週刊READING LIFE vol.149

食べた人を「サトラレ」にしてしまう、そんな料理があります《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:nasuica(READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部)
 
 
ある3月下旬の話。
妻のチヒロが深刻な表情をして見えた。いつもより猫背で、目も少し窪んでいて、肌も荒れているようだった。
 
「仕事忙しいの?」
 
と聞くと、
 
「そうそう」
 
仕事で使っているPCを見ながら、気のない返事しか返ってこない。その時は、営業職である彼女が、期末のノルマに追われているのだろう。その程度にしか思っていなかった。
 
しかし、期末を乗り越えても、彼女の顔は明るくならなかった。そして、体調が悪いわけではなさそうだった。
私を混乱させたのは、彼女の浮かない顔とは正反対に、営業成績はすこぶるよかったという。過去を振り返っても、トップクラスの売上を立てたらしかった。
 
チヒロは普段は明るく、活動的な性格だ。目新しいものがあればすぐに飛びつくし、笑いのツボは浅い。いつもと違う暗い彼女の様子に、明らかにいつものとは違った雰囲気を感じていた。
 
「私が何かやらかしたかな……」
 
自問自答が始まった。家事をすっぽかした記憶もないし、直近の記憶をさかのぼっても喧嘩もしていない。だが、こういう時が一番危ない。こういう時こそ、何かやらかしているのだ。
 
「最悪、見切りをつけられるかも……」
 
そんな不安があった。何か対策を打たねばならない、そう思った。
家で話をしたとしても、険悪な空気に耐えられないだろう。外でご飯を食べながら、言葉を選びながら愚痴を聞く、そのくらいが、私ができる最善策だと思った。
営業成績がよかったお祝いをしよう! そういう体で、少し背伸びしたお店を予約した。

 

 

 

表参道の小道を入ったところにあるお店だった。
外から見るとこじんまりとした雰囲気で、敷居が高くなさそうで安心した。ただでさえこちらは、怒られると思って、胃が「キュウっっっ」となっていたのだ。
 
中に入ると、壁際のテーブル席に案内された。
コース料理を予約していたので、順番に料理が出てきた。私はアタリを引いたようだった。特に、シンプルなトウモロコシの冷製スープに感動した。トウモロコシの甘味とおそらく魚介の出汁が相まって、上品な味だった。トウモロコシのザラっとした食感を残しているのも計算され尽くして作られているのを感じた。食べ始めてかなり早い時点で、
 
「絶対また来よう」
 
そう思うくらいには美味しかった。

 

 

 

その時だった。窓側に座っているチヒロの横で、なにかが動く気配を感じた。
「バッタ」であった。まぎれもないむちゃでかいバッタがそこにいた。足の長さも含めると、10㎝以上はあった。おそらく、その時に表参道全域にいるバッタの中で、最も大きいであろうバッタが壁に張り付いていた。
 
「ぅあっっっ」
 
チヒロは声にならない悲鳴を上げて固まった。虫がかなりの苦手なのだ。私たちから2つテーブルを空けて団らんしていた4人家族も、口を半開きにしてこちらを凝視していた。
そこで、颯爽とウエイターさんが現れ、スッと巨大バッタをつかんで裏へと消えていった。さっとまたテーブルに表れて、
 
「大変お騒がせしました。すみませんでした」
 
と謝られた。
 
決して清潔でないお店ではなかった。バッタが奇跡的にうまいことお店に隠れていたのだろう、お店の方には非はないだろうと思った。チヒロは壁際をチラチラ見ていたが……。虫を発見した時は、いつもそうだ。
 
それよりも、ウエイターさんの対応が素晴らしかった。混沌とした事態に、即座に対応できたのがまずすごい。そして、卑屈になりすぎない対応も、好感が持てた。
そこからウエイターさんを観察をしてみると、細やかな対応が目に入った。料理を運んできたときのさりげない会話や、箸の進み具合から様々なことを汲み取ってくれていたのだ。
 
胃がキュウっっっ、となっていた私の様子に気づき、パスタの量を少なくしようかとさりげなく提案してくれた。お腹が冷えないようにレモングラスのハーブティーを持ってきてくれた。チヒロもウエイターさんの気遣いを感じて、リラックスしていた。バッタの件は、頭から消えているようだった。

 

 

 

トウモロコシのスープとパスタを食べたことでふと、過去のチヒロの言葉を思い出した。
 
「お皿があったかい料理って、心もあったまるよね」
 
私はそんなに食べ物に興味がある方ではない。お皿の温度の話をされても、なんだか言葉足らずで、当時はよく分からなかった。
そう言えば、冷製スープのお皿はキンキンに冷やされていたし、パスタのお皿は、これだ! という温度に管理されているように思った。
 
チヒロは学生の時に3年間、結婚式場で給仕のバイトをしていた。その時に、列席者のための料理がいかに計算されて出されているか、知っていたからこその発言だったのだろう。
給仕をしながら、誰にどのタイミングで料理を出すか決める。しかし、適切な温度で出さなければ、せっかくの美味しい料理の質が落ちてしまう。完璧なお皿の温度管理と、完璧な料理人の腕、そして完璧な給仕のタイミング、それらがオーケストラのようにかみ合わさって初めて、美味しい料理として列席者の目の前に出ていくことを知っていたのだ。
そしてその連係プレーによって、新郎新婦の代わりに気遣いを届けているのだ、そう考えて料理を出していたのだろう。
 
そう考えると、目の前にある料理の緻密さに気づいた。ウエイターさんが会話から汲み取ったことを料理人の腕で実現し、私たち2人のためだけに最適化された料理が運ばれてきていたのであった。
お客さんの一挙手一投足からウエイターさんが情報を汲み取る様は、もはや敏腕の営業マンのようだった。お客さんの要望にちょうど合わせた料理を作るのは、まさに職人芸だなと思った。
他のお客さんに出された料理と、もちろん見た目は同じだった。しかし、料理の温度や量、タイミングを個別に合わせ、最高の状態で提供しているという意味では、全く異なるものが出されているのだと思った。
 
このお店の料理は、誰かにギュッと抱きしめられるような、そんな感覚にさせてくれた。お客さんを宝物のように扱って、私だけを見てくれている。そんな特別感を感じさせてくれるお店だった。

 

 

 

料理を食べながら、私が本題を切り出そうともじもじしていた時、チヒロが口を開いた。
 
「いやー……。上司がマジでうざかったんだよね」
 
普段、自分から愚痴を言うようなタイプではない。誰にも言えずに体調を悪くしてしまう、ため込んでしまうタイプなのだ。そんなチヒロが愚痴をこぼすのは、珍しいなと思った。そして同時に、暗く見えたのは私が原因じゃなかったのか、そう思った。
 
チヒロは言った。営業成績がよかった結果、上司から
 
「女性だと、印象いいから売れていいよね」
 
チヒロは、この発言が許せなかったのだという。女性が少ない職場で懸命に戦っている彼女にとって、男性女性で区切られることが悔しくて仕方なかったのだ。担当商品の売上を上げるために、休みの日にもエクセルと睨めっこして、顧客ごとに戦略を立てた。担当者に刺さるであろう内容を考え抜いて、提供する資料を厳選していった。そして何より、アポイントの数を大量にこなした。この結果から生まれた成績なのは、私もよく知っていた。
それを、「女性は印象がいいから」で片づけられてたことに、はらわたが煮えくり返っていたのだ。
 
それ会社に言ったら、セクハラ的な問題になるやつだよ、そう私が言うと。
 
「上司が残念なのは知ってたから、もう諦めてる(笑)」
「なんか、美味しいもん食べたらどうでもよくなってきた。言えてスッキリしたわ!」
 
このお店の料理は、サトラレみたいだなと思った。
サトラレは以前話題になったドラマだ。「サトラレ」という、架空の疾患にかかっている人は、頭で考えたことが、人に勝手に「悟られ」てしまう。
このお店の料理は、食べると心があったかくなって、話すつもりもなかったことを話してしまう、そんな料理だと思った。
 
上司に大切に扱われていないと思ったからこそ、このお店の包容力で無意識に吐露したのかもしれない。
 
「料理が美味しいと、いらん愚痴をしゃべっちゃうね」
 
晴れ晴れとした表情で、チヒロは言った。
 
お会計をした後、料理人の方が裏から出てきた。ドデカいバッタの件で謝りにテーブルまで来てくれたのだった。お詫びとして、そのお店で使っているパスタをお土産にくれた。美味しいパスタを茹でられる、自宅でもできるゆで方の秘訣も教えてくれた。ウエイターさんに、パスタが好物であることを言っていたからの計らいだった。ウエイターさんからは、手作りのクッキーももらった。最後まで、行き届いたサービスだった。

 

 

 

美味しい料理はどこのお店でも作れるかもしれない。けれど、お客さんに合わせた、オーダーメイド感覚で作ってくれるお店は、そうそうあるものでは無いだろう。
 
そして、ウエイターさんのバッタの大捕り物を見て、完璧なサービスとは、ミスをしないのではなく、完璧なリカバリーであると思った。もしあそこでウエイターさんがヒヨっていたら、もしあそこで卑屈になってなんども謝られていたら……。こんなにまた行きたい! とは思っていないだろう。
 
チヒロの悩みを引き出すためにお店に行ったが、お店のおかげで勝手に解決してしまった。普段食べるよりお高いお店ではあったが、悩みのカウンセリング料金を含むお値段と考えれば、非常に安い。一人たった一万円ちょっとで、相手の本音を引き出せてしまうのだから。
 
誰かにオススメしたいが、残念ながら、そのお店は今閉まっている。
記念日にまた行こう、と思って調べたら、店長が一時的に料理修行にいっているということだった。
 
修行から帰ってきたら、絶対にまた行こう。
チヒロの機嫌が悪い時の、私の切り札なのだ。
 
 
 
 

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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