週刊READING LIFE vol.145

夜舟(やしゅう)《週刊READING LIFE Vol.145 きっと、また会える》


2021/11/01/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
*この物語はフィクションです。
 
 
出張先のシチリアから日本に帰ることとなった。
 
ぎりぎりまで後片付けをしていたので、フライトまでの時間があまりない。急いで空港のロビーに上がり、搭乗口を探した。
 
が、その搭乗口が見当たらない。それほど大きな場所ではないはずだが。
案内の人に聞くと、奥の方だ、と右側の奥を指さされた。それにしたがって奥に向かう。
しばらく行くと、人気の無いところに、また一人、案内係らしき人がいた。
同じように問う。
いや、まったくその通りです、こちらのさらに奥までお進みください、と妙に恭しく案内された。仕方ないので、それにも従い奥に向かう。
 
やけに下り坂だな、と思っていたら、でかでかと「入り口」と書いた自動ドアがあった。
一瞬ためらった後、私は進むことにした。
 
そして驚き、後悔した。なんと外へ出ていたのだ。
途方に暮れながらも前を見ると、長蛇の列ができていて、その先には巨大な船が止まっていた。いわゆる豪華客船というやつだろう。
よく見ると、その入り口らしきところに、案内人らしき人がいる。
仕方ない。他に方法もないので、この列に並び、あの案内人のところで正しい搭乗口を聞くとしよう。
 
時間が気になるところだが、私はその列に並ぶことにした。
意外なことに、列はさくさく進み、すぐに案内人のところまでたどり着けた。
 
「あの、すみません。入り口を間違えてしまって……この搭乗口はどちらでしょうか?」
 
私は航空券を案内人に見せる。すると、とんでもないことを言われた。
 
「ええ、はい。こちらの搭乗口であっていますよ」
 
そんなわけはない。私は航空券を買ったのだ。決して船の、それもこんな豪華客船の切符ではない。
 
「いえ、そんなはずありません。これ航空券でしょ。もっとちゃんと見てください」
 
くってかかるように言うと、案内人は首をかしげ、手元の紙束と私が見せた航空券、そして私の顔を交互に見比べた。
 
「しかし……古屋里奈様、旧姓、畑中里奈様で間違いございませんよね?」
 
その通りだった。なぜか旧姓まで知っている。
 
「でしたら、こちらで問題ございません。船は飛行機より安全ですし、何より健全です。さして時間はかかりませんので、どうぞご心配なく。ささ、後ろもつかえておりますので、どうかお早く」
 
ふと後ろを見ると、列は遙か後方までつながっていた。
仕方が無い。当初の便は無理でも、以降の便を待とう。
そう思い、引き返そうとしたが、自然に足は船の中に入っていた。
気づいたときには遅く、私は豪華客船へ搭乗してしまった。
 
そして、慌てる間もなく、船は出航の汽笛をならす。
もはやなすすべはない。
こうなったらどうとでもなれ、と、珍しくすべてを成るがままに任せる気持ちになった。大きな仕事が終わったから、というのもあるかもしれない。
 
案内された部屋は、ちょっとした高級ホテル並みによい部屋だった。
だが、私はそこに驚くでも感激するでもなく、一目散に大きなベッドにダイブした。疲れていたのは事実だし、起きてあれこれ考えるのも億劫(おっくう)だった。
私は睡魔に身を委ね、夢も見ない深く黒い眠りに落ちていった。
 
『……がございます。どうぞ皆様、3階、中央ホールへお集まりください。繰り返します。ただいまより、船長より、ご乗船いただいた皆様へご挨拶がございます。どうぞ皆様……』
 
船内放送らしき声で目を覚ます。気分はすこぶるよかった。
気分の良いついでに、その船長とやらの顔を拝みにいこうと思い、案内された場所へ向かう。
 
大きな船だとは思っていたが、ここまで人が乗っていたのか、と驚いた。
決して狭くないホールは、人で満たされていた。特にみな、着飾っていることはなくて、ちょっと安心した。
 
「あーあー」
 
突如マイクを通した声が響く。
 
「皆様、本日はご乗船、誠にありがとうございます。この船の舵取りを任されております、船長の東郷源三郎でございます。本船は寄り道もせず、まっすぐに目的地に向かう直行便でございます。僅かな時間ではありますが、皆様の旅が良いものであるよう、心からお祈り申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。どうぞ、ごゆるりと」
 
みな、一様に拍手をする。が、私はそれどころではない。我が目をうたがった。その挨拶する船長。明らかに骸骨なのである。あのイラストやちゃちなCGでしか見たことのない、骸骨が、やけに紳士らしく挨拶しているのである。
 
しかし、それをおかしいと思う人は、他にいないらしい。確かに自分も、恐ろしいとは思わなかった。むしろ、どうにも親しみを感じてしまうくらいである。骨なのに。
 
きっと疲れているから、幻覚でも見ているのだろう、と、私は先ほどの睡眠の続きをしようと思い、部屋に向かった。
 
と、そこへ、さっと小さな陰が横切った。
子どもだった。
子どもは私の目の前を全速力で横切ると、甲板の方へ駆けていった。
 
子どもは元気だな、と思っていたら、またこちらに向かっていく。すると、行く手大きなコートが立ち塞がった。
先ほどの骸骨船長だった。いつの間にここへ……
 
「お嬢さん、お船の上を走り回ってはいけませんよ。落ちたら私でも助けられません」
 
そうやって、骨だけの手で、子ども頭をなでる。ピンクのワンピースを着て、髪を短くきれいにそろえた、女の子だった。
 
女の子は恥ずかしそうにその骨の手を払い、私の方へ駆けてきた。と思うと、ごく自然に後ろに回って、私のズボンをつかみ、これまた恥ずかしそうに顔をだした。
 
「え? え? ちょっと、あなた……」
「ははは、人見知りのようですな。」
 
骸骨船長が笑って近づく。
 
「しかし、この船も見かけほど広くはありません。娘さんが怪我をされるといけない。お母様はぜひ、目を離されませんように」
 
瞳のない目が笑った。
 
「は、はあ……あ、いえ、この子は私の子ではな……」
 
言い終わる前に、骸骨船長はすでに他の人のところで挨拶をしていた。
 
改めて女の子を見る。女の子も、また私を見た。そこに「あの子」の面影を見たが、すぐにかき消した。「あの子」がどんな顔だったかなんて、分かるはずがない。
 
気を取り直して、私は屈んで目線を低くした。
 
「ねえ、お嬢ちゃん、一人? お父さんかお母さんはどこにいるのかな?」
 
女の子は何も答えない。じっと私の顔を見ていた。
 
「え~と……」
 
子どもは苦手だ。多分、自分に子どもができても、苦手のままだったろう。よい母親になれなかったかもしれない。
そんな変なことを考えていると、女の子が手を差し出してきた。
 
「ん? あくしゅ?」
 
その小さな手を握る。ほんのりと、温かみがあった。
 
「こっち」
 
女の子はつぶやくように言うと、私をひっぱっていく。
思いのほか力は強く、私は引きずられるようになってしまった。
 
手を引かれている間、なんだか、変な感じだが、そう、楽しかった。誰とも知らない子なのに、以前、この子に会ったことがあるような、そんな感じさえした。
 
私たちは、野原を飛ぶように、船内を飛び出て、甲板に行き、裏手に回った。そこには緊急用のボートが数隻設置してあった。
 
女の子が指さすと、ボートを固定する金具やらロープやらがするするとほどけ、私たちがいる高さで、そう、空中で止まった。まるで、乗れと言わんばかりに。
 
そこへ女の子が飛び乗った。危ないよ、と止める前に、女の子は、先ほどと同じように手を差し出す。
 
「……いいの?」
 
なにがいいものか、私は、自然と彼女に問うていた。
女の子がうなずく。
私はしばらく、その手をとるかどうか、迷っていた。
 
すると、船の航行が音も無く止まった。いや、船だから当然か。
同時に船内放送が流れる。
 
「お客様に申し上げます。本日のご乗船、誠にありがとうございます。本船は何事もなく、無事に対岸に到着いたしました。お荷物お忘れものないよう、お気をつけてお降りください。本日のご乗船、誠にありがとうございました」
 
骸骨船長の声だ。
そうだ、降りなきゃ。
 
振り向こうとした瞬間、
 
「だめ! こっち!」
 
女の子が叫んだ。
まだ、手を伸ばしたままでいる。とても真剣な顔だ。
迷ったあげく、私は女の子の船に飛び乗った。
 
私が乗ると、ボートはゆっくりと降りていく。
そして着水すると、オールもないのに進んだ。豪華客船から離れるように。
ある程度離れると、昇降口から大勢の客が列を成して降りていくのが見えた。骸骨船長がお辞儀をしながら見送るのも見えた。
しかし、その姿もみるみるうちに遠ざかり、ついには見えなくなった。
 
私は女の子に尋ねる。
 
「このボートは、岸に行かないの?」
 
女の子は無言でうなずいた。
 
「どこへ行くの?」
 
女の子は無言で指さす。そちらは、岸とは反対側だった。
 
「そう、戻るのね」
 
私は安心した。薄々、それがどういう意味かわかり始めていた。そして、彼女の正体も。
 
「それじゃあ、あなたも戻るのね」
 
女の子は、悲しそうな顔をすると、顔を横にふった。
 
「どうして……どうして、だめなの? あなたは、私を救ってくれたんでしょ?」
 
女の子は、無言でうつむいた。
 
「私は、あなたに、いっぱい話したいことが……」
 
そう言う前に、ボートは岸に乗り上げた。
足が、勝手にボートから離れる。
 
「ま、待って、私は、まだ、あなたに……」
「お母さん!」
 
彼女が叫んだ。
私は手を伸ばしたまま、動けなかった。
 
「待ってて。きっと、また会えるから。会いに行くから。だから、待ってて!」
 
ボートが遠ざかる。私は動けない。あの子の名前を、あの子につけるはずだった名前を叫ぶ。
 
「――!」
 
だが、その声は、声となることがなかった。
私は白い霧に飲まれ、そのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

気付いたときは、病院のベッドの上だった。
傍らには、夫が腕を組んで座ったまま眠っていた。
 
そうか、私は、また私だけ生き残ったんだな、と声を殺して泣いた。
 
私は飛行場にすら行っていなかった。
何のことはない。飛行場に慌てて向かった末、交通事故にあって意識不明に陥ったのだ。
我ながら、全く情けない。
 
頭を強く打ったらしく、一時期は危篤状態にあったが、あるときを境に快方に向かった。
よって、下半身の骨折だけで、何とか事なきをえることができた。
 
しばらく病院生活を送ることになったが、夫の献身的な姿勢を間近で見られたので、存外に心地よい。
調子が良くなると、車椅子を押して散歩に出てくれるようになった。
病院は小高い丘の上にあり、沈む夕日がとても美しく眺められる。
 
その夕日を見ながら、ある日、私は、あの夢について夫に話をした。
 
「あの子が、助けてくれたのかもね」
 
夫も同じ意見らしい。
そう、一度は私に宿った命。けれど、産んであげることはかなわなかった。名前を呼んであげることはかなわなかった。
 
「でもね、待ってて、て言ったの。きっと、また会えるから、会いに行くからって」
 
そうか、とだけ、彼は言った。
 
「ね、『輪廻転生』って信じる?」
 
こんな質問を投げかけてみた。
 
「生まれ変わりってことかい? う~ん、どうかな……こてこての理系としては、あまり確証がないものをやたらと信じないけれど……今度ばかりは信じたいな」
「本当かどうかはともかく、これを最初に言った人の思いは、私、何となくわかるな。生まれ変わっていても、会いたい誰かに会えるなら、前に進めると思うもの。まだ生きていようって思えるもの。私ね、あの子を失ったとき、本当に悲しくて、もう、生きているのもいやだった。今回の事故も、これで死ぬなら、あの子のところへ行けるなら、それでもいいかな、って、心のどこかで思ってたのかも」
「それでお寝坊してたってわけかい?」
「かもね。ごめんなさい。でも、あの子が待っててって言ったから、私、待っていなくちゃ。生きて、待っていなくちゃね。もちろんあなたも」
 
もちろんさ、と彼はうなずき、私と視線の高さを合わせ、手を握ってくれた。あの子と同じ、ほんのりとした温かさが、私をくるんだ。
 
待っているよ。お母さんは、待っているよ。
深海を泳ぐ回遊魚のように、あの大海原から戻っておいで。
 
心中で叫びながら、私は、夫の手を握り返した。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」

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2021-10-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.145

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