週刊READING LIFE vol.140

親バカなアラフィフが終わらせたくない夏休み《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「待ってたよ! おかえり!」
今年の私の夏は、娘が帰省したことから始まった。福岡空港の到着口で、ソワソワしながら待ち構えていた私の目に飛び込んできた娘の姿を見たときは、安堵でいっぱいになった。それと同時に、娘の姿は思っていたよりも一回り程小さくなったようで驚いた。
「何か、痩せたんじゃない?」
ふと、心配になった。慣れない東京での一人暮らしで、いろいろと大変だったのではないかと、早くも親バカが発動する。
「ちょっと痩せたけど、大丈夫。元気満々だし」
不安げな私を一蹴するように、娘は弾けるような笑顔を私に向けた。
 
今年の春から娘は大学生になり、東京での生活が始まった。我が家の一人娘ということもあり、上京してからも夫と共に心配の日々だった。
元気にしているだろうか? ご飯は食べただろうか? オンラインばかりの授業で寂しくはないだろうか? 夫との会話ランキングトップ3は、ほとんどこの話題が占めていた。娘の代わりのように我が家のワンコに愛情を注ぐものの、18年間一緒に居た日々の重みを思うと、何ともやりきれないのだ。家にいるときは、常に娘が家族の中心だった。娘の笑い声や歌声が、生活の一部になっていたのだ。
 
だから、娘の大学が、他の大学よりも早く夏休みに入ることを知った私たちは浮足立った。自分たちが夏休みをもらえるわけではないのに、親バカコンビは、小学生のように娘の夏休みが始まる日を心待ちにしていた。娘は帰省してくる前にPCR検査を受けて、陰性だったことを私たちに告げた。これで少しは安心して帰って来られると、娘もホッとした様だった。感染予防も娘なりにしっかりしているようだったが、とにかく無事に娘の元気な顔を見られるまでは安心できなかった。
 
娘が帰ってきたら、一緒にやりたいことがいろいろあった。昨年の夏休みは、娘は受験生だったこともあり、夏を満喫することができなかった。大学の試験も夏休み前に終わると言っていたし、課題もスケジュールを組んで計画的に進めているようなので、きっと今年の夏は時間があるはずだ。
 
今年の夏、私は10日間ほどの入院が決まっていた。入院は、娘が帰省した日から5日後の予定だった。それまでは、まずは娘が食べたいものを作って、快適に過ごさせてあげようと思った。使っていなかった娘の部屋を掃除して、娘の好物を仕入れてきた。どうしてもコンビニなどで買ったものを食べる機会が多いだろうから、少しでも我が家の味を食べさせたかった。
 
家のご飯を食べると、娘は「やっぱりいいね」と嬉しそうだった。生まれてから今まで慣れ親しんだ味だ。娘が久しぶりに家でご飯を食べている姿をしみじみと見ていたら、どこか違和感を覚えた。なんだか、以前とはどこか違って見えたのだ。作ったものを私が台所から運んでいると、さりげなく手伝ってくれたり、何も言わなくても洗濯物を取り込んでくれたりする娘を見ていると、親元を離れて娘なりに感じることがあったんだろうなと思った。そんな日々の重なりが娘を成長させ、これまでとは違う雰囲気を漂わせていたのかもしれない。
 
予定よりも早めに退院ができた私は、しばらくの間自宅療養となった。家事も少しずつしかできない私をサポートしてくれたのは娘だった。慣れない手つきで晩御飯を作り、座っていていいからと言って、普段私がやっている家事を引き受けてくれた。
「せっかく帰省してきたのに、ごめんね」
そう私が言うと、娘は「全然、大丈夫」と頼もしく笑った。春から夏へといつの間にか季節は巡り、このわずか3か月余りでも、確実に時は足跡を残していた。
 
ようやく私が車に乗れるまでに回復した頃、娘は飲食店でアルバイトを始めた。高校ではアルバイトが禁止されていたから、生まれて初めてのアルバイトだ。娘と夏を満喫しなければと思っていた私は、少々肩透かしに遭った。また忙しくなるのなら、せっかくの夏休みのお楽しみが遠のいてしまう。私がそう言うと、娘は困ったように笑った。これでは、どちらが子どもか分からない。大学生となれば、いろいろと物入りなのだ。それを自分で稼ぎたいのだと言う。仕方ない。楽しみは、その合間に実行すれば良しとしよう。
 
我が家はのんびりとした田舎にあるので、周りは田んぼだらけだ。毎日ワンコの散歩に行かなければならないが、陽が落ちないと暑くてかなわないので、夕暮れを待って行くようにしている。娘がアルバイトから帰ってきたら、一緒にワンコの散歩に行くのを日課にした。大学に入学するまでは、娘がワンコの手綱を持ち、私が自分の散歩がてら同行するというのがお決まりだったから、それが復活したみたいで何だかくすぐったかった。
 
オレンジとブルーグレーの夕焼けの中、まだ生ぬるいけれど日中よりは随分ましになった風が田んぼを吹き抜けていく。夕焼けが美しいときは、幾分風がさっぱりとしているものの、ひと雨来そうなときは、夏草の湿った匂いを含んだ風で、汗がじんわりと噴き出してくる。
 
ワンコの散歩中、東京での生活のことや、まだオンライン中心のサークル活動の話などを聞く。新たな生活は娘に刺激を与え、自分で考え決めることの機会を圧倒的に増やしていた。その姿は、まるで若木が空に向かって伸びていくように、いろんなことを吸収して勢いよく上へ上へと向かっていくようだと思った。娘がいなくなって、空虚となった巣で停滞気味だった私とは、エネルギ―量と向かうベクトルが違うことを改めて感じた。ああ、私も負けてはいられない。
 
東京に住んでいると、虫が珍しくなるらしい。虫嫌いの娘にとっては願ったり叶ったりの環境らしいが、田んぼで虫に遭遇すると、家に帰ってきたなと実感するようだ。近頃、トンボをこの辺りでよく見かけるようになった。私の中で、トンボは秋の始まりを告げる虫というイメージだったから、急に季節を早送りされたような気がして、胸の奥がざわつく。眩しい夏に高揚した気持ちを、唐突に現実に引き戻されるような寂しさがある。蝉には、夏の始まりの勢いの良さを感じるが、トンボには、夏の終わりのもの悲しさを感じてしまうのだ。

 

 

 

「帰りの飛行機のチケットを取らないと」
ついに、そう娘が切り出してきた。夏休みには、終わりがある。そんなことは分かっているけれど、娘がいる日常を取り戻したような気分になっていた私には、いつまでもこの日々が続いていくかのように錯覚していたのだ。急に、私の心に夕立が降り始めた。娘のいる生活でむくむくと膨らんでいた夏雲がパチンと弾け、見る間に雨になっていく。ちょっとでも帰る日を遅らせようと、娘が指定する日には丁度いい時間のチケットが取れないとか、その日はチケットが高いとか文句を並べてみる。
 
小さな抵抗が尽きてしまい、帰りの飛行機をいよいよ予約しなくてはならなくなった。渋々了承したけれど、少しでも遅らせようと午後の便にした。思ったよりも早い帰京に、ちょっと納得がいかなかった。しかし娘には、早めに東京戻って、大学が始まる前にやっておかなければならないことがあるらしい。そう言われると、こちらとしてはどうしようもない。もう幼い頃のように、あれこれと親が口出しするわけにもいかないのだ。
 
残された時間のカウントダウンが始まった。娘が帰ってしまうまでに、やり残したことはないか? やりたいことリストを頭の中でめくってみる。あと2週間ほどで、できることはあるだろうか?
 
娘が帰省したら連れて行きたいと思っていたお店には、混雑しない時間を狙って食べに行った。久しぶりに、海も見た。家族揃ってアベンジャーズヒーローたちのファンである私たちは、「マーベル・スタジオ展」も、何とか見に行くことができた。あとは、バーベキューが終わっていない。娘が見たいと言っていた「バンクシー展」にも行けていない。8月に入ってからは、福岡にもまん延防止等重点措置が施行されたので、思っていたようには出歩くわけにもいかないから、家で楽しめる方法を工夫してみるしかない。できるだけ思い出を残したいのに、楽しい時間はいつも駆け足で過ぎていく。
 
あと僅かだ。一瞬で儚く消えゆく打ち上げ花火を惜しむように、この限りある時間を刻んでおきたい。次に娘と会えるのは、きっと冬になることだろう。
娘が東京に戻れば、夕暮れの景色をまた一人で見ることになる。お盆を過ぎれば、トンボの数もグッと増え、秋の気配も一層強くなっていく。うだるように暑い日々が続いているが、暦の上ではもう立秋だ。
夏の熱気が冷めやらぬ中、「私の夏」はもうすぐ終わりを告げる。蝉の抜け殻のような空洞を残して。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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