週刊READING LIFE vol.145

モントレーの空はいつも青かった《週刊READING LIFE Vol.145 きっと、また会える》


2021/11/01/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
今から20年ほど前の冬、ぼくは一人空港に降り立った。見上げた空は真っ青、東京と比べたらかなり温かい。これならシャツ一枚で過ごせそう、想像していた通りだ。成田を出発してから半日以上のフライト、すっかり縮こまった体をストレッチしながらあたりを見回すと、やはりローカル空港、さして広くはない。利用客のほとんどは現地の人、観光客らしき人はほとんどいない。これだよ、これ、ぼくが求めていたものは。興奮で震える体を感じた。
 
そう、ぼくはついにやってきたのだ。カリフォルニア州・モントレー。サンフランシスコから約1時間、国内線を乗り継いでやってきたこの小さな町、ここで約一か月にわたるぼくの短期留学が始まる。「あの時と同じ失敗は二度と繰り返さない」強い決意を胸にぼくはホームステイ先に向かうバスに乗り込んだ。
 
この短期留学には、ぼくなりに懸けるものがあった。会社で派遣された研修、英語力を高めるのは当然のこと。でも、それ以上に、ぼくが求めていたもの、それは「現地の人と心を通わせること」
 
ぼくには苦い経験があった。学生のころオーストラリアに留学したときのこと。あの時は、日本人や他の国からの留学生と過ごす居心地のよい世界から外に出られなかった。自分の殻に閉じこもりがちで、現地の人たちとあまり仲良くなれなかった。
 
もちろん楽しかったし、いい思い出はたくさんある。ただ帰国後、浮かれた熱が冷めてくるにつれ、次第に自分の中に後悔の気持ちが生まれているのを感じていた。もう一歩、踏み込めたんじゃないか、もっと深く現地の人と関わることができたんじゃないか、そんな思いが強くなっていったのだ。
 
「もうあんな思いはしたくない、今度こそは」モントレーの青い空を眺めながら、ぼくをそんな決意を新たにした。
 
 
ホームステイ先で出迎えてくれたのは40代半ばの白人女性、ホストマザーのメアリー。Hi, good to see you、差し出された手を握る。明るくて気さく、いい意味で典型的な裕福な白人女性といった感じ。娘さんが独立した後、今は夫婦二人で住んでいる、旦那さんは仕事で出張中、週末には戻ってくるとのことだった。
 
かつては娘さんが使っていたという部屋に案内され荷物を置いた。シャワーやトイレ、洗濯の仕方など一通りの説明を受けた後、軽い夕飯をとりシャワーを浴びてベッドに入った。まだ初日、焦ることはない、すべては明日からだ、不安と期待を胸にぼくは眠りについた。
 
 
事件は翌日に起きた。
 
語学学校から戻り、部屋のベッドで休んでいるとドアがノックされた。ドアを開けると、そこにはメアリー、手にはバスタオルを持っている。少し時間ある? そう言われ、二人でベッドに腰掛けると、メアリーが笑顔で話し始めた。
 
「ねえ、あなた、このタオル、ベッドにかけておいたでしょ」目をやると、今朝使ったタオルがなくなっている。シャワーを浴びた後、木製ベッドのフレームに干しておいたのだ。話の展開が見えず、ぼくは黙ってうなづいた。
 
あのね、と、メアリーが僕の目を見る。「このベッドは、私にとってちょっと特別なベッドなの。おばあちゃんからもらったアンティークで、ほら、素敵でしょ」いとおしそうにベッドの木枠をなでる。見るとバラの花や蔦だろうか、繊細な模様の木彫りがある。「でもね、このベッド、とても古くてダメージを受けると元に戻せないの。特に湿気に弱くて色が褪せてしまうの。だから、湿ったタオルなんかは干さないでね」
 
やってしまった、体がかたくなるのを感じた。ぼくは、ホームステイ2日目にして早くも失敗してしまった。そして次の瞬間にオーストラリアでの悪夢がよみがえった。
 
ホームステイがうまくいくか、それはホストファミリーとの関係次第、お互いの信頼関係を築けるかにかかっている。オーストラリアでは、小さな言い争いをきっかけにホストマザーとの関係が壊れてしまった。その後は、ほとんど会話することがなく、家にいるときは部屋に閉じこもっているばかり、暗い思い出だ。またあんな時間を過ごすことになるのだろうか、あんなに青かった空が灰色の雲に覆われ始めた、そんな気がした。
 
ぼくの頭の中はぐるぐる回っていた。この先のことを考えれば、ここは謝った方がいいのだろうか。でも反面、どうしてぼくが、と理不尽さ感じている自分もいる。ぼくは悪いことなどしていない。ベッドがアンティークなんて、ついさっきまで知らなったのだ。謝る必要なんてないんじゃないか、と。
 
でも、そんなことで、この留学をみじめな思い出にしたくない。いったいどうしたらいいのだろう、なにも言えずうつむいているぼくにメアリーがかけた言葉。それがすべてのターニングポイントになった。
 
「ねぇ、私たちは、二人でこのベッドを救ったのよ。このベッドはもうおばあちゃんの思い出だけじゃない、あなたと私の思い出のベッドになるわね」 二人は素晴らしいことを成し遂げた仲間よ、そう言いたげなメアリーの顔は誇らしげだ。
 
正直、驚いた。人の失敗に対して、こんなにも寛大で、優しくて、そして、相手の負担にならない反応の仕方があるのか、と。そして、視線が上がるのを感じた。自分のせい、いや、違う、なんて、閉じこもりそうになっていたぼくの心が一気に広がった。
 
失敗に対する反応、それまでのぼくが知っていたのはたった一つだ。「失敗は迷惑、だから怒る→謝る」というものだ。失敗して迷惑をかけたら相手は怒って当然だし、謝るのも当然だと考えていた。
 
でもメアリーの住んでいる世界は違った。「失敗」は「迷惑」でなかった。いや失敗という言葉すらなじまない。「人と人とのつながりは、小さな出来事をきっかけに展開する。それも良い方向に」 そんなシンプルでさっぱりした世界を感じた。そして、その世界に飛び込んでみたいと思った。
 
その日からぼくの行動は一変した。語学学校から帰ってきたら、まっすぐにメアリーのところへ行った。学校でどんな勉強して、先生とこんな話をした、とまるで子供のように報告をした。夕飯前には近所を一緒に散歩し、夕飯の準備を一緒にした。食事のときは、仕事のことや将来の夢、お互いの家族などの話をした。とにかく、どこへ行くにもついていったし、どんなことでも話した。まるで本当の親子になったような気分だった。
 
週末には旦那さんも加わりコストコで買い物をした。とてつもなく巨大なピザや、一抱えもあるほどの牛肉やチーズ、向こう側が見えないほどに山積みされた箱入りのビールに驚いた。何より楽しかったのは、試飲ビールを片手に、食品コーナーの試食を食べまくったこと。これはうまい、あれはいまいち、あの店員はきれいだ、カッコイイなど、どうでもいいことを話しながら、お腹いっぱいになるまで食べまくった。
 
Six-Packという表現を教えてもらったのもこの時だ。ビールでパンパンに膨れたお腹をなでながら「見ろよ、俺のSix-Pack」なんていう旦那さん。腹筋、割れてなさそうだけど、きょとんとするぼくに教えてくれた。Six-Packってのはビールの6本セットのこと。立派なビール腹を皮肉ってSix-Packというんだそうだ。
 
その後の日々も、ぼくは時間さえあればメアリーと旦那さんと一緒に過ごした。そして、そんな風に過ごしているうちに、ぼくは自信を感じ始めていた。
 
その自信は、英語ができるようになったという話じゃない。現地の人と付き合っていける、こちらが心を開きさえすれば、世の中には必ず受け入れてくれる人がいる、だから閉じこもらないで、自分から一歩を踏み出そう、そんな自信だった。そして、その自信が確信に変わる機会は意外にもすぐにやってきたのだ。
 
ある週末、また3人で買い物に行った時のことだ。そのショッピングモールはゴルフ場に面していた。ちょうど前日の夕食時、最近始めたゴルフを話題にしたこともあり、メアリーに軽く声をかけられた。「ねぇ、ゴルフ、やってきたら? 私たちは買い物して待っているわよ」
 
えっ、一瞬、耳を疑った。一人で、しかも知らない土地で? よっぽど不安そうな顔をしていたのだろう、メアリーが、もう一度、今度はゆっくり、そして勇気づけるような調子で言った。「ゴルフに行ってきたらどう? だいじょうぶ、絶対に楽しいわよ」背中を押されたぼくは、一人、ゴルフ場に向かった。
 
入り口のドアを開けた瞬間、これはやってしまった、と思った。ここは地元の人が集まるゴルフ場、観光地のような雰囲気じゃない。とはいえ、受付のローカル色丸出しのオヤジが、こっちにこいと手招きをしている。ここまで来たら仕方ない、腹をくくってオヤジの説明を受けると容赦ないスピード。何度も聞き返しながら、なんとか支払いを済ませると、ゴルフクラブとボールを渡され、外でスタートの順番を待て、とのこと。
 
ふう、外に出て息をついた。目の前に広がるのは緑の芝と青い空。なんとか一番大変なところは乗り越えた、ここまでくれば、もう安心。あとは一人、適当にゴルフを楽しもう、そんな気持ちで自分の順番を待っていると、ぼくのすぐ近くに、一人、また一人、ぼくをあわせた計4人、おなじ場所でおなじ方向を見ながら待っている。
 
まさか一緒にゴルフするなんてことはないよね、と心配する間もなく、一人が声をかけてきた。「じゃ、一緒に行こうか」
 
おいおい、全くの赤の他人と、ゴルフするのかい、しかも英語で。どうやらほかの二人も全く知らない者同士。こんなハードモード、予想してなかった。てっきり一人でゴルフをするんだと思いこんでいた。でも、もういいや、とにかく楽しんでやる、ぼくは完全に開き直った。
「ナイスショット!」 一番手がボールを打った瞬間、ぼくは思い切り大きな声を出した。
すると驚いたことに一瞬で雰囲気が変わった。どうやら、みんな、ぼくの扱いを考えあぐねていたらしい。でも、ぼくが自分から出した声で雰囲気が変わったのだ。こいつは「話せる」やつだ、そう認定してもらったのだ。4人の距離が一気に縮まった。
 
その後は、みんながみんな、声を出して明るくて楽しい時間になった。今のボールはよかった、あのボールはこう打った方がいい、なんて会話がどんどん飛び出した。そのうち、お前はどこから来たんだ、なんでこんな地元人しかこないゴルフ場にいるんだ、お前の仕事は、俺の仕事は、会話はどんどんと弾み、ゴルフというより4人でおしゃべりをしながら散歩しているような時間だった。
 
気づけばあっという間に最終ホール、こんな時間が永遠に続いたらいいのにと、名残惜しい気持ちいっぱいで最後のパットを打ち終える。楽しい時間をありがとう、みんなで握手をしたとき、一人が言った言葉、それは「で、今度はいつ一緒にやる?」
 
短期留学のぼくには「今度」はない。それは、もうみんなわかっていた。でも、ぼくたちは顔を見合わせ笑顔でこういった。Sometime soon. (そのうち、すぐに) ちょっとだけ涙が出た。夕焼けの空が真っ赤だった。
 
メアリーのもとに戻りゴルフの報告をすると、まるで自分のことのように喜んでくれた。そして、こんな時にぴったりの言葉を教えてくれた。それは、Couldn’t be better 文字通りの意味は、もうこれ以上良くなりようがない、つまり「最高だぜ!」だった。
 
 
その後の時間はあっという間に過ぎていった。あいかわらず、ぼくはメアリーに付きまとい、週末には、旦那さんとSix Packのビールを飲み、お互いのビール腹を笑いあった。
 
そして、別れの時がきた。
 
出発の日、空港へ向かうバスを待つ間、ぼくは庭先でメアリーに別れの言葉、そして感謝の言葉を伝えた。
 
「あなたのおかげで、ぼくは留学の目標を達成できた。あなたと旦那さん、そしてあのゴルフを一緒にした仲間と、ぼくは心を通わせることができた。この経験はぼくの一生の宝物になると思う。
 
そして、そのきっかけをくれたのは、あなたのあの一言。ぼくがここに来たばかりの日、あなたの大切なベッドを濡らしてしまったとき、あなたがぼくに言ってくれた。『私たちは、二人でこのベッドを救ったのよ』 と。あの言葉がぼくの心を救ってくれた。あの心がぼくの心を開いてくれた。
 
そう、あなたのいった通りだ。あのベッドは、ぼくにとって、あなたとぼくとの大切な思い出のベッドになったよ。本当に最高の時間をありがとう」 涙がとまらなかった。
 
バスが来た。「ねえ、こんな時、なんていうんだっけ?」 メアリーにきかれた。
 
Couldn’t be better and I will see you sometime soon. (最高だぜ、そして、いつか、近いうちに、会いましょう)そう答えたぼくはバスに乗り込んだ。来た時と同じ、モントレーの空は青かった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2021-11-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.145

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