週刊READING LIFE vol.149

喫茶店は人生をおいしくする宝箱《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人間の生と感性を豊かにするために必要なもの、それは、ゆとりと緊張である。
 
と、ある脳神経科学者の方が言っておられた。
ゆとりは、リラックスして、心身をゆったりさせること。その時、脳みそ内は、「静」、の状態にある。こわばっていた筋肉が弛緩し、人間は安らぎを得る。
対して、緊張。次に何が起こるのか、どうしたらいいのかなどを想定し、五感を研ぎ澄ませて待ち構える、脳みそをフル回転させる、「動」、の状態だ。
群れのみんなとゆったり草を食べる安心状態のシマウマと、草原に1匹で立ち尽くしてライオンの襲撃に備えた緊張状態のシマウマ、くらいの差がある。
どっちがいいか、なんて聞かれたら、前者がいい! と答えるのが多数だろう。だが、生き物として豊かな生を目指すならば、「静」も「動」も必要なのだという。
例えば、ずっと部屋にこもっているより、芸術作品に触れたり、他人と交流したり、ジョギングなどを行い、心身に適度な刺激を与えた方が、充足感を得る。
サウナも同じ。熱い蒸気で体を芯からあたためた後、冷水を浴びてクールダウンさせる。熱いと冷たいの繰り返しを行い、刺激することで、ストレス緩和と健康促進を狙って行うのだ。サウナ好きの方は、その緩急による心地よさを好んでいる。
人生、安穏なだけでなく、スパイス的な刺激が必要なのだ。
小さな五感のショック。それを求めて、人々は無意識に、サウナ、映画観賞、読書、旅行、運動などを行う。
私も、とある場所へ喜々として通っている。
 
「うぁ~……ねむい、ねたい……ねよう」
 
趣味、睡眠。そう、大真面目に言ってしまう、ちょっとダメな感じの早朝の私。布団の中で丸くなる。が、ハッとして、モゾリモゾリと、布団の中から芋虫のように這い出す。
 
「ダメだ、おきないと……おわっちゃう」
 
それなりに身支度を整え、向かう先は、私の聖域。
明かりを落としたランプ。
ステンドグラスの窓から差し込む淡い光。
バッグミュージックには、クラシック、またはジャズ。運が良いと、蓄音機にも出会える。
鼻孔をくすぐる、焙煎されたコーヒー豆色の芳しい空気。
 
「いらっしゃいませ」
 
カウンター越しに微笑むのは、蝶ネクタイをピシッと締めたダンディー、または、クラシックな出で立ちのマダム。
 
あぁ、喫茶店。
私の聖域にして、最愛の生きるアンティーク。
 
想像しただけで、口内が唾液で満たされる。
私は、昔ながらの喫茶店と、そこで食べるモーニングメニューが大好物なのだ。店によっては、お昼から開店する場合があるので、その場合は、ランチ、またはティータイムに訪れ、極上の喫茶店メニューをいただく。
 
喫茶店は、リラックスする空間でしょう?
 
そう思われたことだろう。
だが、喫茶店大好物の私は、ちょっとマニアックな楽しみを見出した。
「静」の喫茶店で、「動」を得るのだ。
ある条件を満たすと、高確率でそれを体験できる。
 
まず、店舗の外観。
昔ながらの喫茶店は、オープンテラス付きのカフェのように、窓が大きくなく、照明もうす暗い。つまり、外から室内をのぞこうとしても、店内がどうなっているのか、どんな人が働いているのか、知ることができないのだ。
看板の「喫茶◯◯」と書いてあるだけ。メニュー表が外に出ていないこともある。
どんな店で、何が出てくるか、扉を開いてみなければわからない。
その恐れを克服し、踏み出した勇者のみが手にすることができる、秘密の宝箱。
 
最高だ、このお店にしよう!
 
世の中の多くの人、常連さん以外なら通り過ぎるであろうこの状態。それに、興奮してしまう私は、なかなか変態なのかもしれない。
 
喫茶店愛好家的変態センサーが発達した私は、外観を見て「ふ、この店は当たりだ」と、確信を持って、スルリと扉をくぐる。
 
そして、次に、メニュー。
革張り、または、重厚な装丁の本のようなメニューをうやうやしく開く。
そして、毎回、私は目を輝かせる。
一般的なファミリーレストランのメニュー表は、色鮮やかな写真やイラストで料理イメージが絵描かれている。盛り付けなどに差が多少あるだろうが、おおよそ、それ通りの料理が運ばれてくる。
しかし、喫茶店は違う。開くと現れるのはモノクロの世界。メニュー写真が掲載されている方が稀有な分類だ。だが、その写真も「なるほど、マスターがオープンの時に撮ったのかな?」と想像してしまう、色あせ滲んだ色彩で作られている。
 
コーヒー、はわかる。オムライスも大丈夫。
でも、なんだ、この『春の貴婦人のケーキ』というのは?
 
オーソドックスなメニューの中に、オリジナルメニューという飛び道具が潜んでいる。
マスターに説明を求めると、「フルーツを添えたケーキです」と言われ、何の材料で作られているかはわかっても、ビジュアルが想像できない。
白いケーキかもしれないし、赤いケーキかもしれない。
なるほど、わからん。
何が出てくるかさっぱりだ。
用心深い方は、安全圏のオムライスを注文するだろう。
だが、私は。
 
うひょー、貴婦人って何!?
 
「すいません、ブレンドコーヒーと『春の貴婦人のケーキ』をお願いします!」
鼻息荒く、メニューを閉じ、溢れ出るよだれを腕で拭いながら、マスターに注文してしまう。
 
「かしこまりました」
 
カウンターで、ゆったりとうなづくマスター。
もう、わくわくが止まらない。
 
そこからは、ライブのはじまりだ。
コーヒー豆がミルで挽かれ、ドリップされる。このコーヒーを入れる瞬間も見逃せないポイントの1つだ。ドリップの作法も、道具も、喫茶店によって異なるからだ。
それは、ペーパードリップかもしれないし、フラスコを使ったサイフォン式かもしれない。
 
ほう、マスター、ネルドリップですか!?
 
みんな違って、みんな良い。
ピシッと背筋を伸ばした、正装のダンディー、マダムが流れる所作で、コーヒーを淹れてくださっている。私のために。
椅子に腰掛けているものの、私の視線と心は、前のめりだ。
この茶道のように、秩序を持った美しい所作が、この店で何百回、何千回と繰り返されて来たかと思うと、胸熱(むねあつ)である。
 
料理が出来上がる過程も楽しい。
ケーキはすでに作られた品が、冷蔵庫やケースから出されるだろう。だが、そこで完成ではない。鏡のように店内の明かりを反射して光るナイフが、みずみずしい果物をスライス。または、ベリーのソースで文字やイラストが皿に描かれることもある。生クリームが目の前で、カシャカシャと泡立てられる幸運もあるかもしれない。
アンティークの美しい皿の上に、ケーキ、そして添えられた果物、ツンと角立つ生クリーム。
食べられる芸術品の完成に、目頭が熱くなる。
喫茶店の宝石がここにあった。
 
「おまたせいたしました」
 
目の前に広がる美しい光景に私は、言葉が出ない。
「ありがとうございます」
なんとか言葉を絞り出し、マスターにお辞儀する。
 
「すごい、かわいい、おいしそう」
さまざまな角度で、芸術品を鑑賞し、許される場合は、写真として記録させていただく。
そして、合掌。
淹れたてのコーヒーの香りを胸いっぱいに吸い込み、そして、一口。
「おいしい」
ため息と共に、ふっと言葉があふれる。
次にケーキを一口。
「おいしい」
それしか言えない。
人は、本当に感動した時、単語しか言えなくなるものである。
スポンジが軽やかで、フルーツが芳醇でなんとかかんとか……なんて、無粋だ。
個人的に楽しむ時、それはもう、「おいしい」、その一言に限る。
 
それからは、もう夢中で口に運ぶ。
カバンの中に小説を忍ばせて来たものの、それまで開かれることはなかった。
この夢のような瞬間を、五感で余すことなく楽しまなければ。例え、敬愛する小説家の方の作品だとしても、霞んでしまう。
 
「ごちそうさまでした」
合掌。
小さな声で呟く。
空になってしまったお皿に、さみしくなる。
お皿を下げてくださったマスターにお礼を述べる。
そこからは、頭を空っぽにする。
マスターと常連さんの小粋な会話をバックミュージックにして、コーヒーを飲みながら空間を楽しむもよし。
ステンドグラスを通した色のついた光や、アンティーク調度品を眺めるもよし。
他のお客さん用のコーヒーや料理が、生まれるのを見届けるもよし。
カバンからやっと、小説をそっと取り出し、文学淑女のように優雅に読書するもよし。
 
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
 
ひとしきり喫茶店を満喫し、マスターと深々とお辞儀を交わし、扉をくぐる。
秘密の宝箱の蓋を閉じれば、もうそこは現実世界。
 
よし、今日もがんばろう。そして、また来よう。
アンニュイだった朝とは別人の、私が出来上がる。
 
緊張の糸、という言葉がある。
辺りを警戒し、神経を張り詰めているのが、糸がピンと張った状態。
安心してリラックスしているのが、ゆるまった状態。
糸も精神も同じ。
張り詰めている状態が長く続けばどうなるか。
ふつり、糸が切れてしまう。
それが、人間であれば、倒れたり、病気になって臥せってしまうことにもなるかもしれない。
張り詰めるほどの大きな刺激は、生き物にとってショック状態。心身がストレスフルになっている。
 
糸も、人間もしなやかな方が良い。
しなやかな糸は、織物などさまざまな美しい品に姿を変える。
しなやかで柔軟な生き方は、その人を強く、豊かに仕立てる。
 
人間の生と感性を豊かにするためには、ゆとりと緊張が必要。
私にとってそれは、喫茶店だった。全国の味のある店舗とメニュー、マスターたちとの出会いが、私に生きる活力と、食事と空間を楽しむことを教えてくれた。
「おいしい」「美しい」
語彙と体感時間をなくして味わう、「静」の瞬間。
「おぅ、な、なんだこれは!?」
未開のメニューにわくわく胸を踊らせる、「動」の瞬間。
その感動と、小さなショックが、私の五感に緩急をつけて、心を揺らす。
 
友人や家族と一緒に、楽しくにぎやかに過ごす食事もおいしい。
だが、時には、自分と見つめ合うような、ぽつりと1人で楽しむ食事もおいしいものだ。
そんな味わい深い瞬間を通じて、あなたの人生がより豊かで色鮮やかになるといい。
そして、喫茶店文化が、末永く愛されますように。
 
あぁ、喫茶店。
私の聖域にして、最愛の生きるアンティーク。
 
近所の馴染みのお店もすてきだが、そろそろ、新しい刺激も欲しくなって来た。
喫茶店愛好家は、一途に見えて浮気症だ。
 
次はどんな出会いが待っているだろう。
まだ見ぬ秘密の宝箱を夢見て、今日も一服。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、タロット占い、マヤ暦アドバイザーなどの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォト・ライター」。喫茶店とモーニングが大好物で、国内外で食べ歩きをして楽しんでいる。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動をしている。

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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