週刊READING LIFE vol.140

小説:送り火は明日への希望だ《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:珠弥(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※こちらの記事はフィクションです。
 
 
変わらない車窓の風景にもいい加減に飽き始めた頃、突然懐かしい記憶が頭をよぎった。
きっかけは、視線を流れる田んぼの景色から山に移した瞬間だ。尖った木々を沢山収納した山の一部が、平坦な畑として切り開かれている景色が一瞬目に入り、そのまま視界の外に流れていく。
 
あの景色は、よく見たことがあった。幼少期の、夏休みの記憶だ。
まだじいちゃんが元気で、俺が泣き虫だった頃の。
 
じいちゃんとの少ない思い出は、トラックの中か、縁側で話をしていた場面が多い。
トラックでの行き先は、先ほどのような山の中にある畑だった。よく、その道までの間、河童の話を聞かせてくれた。
 
河童、と一括りに言っても地方で様々な目撃情報や言い伝えがあるとかないとか。
俺の地元に伝わる河童の話は、川に一人残って、冒険しようとした河童の話だ。
他の河童連中が、夏も終わればどこかへ引き返る中、一人残った河童がいたとかいないとか。その亡骸を憂いて墓を作った住職がいるとかいないとか。
 
「人間でも、妖怪でも、気持ちは一緒なんだろうな。墓ができてから河童達による人攫いはなくなったんだと。涼太、人にも動物にも妖怪にも、思いやりは大事だべ」
 
じいちゃんはきっと想像力が豊かだったんだろう。
本当かはわからないが、河童に遭遇した話や河童から聞いた日常の話を、面白おかしく聞かせてくれて、幼いながらに面白がっていた気がする。
 
「じいちゃん、河童って会おうと思って会えるもの?」
 
一度だけ、訊ねたことがあった。その時のじいちゃんは偉いノリノリで畑仕事をしていて、大きな葉を二枚切り取って見せつけながら、得意げに教えてくれた。
 
「こうしてな、葉っぱさ被って笑ってりゃ、河童も仲間だと勘違いして姿どご見せるかもしれね」
 
ゲラゲラと二人で笑いながら、大きな葉を頭に被っては、その火は一緒にでたらめな振り付けで踊った。じいちゃんは、もしかしたら怖がりな俺に好奇心を持たせようとしていたのかもしれない。
 
「次は秋田、秋田、終点です」
 
車内に響くアナウンスで、思い出から引き戻される。
俺はそそくさと荷物をまとめて、新幹線を降りた。

 

 

 

「おめど、一体どこさ寄り道してこんた遅くなった?」
「ごめんって」
 
秋田駅からローカル線に乗り換えて2時間弱。ようやく地元の最寄り駅に到着したかと思えば、早々に迎えに来た祖母に文句を言われてしまった。
確かに、秋田駅で一旦休憩をした。何なら、買い物もして寄り道をした。でも、ちゃんと2年ぶりに帰ってきたんだ。少しは大目に見てほしい。
 
「父ちゃんと母ちゃんは?」
「親戚連中に挨拶回りしに行ったよ」
 
しかめっ面で答えるばあちゃんは、鼻を鳴らすとそそくさと歩き始めてしまった。
俺はタイミングを見失って、数歩後ろを追いかけた。
 
じいちゃんとばあちゃんの家が俺の実家になったのは、じいちゃんが死んでからだった。
転勤族だった父ちゃんは、ばあちゃんが心配だと言って、仕事を辞めて畑仕事を継いだ。
俺も中学から高校までは、この家で過ごした。
でも、じいちゃんのいない家は、俺にとっては広すぎたし、田舎の学校のコミュニティは何だか狭すぎた。
 
「ほら、涼太が通ってた中学校、もう閉校して空き地になっちまったんだ」
「ふうん」
 
駅前の商店街を抜けた先にあった学校は、人気が全くなくて、寂しい空気をまとっていた。けれど、俺はそんなに懐かしい気持ちも、感慨深い気持ちにもなれなかった。じいちゃんと過ごした、畑を見に行った方がずっとずっと、心の芯が温まるんじゃないかな。
 
「そうだ、俺、スイカ買ってきたんだよ。見てばあちゃん」
 
小さいころの俺も、ばあちゃんも、じいちゃんが畑をいじる姿を、嬉々として眺め、手伝ったりしてていた。
父ちゃんは継いだと言うが、じいちゃんがいなくなってから規模はずっと小さくした。スイカも、昔は作っていたが、縮小に伴って犠牲になった食べ物の一つだった。
家の玄関に上がって早々、俺はリュックサックを占領していたスイカの玉を、ゴロンと取り出す。こいつのおかげで着替えを詰めこめず、秋田駅で調達という名の寄り道をしたことは黙っていた。
 
帰宅してからも仏頂面のばあちゃんは、俺のスイカなんて目もくれず、そそくさと二階へ上がって行ってしまった。まあいいや。
 
東京産のスイカと、秋田駅で買った花束を、座敷部屋に構える仏壇に供える。
手を合わせて視線を再び仏壇の中央に向けた時に、ふと精霊馬が目に入った。
ナスとキュウリで作られた馬。それを見て、俺は少し閃いて、工作をすることにした。
 
台所から包丁を拝借して、東京産のスイカを一部切り取り、キュウリの精霊馬を分解して、スイカの皮で作り替えた頃……
事件が勃発した。
 
「涼太、何してくれた?」
 
俺の様子を覗きに来たらしい。ばあちゃんが座敷部屋に入ってきて早々、精霊馬を見つけると大きな声で叱咤してきた。
 
「おめは、先祖様への敬意はねのか?」
「……だって、じいちゃんはキュウリ嫌いだったじゃんか」
 
絶対、頑としてキュウリになんて乗らないよ。匂いがこびりついちまうもん。
人が嫌いな河童と、河童の好物が嫌いなじいちゃん。なんか、面白いな……
そんなことを考えてしまっていたら、反省の色もない俺の態度で、ついにばあちゃんの怒りを買ってしまった。
 
「そもそも盆も終わる15日に帰ってくる奴があるか!おめは、あんだけここで過ごしといて、意味なんもわかってねえべ!」
 
じいちゃんがいなくなってから、ばあちゃんは笑う数が減った。
俺も東京の大学に飛び出したはいいけれど、何をしたいのかだとか、どう生きたいのかだとか、てんでわからないままで、ひいては飲み会を一緒にするような友人やコミュニティにさえ、入ってなかった。
 
じいちゃんがいなくなってからずっと、俺は迷子な気がする。
俺が東京に飛び出してからずっと、ばあちゃんは俺に怒っている気がする。
 
ぴしゃりと大きな音を立てて閉められた襖を開ける気にもならなくて、俺は仏壇の前に敷かれた座布団を枕にしてふて寝を決め込んだ。

 

 

 

「ああ、流石俺の孫だな涼太。俺も、余計なことをしてばあさんに?られとった」
「え?」
 
ぱちりと目を開けると、畳の上にしわしわの両足が仁王立ちしている。こちらにつま先を向け視界の大半を埋めてくる。
慌てて体を起こすと、しわしわの両足はすう、と後ろに数歩後ずさる。
頭を上げて確認すると、しわしわの両足の持ち主は、随分と懐かしい人だった。
 
「じいちゃん!」
 
おう、と答えるじいちゃんの姿は、思い出の中とあまり変わらない。細っこくて日に焼けた小麦色の肌と、皺だらけだけど温かい瞳。じいちゃんは、眉根を八の字に下げながら、少しだけ頭を前に下げた。
 
「けどな、ばあさんも寂しいだけだから、優しくしてやってくれな」
「人にも、動物にも、妖怪にも、でしょ?」
 
昔言われた言葉を返すと、じいちゃんの瞳は、愉快そうに細くなった。
 
「んだ、家族はとびきりだべ……涼太、元気だったか?」
「んー、元気だけど、色々ちょっと、難しいというかそんな年頃というか」
 
一気に歯切れが悪くなってしまい、同時に気まずくなってきてしまう。居心地が悪くなってきて俯きかけてしまった時、じいちゃんが大きく両腕を上げて身体を伸ばした。
 
「お盆ってな、インドの国での言葉ではウラバンナっちゅうらしい」
「何それ」
 
じいちゃんは、ゆっくりとそのまま下ろした腕を、俺の両肩に乗せた。重さはよくわからないけど、肩がじんわりと熱を帯びたような気がする。
 
じいちゃんの顔を食い入るように見つめていると、少し口をすぼめながら言葉を続ける。
 
「俺にも難しいことはわからねえがな、苦しんでいる人を救う法要なんだってべさ。つまりな、涼太。おめえが苦しい時はいつでもじいちゃんのこと思い出せ、また気が向いたらこうやって話してやらあ」
 
さぁて、土産にこれ貰っていくな、と言ったかと思うと、じいちゃんは仏壇に飾られた俺が買ってきた花束をむんずと掴んでいた。
 
「ひば、俺は馬さ乗って帰るから、またな」
 
そう言うと、仏壇に置いていたスイカの精霊馬が、じいちゃんが飛び乗れるくらいの大きさに変身した。驚いて瞬きしかできないでいる俺に誇るかのように、じいちゃんはニヤリと笑う。
 
「涼太が作った立派な馬だべな。丁度良かった、キュウリの奴は、川にいた河童に食われちまったところでな」
 
スイカの馬?
そうだ、俺は確か、ばあちゃんに言われて仏壇の整理をしていて……
 
「いつまで寝てるつもりだ、涼太!」
「うわ!」

 

 

 

バシン!
大きな音を立てながら後頭部を素手で叩かれた衝撃で、俺はようやく目が覚めた。頭がぐらぐらするが、意識はバッチリ覚醒した。なんだ、さっきのは、夢だったのか?
畳に横たわったままでいると、視界にしわしわで小振りの両足が仁王立ちしていた。
両足が更に一歩前へ踏み出そうと此方へ間合いを詰めてきたので、俺は慌てて身体を起こす。
 
「ばあちゃん、なんでいるの」
 
状況整理が追い付かないまま声をかけた自分の声は、えらくカサカサしていた。
 
「なしてって、おめど、ばばが聞きたいところだ。精霊馬さ飾って、あのまま居眠りしてたか?」
 
拗ねてふて寝なんて、子供じみていると、ばあちゃんは独り吐き出したが、少し不貞腐れた顔のまま、言葉を続けた。
 
「確かにじいさんはキュウリ嫌いだったな、スイカが大好きだったな。……ばばは涼太にとって、あん時の思い出がほんたらに大きいものだと思わなかったんだ」
「おーい、おふくろ」
 
台所から父ちゃんが、ばあちゃんを呼ぶ声が聞こえてくる。
俺が何か言葉を返す前に、ばあちゃんはそそくさと廊下に出て、台所へ消えていった。
ぼんやりと、二人の会話が廊下まで漏れてくる。
 
「スイカ冷やしてくれたんだ? ありがとう」
「誰かさんがスイカで精霊馬作ったもんだから、切り分けておくしかねかったんだ」
「え?涼太、着いたの?」
 
なんだ、ちゃんとスイカ食べる準備してくれていたのか。
意地っ張りなばあちゃんが、少しだけ可愛く思えて、ほんの少しだけ、口の端が緩んだ。途端に、不貞寝をしたちょっと前の自分が、幼稚に思えてきて恥ずかしくなってくる。
 
俺は畳の上で胡坐をかいて、仏壇を囲うように、壁に並んだ歴代のご先祖様の写真を眺めた。
 
直接は知らない人だけど、同じ遺伝子を持つ人たち。
そんな人たちの顔の上、視線を滑らせていき、一番仏壇に近い場所である部屋の中央に飾られたじいちゃんの顔の前でピタッと留める。
過去の人として、こうやって境界が出来てしまっているけれど、今でもじいちゃんとの思い出は宝物だ。
 
お盆の期間の墓参りから始まり、こういった準備も、灯篭流しでさえも、過去の人たちと別れる儀式のようであまり好きじゃなかった。
けれど、そうじゃない。仏壇に供えるローソクの火も、川に流す灯篭の灯も、また俺たちが明日を見て歩いていけるように、遠くを灯してくれる光だったのかもしれない。
 
「もう大丈夫だよ、じいちゃん」
 
夢の内容はあやふやになっていた。けれど、突如溢れた根拠のない自信が、静かに力強く心に灯ったのを、確かに感じた。
 
ふと仏壇に供えた花に目を向けると、花瓶に水を入れていないことに気が付いた。
慌てて花瓶ごと手にしようとして、動きをはたと止める。短時間ではあるけれど、花は萎んでいない。それどころか、うっすら乾燥していて……これじゃあドライフラワーじゃないか? あれ、俺は生け花と間違えて買ってきたのか?
 
「涼太、いい加減に手伝いなさい!」
「ごめん、今行くよ」
 
ばあちゃんの怒号が響いてきて、慌てて俺は座敷部屋から飛び出した。
 
座敷部屋を出た際の振動だろうか。
スイカで作られた精霊馬が、仏壇の上でごとりと音を立ててひっくり返った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
珠弥(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

法学部卒。大学生までは父方の故郷である秋田に毎年帰省をしていた。IT系営業部で働く傍ら、日常体験を軸に執筆修行中。心を温められるような、記事を届けられるようになりたい。2020年12月~天狼院書店で受講開始。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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