週刊READING LIFE vol.156

人生初の胃カメラで手にしたもの《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》


2022/02/08/公開
記事:吉田健介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人は、あるきっかけを皮切りに、絶大なるパワーを発揮することがある。怒りが頂点に達して覚醒したスーパーサイヤ人がそうであったように、時に自分に降り注ぐ苦難は、大きな力を獲得する分岐点となるだろう。
 
もしかしたら、僕は今同じような状態になっているかもしれない。以前の自分よりも一皮剥けて、覚醒したニュータイプ。夜中の3時に、子どもが夜泣きしようが、奥さんから怒りをぶつけられようが、構わない。「あれに比べれば……」という思いがその都度湧き上がる。仕事でもそうだ。面倒な書類作業や、頼まれごと、あまり進まない会議など、今までストレスと感じていたことも、あれに比べれば……。僕を包む分厚い鎧は、周りからのストレスを全て弾き返していく。カンッ! と透き通った金属音を響かせながら。
 
あの出来事に比べたら、日々のストレスなど、些細なもの。寄ってる蚊を腕を振って遠ざけるよなものだ。大した力を使う必要はない。内から湧き出るエネルギーが、あらゆる問題を小さく縮めてくれる。
きっと生まれ変わったのだ。あの時、病院のベットに横たわった瞬間から、新しい自分へと進化したのだ。口から黒い管を入れられたあの日。あそこを境に、スーパーサイヤ人のように、無敵になったのだ。一度追い込まれた精神から這い上がり、「はいお疲れ様でした」と先生が言った瞬間から、僕の何かが変わったのだ。
 
まず、人の口に黒くて長い管を入れるなんて、よっぽどのことがない限りありえない。確かに、リスク管理の1つではあろう。40歳という歳になった以上、軽い健康診断だけでは心許ない。2歳の息子と、生後7ヶ月の娘がいる。1人の父として、まだまだ健康であり続けなければならない。一家の大黒柱として、門の前にいる守護神の気持ちで、立ち続ける必要がある。阿吽の像みたいに、筋肉が隆々で、お腹が板チョコのようにパキッとしているわけではない。だが、鉄壁の防御を誇る戦士として、体のメンテナンスは怠ってはいけないだろう。だが、あれはいけない。人の口に長い管。物理的におかしい。不自然だ。あらゆる法則を無視している。ありとあらゆるモノを口に入れて確認する娘でも、あんな管を口に入れることはしない。見た瞬間から「あ、これは口に入れてはだめだ」と判断するだろう。
 
先日僕は胃カメラをしてきた。「胃カメラをしてきた」という表現が適切かどうかわからないが、とにかくしてきた。入れてきた。突っ込んできた。ぶっ刺してきた。
 
先生は若く、爽やかな人だった。看護師さんも優しそうな人。
「きれいな胃ですねえ」とお褒めの言葉を頂いた。が、そんなことは胃カメラを入れられている僕に何のポイントにもならない。治癒の効果も、スキルアップの効果もない。ただベットに横になり、されるがままに黒く畝る管を口から垂らしているだけの僕。その事実に変わりはない。何の変化もそこにはない。救いはない。
 
諸先輩方に聞いた。「今度、初めて胃カメラするんです」という相談。
それを聞いた瞬間、熟練の経験者たちは、「そうかそうか」と言いながら話をしてくれた。「大変やなあ」「がんばれよ」とは言うが、半ば喜んでいるように見えた。心配そうな目ではない。まるで生徒を見るような温かい目。
 
 
「あんな辛いモノはないな」
「勝手に涙が出てきた」
「喉を通る瞬間がきついねん」
 
何でもいい。どんな些細なことでもいいから、胃カメラを乗り切るハウツーを求めた。だが、そんなものはなかった。そこには何のコツも存在しない。ただ辛いというだけの経験談。裏技はない。そう、胃カメラにコツなど存在しない。こうすれば簡単に攻略できる! といったうまい話などないのだ。ただ、口へ入っていく管を、事実として、現実として、受けれるしかない。夏になれば暑くなり、冬になったら寒くなるように、自然の成り行きとして、受け入れるしかない。
1つ分かったことは、回を重ねる毎に、胃カメラが平気になっていくということ。慣れとは末恐ろしい。「私はね、ぜーんぜん平気です」と言った人もいた。だが僕には何の参考にもならなかった。
 
Googleに意見を求めた。「胃カメラ コツ 苦しくならない」
いくつあったが、とにかく力を抜くことが重要みたいだ。
よし陸に打ち上げられた鯨になろう。
成す術もなく横たわっているあの感じ。まさに脱力の極地。
 
「はい、胃を綺麗にする薬です」
「はい、局部麻酔のゼリーです。飲み込まないで3分待っててくださいね」
 
慣れた口調で看護師さんが言う。カーテンで仕切られた椅子に座りながら、胃カメラに向けた下準備をしていた。まるで料理の仕込みのように。
 
オエ〜! オエ〜!!
奥の部屋から声が聞こえてきた。
不安でしかない。初めて胃カメラをする者にとって、あれは恐怖の雄叫び。
 
プシュー!
何やら妙な機械音も聞こえた。
 
緊張はしていない。もはやこれは決定事項なのだ。いくらここで緊張しようが、抵抗しようが、何も変わらない。ベルトコンベアで運ばれる製品のように、次の作業を待つのみ。ゴールは決まっている。行き着く先は確定。僕の意思など関係ない。
 
「ありがとうございました」先程雄叫びをあげていた人が部屋を出た。
「女性だったのかよ!?」
嗚咽音に性差がないことを知った。その事実は、胃カメラの恐ろしさをより濃いものとした。そして僕の名前が呼ばれた。
 
 
先生は、若くて爽やかな感じの人。
「初めてなんですね」
不安を感じさせないよう、大丈夫だという空気を出す。なんてやさしい先生なんだ。だが、これは決定事項なのだ。ここで暴れたところで何も生まれない。その気遣いだけはもらっておくが、こんなドストレートな気休めは他に聞いたことがなかった。
 
口元に、マウスピースがはめられる。
 
「力を抜いてくださいねえ」看護師さんが背中を摩りながら声をかけた。
きたきた。ここはGoogleが言っていた脱力をするタイミングだ。
 
管が入る。何の遠慮もなく、ためらいもない。黒いチューブが、爽やかな先生のエスコートでどんどんと入っていった。そして喉元が疼く。かつて、二日酔いによるムカムカを解消するべく、指を突っ込んだあの儀式。同じ喉の疼きが込み上げてきた。
 
嗚咽。
力を抜け! 力を抜け!
僕はこういう時、逆に冷静になる。我を忘れてはいけない。月を見て狼に変身したとしても、自我を保てるかどうかはキャラ的に大きい。だからここで自分を保てるかどうかも、個人的に重要なのだ。
 
「ここ辛い所ですよ」
と言った瞬間、嗚咽。咳き込む。
 
目の前のモニターからは、順調に体の奥に進んでいく様子が伺えた。どうやら難所は超えたようだ。
モニターをあまり細かく見ないようにした。自分の体内を凝視ししても気持ちよくないから。気がつくと、先生の白衣を見ていた。長く垂れた白衣の端。なぜか胃カメラの現実感を和らげてくれた。
 
「打ち上げられた鯨」を思い出した。鯨のフォームを忘れていた僕は、意識を集中し鯨になろうとした。が、もうそれ所ではなかった。とにかく力を抜くこと。この一点集中。それ以外のことに意識を向けると、体からブザー音が鳴る。つまり嗚咽する。
 
「ここが胃カメラで行ける一番奥の所ですね。十二指腸です」
先生。そんなことはいいから、早くそれを抜いてください……
 
「では空気を入れますね」
胃カメラでは、視界をよくするために、胃に空気を入れて膨らます。その時、なるべくゲップを我慢する必要があるとのこと。先生の説明を聞きながら、Googleもそう言っていたことを思い出す。だが、こんな状況下で更なる要求をするなんて、悪魔以外の何者でもない。
 
とにかく脱力。
気がつくと涙が流れていた。そんなことがあるのだ。「気がつくと涙が頬を伝う」。そんな現象は、漫画や小説の世界の話だと思っていた。自分の意思に関わらず、涙が流れることが、現実としてあるのだ。今回はベッドに横たわっている。つまり涙は頬を伝わない。直接下に流れる。ショートカット。
 
「きれいな胃ですね」
「いやあ、そんなことはないですよ」とは言わない。むしろ、胃の中を褒められることは、日常生活ではまずない。どう反応してよいのやら。そうですか、とも、はあ、とも答えることはできなかった。仮に答えられたとしても、口には、管が入っている。言葉になることはない。むしろ話をしようとした途端、喉の奥から嗚咽が放たれるに違いない。
爽やかな先生は、答えない僕を気にする様子もなく、テキパキと胃カメラを練り歩かせた。
 
 
胃カメラが抜かれる感触はあまり覚えていない。局部麻酔をしていたのもあっただろう。海に仕掛けた網を引き上げるような先生の動き。そこだけが脳内に残っている。気がつくと、すでにチューブは抜き出され、僕は半ば放心状態でベットに横たわっていた。
 
 
胃カメラなんて、自分とは関係のないことだと思っていた。自分ごとではなかった。初めての胃カメラは、僕に強烈な爪痕を残した。が、それよりも胃カメラ体験した後、妙な達成感が残った。
 
口からチューブを突っ込まれてから1週間ほど経つ。実は今、不思議なことが起こっている。あの日以来、僕の心は些細なことで動じなくなった。夜中に起きて、大泣きする娘がいても、仕事で、気乗りしないことを頼まれても以前ほど気にしなくなっている。つい考えてしまう。
「〇〇<胃カメラ」
この不等式が脳内に現れる。ましだ、胃カメラに比べたら。という結論。
 
今後は、年に1度のペースで人間ドックを受診するつもりだ。
「ぜーんぜん平気です」と、熟練した胃カメラマスターになることはできるのだろうか。格好いい…… のかどうか分からないが、このセリフを言う時はなるべく格好いい感じで言おう思う。
 
もし自分を更に成長させたければ、胃カメラは絶好のチャンスかもしれない。あくまで「かもしれない」。
理由は簡単。現実ではあり得ない現象を体感するから。冷静に考えてほしい。いや、冷静に考えなくてもわかるだろう。口へ長い管がどんどん、そしてスルスルと入っていく。そんなことは普通の生活ではあり得ない。だが、その体験から得られる妙な達成感は独特だ。筋トレで、普段使わない筋肉をトレーニングするようなものだろう。胃カメラでしか鍛えられない筋肉があるに違いない。達成筋。
少なくとも、胃カメラによって、僕の中に眠る何かが覚醒した。これは間違いない。もし今の自分から一皮剥けて大きく成長したいのなら、胃カメラをおすすめする。あの言いようのない不安。例えようのない状態。その後に待ち受ける、妙な自信。どう成長したらいいか迷っている人がいたら、是非胃カメラを候補に。健康チェックにもなるし、一石二鳥だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田健介(天狼院ライターズ倶楽部READING LIFE 公認ライター)

現役の中学校教師。教師が一方的に授業をするのではなく、生徒同士が話し合いながら課題を解決していく対話型の授業を行なっている。生徒が能動的に学習できるような授業づくりを目指している。

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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