週刊READING LIFE vol.157

受胎《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》


2022/02/14/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
妊娠検査薬にロクな思い出がない。
 
だいたいコレを買って使う時には、100発100中なのだ(そんなに何度も使ったことはないけど)。そして、いつだって、ちょっとためらうようなときにソレを使わなければいけない。
 
お盆は明けたけど、夏はまだまだ居座るようだ。
ひどく暑くて、だるい。
でも、このだるさは、やっぱり暑さだけが原因ではなかったみたいだ。
 
テレビをつければ連日オリンピックの報道も過熱している。そう、この時期にいわゆるつわり、という症状が出る。あからさまに動けないわけではないけど、なんとなく胃の底がモヤモヤして違和感がある。私の生物的な本能はそう鈍ってはいないらしい。
 
モヤモヤしたまま何もしないわけにいかないから、重い足取りでドラッグストアに行って妊娠検査薬を買ってくる。
 
検査薬、といっても、細長い電子体温計のような形をしていて、先っぽに吸収体がついている。そこに尿をかけて、その吸収体が吸い上げて検査窓から陽性陰性が分かる仕組みだ。通常1分ほど待つように指示されるけど、自分のモヤモヤした気持ちとは裏腹に、陽性のサインはさっさと現れる。
 
現代の受胎告知はなんだか味気ない。
 
3人目の妊娠は特に重苦しかった。最後の妊娠から4年になろうとしていた。長女が幼稚園に通うようになって、いよいよ本格的に自分のやりたいことをしていこうと先のことを思い描いていた矢先だった。それに、私は、子育てが得意だとは言えない。2人の子供と過ごすのも精一杯だった。
 
頭の中の人生すごろくが、“振り出しに戻る”で止まってしまったような、なんとも複雑な気持ち。
 
長男が妊娠した時も、長女が妊娠した時もそれぞれにモヤモヤを抱えていた。長男の時には、広島に移住して初めてできた仲が良い友達が流産してひどく落ち込んでいる時だった。当然、その縁は切れてしまい、一人ぼっちで子育てしていくのか、と、暗い気持ちで日々を過ごしていた。
 
長女の妊娠は、もう、次子をあきらめていたタイミングでやってきた。兄弟がずっとほしいと思っていたけど、長男が幼稚園に入り、出産以来、初めてできた自由な時間が楽しくて、もう一人っ子でいいか、と区切りをつけてスッキリしていたから、今更かあ、とちょっと重苦しかった。
 
その上さらに3人目……。私は、初期の子育てで、神様との宿題を何かし残したのだろうか……。男の子と女の子を一人ずつ育てたし、完全母乳、布おむつで、色々なプロの力も借りて子供達のケアもしてきた。自分が努力できる限りのことはしながら育ててきたハズ。
 
けれども。
 
今回も妊娠検査薬の表示は、あっさりと陽性を示していた。
 
モヤモヤしたまま連絡してしまったからだろうか、母親に連絡をしたときに、
 
「38歳で妊娠するなんて信じられない。もうやめておきなさい」
 
という言葉が返ってきた。耳を疑った。確かに、戸惑っていたけれど、どうにかやっていこうと自分の中で説得をしようと思った時に言われた言葉がひどく心に刺さった。
 
母が、私の身体を何よりも心配していたのだ、ということも、もちろんわかっている。
 
でも、そんな勝手な都合で命をあきらめる、あきらめないというやり取りになるのが信じられなかった。モヤモヤしている時点で五十歩百歩かもしれないけど、それでも……。さらに母は、続けた。
 
「今回、出生前検査で問題があったら、もう面倒を見に行かない」
 
そう言われた。
 
以前から、母は、私が妊娠するたびに出生前検査をするように勧めてきた。血液検査で、胎児の一部の異常がわかる可能性があるという何とも微妙な検査だ。
 
「私の時代にそんなのがあるなら、絶対にやってる」
 
最初の妊娠の時に言われた母の言葉に無性に腹が立った。私は母から生まれてきたのだ。じゃあ、なにか、お母さんは、私が異常かもしれないという可能性があるだけで、あっさり、私のことを殺したのか? と、母の無神経な発言に心底腹が立った。でも、そんなことを言ったってわかってくれる人ではない。全ての言葉を飲み込み、絶対にしない、とだけ強く言って、電話を切ったのを覚えている。
 
でも、今回は、さすがに母に面倒を見てもらわないと回らないということも分かっていた。脅迫された状態で、逃げ場がない。なおかつ母の言葉が無性にムカついて、
 
「子供だって、我が家のことを分かってお腹にやってきているハズだから、まさか、そんな検査引っかかるわけない」
 
心の中で啖呵を切って、その検査をすることにしたのだ。
 
結果、その検査は「要再検査」で、さらに衝撃を食らうのだった。
 
「だから、しない方がいいって言ったのに」
 
かかりつけの産婦人科医は、ちょっと眉根を寄せて言った。
 
「あのね、この検査は、母体の年齢が上がってくると、ひっかかりやすくなるんだよ。だから、あなたは引っかかっているかいないか、と言ったらひっかかっている。けどね、あんまり気にしない方がいいと思うんだよね。それでも、精密検査を受けるなら羊水を取って調べることになるから、連携している病院紹介するから」
 
ホントに、余計な検査なんてしない方がいい、ひとたび引っかかったとわかったら、私だってやっぱり気になる。モヤモヤしっぱなしで、精密検査を予約するんで紹介状書いてください、としょぼくれながらお願いしたのだった。

 

 

 

大きな病院は、待ち合い時間が長い。冷たい廊下で壁についているモニターは、受付番号が表示されている。プライバシーを守るためなんだろうけど、自分が名前を失って数字で動くアンドロイドにでもなったような気分になる。
 
待合室に人はまばらなのに、待てども暮らせど順番は回ってこなかった。
 
ワイドショーのテレビの場違いな笑い声や、廊下を渡っていくワゴンの車輪の音が鳴り響いているのをぼんやりと聞きながら待つ。
 
30分ほどたってからカーテンで仕切られた部屋に通された。
 
「今日は相談でしたよね」
 
女性の先生が落ち着いた声で私のことを見つめた。
 
結局、紹介状を受け取ったときにやっぱり迷っているという旨をかかりつけ医に相談したところ、「とりあえず話を聞いてみることもできるよ」と言ってくれた。先日よりは言葉も柔らかで少しホッとしたのだった。
 
「この検査は、聞いているかもしれませんが、特定の症状の可能性しか調べることができません。しかも、確率しか出てこないので、どのくらい可能性が高いかとかもわからないし、外れる可能性も高いの。ただ、羊水を取って検査すれば、高い確率でわかるようになります。それから、目的の症状以外の障害については、調べることはできませんから、この検査をクリアしても障害なく生まれてくるというわけではありません」
 
そこで、先生は一呼吸して私のことを見た。私はゆっくりとうなずいた。
 
「私はね、検査をするしないについては賛成も反対もないの。本当に必要だと思えば、検査をすればいいと思うし、必要ないという人はそれでいいと思う。でもね……」
 
私個人的な意見だけどね、と前置きをして、彼女は続けた。
 
「障害がない子だって育てていたら、大変なことだってあるでしょう? 毎日ずっとは笑って過ごせないよね。逆に、障害を持っている子供が生まれたとしても、これから先、人生お先真っ暗で一生不幸ってことはないと思うの。もちろん、ずっと寄り添っていかないといけないのはあなたや家族だけど、やっぱり自分たち次第、なんじゃないのかしらね」
 
大病院の先生からそんなことを言われると思わなかったから、少し驚いて先生をまじまじと見つめた。
 
「ホントに、その通りだと思います」
 
「それにね、せっかく意を決して羊水検査をして、結局異常はなかったけど、それで流産してしまったっていう人もいるしね、こちらとしても、とても複雑な時があるのよ」
 
慎重に言葉を選びながらも、先生がひとつでも多くの命を救いたいと願っていることがヒシヒシと伝わってきた。
 
結局、私は羊水検査を受けることなく、産む決意をした。母には、検査はしたけど、問題はなかったと貫いた。最初からそうすれば悩むことはなかったけど、日々、命と真剣に向き合っている医者がいるということを知ることができたから良い機会だったなと思っている。
 
38歳での妊娠は以前の2回の妊娠と比べて、周りの反応も印象的だった。自分が特に子供がほしいということを意識したことがなかったから、40歳前後の妊娠ってホントにラストチャンスなんだなということ実感したのだ。
 
妊娠した、ということを伝えた時に、「羨ましいなあ」と言われることも多くて驚いた。実は、流産したからあきらめたとか、不妊治療をしようか悩んでいたとか言われて、その友達たちの目の奥にあきらめと羨望の揺らぎを見つけることもあった。
 
自分が3回目の妊娠にモヤモヤしているということを迂闊に口に出したら、人を傷つける可能性もあるんだということに気づいて、自分の不用意な言葉に後悔したこともある。
 
たった一度のほんの小さな受胎をめぐって、人の子どもを持つことに対する想いや執着、喜び、諦め、不安など様々な感情が渦巻いては消え、消えてはまた渦巻いていく。
 
人の色んな思いを知ったとしても、自分自身が不安をぬぐって、頑張っていこうと前向きになれるわけではなかった。モヤモヤを抑えるというのはやっぱり難しい。胎教というものが本当に存在するならば、とてもコンディションが悪い胎教をしてしまった自信がある。
 
そんな沢山のモヤモヤを繰り返しながら出産を迎えた娘ももうすぐ5歳になる。泣いても笑っても生まれてしまえば日常。相変わらず子育ては苦手だなと思いつつも私なりに家族と向き合っていて、反省することばかりだけど、どうにかこうにか暮らせているから、まあ、頑張っているのかなと自分をなだめすかしながら過ごしている。
 
それでも、末っ子が生まれた時に、結局引っかかった検査の症状もなく、元気に生まれてきてくれて、あの時にあきらめたりしなくて心底良かったし、今までの経緯があったから、ただ毎日起きて呼吸して生きているということが、ただただ奇跡なんだ気づいた。年齢が大きくなれば大きくなるほど沢山の要求をしてしまうけど、ホントはただただみんな元気で生きてくれればいいんだというところに改めて立ち戻ることができた。それがわかっただけで、彼女が生まれてきた意味はあったなあと思っている。
 
3人の子供達のうち誰か一人でもいない生活なんて考えられないし、彼らと過ごすこれからの人生も大切にしていきたい。
 
子供達は、私にとって最適なタイミングで、沢山の課題と気づきを与えてくれるために私のもとにやってきてくれたと今は確信している。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分が好きなものや人が点ではなく円に縁になるような活動を展開。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、身の上に起こったことをネタに切り取って昇華中。足湯につかったようにじわじわと温かく、心に残るような文章を目指しています。

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2022-02-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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