近所に住んでいる友達に連絡して、連れて行ってもらった」
「そっか、お友達が近くにいてよかったね。きつい時に力になってあげられなくて、ごめんなさい。何か必要なものがあったら、連絡してね」
とメールを送ったあとに、何かひっかかるものがあった。
今まで約2年付き合ってきて、近所にそんなに頼れる友達がいるなんて、初耳だったからだ。
胸がざわついていた。
まぁ、私の知らない人もいるよね。
たしかに、車で到着するのに15分はかかる彼女よりも、近くの友人のほうが呼びやすいし、頼みやすいもの。
気にしない、気にしない。彼も早く入院できてよかったんだよ。
でも……。まさか……。
 
その私の予想は、数日後あっさり的中した。
休日出勤しないと終わらない案件を抱えていた私も、やっと仕事が終わるというめどがつき、彼のお見舞いに行ける時間ができた。やっと会えると思うと嬉しかった。
前日に届いていたメールは、
「隣の患者さんが唸って、夜もゆっくり寝られない。CDプレーヤーを持ってきてほしい」
という内容だった。
二人でドライブ中によく聴くCDをいくつかピックアップして、病院へと向かった。
これなら、入院生活の憂鬱な気分も少しは晴れるかもしれないと思って、急いでいた私は、
「病院には何時ごろに着くよ」という内容のメールを彼に入れ忘れていた。
「まあ、サプライズってことでいいか。喜んでくれるかな」と相部屋の病室のドアを開けた瞬間、私はその場に立ち尽くしてしまった。
私の知らない美人な女性が彼のベッドの側で心配そうに座っており、彼が彼女に向かって、にこやかに微笑んでいた。
 
「あ……、す、すみません。私、出直しましょうか?」と尋ねると、その女性は
「いいです。もう私、失礼しますから……。〇〇くん、お大事にね」
「うん。来てくれてありがとな」
そのやりとりを見て理解した。ああ、この人が近くに住んでいる友人か、と。
あえて何も聞かなかった。
手術を終えたばかりの病人に、しかも相部屋にいる彼を問い詰めるということは非常識なオンナだろうなと思ったからである。
本当はすぐにでも聞きたかった。「ねぇ、今のひと、誰? どういう関係?」と。
 
「これ、頼まれていたプレーヤーとお気に入りのCD。返すのは退院してからでいいからね」
と物分かりのいいオンナを精一杯演じて、病室を後にした。
帰りの車に乗り込んだ途端、私は泣いた。
ハンドルを握る手が震えている。やっぱり、嫌な予感は当たっていたのだ。
運転中も視界が遮られるほど、後から後から頬を伝う涙が止まらなかった。
どうして、私には微笑んでくれなかったの?
そして思った。彼と一緒になるのは、私じゃないのかもしれない。
 
退院してきてから、彼はすっかり元気になったが、私はどうしても何かがひっかかったような感じがしていた。
その間も、貯金だけは続けていたのである。それだけが心の支えだったからである。
 
体調も万全でお酒も飲みに行けるようになった頃、私は思い切って彼に聞いてみた。
「ところでさ、初めの頃に約束していた貯金って、その後どう?」
「え? 全然。やってないけど?」
「そうなんだ……。私、続けてるよ」
「お前だけは貯まってるんだ。へぇ、すごいやん」
私はポーンと突き落とされたような衝撃を受けた。
やってないって何? あの約束って何だったの?
当時、私は実家に住んでいたので、食事代や洋服代を節約して、少ない給料でもコツコツと貯めてきたお金だった。あの通帳にある金額は幸せポイントなんかじゃなかったんだ。
ものすごくショックだった。
彼は私と結婚する気なんて、なかったんだ。
そして彼は言った。
「もう、うんざりなんだよ」
 
反論したい気持ちをグッと堪えて、私は彼と別れた。
貯めていた通帳の中身は、一人暮らしをスタートするためのお金に変わった。
「犠牲を払う恋愛」から、やっと解き放たれたのだ。
新しい家具も揃えて、5年ぶりの一人暮らしにワクワクした。
何時に帰っても、何を食べても、誰にも何も言われない解放感って最高だ! と一人暮らしを謳歌していた。
ところがである。
今度は酔っぱらった元彼が家に転がり込んでくるようになった。
駅から5分という立地に住んでいた私の家は、簡易ホテルにはちょうどよかったのだ。
しかも無料。要は元彼女という立場から、都合のいいオンナに変わっていただけだった。
終電が近くなると「泊めて」とかかってくる電話を拒むことができない自分も腹立たしかったが、頼られると断れない性分はそうそう簡単には変わってくれなかったのである。
「うんざりなんだよ」と言われたくせに、完全に嫌いになれなかった自分。
結局、誰かのぬくもりを感じていたい私がそこにはいた。
 
同じ頃、ある友人の紹介で一人の男性と出会った。
その男性は、私と同じ業種の人で、人を見る目に非常に長けている人でもあった。
「お付き合いしている人はいるんですか?」と聞かれて、つい元彼とのことを話してしまった。
誰かにもやもやした状況を聞いてほしかったのである。男性目線なら、この状況を一体どう思うのだろうという純粋な気持ちでもあった。
じっくりと私の話を聞いたあと、その男性は静かに諭すように言った。
「もっと、自分のことを大事にしたほうがいいよ。君の身体も心も」
それは、私が心の奥底で長く思っていたことでもあった。
「もう少し、話したいです。お時間いただけませんか?」
「いいよ。じゃあ週末だし、ドライブでもしながら話聞くよ。今から車で近くまで迎えに行くから、目印を教えて」
 
付き合っていない人のほうが、客観的に見てくれる。
少ししか話していないのに、私の性格や元彼との関係をズルズルと引きずってしまう性分をあっさり見抜かれたことに、嬉しさも感じていた。
夏のむし暑い夜だったが、なんだか気持ちはすっきりしていた。
この男性に相談して、ちゃんと自分を見つめ直すんだ。そう思いながら、出かける支度をする。少しだけ濃いめのルージュをひいて。
 
家を出た時、元彼から電話がかかってきた。ああ、ちょうど終電が到着する時間だ。
スマホの向こうから、聞き覚えあるホームのアナウンスが聞こえる。
最寄り駅は私の家から5分。同じアナウンスが少しの時間差で聞こえてくる。
直感でうちに来るつもりだと思った。「今夜も泊めて」と。
私はもう二度と自宅には入れないと決めていた。
目の前には、私をドライブに誘ってくれた人がすでに近くの駐車場で待っていてくれた。
片手を挙げてニコリとほほ笑む彼に、私もとびきりの笑顔で、車に近寄っていく。
スマホの向こうでは、元彼の少し焦る声が聞こえた。
「え? 今、外なの? こんな時間にお前、どこに行くんだよ」
「うん、外だよ。今からドライブに行くんだ。だからもう、うちは来ないで」
「……」
 
まさか私に拒まれるとは思わなかったのだろう。
無言の向こうに、ざわざわと駅の階段を上る人々の声が聞こえた。
 
「ごめん。私たち、とっくの昔に終わったんだよ。もう、うんざりなんだよ。だから、合鍵は郵便で送るか、ゴミ箱にでも捨てておいてね。バイバイ!」
そうスマホに向かって話し終えるやいなや、電話を切った。
深夜なのに少しだけおめかしした私は、迎えに来た車にすうっと乗りこむ。
「お待たせてして、ごめんなさい!」
「いいよ、気にしないで。さあ、夜のドライブに行こう!」
 
夏の終わり。私の新しい恋が始まろうとしていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

長崎県生まれ。福岡県在住。
天狼院書店の「ライティング・ゼミ冬休み集中コース」を受講しライティングの技術を学び、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で人間の生き方を面白く感じている。自身の経験を通して、読んだ方が一人でも共感できる文章を発信することを目標にしているアラフィフの事務職。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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