週刊READING LIFE vol.157

最後の最後に自分を信じられる子供に育てるための教育方法《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》


2022/02/14/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
私は仕事で障害者の就労支援に関わっている。
その中でも精神障害を持った方たちと話しをする機会が多い。
 
精神障害と言うと一般的には鬱をイメージする人が多いかもしれないが、パニック障害や不安障害、適応障害なんて言葉も最近では知られるようになってきた。
 
いずれも本人たちにとっては非常につらい症状なのだが、脳や心の働きに関わる病気のため、周りからは見えづらく、当事者が抱える痛みや苦しみを周囲の人が気付いてあげることはとても難しいのである。
 
そんな辛さに寄り添うことが私たちの仕事である。しかし、どんなに寄り添ったところで、最後は自分で何とかするしかないというところがあり、その限界も私たち支援にあたる人間は痛いほど感じているのだ。
 
精神障害に関しての誤解の中に「心の弱い人がかかる病」というものがある。しかし実際のところ「心の強さ」というは殆ど関係がない。どんなに心が強いと思っている人でも、精神障害になってしまうことはある。
 
例えばオリンピックで23個の金メダルを取った世界最強のスイマーと言われたマイケルフェルプス選手も、長い間鬱病に悩まされたと告白している。おそらく一般人には想像もつかないようなハードなトレーニングを行い、強いプレッシャーとも戦うためにメンタルトレーニングも余念がなかったはずだ。少なくとも一般人に比べたら遥かに自己コントロール力に長けていて「心の強さ」を持っていたはずである。そんな選手でも心を病んでしまうのだ。
 
他にもオリンピック選手やプロスポーツ選手が引退したあとに精神を病んだという話しは枚挙にいとまがない。また現役の選手であれば「イップス(イップス症状)」と呼ばれる特定の状況になると途端に恐怖心が生まれ自分本来の動きが全くできなくなる心理状態になることもある。
 
これは一般の人でも「適応障害」という診断を受けることがあるが、症状としてはそれに似ている。
適応障害とは、特定の環境の中にいるときだけ激しい気分の落ち込みや倦怠感、逃避行動をとりたくなく症状のことで、昔は「新型うつ」と呼ばれているときもあった(症状の分類に関しては様々な見解があるため、必ずしも「新型うつ=適応障害」というわけではない)
本来「鬱状態」とは、何をしても常に気分の落ち込みが激しく晴れやかな気分にならない症状のことを言うが、適応障害は特定の環境(例えば仕事中)にだけ「鬱症状」を発症する状態である。
 
このように人間の脳と心は非常に複雑で繊細な構造をしていて、環境からも大きな影響を受けており、個人の努力だけではどうしようもない部分が存在しているのである。
 
しかし、精神障害を発症した方の中でも段々と症状が落ち着き、精神の状態が回復していく人達がいる。そういった人たちの様子をみていると、共通点として自分を信じる気持ちを持てているかどうかだと感じることがある。どんなに気分が落ち込んでいたとしても、最後には「自分は立ち直れる」「自分は大丈夫だ」と思えるかどうかが重要なのだ。
 
実はこの「自分を信じられるかどうか」は親の育て方にも強い影響を受けていることが発達心理学の研究から分かっている。私も子供のころから自分に対するコンプレックスは多いほうだったが、最後には「自分は大丈夫」と思えたことで救われたことが何度もあった。
 
この「自分は大丈夫」という気持ちには根拠があるかどうかは実は関係がない。とにかくただ漠然とそう思えるかどうかがとても大事なのである。
 
自分の話しで言えば、私は子供のころから太っていて、また勉強が全くできなかったので自分の体型と頭の悪さにコンプレックスを持っていた。中学生の時にはそれが理由で軽いいじめにあい、学校に行くのが嫌で仮病を使って休んだ時もあった。下手をすれば登校拒否になっていたのではないかと今でもたまに思い出すことがあるくらいだ。
そんな時でも親は「学校に行きなさい」など私に強制的な言葉をかけることなく、ただただ私も見守り続けてくれた。
 
思い返すと自分は親から叱られた記憶が殆どない。叱られたのは父親から2回、母親から1回だけ怒られたことは覚えている。さらに言えば親から何かを強制されてやらされたことや、禁止されたことももほとんどない。
 
普通の親なら子供が勉強もせずにゲームばかりしていたら「ゲームばかりしてないで勉強しなさい」と叱るはずだ。しかし私は本当にゲームばかりしていたが一度も「ゲームをやめなさい」「勉強しなさい」と言われたことが無かった。また子供がお菓子ばかり食べて太ってきたら、お菓子の食べ過ぎを注意すると思うが、私は全く食事に関して注意をされたことが無かったので、好きなものを好きなだけ食べていた。
 
その結果、勉強は高校を卒業したときには偏差値が24しかなく、また体重は中学生のときに100kgを超え学校一の肥満児になっていた。
 
なかなかこの状況を許容できる親は少ないのではないかと思うが、不思議なことに自分は親からこの件に関して一言も何も注意をされた記憶がないのである。
 
しつこいかもしれないがもう少し言えば、子供が不良になる可能性があることを許す親もおそらく少ないだろう。子供が悪い仲間とつるみ始めたり、煙草を吸い始めたら普通の親なら「うちの子供が不良になる」と心配し、悪い仲間との交友や煙草をやめさせようとするはずだ。
 
実は私は中学でも成績が悪かったので、それなりの高校にしか行くことが出来ず、周りにはいわゆるヤンキーと呼ばれる不良たちがたくさんいる高校に通っていた。そして学校が終わるとたまり場になっている友達の家に行って、煙草を吸いながら麻雀をするというのが日課になっていた。
そして煙草のにおいをさせたまま家に帰ったので、当然親も子供が高校生なのに煙草を吸っていること、そして悪い仲間と一緒にいるということに気が付いたはずである。
しかし、そんな時でも親から小言ひとつ言われなかったのである。
 
これだけ言うと「ネグレクト(養育放棄)」の親だったのではないかと疑われそうだが、そうではなかった。むしろ逆で私は両親ともよく会話をしていたし、自分で言うのもなんだがよく世話をしてくれる親だったと感じていた。そして私のことを尊重し、自由にさせてくれているのだと子供ながらに感じていたのである。
 
そんな自由奔放に育てられた自分が、それから数十年たった今では自ら勉強したいと本を読み、ビジネススクールに通って知識をつけようとしているし、健康にも人一倍気を付け煙草は一切吸わず、食事も気を使っているのだから自分でも驚く。
 
しかしここに至るまでには、受験で何度も失敗し、死にたいと思うほど自分を追い詰めたこともあったし、起業した会社を1年で潰してしまい、お金もすべて失い人生のどん底を味わったこともあった。正直精神的におかしくなりそうなときは何度もあった。
しかし、そんな中でも最後には「自分は大丈夫」という根拠のない自信だけがあった。状況的には最悪だと思えるときでも「大丈夫。自分は何とかなる」と感じられる自分がいたのである。もしこれが無かったら、自分の人生はもっと悲惨なものになっていたかもしれない。
 
実はこうした自分を最後信じられる気持ちには名前がついていて「ベーシックトラスト(基本的信頼感)」という。これは幼少期に親から信頼されていると感じた子供が持つと言われていて、自分自身を絶対的に肯定する力と密接な関係があるのだ。
 
話しが少しそれるが、最近テレビで大谷翔平選手の特番が放送されていて、それを見て驚いたことがあった。それは大谷翔平選手のお父さんは中学になるまで自分の子供に野球の才能があるとは思っていなかったというのだ。
現在ではメジャーリーグ最高の選手と言っても過言ではない大谷選手に、中学まで才能を感じなかったということに私は驚きを感じた。もちろん才能がまったくなかったわけではない。大谷選手は小学校でも全国大会に出場しているし、球速も小学生ながら時速100kmを超える球を投げていたというので、並みの選手ではなかったことは間違いない。
しかし、野球のリトルリーグで監督をしていたお父さんから見ると「他にもっとスゴイ選手はたくさんいたし、翔平だけが特別スゴイと感じることは無かった」と言っていたのだ。だから練習で特別視することは一切無かったそうである。
 
その代わりお父さんは息子に対して「野球が好きなら常に全力でプレーしろ」とだけ伝え、また交換日記を行い、息子の悩みに対して親身に応えてあげた。その影響もあり、大谷選手は野球の練習では一切手を抜くことが無く、もし自分がその日全力を出し切れなかったらお父さんとの交換日記の中で全力を出し切れなかったことを告白し、また全力でやることを誓ったのである。
 
私はこの話しを聞いたときにこのお父さんとのやり取りで大谷選手には「ベーシックトラスト」が育まれたのだと感じた。おそらくお父さんは息子をただただ信じていたのではないだろうか。誰かと比較するわけでもなく、野球で一番になることを強制することもせず、ただ息子を信じ「好きなら全力でプレーしろ」とだけ伝えることで、大谷選手は「自分は信頼されている」「自分は守られている」と感じたのではないだろうか。
 
実はこの真逆の例がボクシングの亀田興毅選手が話していた内容だ。
亀田選手はボクシングで3階級制覇を成し遂げ、ボクサーとしては輝かしい成績を残した。しかし、引退後のインタビューで「本当はボクシングは辞めたくて仕方なかった」と告白していた。お父さんが厳しく子供の時からボクシング以外やらせてもらえず、友達と遊びたかったけど世界チャンピオンになるためにボクシング漬けの生活を強いられていたそうである。結果的にはボクシングで世界チャンピオンになることができ、その苦労は報われたのだが、本人はそれでも辞めたくて仕方なかったというのだ。
 
私はもしかしたら世の中の親の教育は亀田家の方が圧倒的に多いのではないかと感じた。
もちろんここまで極端な教育をしている家庭は少ないと思うが、子供のやることに対して親が口を出している家庭は多いのではないかと思う。もちろん子供のためを思ってのことだと思うが、実はそれは子供の意志を尊重していないことになるので、子供は自分というアイデンティティを上手く育てることが出来ずに、ベーシックトラストを感じられなくなっている可能性があるのだ。
 
その意味で私は親から信頼されていると感じて育つことが出来た。太っていても勉強が出来なくても、煙草を吸っていても、不良仲間とつるんでいても、親は私のことを「信頼」し任せてくれていたのではないかと思う。それが子供には伝わり、「自分は大丈夫」「自分は守られている」と感じることができ、最悪の環境でも最後に自分を信じることが出来たのである。
 
今では私にも娘ができ、一人の親になったが、自分の子供には「ベーシックトラスト」を感じさせられるように育てたいと考えている。4歳の娘を毎日見ていると心配になることをたくさんある。
しかしそこで叱ったり、親がやってほしいことを強要してしまったら、子供は「自分は信頼されていない」と感じるようになってしまうかもしれない。
 
そうではなく子供を信頼し、子供には自由とそれに対する責任だけを教えてあげることが大事だと考えている。人間は泣いても笑っても最後は自分で現状を切り開いていかなければならない。その時に必要なことは、最後の最後で自分を信じられるかどうかなのではないだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
大手人材ビジネス会社でマネジメントの仕事に就いた後、独立起業。しかし大失敗し無一文に。その後友人から誘われた障害者支援の仕事をする中で、今の社会にある不平等さに疑問を持ち、自ら「日本の障害者雇用の成功モデルを作る」ために特例子会社に転職。350名以上の障害者の雇用を創出する中でマネジメント手法の開発やテクノロジーを使った仕事の創出を行う。現在は企業に対して障害者雇用のコンサルティングや講演を行いながらコーチとして個人の自己変革のためにコーチングを行っている。

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2022-02-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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