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週刊READING LIFE vol.156

迷ったときは「そんな○○、本当に面白い?」《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》


2022/02/08/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「そんな実験、本当に面白い?」
 
実験に熱中しているときにそんな言葉を投げかけられたら、誰でもムッとするだろう。
“誰でも”というほど実験をする人は多くないかもしれないので、「実験」の部分をほかのことに置き換えて想像してみてほしい。
 
「そんな本、本当に面白い?」
「そんなゲーム、本当に面白い?」
 
どうです? 自分が熱中しているときにこんなことを言われたら、ムッとしませんか?
 
そんな言葉を言われたのは大学4年生の12月ごろ。卒業研究の実験も佳境に入り始めたころだった。
 
理工系の大学生は、3~4年生になると卒業研究を始める。研究室に所属して、教員や先輩から指導を受けながら、研究を進める。だがまずは、研究室で過ごす毎日の生活に慣れることが大変だ。のんびりマイペースで自由を満喫してきたそれまでの大学生生活とはガラッと様変わりするからだ。さらに、研究に必要な作業や機器の使い方、科学文献調査のやり方や論文の読み方といった基本的なことを習う。なれない作業に戸惑い、覚えることの多さにあっぷあっぷの毎日だ。そんな新しい環境での大変さも、20代前半の若さがあればひと月ほどで慣れてくる。
 
研究室の生活に慣れてきたころ、指導教員から研究テーマの話をもらう。研究テーマの決め方は指導教員によって異なる。私が所属した研究室の場合、最初は何を研究対象にするかを決め、そのテーマですでに研究を進めている先輩に金魚のフンのようについてまわって実験したり話を聞いたり、自分で文献を調べたりする。そうやって研究の奥義を身につけていきながら、テーマを絞り込んでいく。
 
私が選んだ研究対象は、天然ガスを食べて生きているバクテリアだった。このバクテリアの表面には、天然ガスを取り込んで消化するための「タンパク質」がたくさん埋め込まれている。このタンパク質の役割は、いわば“口”だ。
 
天然ガスを食べる “口”。
その口が身体中のあちらこちらに開いている生き物の姿を想像してほしい。完全にバケモノだが、バクテリアの世界ではむしろ普通だ。
 
この天然ガスを食べる“口”は、電気がないと動いてくれない。炊飯器や電子レンジといった家電製品と同じだ。
バクテリアの身体の中で電気がどのように流れるのか?
どうやって“口”が電気を受け取るのか?
そのときどんなふうに“口”が動いて天然ガスを消化するのか?
不思議なことはたくさんあって研究テーマになるネタは尽きない。ただし、調べる順序は大事で、どこからどうやって調べていこうかを考える。そうやってより具体的な研究テーマに絞り込んでいく。
 
卒業研究で絞り込んでいったテーマは「金属」だった。小学校や中学校の理科で、「金属は電気を流しやすい性質を持つ」と教わったかと思う。この金属が、天然ガスを食べる“口”の中に埋め込まれている。このおかげで天然ガスを食べる“口”は電気を受け取ることができる。この金属の電気の受け取りやすさを示す「酸化還元電位」という数値を測定することを、私は卒業研究テーマに選んだ。
 
この測定のためには、バクテリアをたくさん育てなければならない。バクテリアから天然ガスを食べる“口”の部品を切り離さなければならない。そして測定装置も組み立てなければならない。実験技能も知識も未熟な大学4年生の私にとっては、とても大変な作業が続く毎日だった。
 
ようやく測定の準備が出来たころにはもう12月になっていた。さあいざ本番、天然ガスを食べる“口”の酸化還元電位を測定してみよう。そうワクワクしながら実験を始めようとしていたときだった。

 

 

 

博士課程の先輩がふらっと実験室にやってきた。
博士課程の学生といえば、博士の学位を取得して将来は研究者になることを志し、自ら大きな研究テーマを立ち上げて研究をしている。自分も研究者になりたいと思っていた大学4年生の私から見れば、憧れであり目標でもある大先輩だ。
 
先輩は、測定で手を動かしている私の様子をしばらく眺めていた。私の操作が一段落したときをみはからって質問をしてきた。始めは、やっている実験操作についてだったが、徐々に私の卒業研究テーマの中身につっこんだ質問へと移っていった。
 
「酸化還元電位を測るのはいいんだけど、どうして酸化還元電位を測らなければならないの?」
「いろいろと文献を調べてみたんですけど、このタンパク質については酸化還元電位がわかっていないんです。だから測ってみようって思って」
先輩の質問に、私は胸を張って答えた。研究テーマを決めるにあたって読んだ文献の量には自信があった。これまで報告のない、まだわかっていないことを調べる、オリジナリティーのあるテーマだと自負していた。
 
だが、先輩は「うーん」と唸って首を傾げた。
「誰もやっていないからやってみるってことだよな。そんな実験、本当に面白い?」
 
え、どういうこと? 誰もやっていないことを実験するって面白いじゃないか。ワクワクするじゃないか。なのになぜ、そんなことを問われるのだろう?
質問の意図がつかめずにぽかんとしている私の姿を見かねて、先輩は実験しながらでいいからと前置きして、
「自分がやりたいことが何か、よく考えてみなよ」
と励ますように言葉をかけて、実験室を去っていった。
 
意地悪をされた気分だった。ようやく準備が整って測定ができるとワクワクしていた気持ちに水を差された気分だった。面白くなかった。だが多くの経験を積んでいる博士課程の先輩の言葉だ。絶対に何か理由があるはずだ。自分の実験のいったい何がおかしいのか。面白いってどういうことだろう。考えてみたものの私には答えがみつからず、先輩の言葉が心にひっかかったまま、しかたなく実験作業を続けた。
 
2月の頭には無事に酸化還元電位の値を測定できた。実験を終えると、3月始めに行われる卒業研究発表会のため、プレゼンテーションの準備を始めた。ここで私は、あの言葉の真意に気がつくことになる。
 
初めて聞く人、専門外の人に向けて研究発表をおこなう場合、研究をおこなった理由や目的、その目的に対してどんな結論が得られたのかを明確に説明することが大事になる。しかし私は、それを明確に説明できなかった。誰も測定していないことが研究の理由だと、研究目的は「酸化還元電位を測定すること」になる。測定という「手段」が目的になってしまっている典型的な悪例であった。手段が目的になると、測定結果から導ける科学的に有意義な意味は無用になり、ただ測定がうまくいった、いかないの結論のみになるのが論理だ。
 
これに気がついたときにはもう時間はなかった。納得のいかない内容で研究発表をせざるをえなかった。案の定、発表で質問を受け、たじたじになり、頓珍漢な回答をするしかなかった。
 
こうして私は初めて、「誰もやっていない」ことが研究の理由にはならないことを実感したのだった。研究テーマの理由には、研究対象の物事に対して、何をどこまで知りたいのかという自分の内なる動機が大事になる。その内なる動機があって初めて、「誰もやっていない」という情報が研究の独創性という付加的な価値としてたちあがってくる。卒業研究を終えた私は、そのことを強く実感した。

 

 

 

この経験を胸に、大学院に進学した私は修士論文の研究テーマを考えた。決めたテーマは、天然ガスを食べる“口”の部品は壊さずに、余計な部品だけを取り除く方法をあみだすことだった。
 
知りたいことは、天然ガスを食べる“口”が動くために必要な部品が何かだった。それがわかれば、それら部品がどのように動くのかを調べて、天然ガスを食べる仕組みを調べることができるし、応用することもできる。そのためには余計な部品がついていると邪魔だ。そういった理由で必要になる研究テーマだった。もちろん当時、天然ガスを食べる“口”を高純度にとってくる手法はまだ確立されていなかった。
 
こうして研究テーマを決めた私は、実験を進めた。これまで成功例のない方法をあみだすには難関が多かった。特に大きな技術的難関は、バクテリアから取り外したあとの“口”の部品の扱い方だった。アメリカやイギリスの研究グループは、“口”の部品を取り外すために特殊な「石けん分子」を使っていた。ただし、“口”の動きは十分の一以下に弱まってしまう。この状態で“口”についた余計な部品を取り除く作業を繰り返すと、どんどん動きは悪くなる一方であった。
 
この問題を回避するための試行錯誤を繰り返すうち、私は実験によって二つの新しい発見をした。一つは、石けん分子は“口”の部品を壊さず、ただ石けん分子が“口”を塞いでしまっていること。もう一つは、口を塞がない別の種類の石けん分子があること。この二つの発見によって問題の回避し、天然ガスを食べる“口”を高純度にとってくる方法をあみだした。
 
後にこの方法は高く評価された。なぜなら、これまでの方法より安い試薬を使っているからだった。でもそれはおまけのような成果だった。
 
なにより新しい研究成果は、天然ガスを食べる“口”に埋め込まれた金属の数を特定できたことだった。私の実験結果からわかったその数は2個。当時、その金属の数は3~15個とさまざまな報告があった。それら報告よりも少ない数で、天然ガスを食べる“口”は電気を受け取り、天然ガスを消化できることを明らかにしたのだった。
 
だが、この結果に対しては否定的な見方をされることが多かった。5年後には、否定的な見方が決定的になった。アメリカの研究グループが「X線結晶構造解析」という先端技術を使って天然ガスを食べる“口”のかたちの全貌を立体的に明らかにしたのだった。この解析によって、手で持ってぬいぐるみや置物を動かして眺めるように、目に見えないほどに小さいバクテリアの“口”を細部まで見ることができるようになった。この解析の結果が示した金属の数は、3個だった。
 
より高精度の解析手法での報告の信用性に、私は太刀打ちできなかった。白旗をあげるしかなかった。
 
ところがさらに15年ほど経ったある日のこと。最新文献の調査をしていると一つの論文が目にとまった。それは、天然ガスを食べる“口”についての、より精度の高い「X線結晶構造解析」の論文だった。この論文では、これまで3つと思っていた金属の数は間違いで、実は2つだったと報告していた。
 
20年の月日を経て、ようやく私の研究成果が支持されたのだった。

 

 

 

自分の研究成果が支持されたことには、さほど嬉しさはなかった。
この研究成果は自然科学界においてほんの小さな足跡に過ぎなかったからだ。
 
だが、私の心の内に秘めた自信は大きく膨らんだ。
この20年の間、心の内では自分の実験結果は間違っていないと思い続けていた。そんな自己肯定感の科学的根拠はとても希薄だった。しかし、自ら考え抜いておこなった実験の成果だったからこそ20年経っても強く保てたのだと思う。その経験があったから、私は今でも常に考え、地道に実験を積み重ね続けている。
 
「ない」と否定的に自分の周りを見回してみても、研究の意義や面白さはみつけられない。
これは、研究や実験だけの話ではないと思う。
ためしに、「研究」の部分をほかのことに置き換えて想像してみてほしい。
ほかの本を否定してみても、あなたが読んでいる本の面白さはみつからない。
ほかのゲームを否定してみても、あなたがプレィしているゲームの面白さは見つけられない。
そうではないだろうか?
 
自分に置き換えてみてもよい。
他人を否定してみても、自分の面白さや価値はみつからない。
そうではないだろうか?
 
何事においても、自分の思い、自分の希望、自分の得意。そういった自分の内側にあるものを受け止めて、動機に変えて行動した方が、物事はうまくいくのではないだろうか。
なによりその方が人生は、断然面白い。そう思えるきっかけを、先輩のあの言葉が私に与えてくれた。
 
私にとって研究は、たとえ失敗ばかりでも面白くてたまらない。そして人生も、失敗ばかりだけれども面白くてしかたない。
だが迷うときだってある。そんなときは自分に問いかける。
 
「そんな人生、本当に面白い?」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

現役理工系大学教員。博士(工学)。専門は生物物理化学、生物工学。バイオによる省エネルギー・高収率な天然ガス利用技術や、量子化学計算による人工光合成や健康長寿に役立つ分子デザインなど、生物と化学の境界なしを信条に研究。

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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