週刊READING LIFE vol.147

2人のコイデと走った42.195キロ《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカッとしたこと》


2021/11/15/公開
記事:笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
テレビ画面の中の高橋尚子は眩しく光っていた。金メダルを伝えるキャスターは興奮気味。
2008年夏、シドニー五輪のこのゴールシーンに釘付けになっていた。
金メダルを決めた高橋選手はゴールした後、何やらキョロキョロ誰かを探している様子だった。その相手とは、言わずと知れた小出監督だ。当時、私は小出監督を知らなかった。
それからしばらく経ってから、私はこの女子マラソン界の名監督の影響を受けることになった。

 

 

 

私は、中学校から高校にかけて陸上部に所属していた。正確にいうと高校二年まで所属していた。
地元では一応、進学校で名の通っている学校だった。卒業後は特にやりたいこともなく、何となく大学進学を志望していた。だが、部活に明け暮れ、勉学が疎かになっており、当時の成績では、入学できる大学はごく限られていた。そこで悩んだあげく、2年生の冬、部活を辞める決意をした。自分に負けたような気持ちもあったが、思いを押し殺して退部届を出した。担任の先生も勉学を理由に申し出るとさすがに抑止できないようですんなり受理された。こうして不完全燃焼のまま退部した。
それから数十年経ってもその不完全燃焼の気持ちはずっとしこりとなって残り続けていた。
 
ただ、陸上競技自体は自分に合っていた。O型の私は協調性こそあるが、団体スポーツより、個人競技が性に合っていた。
プロ野球や高校野球の選手のヒーローインタビューにも違和感を持っていた。マイクを向けられた選手は決まって、こう答える。「周りのみんなに支えられて、何とか頑張ってきました。みんなに感謝の気持ちでいっぱいです……(涙)」こうしたお決まりの常套句が茶番劇のように思えて、冷めた目で見ていた。
 
時が経ち、2013年3月、マラソンブームが到来した。40歳を越えて、刺激を求めて好奇心でエントリーした東京マラソンに当選した(いや、当選してしまった)。さあ、困った。慌てて練習を始めた。周りに一緒に走る仲間はいない。とにかく孤独に毎日走る日々が続いた。
私の性格は慎重派だ。周囲に虚勢を張ることもなく、必要以上にアピールもしない。見えないところでコツコツやって結果を出すことを美徳としていた。いわゆる不言実行タイプだった。
 
数ヶ月、練習を続けた。だが、寒い日や体が重い日には自分に負けて練習をさぼった。こうして練習不十分のままマラソン大会の当日を迎えた。
前半は難なく走れた。ただ、折り返し前後になると練習不足のせいか足が動かなくなった。
よくフルマラソンで30キロの壁という言葉がある。30キロ付近で多くのランナーがピタッと足が止まってしまい失速してしまうというジンクスだ。当時の私は30キロどころが20キロの壁で苦戦した。後半の20キロは、ほぼ歩いたり走ったりの状態。完走というより完歩だった。
その後も、毎年のようにマラソン大会には、なんとなく出場を続けた。ただ、何度走っても進歩がなく、同じことを繰り返し、壁は乗り越えられなかった。
 
それからさらに時が経ち、2018年1月。勤務先にランニング部が発足した。部といってもいわゆる愛好会的なゆるい集まりだ。
入部することにした。月に2回程度、定例練習会に参加した。今までは一人で黙々と走っていたが、社内でランニングを通じたコミュニティができた。気づくと一緒にマラソン大会や駅伝大会に出場するようになった。練習や大会の後には反省会と称して懇親するになった。飲んでいる席でお互いにマラソンに対する思いや目標も話すようになった。
中でも一つ年下のコイデ君とは、年齢も近く、話が合い、週末も一緒に練習するようになった。アラフィフのコイデ君は、ビックマウスで負けず嫌いの性格。故郷の新潟では中学高校とマラソン大会では学年1位だったことを自慢していた。小出監督と同姓なことから「俺をコイデ監督と呼べ!」と冗談交じりに周囲に発していた。私とキャラは180度違い、いわゆる有言実行タイプだ。実力以上の目標を周囲に発することで、自らを追い込んで練習に励んでいった。めきめきと走力をつけ、タイムを縮めていった。

 

 

 

小出監督は、あのざっくばらんな性格としゃべり口ながら、数々の名言を残している。その中で私の一番のお気に入りはこの一節だ。「ほかの人と比較しちゃ絶対に駄目だよ。いつでも、自分がいまよりも強くなることだけを考えなさい」
他人と比較することで勝ち負けにこだわってしまう。いざ負けたときにストレスの種になってしまう。だから他人と比べてはいけないということだ。
この一節に出会ってから、とても気持ちが楽になった。
練習でも他人と競り合うことなく、自分のペースを保ちながら、純粋に走ることを楽しめるようになった。
ランニングウォッチと専用アプリを連動し、1キロごとのタイムや練習の記録もかかさず計測し、昨日の自分、先週の自分と比較しながらコツコツと練習に打ち込んだ。
 
ある日の練習会の後、飲み会の席で、ほろ酔い気分でつい口が滑ってしまった。
「目標は1年以内にサブ4を達成することです!」
サブ4とは、マラソン界の用語でフルマラソンを4時間切りで走ること。サブ4を達成するためには大会のレベル、規模によるが上位20~30%以内で走る必要がある。サブ4を達成すればマラソンを知っている人の間では、それなりに走れる人という評価に値する。
サブ4を達成すると、つい言ってしまった。不言実行をモットーにしている私にとっては失言だった。
脇で聞いていたコイデ君も相乗りして「俺もサブ4やってみせます!」と息巻くように部員全員の前で宣言した。
 
数日後、コイデ君から提案があった。
「笠原さん、3月の佐倉のフルに出走しませんか?そこで一緒にサブ4達成しましょう!俺のホームグラウンドだし」
毎年、千葉県佐倉市で行われる佐倉健康シティマラソンだった。佐倉市は、小出監督の出身地である。コイデ君に小出監督のホームグラウンドの大会を誘われるとは、ダジャレのようだけどこれも何かの縁だと思い、この大会に照準を定め、サブ4に向けて練習に取組み始めた。
 
それからの練習はいつもと違った。一緒の目標に向かって走る仲間がいた。
コイデ君と、本番までの練習計画を立てて臨んだ。毎月100~150キロは欠かさず走る。週末は20キロ走を入れる。練習がてら10Kレースやハーフマラソンの大会にも出場した。2か月前にはフルマラソンの距離に慣れるため、JR山手線の山手線一周ランも決行した。周辺道路に沿って約40キロを一周する練習プランだ。負けず嫌いのコイデ君は私の提案にすべて二つ返事で同意してくれた。
走ること以外にも体幹を鍛える、胃腸を整えておく、レースの2週間前から禁酒するなど自ら我慢を強いた。
こうして順調に練習計画をこなしていた。しだいに走力がついてラクに走れるようになっていった。
 
いよいよレースまで1ヶ月となったある日、社内の私のデスクにコイデ君が近寄ってきた。いつになくぎこちない歩き方で近寄ってきた。
「笠原さん、俺……、今回は諦めます」
「はっ、諦めるって……」
と彼の足元に目がいった。右足に包帯を巻き、サンダル姿だった。私は言葉を失っていた。
「週末に整骨院で診てもらったら足の骨が疲労骨折していると言われました……」
先週のハーフマラソンの後、足に違和感があったまま、無理して練習を続けたことが致命的になったようだ。ドクターストップがかかってしまった。
いつものビックマウスのコイデ節はひっそり影を潜め、失望感を背負っているようだった。
「せっかくここまで、練習してきたのに残念だな……」
彼の落ち込んだ表情を目の当たりにすると、気の利いた言葉が見つからなかった。
コイデ君は悔しさを噛みしめるように呟いた。「笠原さん、俺の分も頑張ってきてくださいよ」
彼もこれ以上の言葉が出ないようだった。
 
2020年3月24日、フルマラソン当日を迎えた。晴れ、弱風、湿度低め。絶好のマラソン日和。
ひとりで電車を乗り継いで佐倉市内のスタート地点のグラウンドに向かった。
グラウンドの広い芝生の上にひとりでレジャーシートを広げ、準備を済ませた。いよいよ開会式。
毎年、開会式には小出監督が参列するはずだが、この日は所用との理由で姿はなかった。
 
緊張感とワクワク感が同居した状態でスタート地点に向かった。この日はいままでの大会とは心境が違っていた。練習を積み上げてきた自負があった。その自信と裏腹にまたいつもと同じように孤独に走る喪失感が入り交じっていた。
 
ピストルが鳴り、スタートを切った。この日は前半抑え気味で走って、後半に余力を残す作戦とした。
この大会は目標ゴール時間に応じてサブ3、サブ3.5、サブ4のようにペースメーカーがついてくれる。私はサブ4のペースメーカーを目安に走ることになる。
 
スタートからしばらくは順調に体が動いた。25キロを過ぎてもペースは乱れなかった。スタミナが残っていた。山手線一周トレーニングが効いたようだ。25キロの壁を難なく乗り越え、とりあえず安堵した。
 
そして30キロ地点へ。少し、疲れが出始めた。「まずい、まだ10キロ以上残ってる」手元のランニングウォッチの計測ではぎりぎりサブ4のペースだ。ただし、この後、ペースが落ちたらサブ4達成は泡と消えてしまう。
その日、初めての不安が頭の中をよぎり始めた。
そして、大きなカーブを曲がり橋にさしかかった。すると、前方の歩道から誰かに呼ばれたような気がした。
「笠原さん、サブ4いけますよ!」
びっくりしてとっさに振り向くとそこにはコイデ君がいた。
負傷しているコイデ君が痛む足をかばいながら応援に駆けつけてくれたのだ。サプライズだった。そして大きな励みになった。私のカラダは勢いづいた。
 
こうしてペースを取り戻して淡々と一歩一歩前へ進んだ。
だが、その後35キロを過ぎると、その後の1キロが途方もなく長く感じられるようになった。
とうとう35キロ過ぎの壁か。少し弱気になると、どんどん足もついてこなくなる。途端に私のカラダ全体が不安に覆われた。「ゴールまで足は持つかな……」
 
すると間もなく後方から大きな足音が聞こえてきた。その足音の集団が私の横に並んだ。横目でみるとサブ4のペースメーカーだった。ここに50人くらいのランナーが団子状態になって群れになっていた。「あっ、追いつかれた」意地でもこの集団に食らいつくように走った。
そして、40キロ地点へ。必死で一歩一歩進んだ。だが、徐々に一人に追い越され、二人に追い越され、ずるずる後方へ落ちていった。
 
とうとう集団の最後尾になった。気力が抜けてきた。集団から1M離され、2M……あっという間に50Mくらい差がついてしまった。
「万事休す、夢破れたりか……」弱腰な気持ちが脳裏を巡った。
それでも視界から集団が消えないよう足を上げた。
最後まで諦めず、なんとかゴールした。
ゴール地点を過ぎ、完走証を受け取りにブースへ向かった。
完走証に記載されたタイムをこの目で確認するまでは安心できない。
 
完走証を受け取った。おそるおそる目を遣ると「3時間57分29秒」
「やったー! サブ4達成!」
スカッとした。1年がかりで練習に取り組んだ成果だった。
 
芝生に戻って腰を下ろそうとすると、後ろから「笠原さーん」と呼ぶ声が。コイデ君がゴール地点で待ち構えていた。
コイデ君はスマホのカメラを起動して、私にスマホを向けた。ヒーローインタビュー風におどけた口調で「笠原選手、入賞おめでとうございます!今のお気持ちをお聞かせください!」
普段は、カメラの前では照れくさくて話さないが、あの時の興奮状態の私の口からは不思議とスルスルと言葉がこぼれだした。
「やりました!これも一緒に練習してくれたランニング仲間おかげです。みなさんに感謝します。会社のランニング部のメンバーにもお礼を言いたいです」
皮肉にもプロ野球のヒーローインタビューと同じような常套句だった。
 
帰りの電車の中、しみじみと喜びに浸った。完全燃焼した気分だった。かつて陸上部を退部した後、ずっと心残りだったしこりが根こそぎ洗い流された気がした。

 

 

 

その翌月、小出監督の訃報を知った。
「あっ、そういうことだったのか。あの日の開会式は、病床から見守ってくれてたんだな」
小出義雄監督は陸上界に大きな功績を残した。まさに平成の女子マラソン界の名伯楽だった。
弔辞を務めた高橋尚子さんはこう締めくくった。
「小出監督からいろいろ学びました。人を大切にすること、周りに感謝すること、そして走る楽しさを伝えることを」
私も小出監督から自分のペースでマラソンを楽しむことを学んだ。そして走る楽しさを知り、マラソンのある豊かな人生を見出すことができた。
私の記念すべきサブ4は小出監督の命と引きかえのように感じた。
 
あの日のマラソン大会は2人の「小出(コイデ)」と共に走った。2人の存在が私を目標達成に導いてくれた。
 
年が明けた2020年3月の朝日健康マラソンは、惜しくもコロナ禍の影響で中止となった。
その前月にマラソン会場のグラウンドは小出義雄記念陸上競技場と改称された。地元に愛された小出監督はその名を永く刻むことになった。
 
中止になったマラソン大会のエントリー料は戻ってこないが、パンフレットに同梱された小出監督の肖像画入りの記念Tシャツが手元に残った。
Tシャツに描かれた笑顔の小出監督に向かって、次の目標を誓ってみたい。そして必ず有言実行してみせたい……
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
笠原 康夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

岐阜県生まれ。東京都在住。
ふとした好奇心で21年4月開講のライティング・ゼミに参加。これがきっかけで、気づいたら当倶楽部に迷い込んでしまった50歳サラリーマンです。謙虚で素直な気持ちを忘れずに、実践を積んでまいります。

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2021-11-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.147

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