週刊READING LIFE vol.156

私の存在を肯定してくれた、最強のパワーワード《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》


2022/02/08/公開
記事:川端彩香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私の存在価値って、あるんだろうか。
あるんだとしたら、どういう価値なんだろうか。
 
死にたいとか、そういうんじゃない。
ただ、働いていると、こういうことを頭に浮かべてしまうことが少なくない。
出社して、パソコンを開いてメールチェックをして、電話がかかってきて、会議に出席して、提案書の作成をして、夕方くらいに時間が空くと、ふと考えてしまう。これって、私じゃなくても大丈夫なんじゃない? というか、私じゃない方が良いんじゃない? そんなことが、頭に浮かぶ。
 
メーカーの営業職として、現在の会社に勤めて5年目になった。担当している得意先は、有り難いことに良い人が多い。特に大きな問題もなく、至って平和にスムーズに、商談や取引を進めることができていると思う。大きくてインパクトのある結果を残しているわけではないが、与えられた予算を大きく落とすこともない。
 
そう、いわゆる、「普通」。私は至って「普通」なのだ。
 
良く言えば、平均的に、割となんでもこなすことができる。
逆を言えば、突出した何かがない。得意なものや、秀でているものが、ない。
偏差値でいうと、55くらい。テストの点数でいうと、70点くらいだろうか。
要するに、器用貧乏なのだ。
 
時間が空くと、毎回この考えに行き着く。
そして、絶対に私じゃなければいけない何かって、なんだろうなぁと考える。それが見つかれば、存在価値が見出せる気がするのに。いや、きっとそうだ。そうに違いない!
でもそれさえも思いつかなくて、考えても考えても何も出てこなくて、自分のことなのに何も浮かばなくて、そして冒頭に戻る。さて、私の存在価値とは、一体なんなのだろう。
 
決定的な何かはないのだが、こうしてジリジリ、少しずつ、自己肯定感は下がっていくのだ。
自己肯定感が低いのが、私の通常だ。低いからどうこうあがくわけでもなく、ただこれ以上、低い自己肯定感が下がらないようにだけ気を付けて日々を過ごすだけなのだ。

 

 

 

ある日、社用パソコンの容量がパンパンになってきたので、メールや書類データの整理をした。入社以来、マメに不要なデータを削除していたつもりだが、それでも結構溜まっているものだ。まずはメールから削除していく。
 
一定数のメールを選択、削除、選択、削除……を、ひたすら繰り返す。繰り返していく中で、ひとつのメールが目に留まった。人事からきていた「360度評価フィードバック」というタイトルのメールだった。
 
現在はもう廃止になっているが、私が勤務している会社には、半期ごとに「360度評価」というものがあった。半期に一度、賞与前に上司と面談をおこなう。それとは別に、上司以外の、普段一緒に働いている同僚によって自分を評価されるのが「360度評価」だ。
自分も他人を評価するが、普段の言動も周りに評価されている。ネガティブな私は「周りがみな敵に見えてしまう」と思ってしまうくらいには、少々ストレスに感じる制度ではあった。仕事をサボっているわけではないし、手を抜く気もないし、同僚が嫌いなわけでもない。だた、常に誰かに評価されていると思うと、なんとなく肩に力が入ってしまうというか、居心地が悪くなるのは私だけではなかったと思う。
 
それともう一つ、360度評価の他に「ありがとうコメント」というものがあった。
「ありがとうコメント」は最大5人までに伝えることができる、文字通り「ありがとう」と日頃の感謝を伝えるものだ。ただし、匿名でのコメントになるので、誰が自分にそのコメントを送ってくれたかはわからないようになっている。
 
ああ、こんな制度もあったっけなぁ。懐かしいなぁ。そんな思いで添付ファイルを開く。360度評価の結果も、やっぱり平均値だった。可もなく不可もなく、今と同じ。果たして私はこの当時から成長しているのだろうか。自己肯定感が、また数ミリ下がる。
 
ありがとうコメントも、いくつか貰っていた。なんとなく、内容や文体で、誰からのコメントなのかがわかる。さすがにこれは、自己肯定感が下がらない。コメントを貰っているのは過去の私だが、読んでいて悪い気にはならない。常に低空飛行だった私の自己肯定感が、右肩上がりでぐんぐん昇っていく。まるで成長期。単純なのだ。
 
人に褒めてもらうのって、簡単に自己肯定感を上げることのできる一つの方法だと思う。私も自己肯定感が下がり切りそうな時は、よく「褒めて!」と人にお願いをする。ある時は、友達と飲みに行き「自己肯定感をあげる会」と称し、お互いの良いところだけをひたすら列挙し、褒め合う。ある時は、会社の先輩を呼び出し、「私の良いところ順番に挙げてもらっていいですか」とお願いする。めんどくさい後輩だなぁ……というのが先輩の顔に出てしまっていることに関しては、徹底的に無視を決め込む。とにかく褒めて! 私の自己肯定感を上げて! と心の中で叫びながら、無理やり先輩に褒めてもらう。自己肯定感が低い人ほど、承認欲求が強いんだよなぁ、と他人事のように感じる。
 
どのありがとうコメントも有り難いものだった。そして誰が書いてくれたかがわかるから、読んでいて少しクスッとなることもあった。
 
その中に一つだけ、誰からのものかわからないコメントがあった。
でも、そのコメントが、今の私の胸に一番刺さるものだった。

 

 

 

「居てくれて、ありがとう。存在に、いつも助けられています」

 

 

 

「居てくれて、ありがとう」かぁ……。
業務時間中だったが、少し手が、思考が、止まってしまうくらいの衝撃だった。なんなら、泣いてしまいそうになった。
 
居てくれてありがとう、なんて。この私の、存在自体に感謝をしてくれている。そんなことがあるのか。生きていて、こんなに嬉しいことがあるのか。こんな最高で、最強の感謝の言葉があるのか。
 
居てくれるだけで良い。そういう存在って、家族、友達、恋人くらいのものだと思っていた。彼らは多くの時間、私がプライベートで接する人々だ。彼らが困っていたら無条件で助けたい。そういう存在のことだけだと思っていた。
 
会社の同僚は、当たり前だが仕事を一緒にする仲間だ。プライベートで一緒に出かけたり、仕事終わりに飲みに行ったりもするが、きっと会社を辞めたら会うことはなくなるだろう。同僚のことは好きだ。辞めても友達として付き合える人も、何人かはいるだろう。しかし、冷たく聞こえるかもしれないが、同僚は同僚でしかないのだ。「一緒に仕事をする仲間」という関係でなくなれば、その関係は自然に消滅してしまうものだと思う。現に、私は前職の同僚と始めこそ連絡を取り合っていたが、今ではそういうことは皆無だ。
悲しいけれど、会社の同僚って、きっとそういうものだ。
 
そういうものだと思っていた。今でも思っている。
でも、「居てくれて、ありがとう」。私に対して、こう思ってくれている同僚がいるだなんて。秀でた能力は何もないし、優秀な成績を残しているわけでもない。かといって、何か大きな失敗をやらかしているわけでもない。漫画だと、モブだ。映画に出演したとすると、エキストラでしかない。名前がない、居てもいなくてもあまり支障はない、当たり障りのないポジションの人間だ。私って、そういう存在だ。と、思っていた。このコメントを読むまでは。
 
私の存在に対して、ありがとうと言ってくれる人がいる。助けられている人がいる。
私はモブで、エキストラで、決して主役ではない。何をしても、たいていのことは出来てしまうし、苦手なことも、そんなにない。その代わり、パッとしない。器用貧乏という言葉が似合う、どこにでもいそうな人間だ。そんな自分がコンプレックスだった。故に、自己肯定感は低いのが常だった。
 
これでいいのか? もしかしたら、何か秀でているものがあるんじゃないか? 今まで見つけられていなかっただけで、何か光るものが私にもあるんじゃないか? それが何なのかは、わからないけれど。私になくて他の人にはある、秀でたものをそろそろ自分にも見つけないと、いつまでも変わっていない私のままじゃないのか……?
 
そんなことをグルグル考え、自分の存在価値ってなんなんだろうと考え、自己肯定感が低くなり、勝手にしんどくなっていく。低くなった自己肯定感を上げるために他人に頼り、無理やり元の状態に戻す。
 
でも、そんなことしなくてもいいのかもしれない。
「何か」がなくても、私は私だ。
 
主役を引き立てるには、モブもエキストラも必要だ。
脇役がいなければ、主役は目立つことができない。
 
私はこれでいいんだ。今のままで、いい。
無理に変わろうとしなくていい。
 
私もちゃんと、感謝は伝えていかないといけないと思った。言葉や態度で示さないと、相手にはなかなか伝わらない。伝えられた相手は、こんなに嬉しいのだ。自己肯定感が低くなくとも、悪い気はしないし、自己肯定感はさらに上がる。良いことしかないじゃないか!
 
こういうのが連鎖していくと、世の中もっと平和で、思いやりに溢れた世界になるんだろうなぁ。なんて、壮大なことも考える。
壮大なことは考えるが、私はモブなのだ。だから、まずは自分の周りでそういう連鎖が起こるように、私から始める。「ありがとう」を伝えることを、始めるのだ。
 
「居てくれて、ありがとう」という言葉を私に送ってくれた人が誰なのかは、いまだにわからない。数年前のことだし、人事も開示はしないので、これからもわかることはない。この人かな、と想像することしかできない。答えは出ない。
それでも、誰かはわからないけど、私の存在を肯定してくれたあなた。ありがとう。何もない私だけれど、存在しているだけでいいんだと誰かに思ってもらえているという、その事実だけで、今まで低かった自己肯定感のアベレージが、少し上がった気がする。
 
最強のパワーワードを私に送ってくれて、本当にありがとう。
これからもそう思ってもらえるように、ありのままの私で働いていこうと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
川端彩香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

兵庫県生まれ。大阪府在住。
大阪府内のメーカーで営業職として働く。2021年10月、天狼院書店のライティング・ゼミに参加。2022年1月からライターズ倶楽部に参加。文章を書く楽しさを知り、懐事情と相談しながらあらゆる講座に申し込む。発展途上。

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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