週刊READING LIFE vol.146

火の国の知事から学ぶ、笑顔と決断力《週刊READING LIFE Vol.146 歴史に学ぶ仕事術》


2021/11/08/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
2016年4月14日。
その日、総務部での仕事を終えて帰宅した私は、自身の誕生日を翌日に控え、紅茶を飲みながら2階の部屋でゆっくりと過ごしていた。
また一つ歳を重ねるのだなという少しワクワクした気持ちと、翌日から始まる給与計算を円滑に進めるための段取りを考えつつ、今月も大きなミスがありませんようにと祈るような気持ちを抱えながら、体力を温存していた。
 
21時26分、突然、2階の部屋がぐらりと大きく揺れた。
胸の辺りがざわりとした。何だろう、この今まで経験したことがない感じは。
古い一軒家である我が家が、崩れてしまうのではないかというような揺れだった。
2005年に経験した福岡西方沖地震がまたしても来たのかと思い、階下にいた家族に
「お父さーん、お母さーん、大丈夫!?」と叫んでいた。
「心配ないよ! 大丈夫!! チカコこそ大丈夫?」という返事にほっと胸をなでおろした。
それが熊本地震の始まりだった。
震源地は熊本県益城町で、震度7というものだった。
 
翌日、誕生日を迎えても、嬉しい気持ちは私には1ミリもなかった。それよりも、なんだか胸騒ぎが止まらなかった。嫌な予感がする。
九州では関東ほど地震が頻発することはなかったし、福岡西方沖地震も喉元を過ぎれば忘れるもので、時が経つにつれて当時の恐怖や体感、記憶もやや薄れていったのであった。
そして、迎えた4月16日。
夜中1時25分に、再び大きな揺れが熊本を襲った。
同じ熊本県益城町を震源として、震度7の大地震が深夜に眠っていた熊本県民を不安に陥れたのだった。
福岡在住の私の家でも、思わず布団から飛び起きるほどの揺れだった。正確にはかすかな揺れを感じた時点で、何か察知して起きてしまった。福岡でも震度5を観測した。
2日前よりも明らかに揺れる時間が長く、家の壁がギシギシと横に軋む音がした。
「これは本当にやばい! 冗談抜きで家が崩壊するかもしれない……」
夜中ということで、枕元にあった眼鏡をかけ、慌てて懐中電灯を探したことを覚えている。
まさか、28時間前に起きた地震が余震だったとは、誰が予測できたことだろう。
真夜中の地震こそが熊本地震の「本震」だったのである。
 
揺れを感じながら、私は熊本に嫁いだ大学時代からの友人のことが真っ先に心配になった。
福岡でこの揺れだったら、マンションの高層階に住んでいる彼女たちの家族は、もっと怖い思いをしているはずだ。ご家族や、近くに住むご親戚は大丈夫だろうか。そもそも、安否確認ができる状態なのだろうか。
また、熊本で行きつけのマフィン屋さんのことも気になった。店舗全体に蔦の絡まるジブリの世界に迷い込んだようなお店は、きちんと形をとどめているのだろうか、店主の安否も心配でたまらなくなった。
しかし、深夜に連絡をすることはかえって相手を混乱させてしまうかもしれないと、不安な気持ちを抱えたまま朝を迎えたのである。
翌朝、テレビに映し出された熊本城の痛々しい姿を見た時のショックは、私にとって相当なものだった。あの、立派な熊本城が崩れかけている。でも柱に辛うじて支えられている姿に、熊本県民の力強さを見た気がした。
 
その頃、熊本県知事の蒲島郁夫氏は実に冷静に対応していたという。
蒲島氏は地震発生後、走って10分の県庁に向かい、迅速に「人命救助」をできるよう各所に協力を求めた。自衛隊・警察等の連携で1,700人の命が救われたと聞いている。
本震発生後に示した蒲島氏の対応の三原則はこのようなものだった。
1. 被害者の痛みの最小化
2. 想像的復興
3. 熊本のさらなる発展
 
「辛い中でも、一緒に乗り越えてほしい」というメッセージを知事自らが発信したのだ。
県民ひとりひとりに寄り添い、伴走していく姿勢はリーダーとして理想的な姿だ。
また、日本国民の記憶から永遠に抜けることがないであろう、2011年3月11日の東日本大震災。この時に大きな被害を受けた宮城県知事の村井嘉浩氏は、蒲島氏の東京大学時代の教え子の一人であるという。
東日本大震災で受けた被害を直視し、その時のノウハウを活用してほしいと、村井氏は熊本が復興できるまでサポートすることを約束した。
宮城県だけでなく、東北地方はあの震災から10年経過して今でも、完全復興というにはまだまだ遠い道のりであるはずだ。それでも、目の前で困っている熊本県民を救いたい。自分たちの経験を通して、手を差し伸べてあげたいという強い思いが見てとれる。
蒲島氏の人徳と、年齢や権力に関係なくつながりを大切にするからこそ、大変な時に人的にも、物理的にも精神的にも援助が得られたのだと思う。
 
実は、蒲島氏の経歴は政治家としては異色の経歴を持っている。
新聞や読者が大好きだったという彼は、高校時代は授業を抜け出しては本ばかり読んでいたため、成績は学年でも後ろから数えたほうが早いほどのいわゆる「落ちこぼれ」だったそうだ。高校卒業後、最初の会社を短期間で辞めてしまい、農協職員として社会人経験を積むことになった。そこで得た経験をもとに農業関係の勉強もするため、アメリカのハーバード大学の大学院まで進み最終的には政治学を学んでいる。それから東京大学の教授になったということを、書籍を通じて知った。
こういった経歴を聞くと、妙に親近感が湧いてしまうのは私だけであろうか。
 
当選当時、熊本県政は重要課題を抱えていた。その中でも、財政再建は最重要とも言うべき課題であった。そのためにまず取り組んだのは、自身の月給を100万円カットする、というものであった。
就任当時の県知事の月給は約124万円であり、そこから諸々の税金を引くと、手元に残るのは14万円であったという。新卒の社会人であっても月給は18万円以上のこのご時世で、驚きの金額である。
もし、この記事を読んでいる方の中で月給14万円だけで暮らしているご夫婦がいれば、尊敬に値する。ましてや、県知事とあろう人が一体どうやってやりくりしていたのだろうと非常に興味深い。
おそらく、奥様の献身的な家計管理なくしては、やっていけなかったはずである。
そうして県知事自身がまず手本を見せることで、県職員に対しての財政再建へ向けての戒め、また、県民にも進んで協力してもらえるよう理解を得ることができたのである。
 
その後もたびたび余震は続いた。
地震が続くと、揺れてなくてもなんだか揺れているような錯覚に陥ったことはないだろうか。
私はその一人である。
「揺れてないよ」と言われても、足が震えるほどのぞわっとした感覚が残っていたものだ。
熊本県庁内もおそらく長引く地震に混乱したことだろう。
しかし、蒲島氏は笑顔を絶やさなかったそうだ。とにかく、県職員が恐怖でできるだけ緊張しないように、どうしたら仕事がやりやすくなるかを日々探り、少しでも良い環境で仕事に取り組めるように努めたのだという。
 
何か諸問題が発生した時に一番困るのは、リーダーが落ち着いていないこと、迅速な決断と指示を出してくれないことである。
そうでないと、部下がどうしていいかわからず、さらに末端までの指示は到底行き届かない。
私は、蒲島氏の熊本地震における実績から仕事に活かせると思ったことは、
「どんな時も冷静でいること、そして組織の中で合理的な決断をするということ」である。
これはリーダーに限らず、一社会人としても求められることだと思っている。
 
長いものに巻かれることは一番ラクだ。先延ばししてもいいような仕事はあることも、もちろん理解しているし、それを上司にせっつかれなければ、事なかれ主義で進めていくのもありかと思う。
しかし、決断を先延ばしにすることほど、事態が悪化することにつながることも、私は人材サービス業の時代に嫌というほど経験してきた。
だからこそ、すぐに決断できることは即決で、良くない事態は包み隠さずにできるだけ早く報告し、リーダーである上司の意見を仰ぐ。納得いかなければ、一歩踏み込んでいくということも今後の私たちの世代には必要なのではないだろうか。
現在、コロナ禍をひと山越えた中で、生活様式も仕事のスタイルも変わりつつある。
大変な時こそ、眉間に皺をよせるのではなく、私は蒲島氏のように笑顔を絶やさずに、周りをうまく巻き込んでいけたら、今までよりももっと仕事が進めやすくなるのではないかと思っている。
私の中での「蒲島モデル」をしばらく試して、先々どこかで報告が出来たらいいなと目論んでいるところである。
 
ちなみに、熊本城が完全に復興するのは、今のところ16年後の2037年と言われている。
その時、私が生きていれば61歳だ。たぶん、まだ何らかの形で働いているだろう。
しかし、城が当時の姿を取り戻すには予定よりオーバーすることも十分考えられる。
コロナ禍になる前、私は大学時代の友人に会うために熊本に行った。
ゆっくりとランチをして、お茶を飲みながら、修復中で痛々しい姿の熊本城を眺めた。
そして、その友人と固く誓ったことがある。
「復興した熊本城を元気な姿で見たいよね。それまで、お互い長生きしなくちゃね」
「そうだね。それまでバリバリ働いて、今日みたいに美味しいもの食べながら、女子会するばい。健康第一やけんね!」
「よし、絶対よ!」と固く握手を交わした。
 
16年後に熊本城が完全復活したとき、それは熊本県民が長い年月をかけて「苦難を乗り越えた証」として、また後世に伝わっていくのだと思っている。
そして、その歴史が私たちの次のまた次の世代へのエールとして、一人でも多くの人に伝われば、こんなにうれしいことはない。
だから、まず今は目の前の仕事を遅滞なく、先延ばししないことが私にできる小さな一歩なのである。そうそう、笑顔も絶やさずにね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学卒。
天狼院書店の「ライティング・ゼミ冬休み集中コース」を受講したのち、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で自身の経験を通して、読んだ方が共感できる文章を発信したいアラフィフの秘書兼事務職。

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2021-11-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.146

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