『かなづち』の僕が夏の終わりに海でヒーローになった話《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》
2021/08/23/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「ここジュリアナ東京では、今宵もワンレン、ボディコンの女性たちがジュリ扇片手に踊りまくっております!!」
1992年(平成4年)会社の寮で僕は一人カップラーメンをすすっていた。
つけたTVでやっていたのはジュリアナ東京の特集だ。
まくし立てるレポーター。
踊り狂うOL達。
カップラーメンの僕は決してジュリアナ東京のOL達と知り合うことはない。
そんな事は百も承知だ。
TVを消して、僕はカップラーメンの残り汁をシンクに捨てる。
そして冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、ベッドに寝転がりながら床に転がっていた男性誌を開く。
巻頭グラビアは「かとうれいこ」
「こんな女とセックスしてーな!」
23歳の僕は切実に思ったものだった。
「かとうれいこ」のグラビアを十分堪能した後、僕はグラビア以外のページをパラパラとめくる。
女の子にもてるのかファッションは? という記事で紛れて、この夏一押しの映画、というタイトルが目をとまった。
「彼女が水着に着替えたら」
大ヒットした「私をスキーに連れて行って」を制作したホイチョイプロダクション制作の映画第二弾。
今度は冬のスキー場ではなく、夏のビーチが舞台。
週末彼女もいない僕は暇つぶしにこの映画を見に行くことに決めたのだった。
映画館のカップルに紛れて、独りぼっちの僕。
サザンオールスターズの曲が流れる中、スクリーンに映し出されるウェットスーツ姿の原田知世はめちゃくちゃ、かわいい。
そして相手役の日焼けしたダイバー姿の織田裕二といったら、男の僕でも恋に落ちそうなくらいだ。
映画を見終わってトイレに立つ。
トレイの鏡で僕は自分の顔を見る。
自室に閉じこもっているばかりの僕の顔は異様に白い。
これじゃあ彼女もできるはずなどないな。
僕もスキューバダイビングのライセンスを取って、織田裕二にようになるのだ!
僕は近所のダイビングスクールに入会することにした。
しかしダイビングを始めるにあたり一抹の不安が頭をよぎる。
翌日、僕はダイビングスクールの受付の女の子に話かけた。
「すみません」
「はい」
小麦色に焼けた顔をにこやかに向けながら、僕に返事をする彼女。
「ちょっとダイビングをやってみようと思うのですが、泳げない人でもダイビングはできるのでしょうか?」
そう、一抹の不安とはズバリ僕は『かなづち』だという事。
「はい、だいじょうぶですよ。水泳と違って息継ぎの必要がないので機材の使い方や水中での動き方がわかれば、泳げない方でもすぐにダイビングができるようになりますよ」
僕は安心して入会に申込書を書いた。
「嘘つき」
と僕はすぐにスクールの受付の女性を呪うことになる。
最初は足がつくプールでシュノーケリングの練習だった。
これはさすがに僕も楽勝だ。
しかし、水深5mのダイビング練習用のプールに移動してからが大変だ。
足がつかないとなると途端に『かなづち』の僕はパニックを起こした。
レギュレーターからエアが入ってくるので息苦しくなるはずはない。
頭では十分わかっているのだけれど、水の恐怖でパニックになる。
「苦しい、助けてくれ!」
レギュレーターを外しインストラクターに助けを求める僕。
「椎名さん、レギュレーターを外さないで! 深呼吸して!」
とインストラクターに促され、深呼吸をするとやっとパニックは収まった。
その日の講習が終わり、しょげかえる僕。
あんな失態をインストラクターばかりではなく、同じ受講生にも見せてしまったのだ。
恥ずかしい。
そこへ同じ受講生の女の子が話かけてきた。
ちょっと原田知世に似ている。
「私も実は水が怖いんです。あんなに深いプールだと緊張しちゃいますよね」
といって明るく笑いかけてきたくれた原田知世似の彼女。
彼女も「彼女が水着に着替えたら」をみて、ダイビングのライセンスを取ろうと思ったらしい。
すっかり意気投合した僕と彼女は、その後順調にカリキュラムを消化し、最後の難関である海洋実習を迎える。
「まさしさん、折角の海洋実習なので、ウェットスーツやダイビングの機材買いません? レンタルの機材だと、やはり操作とか不安じゃないですか。私の友達でダイビングショップをやっている人がいて、私の紹介ということなら3割引きで買えるんです。お揃いのウェットスーツで海洋実習なんて素敵じゃない?」
僕は彼女から言われるがまま、マスク、シュノーケル、フィン、ウェットスーツ、BC、ダイブコンピューター 総額70万を6回ローンで購入した。
一泊二日の海洋実習当日。
場所は国内では有数なダイビングスポット、静岡県安良里。
僕と彼女はお揃いのデザインで青とピンクという色違いのウェットスーツを着て、海洋実習を受けた。2人とも最終テストに無事合格。僕と彼女は待望のライセンス取得したのだった。
「今度はどこ潜りにいこうか?」
ホテルのチェックアウトの待ち時間に彼女が言ってきた。
僕は彼女と一緒にダイビングツアーに行くことを妄想する。
顔が知らず知らずにニヤついた。
「あ、来た、来た。まさしくん、紹介するね。しょうた、こっちよ」
頭の妄想が、彼女の言葉で中断される。
ホテルの入口に現れたのは浅黒い、筋骨隆々の男前。
どこか織田裕二に似ている。
「実はまさしくんに購入してもらった、ウェットスーツや機材一式、彼の会社で販売しているものなの。ダイビング機材以外にも健康食品や健康器具も販売しているのだけど、すべて製品の良さを理解いただいたパートナー経由でしか販売してないの。まさしくんも将来的には独立したいという夢があるじゃない」
何やら、雲行きが怪しくなってきたな。
妄想で熱くなっていた頭が急激に冷めていく。
「まさしくんが独立という夢を本気でかなえたいなら、私たちのパートナーにならない? まさしくんならすぐ都内に一戸だけくらい買えるくらいにはなれるわよ。それは私が保証するわ」
このあと2時間ほど、織田裕二似の彼と原田知世似の彼女からビジネスパートナーにならないかとホテルの喫茶店で勧誘をされ続ける。
3時間後、パートナー申込書と月会費2万円の振り込み用紙を渡され、やっとの思いで僕は彼らから解放された。
彼女は織田裕二のポルシェにのって颯爽と去っていく。
ポルシャを見送った僕は三島駅から品川まで新幹線に乗って一人寂しく帰っていったのだった。
その後、彼女からは何度か勧誘の電話が来たが全て無視した。
するとそのうち彼女からの連絡はなくなった。
あれから3年。
バブルは見事に崩壊した。
僕がライセンスを取得したダイビングショップはつぶれた。
織田裕二似の彼がやっていた会社のホームページは閉鎖された。
お盆。
さして予定がない僕は、「お盆くらいは実家に顔を出した方がよいのだろうな」
と漠然と考えていた。
しかし、最近実家に帰ると「まだ結婚しないのか?」と母や親せき連中にいわれる。
それは相当うざい。
実家には帰らず、時間がつぶせることを色々考えてみる。
久しぶりにダイビングでもいってみるか。
僕はほこりをかぶっていた、ダイビング機材を押し入れから引っ張り出し、オーバーホールにだしたのだった。
オーバーホールにだしたダイビング機材が戻ってきたタイミングでぼくは旅行会社のダイビングツアーに申し込んだ。
場所は最初で最後のダイビングになった静岡県安良里。
品川駅からこだまに乗って三島駅で10時待ち合わせ。
駅に着くと「安良里ダイビングツアー」と書かれたA4大の紙を胸元に持つ男性が一人改札脇に立っている。
僕は一番乗りのようだ。
男性に挨拶をしてしばらくすると50歳台のシニアなご夫婦、僕と同年代らしき女性、そして明らかに自分より年下の高校生と思われる女の子が集まってきた。
本日のダイビングツアーはこの5名で行うらしい。
ホテルに向かうバスの中では僕は同年代らしき女性の隣になる。
年齢を聞くと僕の1つ上だった。
彼女もダイビングのライセンスをとって以来、久しぶりのダイビングだということだ。
久しぶりとはいえ、水泳は得意で、久しぶりのダイビングでもそれほど不安はないらしい。
一方『かなづち』の僕はというと、久しぶりのダイビングということでめちゃくちゃ不安だった。
そこで僕は旅行会社に頼み込んでこのツアーの前にダイビングの初心者講習会に無理やり参加させてもらっていた。
ホテルに着くと、自分の荷物を部屋において、ウェットスーツに着替える。
着替え終わると自分のダイビング機材を抱えて、他のツアーメンバーと共にワンボックスカーに乗車した。
ガイドの指示で僕は一歳年上、水泳上手の彼女のバディーとなる。
高校生の女の子はガイドと、シニアなご夫婦でそれぞれバディーを組んだ。
ワンボックスカーの中でガイドより今日のダイビングの説明を聞く。
本日のダイビングはビーチエントリーで行うという事。
ビーチエントリーとは、ビーチからシュノーケリングで泳いでいき、ある程度の深さの沖で全員集合する。
そして皆集まったところでシュノーケルからレギュレーターに変えて、一緒に海中へ、というのが大まかな段取り。
先頭はガイドと高校生、その後がシニアなご夫婦、そして最後尾に僕と年上彼女の順でシュノーケリングをしながら沖に向かう。
すこし波が高く、僕は水を飲まないように、慎重にシュノーケリングをした。
何せ、『かなづち』の僕にとっては海水を飲むことは即パニックにつながる。
シュノーケリングで水を飲んだ場合は、すぐレギュレーターに変えよう、と僕は頭の中で緊急時のシミュレーションを何度も繰り返した。
あとは、パニックになったらとにかく深呼吸だったな。
初心者講習で習った事を僕は再確認した。
5m先くらい先に高校生、ガイド、ご夫婦が手をつないで水面に浮いて待っている。
僕と彼女はシュノーケリングをしながら、みんなの待つ沖に向かって泳ぐ。
すると隣の彼女が
「ゴホ、ゴホ」
とせき込み、突然苦しみ始めた。
シュノーケリングを失敗し、海水を飲んでしまったらしい。
僕はシミュレーションのとおり、彼女にシュノーケルからレギュレーターに変えるようにいった。自分のためのシミュレーションが他人の役に立つとは。
レギュレーターを必死に探す彼女。しかしみつからない。
「ない、どこにもない」
「いや、あるはずだよ」
「ないものはないのよ!」
パニックになる彼女。
僕は彼女の近くに行き、自分の予備のレギュレーターを渡してこれを咥えるように言った。
既にパニック状態の彼女は、必死にレギュレーターを咥え呼吸をするが、呼吸が浅く、きちんとレギュレーターからのエアを吸えない。
僕は
「息をはいて、そしてゆっくり吸って」
と深呼吸を促す。
しばらく深呼吸をすることで十分エアを吸えるようになった彼女はやっと落ち着きを取り戻した。
僕はOKか?
という意味でOKサインを彼女の顔の前でする。
彼女はOKです、
とOKサインを僕に返した。
僕らはなんとか皆が待つ場所にたどりついた。
沖でバタバタした僕たちに気が付いて心配そうなガイドが
「大丈夫ですか?」
僕に聞いてきた。
僕はガイドに
「(彼女が)レギュレーターがないといっているのですが」
と伝える。
ガイドは彼女の周りを探るとすぐレギュレーターは発見された。
後から彼女に聞いた話では、当日は彼女の姉のダイビング機材を借りてきたのだが、ダイビングショップで借りている機材と違う仕様だったため、レギュレーターが逆側についていたらしい。僕に「レギュレーターに変えて」と言われ、すぐにレギュレーターを探したがいつもの位置になく、焦って、さらに水を飲んでしまった、という事。
レギュレーターがないと思い込んでしまい、さらに彼女のパニックは加速したようだ。
「消えたレギュレーター」も無事発見され、すっかり落ち着きを取り戻した彼女と僕は、2日間のダイビングツアーを心から楽しむことができた。
それから10年後
「パパ、本当に泳げないの。ママなんてあんなに格好よく泳げるのに」
10歳の裕二に突っ込まれる僕。
プールでダイナミックなバタフライを披露する妻。
「そうなんだ。パパは泳げない。だけど、この『かなづち』のパパが、おぼれているママを助けたんだよ」
と10年前の話を裕二にし始める。
僕の声を聞いた妻は顔の前でバツ印を作った。
□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
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