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週刊READING LIFE vol.155

想いは声にのせて《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》


2022/1/31/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「今日、どこで待ち合わせする?」
電車に乗りながらLINEをすると、既読になって少し経ってから電話が鳴った。
移動中、電車の中である。電話に出ることができず、すぐに
「今、電車の中。降りたら電話するね」とLINEで知らせる。
 
彼と会うのは何ヶ月ぶりだろう。
世間的に見れば付き合っていると言える関係だけれど、仕事が忙しいと放っておかれることもしばしば。いい大人の付き合いだから、そういうのも仕方がないと思う。でも、正直言えば、忘れられているのではないかと寂しさを感じることもある。
 
この数ヶ月、彼は大きな仕事を抱え、かなり忙しくしていた。2週間前、それがひと段落ついたと電話があったのだ。
「久しぶりに、飲みにでも行くか」
そう言われてうれしくないはずもなく、「仕事はもう片付いたの?」と気遣っている風にしていても、心の声は「どれだけほっといたんだ、おい、コラ!」とかなり激しく、彼に詰め寄っていた。
 
彼は仕事がひと段落つけばついたで、次々と予定を入れてしまう。付き合い始めの頃は、私の予定も聞いてくれていたが、その頃はすでに全く聞いてくれることもなくなっていた。そんなことも不満だった。
 
この日も、自分から電話してきたにもかかわらず、空いているのは2週間も先だというのだ。空いているというその日、私は夕方から仕事の打ち合わせが入っていた。打ち合わせの予定は19時までだった。それから会うのだって遅くはない。そう思って、彼にその日の予定を説明し、約束をしたのだ。待ち合わせ場所は彼が決めて連絡をくれることになっていた。
ところが、約束をしている前日になっても連絡がない。心配になって、「明日の予定は大丈夫?」と確認のLINEをする。たった一言、「大丈夫」とだけ返信がある。お店の場所を決めたのか、何時にどこに行けばいいのか、確認したい気持ちはあった。でも、「彼は忙しいのかもしれない。そんな彼の邪魔をしてはいけない」と、そんな気持ちもよぎる。そして、言葉を飲み込み「じゃあ、明日ね」とだけ返したのだった。
 
電車を降りて、ホームで早速電話をかける。
「何時まで打ち合わせ、かかるんだっけ」
電話口の彼は、なんだか少し不機嫌そうである。
「予定としては19時だけど……」
「ふーん、俺、もう自由にできるんだよね」
フリーランスで働いている彼は、何かの時間に拘束されることが少ない。その日、都内で済ませなければならない予定は全て終わり、もう自由な時間だというのだ。
 
それで?
心の中の私がつぶやく。
 
「どっか、カフェにでも入って少し仕事でもしたら?」とノートパソコンさえあればどこでも仕事ができるであろう彼に提案をした。
「今日、パソコン持って移動してない」
 
だから? だから、何だっていうの?
約束をして2週間もの時間があったのに、今になってそういうことを言うの? 自分の待ち時間ができそうだったら、その時間をどうするか考えるよね?
ノートパソコンを持って移動して、待ち時間で仕事するとか、もう一つ、用事を済ませるようにするとか、考えるよね?
だって、私との約束、前からこの時間に決まっていたじゃない……。
 
私は何も口に出せなかった。
 
「やることないんだよね。それに、ちょっと頭が痛くなってきちゃってさ」
彼は、さっきよりも不機嫌そうに、だるそうに言った。
要するに私を待っているのが面倒になったということか……。
 
「じゃあ、今日は取りやめにする?」
と静かに言うと、
「いい? 悪いね……、また今度」
彼は具合が悪そうに話していたその口調から一変して、明らかにほっとした様子で電話を切った。
 
「ふざけんな! もう2度と会わないから!」
電話が切れたとたん、私は人目も憚らず、我慢できず大きな声で叫んでいた。
駅のホームの真ん中である。
正直、こんな言葉が口から出るとは思ってもみなかった。でも、理性も何も吹っ飛んで、その言葉は私の口から勢いよく飛び出していた。
 
この2週間、ずっと楽しみにしていた。そんな私の気持ちにおかまいなく、自分の気分だけで行動する彼に、私の気持ちも爆発した。
叫んだ声がはっきりと自分の耳にも入り、頭の中に響いている。
私は初めて、彼に対しての怒りとも言える自分の声を耳で聞いた。その言葉ははっきりと意思表示をしていた。耳で聞いた自分の言葉は、心の中でつぶやかれるものとは違い、力強かった。
 
今まで彼に怒りをぶつけたことがなかった。心の中のつぶやきは、いつも口から発せられることもなく、私の体の中に残っていた。
どんなに会えなくて寂しくても、不満や寂しさをぶつけたことがなかった。
 
電話をする時間が1分もないのか。
他の人と飲みに行くなら私にも時間をつかってほしい。
一体日々何をしているのか。
言いたいことは山のようにあった。
でも、言わなかった。
 
ずっと、声に出すのが怖くて、言えなかった。
声に出して言えば、もう取り返しがつかないことになるような気がしていた。
心の中でつぶやくのなら、彼には聞こえない。そして、私の耳もその声を受け取らない。

 

 

 

口から声に出すという行為は不思議なものである。自分自身に与える影響は、心の中で思っているのとは全く異なる。
言葉を口に出せば、声に乗り、音となってその言葉を耳で受け取る。頭の中で浮かんできた言葉を、耳を通じて外から同時に受け取るのだ。耳からも受け取ることで、言葉は頭の中で浮かんだものより増幅されて私達の感情に訴えかける。
 
例えば、怒っている時、怒りの言葉を相手にぶつけていると、怒りがおさまるどころかどんどんボルテージが上がってきて、ますます腹が立ってくることがある。説教をしている時も同じである。説教をしている人が熱っぽくなり、声が大きくなっていく様子を想像するのは難しくない。
これは怒るとか説教とか、ネガティブな言葉を発している時にだけに起こる現象ではない。
人が自分の言葉に酔いしれるように夢を語るのも同じ現象だ。ポジティブな言葉を聞き、ますます楽しく熱くなっていく。
 
つまり、思っていることを声に出すと言うこと自体が、思っていることを増幅させる可能性があり、それに伴う感情を助長することになる。
 
声に出して、それを聞くことによる影響はあるは他にもある。
自分の話した言葉や内容を声に出し聞くことで、自分の考えていたことに気がつく。自分自身がどんな状態なのかという、気づきにつながることがある。これは、コーチング用語でオートクラインと言われている。
 
友人と話しをしたり、仕事仲間と話をしている時など、誰かと話しているうちに自分の考えが整理されていくような感覚になったことがある、というのは多くの人が経験していることだろう。この時、誰かのアドバイスがあったから、考えが整理されていくのではない。自分の言葉で話していることを自分の耳で聞き、再確認しているから、気づきがあるのだ。コーチングのセッションでもこのオートクラインを起こすためには、傾聴がとても重要なのだと言われている。そう、全ては自分の中にあり、人は口に出すことで初めて自分の内側にある考えや気持ちに気がついていく。
 
声に出した言葉には、言霊という考えがあるように、とても力があり、そしてそれを聞くことは感情を揺さぶり、気づきをもたらす可能性があるということなのだ。
 
だから私は言いたくなかった。
彼に対して、寂しいとか、不平不満を口に出したくなかった。言えば、自分の感情を助長し、もしかしたら、ずっと疑問に思っていた関係について、自分の本心に気づいてしまうかもしれなかったから。
 
でも、もう溜まり溜まっていた自分の内側にあった言葉は、ホームの上で言い放たれてしまったのだ。

 

 

 

大きな声をだして、少し興奮状態になった。体が熱くなっているのがわかる。打ち合わせに向かうには、心を落ち着かせなければならない。
一息ついてから、打ち合わせ場所から遠くないところで働いている友人に連絡をとる。
「今日うまく行けば時間できそうだから、近くまで行くけど、ご飯どう?」
そんな急なメッセージにも反応して、「いいよ。何時頃?」と返事が来た。これで、今晩は友人と楽しい話をして気晴らしができる。
 
そんなやりとりを中、5分もたたず、彼からの電話が鳴った。
「やっぱり、今日、済ませよう」と彼が言う。
済ませるってなによ、と私の心がつぶやく。
「今日会おう。電気屋に行って、見たいものがあるから、それで時間を潰しておくよ」
打ち合わせが終わる頃に、最寄り駅で待っていると言い、彼が電話を切った。
 
「もう、別の人と約束しちゃったから」と言えばいい……。
でも、言えなかった。私がそう言えば、彼は自分が勝手なことを言っているにもかかわらず、きっと不機嫌になるに決まっている。不機嫌になられるが嫌だった。ただでさえ、私は自分の不機嫌な汚い言葉を聞いたばかりだ。今日はこれ以上、嫌な気分にはなりたくない。
さいわい、友人は、私の予定が変更になったことを連絡すると、「了解。またね」と気楽な返事を返してくれた。
 
打ち合わせが終わり、最寄り駅に急ぐ。
彼は手持ち無沙汰な感じで立っていた。近くまで行くと私に気付き、何事もなかったように「近くでいいよね」と言った。
「もう、頭は痛くないの?」
これは気遣いではなく、嫌味のつもりだった。
「うん、カフェでお茶していたらなおった」
 
そんな程度なんだ。そう、そんな程度なんだよね。
私に会うか会わないかは、気まぐれな、お茶を飲んだら治ってしまうくらいの頭痛があるかないかで決められるぐらい、軽いものなんだね。
会いたい、無理してでも会いたい、と思っているわけではないのだ。
 
近くにあった居酒屋に入る。ざわざわしている店内。じっと彼の横顔をみると、耳の奥で「ふざけんな。もう2度と会わないから」という言葉がはっきり聞こえてきた。
日本酒を飲みながら、1年以上前に行った旅行の思い出話を楽しそうにしている彼を眺めていた。なんの感情も湧かなかった。会えて嬉しいとか、そんな気持ちも全くない。
 
会ってみてわかった。あの時、本当の自分の声を聞いてしまったのだと。
あの言葉をきっかけに、彼に会いたいと思っていた感情は、潮が引くように消えていったのだ。
心の声はもうずいぶん前から自分に届いていた。でも、ブツブツとつぶやかれた心の声は耳には入っていなかったのだ。ホームで響いた声に乗った自分の言葉は、強烈に耳から入り、そして私の気持ちを決めてくれた。
 
店をでて、駅まで少し歩く。
それぞれ、別の路線の電車に乗る。何となく、彼が乗る路線の改札へ近づき、彼を見送る形になった。一瞬、彼が振り返った。そして私は、改札を通っていく彼の背中を見た。
 
「さようなら」と声に出した。
その言葉はしっかり私の耳に届いた。自分の声で、この恋の終わりを確認する。
もう、これで終わりだ……。
 
何か思っていることがあったら、口に出して声に乗せてみる。何か自分の中で確認したい気持ちがあったら、心の中でつぶやくのではなく、はっきりと声に出してみる。
自分の言葉を自分の耳が受け取れば、そこから大きな気づきがあるはずだ。その気づきがどんな形であれ、心の声だけではすくいきれない、自分の本当の気持ちを知ることは人生にとって重要なことだ。そして、音になった言葉を聞きながら、確認し、一つの区切りをつけることもできるだろう。
 
ホームの真ん中で叫び、そして、改札口を見ながら自分の声を聞いたことで、私は次の一歩を踏み出すことができた。でもそれは、少し悲しい結末だった。もっと早く、自分の声を聞けばよかった。もっと早く、違う言葉を声にして彼に伝えていればよかったのかもしれない。
 
次に恋愛をしている時は、愛に溢れる言葉を声に乗せ、その言葉を自分の耳で受け取っていたい。そして、その言葉はもちろん相手にも届けられる。そんな関係を築いていけたら本当に幸せだと思う。
 
私も自分の行くべき方向に向かいながら
「さあ、次、次。次に行こう!」と声に出して歩き出した。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

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2022-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.155

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