週刊READING LIFE vol.155

あなたの背中を追いかけて《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》


2022/1/31/公開
記事:ナカムラルナ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
1人の女子生徒が、私に会うため、職員室に訪ねにきた。
「先生、今までありがとうございました。先生に手紙を書いてきました!」
「わぁ、私に手紙? ありがとう!」
2年前に教えていた生徒。私がその生徒を担当していたのは、彼女が1年生のときだけで、2・3年生は担当ではなかった。それなのに私宛てに手紙を書いてくれるなんて、嬉しい限りだ。あの時は中学卒業したてで、どこかまだ幼かったあなたが、もうこの高校を卒業してしまうのね。すっかり大人っぽくなったなァ。この春で大学生になるのね、早いなァ。
 
「嬉しいよ〜、後でゆっくり読むね。卒業試験、お疲れ様!」
 
そう言って生徒と別れたけれど、速攻で手紙を開けて、急ぎ足で読んでしまった。
 
……くぅぅ!これはヤバい!
目に力をぐっといれて、こみあげてくるものを堪えた。
ガチャガチャした職員室で、しかも10分しかない休み時間に、読むものじゃなかったな、これは。あと5分で始まる次の授業の内容が吹っ飛びそうだ……なんて少し後悔していたが、心の中は、もう、嬉しくてたまらない。
「私も、あの先生に、ちょっとは近付いたかな」
あの先生に出会ったのは、もう10年近く前のことである。

 

 

 

 

「2A7の担任の出雲田です。これから一緒に頑張ろうね。よろしくお願いします」
ハキハキしていて、とっても好印象な男性だった。この人が今日から私の担任の先生なんだ。
そして、出雲田先生だなんて、とっても縁起が良さそうな苗字だなァ……
どこの何かは知らないけれど、高校生の私でも出雲大社という神社は知っていた。
その神社風の名前負けしない、すごくパワーがありそうな先生だった。
そして本当にその名の通り、ありがたい人物になった、私の人生を通して。
 
出雲田先生は、40代くらいの先生だったけれど、高校生の私たちよりもパワフルで、すごく熱い先生だった。
体育祭は誰よりも応援の声がおっきい。
集合写真でのジャンプは1番高く跳んだ。
個性的なメンバー揃いだったクラス(本当にヤバ人が揃っていた)をとてもよくまとめてくれた。
それでいて、紳士的だった。「ありがたいことに~」とか、「自分なんて全然大したことない人間だけど」とか、「ここは教壇を下りて一個人として話をします」とか。本当に素晴らしい人は稲穂が垂れるように自分を下げてへりくだるって聞いたことがあるけど、出雲田先生、あなたのことですね。
 
出雲田先生は、世界史を担当していた。本当は地理が専門なんだけどね、なんて言うけれど、本当に専門外なんですか? というめちゃくちゃクオリティの高い授業だった。関西出身の先生の授業はとてもテンポが良い。歴史の授業って、結構ダラダラになって眠くなりがち。だが、出雲田先生はそんな常識をぶち破ってくれる、爽快な授業を展開していた。歴史の流れはめっちゃ分かるし、おかげで記憶にも残る。授業参観に来たママさんからも面白い! と絶賛の嵐。そんな授業のおかげであまり勉強しなくても、わりと簡単に高得点がとれた。模試では、私たちのクラスが世界史に限って、県トップレベルの偏差値を叩き出した。
 
特に先生の授業を面白くさせていたのは、先生の武勇伝のような話だった。この先生、何人分の人生を生きてきたの? と思うくらい、話のネタがバラエティに富んでいた。
歴史上の人物や出来事と、自分の体験談を絡めながら、おもしろおかしく、インパクト強く話をする。
特に私が好きだったのは、先生の海外での体験話だった。
 
出雲先生は、100ヵ国は制覇しているという。
9年前の当時、あのイモトアヤコに匹敵するか、彼女よりも多かったと思う(2020年5月時点、イモトアヤコのインスタグラムによると、彼女は118ヵ国)。
 
高校生だった私は、海外に行ったことがなかったが、先生の話に引き込まれまくった。
まだ14歳だった先生が、親にフィリピン行きの片道航空券を与えられて、現地で必死に親戚を探す話とか、
街灯なんかない砂漠のど真ん中で、日が暮れそう、かつ迷子になって死にかけた話とか、
スペインでスリが多いことを知り、あえて何も入ってない財布をお尻のポケットに入れてバスに乗ったら、案の定スラれ、自分の財布がバスの中を一周まわって、またお尻のポケットに返ってきた話とか、……
スリル満点の話は、何度聞いても面白かった。その証拠に約10年経った今も、しっかり覚えている。
 
先生の話を聞いて、私は海外に行きたくてしょうがなかった。
……そういえば、この前、
「あの時さ、先生がもう海外の話するたびに目がキラッキラしてたよ。よく海外行きたいって言ってくるから、もうこのまま空港に行って連れ出してやろうかと何度思ったことか!」
と、この前出雲田先生に言われたっけな。だって先生の話があまりにも面白かったんだもん。
 
私が出雲田先生に憧れ、自分もそうなりたいと思うのに時間はかからなかった。
出雲田先生みたいに、海外いっぱい行きたい。
出雲田先生みたいに、社会科や世界史が面白いってことを伝えられる教員になるんだ!
 
けれども、そんな夢を抱いた直後。
私はもうこの夢は叶えられないかもしれないと悩むことになった。
一家の大黒柱である父が、病に倒れたのだ。
父の病気は、回復にどれだけかかるかさっぱり分からないような状況だった。
一家は貯金を切り崩して、もう底が見え始めていたようだった。
母は家計が厳しいことをなんとか隠そうとしていた。
やりたいことなら、やりなさいとも言ってくれた。
けれど私はもう高校生だった。高校生なんて、もう大人だ。母さん、いくら鈍感な私でも分かるって。
家庭内はなんとなく嫌~な雰囲気が続いた。
誰が悪いわけでもないからこそ、家族みんながぶつけどころのない不満と不安を抱いていた。
 
ついには私の方まで気が滅入ってきた。友人関係も上手くいかなくなってきた。
学校に行きたくない気分、かといって家にもいたくない……
とりあえず学校には通い続けた。いろんな感情を殺して、元気にいつも通りにふるまっていたつもりだった。でも、ある時、私は急に教室で泣き出してしまった。
私の心のバケツの中が、もういっぱいになってあふれ出してしまったのだ。
「何かあったんだね。話したかったら、話しにおいで」
出雲田先生は、その状況にすぐ気付いてくれた。
というか、たぶん私は、先生に気付いてもらえるように泣いたんだと思う。
私にとってあの時の先生は、SOSを出せる、唯一の大人だった。
 
その後、出雲田先生は、それはよく、話を聞いてくれた。
私は色んな気持ちを先生にぶつけた。
何を話したのかは、あんまり覚えていない。
お金がないなら、大学に行けない。
大学に行けなければ、先生にはなれない。
お金がないなら、海外に行きたいなんて馬鹿なこと言ってられない。
私は、きっと夢をあきらめるしかありませんよね……?
多分そんなことを、言ったんだと思う。
 
出雲田先生は憧れの人だったし、先生みたいになりたいと思っていたけれど、本音は実際に自分がなれるのか、怖かったんだ。
教員免許はとるのが大変って聞くし。
海外にはいきたいけど、怖い。そもそも英語は苦手だし。
あんなにテンポが良くて、面白くって、点数がとれちゃう授業なんてできないだろうし。
あれだけ先生みたいになりたいって言いまくってたのに、急に自信とそれをかなえる元気が無くなったんだ。
 
……だから私は出雲田先生のようになれない理由を探していたのかもしれない。
家庭の状況で泣く泣く夢を諦めることになる、悲劇のヒロインにでもなりたかったのかもしれない。
その点では、当時の家庭の状況は、私にとって好都合だったのかもしれない。
家庭の状況に問題がなかったら、チャレンジができてしまう。チャレンジできるってことは、夢がかなわなかったとき、それは確実に自分のせい、力不足になってしまう。
当時の私には、それが分かってしまうことが怖かった、のだと思う。
……今思い返してみると、情けなくって恥ずかしい。それでも当時の私にとっては、最後の甘え方だった。
 
出雲田先生は、本当に紳士的だった。
私のとりとめのない話を、うんうんと相槌を入れてくれて、気が済むまで、全部聞いてくれた。
そしてすごく、ポジティブな言葉を、たくさんくれた。
「親御さんの気持ちはすっごい分かるよ。やりたいこと、なんでもやらせてあげたい、自分もそう思うから。お母さんもそう言ってくれるならさ、大丈夫だって」
 
私の自己承認欲求バズーカ砲は、不発に終わった感があった。
いや、不発にしてくれてよかった。
私がそのとき短絡的に欲していた悲劇のヒロインになるのを阻止してくれた。
そのうえ、先生は「自分は何があっても味方だから」と言ってくれた。
そんな風に言ってくれる人がいるなんて。
私って、十分幸せ者じゃないか……。
思った通りの承認欲求は満たされなかったけれど、ちがったところからの承認欲求が満たされてしまった。
 
悲劇のヒロインになれなかった私は、勉強だけは頑張ろうと決めた。
その後の定期試験では順位が半分に、そして半分に……とどんどん上がっていった。
点数や順位が上がっていく過程はとっても楽しかった。
苦手な数学だけはどうしても足を引っ張っていたが、「勉強って楽しいかもしれない」と人生で初めて実感していた。
 
そのかいあって、私は大学に推薦で行けることになった。一般でたくさん大学を受けるよりも、受験料はかからなくて済んだ。1校受験するだけで2万円の受験料とかが平気でかかるようだったし、受験で受かったところを滑り止めとしてキープしておくだけで入学金約20万円前後かかるようだった。ここは安全に確実に受かるところを選んだのは、家計に対する私なりの心遣いだったと思う。
 
とはいえ、大学に入ると、あんまりにも自由が利くのが楽しくて、時間もお金も浪費しまくった。とにかくアルバイトが最優先。稼いだお金は何に消えたか全然分からない。勉強なんかほとんどしなかった。毎日学校が眠くてダルくてしょうがなかった。なかなか堕落した生活を送っていたと思う。それでも、教員免許を取るための授業や実習は確実にこなしていった。
口座の預金を使い切って、海外にも行けた。大学生の間だけで8か国は行けた。まぁ、出雲田先生とは全然違って近場のアジアだけだったけれど……なんとか、出雲田先生みたいになりたい! を形だけでも寄せていけた。
 
出雲田先生が、私の担任になってから約10年がたった今、
私はこうやって、教え子から手紙をもらうことができた。
急いで読んでしまった手紙を、改めて読み返してみた。
 
先生のおかげで、苦手だった世界史だけれど頑張ろうと思えました
私が悪い点数をとっても、いつも励ましてくれたのが印象的でした
先生が話してくれる海外のネタが大好きでした
私が友人関係で悩んだ時、相談にのってくれたおかげで立ち直れました
絶対にキャビンアテンダントになるから、私の飛行機に乗ってください!
 
私は、彼女にとっての出雲田先生になれたかな。
世界史が楽しいって思ってもらえたんかな。
楽しい海外の話できてたんかな。
相談に優しく相槌を打ったり、ポジティブなことを言ったりできたかな。
夢を後押しできるような、憧れてもらえるような、そんな先生になれたのかな。
 
私は出雲田先生に無性に会いたくなって、席を立った。
出雲田先生は、すぐ隣の部屋にいる。
……私は今、出雲田先生の背中を追いかけて、先生と同じ学校に勤めているから。
 
あいにく出雲田先生は、電話対応で忙しそうな様子だった。話しかけることはせずに、お疲れ様ですのつもりで会釈だけした。出雲田先生は受話器を耳に当てたまま、笑顔で手を振ってくれた。
出雲田先生、あなたは確実に私の人生の分岐点になってくれた人。
10年前の私の直観……なんだかありがたそうな人だということ、間違いじゃなかったみたいです。
出雲田先生のおかげで、私は憧れの先生 ―まぁ出雲田先生、あなたの事ですけどー と一緒に働けているんです。
私、もっともっと出雲田先生みたいな、素敵な先生になれるように頑張りますから、これからもよろしくお願いします!
 
きっとこんなことを言っても、出雲田先生、あなたは
「何を言ってるんだよ~。先生には敵いませんよ、こちらこそ色々教えてください」
なんて、言われちゃうんだろうな。そういうところもひっくるめて、憧れなんだけど。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ナカムラルナ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

高校で社会科を教える非常勤講師。やりたいことが多すぎて、逆にパンクして何もできないという、悩める20代女子。ライティングもそのひとつだった。趣味は愛犬と戯れること、海外放浪(インドのガンジス河で沐浴経験アリ)。

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2022-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.155

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