週刊READING LIFE vol.156

手帳で見つけた自由のあり方《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》


2022/02/08/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
金曜日の夜遅く、私は手帳を開きため息をつく。
またこんなにやるべきことが残っている。一生懸命遅くまで働いているのに、なんでこんな状態なのだろう。手帳に書かれたTO-DOリストは何日も前から未消化で繰越された項目もあり、かなり長いリストになっていた。
今週末も事務所で一人、このリストを消していく作業をしなければならない。そんなことを思いながら手帳を閉じ、とりあえず帰ろうと席をたった。
 
今日はもう疲れた。
「どうせ休みを返上して仕事をするのだから、今日無理をして頑張らなくてもいい」
帰ることの言い訳をした。
 
その頃は、毎日疲れていた。独立して好きな仕事を自分の裁量でできるはずなのに、とてもそんな状態ではなく、とにかく何かに追われていた。
友人にいつ休みをとっているのかと聞かれ、日曜日はお休みだと答えるが、実際はあまり休んだ気になっていない。仮に事務所に行かず家にいたとしても、この長くなっているリストが気になって気持ちが休まらなかった。
 
独立して初めの頃は、希望に燃えていて、忙しいこともなにも苦にならかった。
「仕事があってよかった、忙しいこと万歳!」
心の底からそう思っていた。そして、暇だったら大変なことで、仕事のないことに焦りを感じながら仕事とるための努力の日々が続く。それこそ全く休んでいられず、ただただ動き続けてチャンスを掴むまでだ。そんなことを繰り返しながら、仕事漬けの毎日を誇らしいとさえ思っていた。
 
少しずつ仕事の流れができてきて、いくつかのプロジェクトが同時に動くようになってくると、今度はタスク管理をしなければならなくなる。プロジェクトの進行状況をみて、スケジュールに合わせて打ち合わせを組み、物事を決めていく。もちろん、仕事のチャンスを掴むための努力も必要だ。今でこそ雑務であると思われる「私じゃなくてもできること」も、代わりにやってくれる人もいないわけだから、それらも自分でこなさなければならない。
 
あとひと月で今年も終わる。そんな師走のある夜だった。
その年、私はいくつかのミスをしていた。さらに、年の後半は思うように仕事がとれていなかった。そして、手帳を閉じて一晩たってもリストは勝手に短くはなってはくれない。
一人夜遅く事務所にいれば、全く明るい気分になれず、ちゃんとできない自分を責めるばかりだった。そんな状態だからなおのこと仕事ははかどらず、やることなすこと負のスパイラルに陥っていくような気分を味わっていた。
 
仕事もはかどらない中でぼんやりと、来年どうしていこうかと考えていた。
「そうだ、もうそろそろ手帳を更新しておかないと。来年の予定も書き込んでいかないといけないし」
急にそんなことを思い立つ。
その時の私の手帳はA6サイズのものだった。見開きで1週間の予定を見ることができ、1日の予定の欄は7時から22時までの時間で区切られている。いわゆる週間バーチカルタイプと呼ばれるものだ。小さな手帳には書き切れないTO-DOリストは大きな付箋に書き込まれ、見開きのページに貼り付けられていた。もう何年も同じ手帳を使っていたが、その年のあまり良くない状況を忘れたいということと、この付箋をなんとかしたいという気持ちで、新しいスタイルの手帳に変えてみようと思った。
 
インターネットで手帳を検索する。手帳にも大きさやスタイル、さまざまなタイプのものがある。そして、その手帳の使い方についても情報が出てきた。世の中の人がどんなふうに手帳を活用しているのか、私は初めて意識してその中身を見た。手帳の活用術に関する本もあることがわかった。手帳を活用して夢を叶える、目標を達成するという言葉も並ぶ。そこには、今まで私が考えていた手帳の使い方とは全く異なる世界が広がっている。その時の私の手帳の使い方は、「誰かとの予定や約束を忘れないためのメモ」という程度のものだった。そして、TO-DOリストは自分がしなければならないことを忘れないために貼ってあっただけだったのだ。あまりにも驚いて、早速私は手帳活用術に関わる本を数冊購入した。
 
後日それらの本が届き、開いてみる。さまざまな活用の仕方が書いてあったが、共通して書かれていたことは、手帳を使っていかに時間を定量的に「見える化」する必要があるかということだった。それは同時に行動の「見える化」にもなる。そうすることで、時間をコントロールすることが可能だというのだ。私はそれらの本を通して、24時間すべての時間を何に使うのか明確にすることができるということを感じた。例えば、打ち合わせの予定を書き込む場合、打ち合わせにかかる時間をあらかじめ想定し、そのための前後の移動の時間も確認する。そして、事務所を出る時間、戻ってくる時間も書き込む。そうすることで、他のことに使える時間が見えてくる。それをバーチカルタイプの手帳に書き込むことで、より、視覚的に残りの時間が見えてくる。そして、残りの時間に何をするのか、そのために必要な時間の長さを決めて、さらに書き込んでいく。
 
考えてみれば、社会に出るまではある程度、時間と行動の「見える化」が知らずに行われていた。小学生、中学生、高校生の時は授業の時間割があり、その時間割で学校での時間は完全に「見える化」されていた。学校を離れても、習い事や塾などの時間が決められていたり、夕食や入浴、就寝時間という生活ための時間も子供の頃はなんとなく決まっていた。その時間に何をすればいいのか決められ、それを実行していればある程度困らないようになっていたのだ。
大学生になると、少し自由な感じになって、自分で決めていかなければならない部分も増えていった。しかし、受ける講義の時間は決まっていて、残りの時間は「しなければならないこと」で埋められていない。若い頃特有の「何をするでもない時間」を過ごしてきた人も多いだろう。時間の長さと行動を気にするなんて、少なくとも私はそんな大学生ではなく、気ままに過ごしていた。そんな無計画な過ごし方だったから、レポートや課題を徹夜して仕上げるということもしばしばだったが、それでもそんなに困ることもなかったのだ。
 
私は、独立して初めて誰かが作った時間割から解放された。自由を得たのである。しかし、それは時間割のある生活に慣れてしまっていた私にとっては偽りの自由だった。誰かが作った時間割はなくなったが、代わりに自分で時間割を作る必要があったのだ。
 
早速、新しい週間バーチカルタイプの手帳を購入し、予定を書き込んでみる。行動が書き込みやすいようにひとまわり大きなA5サイズのものにした。
お客様との打ち合わせの予定を、移動の時間も含めて書き込む。そのために準備の時間をどこに設定するのか考える。手帳を開けば、どの日のどこの時間帯がどのくらいが空いているのかすぐにわかる。TO-DOリストはなくなって、行動は時間の枠の中に組み込まれていった。まさに自分で時間割を作っていく作業だった。特に外出の予定がなければ、事務所の中で自分がどのように行動するのか、それを実行する日時も一緒に決めていけばいい。
 
こうやって自分の行動と時間を決めていくと、リストに載せられていた「やらなければならないこと」は、どこかの日のどこかの時間の中にすっぽりとおさまり、その時がきたら実行されていった。
 
全てが解決したように思えた。
TO-DOリストの項目がいつも目の前に残っていて、何も実行できないのではないかという気持ちにも襲われることもない。なかなか項目の減らないリストを見て、自分が無能だと思うこともない。そもそも、リストが存在しないのだ。
 
ところが、少し経つと問題が起きた。いつの間にか、実行できずにいるTO-DOリストが手帳の余白に出現したのだ。
結局、自分で作った時間割通りになんて行動できないじゃないか。私は再び、自分がうまくできないことに落ちこんでしまった。
 
なぜ、時間通りに実行することができない、ということが起こったのだろうか。
振り返ってみれば、原因の一つは、私自身がその行動にかかる時間を少なく見積もってしまうことにあった。時間になってもその行動が完了することができないと、未完了のまま次の行動に移すか、または次の行動を別の時間で実行するように調整するしかない。そんなことを繰り返していると、実行されず溜まってくる項目がでる。
これを解決することはそんなに難しいことではない。自分が思っている時間より長めに時間設定をすればいいのだ。もし、早く終わったら行動を前倒しにすればいい。
 
しかし、原因はこれだけではなかった。
もう一つは、自分が集中して実行しようとしている時、その時間を使いきれていないことが原因になっているようだった。簡単に言えば、行動を邪魔されてしまうということだ。一緒に働く人が増えてくると、話しかけられたり、相談を持ちかけられたりすることが増え、そのことに時間を使うことが多くなる。また、プロジェクトが増え関わる人が増えれば、外部からの電話も入ってくるし、緊急の対応も必要になる。
 
自分の中に原因があれば、自分の考えを変えれば改善できるが、人が関わることであると、自分だけでは改善できないのではない。
こうなったら、私がどう行動しようとしているのか、一緒に働くスタッフに考え方を話すしかない。
私は丁寧に、私が事務所にいる時間の過ごし方についてスタッフに説明した。そして、社内打ち合わせの時間以外の相談や確認については、初めに私の予定を聞いて欲しいとお願いした。緊急事態でない限り、大抵の場合は、やりくりした時間の中で対応するのでも十分仕事は滞りなく進んでいく。外部からの連絡についても同様で、事務所での行動を優先したい場合は、その時に対応するのではなく時間を別に見つけて折り返すことにした。
時間の使い方について話をすると、スタッフも自分たちの行動を見直すきっかけになったようだった。当然、私もスタッフの時間を邪魔しないように、急ぎの時でなければ、お互いの行動を尊重するように声をかけた。
 
この2つの原因を改善した時、やっと自分の時間割を決めているという自由を感じることができた。自分の考えるままに行動することができるようになったのだ。そして、なによりそのことで、「何もできていないという」否定する気持ちが起こらなくなったのだった。

 

 

 

動物の中で、人間だけが時間に縛られていると言えるだろう。他の動物は時計をみて時間を考えて行動をしない。基本的には日々の時間に縛られていないのだ。自然の中で流れている時間を感じながら、太陽の光と自分の本能のままに行動し、生きている。
 
人間は時間に縛られて窮屈なのだろうか。
時間が人間を縛っているというより、時間は一つの枠を決めていると考えてみる。
人間は時間という概念があるからこそ、その中で自由になることを望んでいる。そして、縛られている、枠があるからこそ、その中で成し遂げたことで感じる感覚、達成感など、他の動物が味わうことのない感覚を味わうことができるのかもしれない。
もし、時間に縛られて窮屈だと感じているならば、それは自分の時間を生きていないからではないだろうか。
 
私は時間を自分でコントロールする方法を、少しずつ身につけてきた。時間と行動を自分の思うようにできた時、何もできないという状況から抜け出し、ちゃんとできるという自分を取り戻すことができた。
まだ、全てが思う通りになるわけではない。でも、少なからず、どうやったら自分の時間を取り戻せるか、つまり自分を取り戻すことができるかを知っている。時間と行動を「見える化」できる手帳は私の自己肯定感を支えてくれる大切なツールなのだ。
 
時間と行動、それはいつも対である。でも、この行動とは「何かをする」ということだけではない。実は「何もしない」、つまり「何も予定を入れない」ということもあるということだ。時になにも予定を決めず、朝起きて気の向くままにしたいことをする、もしくは本能のままにそこに佇むだけの日も必要だと思う。時間の枠を知っているからこそ、もっと動物的に、ただ生きていることを楽しむのもいいことだ。
そんな本能的な行動も含め、どんな時も、自分の行動を自分で決めているという自由の実感が何よりも大切だと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。何かを書き続けられるのであれば、それはとても幸せなことだと思う日々を過ごしている。

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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