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週刊READING LIFE vol.155

人生最大の選択の裏には、二人の女性からの「喝」があった《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》


2022/1/31/公開
記事:西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「どこの馬の骨ともわからんやつに……」
私の人生の分岐点を語るうえで欠かせない言葉だ。
 
ドラマなんかでよく聞くこのセリフ。
本当に言われた事がある人はどれくらいいるだろうか。
 
私はこれを実際に言われた。33才の時だ。
このセリフはボクシングのストレートみたいに一撃必殺の破壊力がある。私が言われた時はまだ電話越しだったからなんとか一命を取り留めた。面と向かって言われていたら、立ち直れなかったかもしれない。
(わ、わたしって……そんな位置づけになっちゃうの!?)
優等生とまではいかなくても、だいたいは真面目に生きてきたつもりだったのに、自分がこのセリフを言われる側になるなんて思ってもいなかった。
私はその頃、新しい恋愛に浮かれていた。
 
その少し前にぶちあたった「29才の壁」―女は30を前に思い悩むという説―はベルリンの壁よろしく嘘みたいに勢いよく破壊され、日々それはもう楽しく暮らしていた。
仕事はこのままでいいのか(自分より若く、且つやり手の社員の存在が気になりだす頃)とか
今の彼と結婚するのかしないのか(でも、心から相性がいい気がしない)とか
そんな中友達はどんどんと結婚していく、とか……悩んでは落ち込んでいた暗黒時代は、30を過ぎて初めて一人暮らしを経験し、自由を満喫し出したあたりから何もかもが吹っ切れて、彼氏こそいなくなったけれど、仕事や友人関係、趣味なんかが充実している毎日を送っていた。
 
いったん落ち込んだあとに復活した私は、なんだか変な勢いを携えていた。
自分の弱点やなんもかんもを飲み込んだうえで、「でも、あたしってこういう人間だからさ!」と開き直ったからかもしれない。
 
そんな中で新しく始まった恋は、私の自由度をより高めた。一人暮らしなのだから、何時に帰宅しようと、仕事さえきちんとしていれば、誰に怒られる事もない。今までと違い、自分を偽らずに付き合いだした彼に対しては、背伸びする必要が無く、気も楽だった。
 
ある時、彼の家で寛いでいる時に発した言葉から、それは始まった。
 
「この家来る時さ~、何回も乗り換えしないといけなくて、面倒なんだよね」
「じゃあ、一緒に住む?」
 
超がつくほど面倒くさがりの私は、彼の家に遊びには行くのだけれど、その途中で発生する何度かの乗り継ぎが嫌で、時間の無駄とさえ思っていた。
何の気なしに言った言葉に対して、彼は事も無げにそう返してきたのだ。
 
「え? それ、いいね。住む住む!」
はっきり言ってなーんも考えていなかった。30をとうに過ぎていてなんだが、ノリの一言に尽きた。
 
それからすぐに部屋探しが始まった。どちらかの家に転がり込むには狭すぎる。
まだお互いを知り尽くしていない頃の部屋探しは、盛り上がった。
知り尽くしてしまえば現実的な問題とか擦り合わせとか、面倒な事もちょくちょく出てくるのだろうが、そんな領域に足を突っ込んでさえいなかった私たちは年甲斐もなくキャッキャッとはしゃいだ。
 
まあまあ躾に厳しかった母を20代のうちに亡くしてしまった私には、もうそんなに口うるさく言ってくれる人はいなかった。父はかっこよく言えば寛容で、結構ユルかった。一応、一緒に住むことを父に伝えたら「うん、いいんじゃない」と軽い返事がかえってきた。父には事前に会わせておいたという事もあるかもしれない。もう大人なんだから自分たちできちんと考えてしなさい、という事なんだろうと良いように解釈させてもらった。
 
ところが、実は結構厳しいあの人を忘れていた。
4つ離れた姉である。
 
数日に渡って不動産業者といくつも内見し、部屋が決まり、引っ越し日も決まった頃だ。
姉と久しぶりに電話で話していた。姉はその頃すでに結婚して数年が経過し、幼い息子が一人いた。夫の転勤に伴って全国を転々としており、なかなか会えない状況だった。
 
「は? なんて?」
まだ付き合い始めたばかりの彼と一緒に住む、という報告をした時だった。明らかに姉の態度が変わった。電話越しでもその熱というのは、案外伝わってくるものだ。
(やばい……なんか怒ってる……)
攻撃されないよう、心の中で身構える。これまでも進学・就職・転職・恋愛……人生の岐路に立つ時には相談に乗ってもらい何かとアドバイスを受けてきた。普段おっとりして見られがちな姉は、私なんかよりも全然芯が強く、物事を丁寧に扱う術を知っている人間だ。だからこれまでも、何回も刺さるアドバイスをもらってきた。
その姉が今にも怒り出しそうな勢いになっている。
 
「あんたねぇ! 一緒に住むって、大体先方の親御さんにご挨拶はしたわけ? まさか挨拶もなしに一緒に住むわけじゃないやろうね! 親御さんの気持ちになってみて? どこの馬の骨ともわからん女が息子と一緒に住むってさ!! 絶対いい気せんし、これから何か付き合いある時にあんたの信頼何もないよ! まずは先方の親御さんとこ行って許しを請うのが先やろ!!」
 
姉は一息に、こうまくし立てると鼻息荒く、更にこう付け足した。
「気早いけどさ、自分の息子が将来そんな女連れてきたら嫌やね」
 
遠方で対面できない分、あえて、より破壊力のあるパンチを繰り出してきたと思いたかった。
それくらい、姉のパンチはずっしりと体の芯まで重く響いた。
 
(私って、どこの馬の骨ともわからない女なんだ……)
しばらくはショックで何も言葉が出てこなかった。しかし、姉の言う事はきっと正しい。一般的には精神的にも成熟しているはずのいい大人二人が、ままごとみたいな事していたらダメなのかもしれない。
 
「わかった。彼と話し合って、せめて引っ越し前にはご挨拶に伺うようにする……」
「うん、それがいいよ」
 
なんとか、それだけを絞り出すと電話を切った。
そして、さっきまで、何も考えずルンルンしていたのが嘘みたいに急激にズドーンと落ち込んだ。結局人の言葉に左右されやすい芯の無い人間ということなのかもしれない。
精神的な成熟にはもう少し鍛錬が必要のようだ。
 
いつも後を追いかけていた好きな姉にきつく叱られた事と、彼のご両親に嫌われるかもしれないという恐怖が相まって言いようのない焦燥感に襲われた私は、気分を落ち着かせる間もなく彼に半泣きで電話した。
何が起きたのかと驚く彼は話を聞き終わると「そっか、わかった。お姉さん心配してくれたんやね。じゃあ、うちの実家に二人で行こう」と言った。彼も結婚が具体的になった時に、挨拶すればいいと思っていたようだった。
 
引っ越しまでに……とはいえ、もうその引っ越し自体が来週末と迫ってきていた。結果、今週末に挨拶に伺う他に選択肢はなかった。時間が無い。
 
とりあえずその数日の間に、私は無難で落ち着いて見える紺色ひざ丈のワンピースを購入した。そんなに気合いを入れなくても手持ちの服で何とかなったのだろうが、少しは「きちんとした人間」に見られるように武装したかったのかもしれない。
 
ご挨拶当日。
彼の車に乗って高速で4時間強の実家に向かう。そう長い間緊張感が続くわけもなく、高速を走っている時なんかはちょっとした旅行気分で、おしゃべりしながら楽しく時間は過ぎていった。
問題は実家が近づいてからだった。
高速を降りてしばらくした後、
「もうすぐで家に着くよ」の彼の言葉に急に心臓がバクバクしだした。
「あそこの角曲がったらすぐだよ」と言われた時には吐き気に襲われた。
「なんか、気持ち悪くなってきた……」
 
つい先日姉に言われた言葉が脳裏をよぎる。
ご両親にも「どこの馬の骨」と思われたらどうしよう!?
ちゃんと落ち着いて挨拶ができるだろうか。自分のことを受け入れてもらえるだろうか。
頭の中で考えてきた挨拶の言葉を反復する。
(ご挨拶が遅くなって申し訳ございません。○○さんとお付き合いさせていただいております……)
 
緊張がピークに達した頃、無事に実家に到着した。
車を庭の車庫に入れていると、お母さんがひょこっと顔を出した。
(あっ、お母さんだ!)
こんな時、正直、女親の反応の方が気になる。同性だからなのか、なんとなくお母さんに嫌われたらこの先やりづらい、という本能が働く。
しかし、である。玄関を入ってから出迎えてくれたご両親に挨拶を……という想定が一瞬で崩れ私は軽くパニックになった。
結果、車を降りつつ中途半端な会釈をして、小声で「こんにちは……」みたいな超消極的な挨拶をしてしまうことになった。
お母さんも軽く会釈をしてくれたように見えた。
いかん! 出だしからつまずいた! お母さんの表情がそっけなく見えたのは気のせいだろうか。頼む、気のせいであってくれ!
そう願いながら彼に促され、おずおずと玄関に入る。
靴を脱いで廊下を進むと、今度は居間に座っていたお父さんの姿が見えた。
 
お父さんはとにかく明るい人だった。
私は緊張しながらも一生懸命考えてきた不慣れな挨拶をする。
「一緒に住まわせて頂くことになりまして……、順番が逆になって申し訳ありません」
まだ挨拶もしないうちに部屋を決めた事を詫びた。
「いやー、そんな堅苦しいのはええよ!」とニコニコしながら言った。そして
「実は、もう少ししたら○○にお見合いさせよう思うとったんじゃ。あんたが来てくれてよかったわ」と言ってガハハと笑った。
 
緊張で凝り固まっていた筋肉が少しずつゆるんでいくのがわかった。
お父さんが笑ってくれて、やっと息ができた感じがした。その後はお母さんが出してくれた手作りのみかん入りの牛乳かんを食べて、温かい緑茶を頂いた。
物静かで口数の少ないお母さんに対しての緊張は、まだ完全に解けてはいなかったが、4人で談笑できているという現実が私を少しはほっとさせた。
 
その空気が一変したのは、お父さんの一言だった。
「で、式はいつにするんか?」
 
(えーーーーーーっ!! 結婚まではまだ考えていないですー!!)
つい外に漏れだしそうになるほどに心の中で叫んだ。しかし、それを真っ向から否定する雰囲気ではない。
「10月とか、11月くらいか?」
今は7月だ。やたらせっかちなお父さんにさすがの彼も
「いやいや、そんな早くにはいくらなんでも出来ないよ」と苦笑いしている。
 
正直に言うと、同棲してお互いの事をよく知ってから、もしかしたらその先に結婚もあるのかもしれない、くらいにのんきに考えていた。
正面切って何か深く話し合うとか、人間関係を深める為に必要なプロセスが苦手だった私は結婚生活に憧れはあるものの、まだまだ不安もあった。
こんな自分でも上手くやっていけるのか。この先、相手の事を丸ごと全部受け入れるくらいの器のデカさが果たして私にあるのか。結婚に踏み切るのに覚悟がいるのはきっと男も女も同じだ。
 
そんな事を考えながら内心「どうしよう……思っていたよりも早く動きだしてしまった」と焦っていると、今まで静かに話を聞いていたお母さんが口を開いた。
 
「本当に、うちの息子でええんですか?」
 
一見、こちらにお伺いを立ててくれているようにも見えるこの言葉の裏で、
「覚悟はできてるんだろうね?」と決意を聞かれた気がして、ゾクッとした。
営業で全国を飛び回り多忙だったお父さんに代わり、彼の事を厳しく育てあげたお母さんの自負がそこに隠されているようにも思えた。
もう、あやふやな回答では逃げられない。私は心を決めた。
「……はい、よろしくお願い致します!」
 
こうして二人の結婚は正式に決まり、その後はスピーディに両家の顔合わせや結納、式場の予約などがどんどんと決まっていった。
 
結婚して8年。
意見がぶつかる時もあるし、ケンカするときだってある。でも、前みたいにただ逃げ出したりはしなくなった。自分の意見も言いつつ、相手の思いも汲んで、すり合わせをしたうえでお互い納得のいく着地点を見出す。その努力が少しはできるようになったのかなと思っている。
 
もし、あの時お父さんやお母さんにあんな風に背中を押されていなかったら、気弱になって結婚に踏み切っていないかもしれない。結婚の経緯としてはあまりロマンチックな仕上がりにはならなかったが、優柔不断の私にとってはこんな風に決断を迫られるくらいで丁度よかったのかもしれない。お母さんと私のQ&Aも、間違いなく、人生の分岐点となった。
 
「どこの馬の骨かもわからない女」と叱られて自分を改め、「本当にええんですか?」と問われた事で覚悟が生まれた。何となくのノリで生きてきた私に喝を入れてくれた二人の女性には、感謝だ。
これから先もまた人生の分岐点がやってくるかもしれない。そんな時に、自分が信頼を置いている人たちに背中を押されたら「それもアリなのかもしれない」と思って飛び込んでみる勇気をポケットに入れておこうかなと思っている。≪終わり≫
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。男児二人を育てる主婦。「書く」ことを形にできたら、の思いで目下走りながら勉強中のゼミ生です。日頃身の回りで起きた出来事や気づきを面白く文章に昇華できたらと思っています。

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2022-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.155

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