週刊READING LIFE vol.157

当事者意識が芽生え、他人事の壁を乗り越えられた先に得られたしあわせについて《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》

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2022/02/14/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 
いつもどんなニュースを見ても、遠いどこかで起きていて、私とは関わりのないことに思えてしまう。だから、いつまでたっても、いい年になっても、政治や経済についてもいまいちわかっておらず、選挙が近づいてくると、どうしよう、誰に投票したらいいんだろう? とか思ってしまう。お恥ずかしながら、大きな声では言えないけれど。
世界中で起きている災害や犯罪についても、そのときはニュースを見て心を痛め、なにかできることはないかな? と考えたり、少し募金をしてみたりすることもある。実際にボランティアに赴いたり、なにかしら行動を起こせる人を尊敬の眼差しで見つめ、私も行動しなくては! と思うが、でも、やはり自分事としては考えられず、他人事になってしまう。災害や、日々ニュースで目にする悲惨な事件も、いつ自分が当事者になってもおかしくないとは思うのだが、当事者意識がもてない。すべてが、どこか、遠いところで起きている、私の生活とは関係のないこと……。
そんなことではいけないと思いつつ、年を重ねてきてしまった。自分の仕事や生活で精一杯、それこそ自分自身の人生についてもままならないのに、人のことまで考える余裕なんてない。
 
しかし、そんな私でも、「これは私にしかできないことだ。私がやらなければ誰がやるのだ?」と、何かに突き動かされるように行動できたことがあった。そこに至るまでには、いつものなんでも他人事で「私よりもっとふさわしい誰かがやってくれる」という無責任な考えがつきまとい、なかなか行動に移せなかった。でも、その行動ができたことで、それからの人生の流れが変わったと思っている。
 
その私の人生の流れを変えてくれたのは、一匹のノラ猫と出会ったことだった。
たしか、おととしのゴールデンウィークが明けた頃、本格的に暑くなる前だったと思う。
日曜の昼頃、愛犬の散歩のために外に出た。
マンションが立ち並ぶ間の、狭い、車は通らない通りの真ん中に、茶トラの猫が横たわっていた。
死んでしまっているのかと思い、愛犬を抱っこして近づいていくと、しっぽが動いているのが見えて、死んではいないのだとわかった。
近づいて行っても逃げる様子はなく、愛犬の方が私の腕の中でバタバタと暴れ出したが、そのままその猫の傍らにしゃがんでも、それでも猫は逃げなかった。
毛がところどころはげてしまっていて、特に足の毛がほとんどなかった。痩せていて、汚くて。
逃げないのは、逃げる元気もなくて、死にそうなのかと思った。
なでてみたかったが、ノミやダニが愛犬にうつってもいけないと思い、触るのはやめた。
病院へ連れて行ってあげなくてはと、そのあとどうするのかも何も考えずに思い立ち、愛犬の散歩はひとまず中止し、家へ戻って犬のキャリーバッグを用意し、ドラッグストアでちゅーるを買ってその場に戻った。
戻ると、猫は道の端に移動していた。ちゅーるをあげたが一口なめただけでそれ以上は食べない。でも、そばにいても逃げる様子もない。
キャリーバッグへ入れようと、抱きかかえようとした途端、危険を察知したのかすごい勢いで逃げた。が、遠くへは逃げないため、何度か試みたが捕まえられなかった。まだ動く元気はあるようだ。
でも、痩せているようだし、どうにかしてあげないたいと思ったが、結局捕まえられなかった。
 
市内の猫の保護団体を探し、相談してみた。
捕まえ方は教えてくれたけれど、ノラ猫の捕獲はやっていないので手伝えない、捕まえられたとしても今は保護施設に空きもないので面倒はみられない、それに年も取っていそうな猫は飼い主も見つかりづらいから預かれない、自分で面倒をみてあげてください、とのことだった。他にも終生飼育をしてくれる施設について、自分が預かって飼い主を探す方法なども教えてくれたが、要するに保護団体ではできることはない、他の保護団体でも同じだと思いますよ、と。
 
そこで、やっと冷静に考えた。
捕まえて、病院に連れて行ってあげさえすれば、その病院代くらいは負担しようと思っていたが、あとは保護団体が引き取ってくれて飼い主を探してくれるものだと思い込んでいた。しかし、現実はそんな簡単なことではない。
保護するならば、そのあとの責任を取らなくてはいけない。自分で預かって飼い主を探すのか、もしくは自分で面倒をみるのか。しかし、我が家には犬がいる、そして狭いマンション。猫を飼えるような環境ではなかった。
ひとつの尊い命についての問題だ。簡単にはいかないし、軽く考えていいわけがなかった。自分の考えの甘さと、命の重さに、為す術がないと思った。
そこで、いったん諦めてしまった。いつもの、これは他人事、私ではなくて誰かがなにかしてくれるはず。私より猫に詳しくて、お金があって、行動力がある人なんていくらでもいる。
 
しかし、その日からその猫が気になって気になって、通勤時や犬の散歩など外へ出るたびに探すようになった。
最初に出会ったときより、思ったよりもよく動いていて元気なようだ。今までどのくらいの年数かはわからないがノラ猫として生きてきたのだから、生きていく術を身につけているはずだ。他にも数匹近所でノラ猫を見かけるが、みんなたくましく生きているようだった。ノラ猫にはノラ猫のしあわせがあるはず。
そう思って自分を納得させようとした。
しかし、なんだかモヤモヤとして、ネットでノラ猫についていろいろと調べたりするようになった。
ノラ猫に無責任に餌をあげるのはやめましょう、ノラ猫に餌をあげる行為は、ノラ猫として生きていく能力を奪うこと、また繁殖して不幸な猫が増える原因にもなる、ノラ猫の糞などで迷惑している家も多数ある、等々。
最初に無責任に捕まえようとしてしまったが、これからもごはんをあげたりして関わっていくと、また無責任なことを繰り返すことになってしまう。
結局なにもしてあげられないまま、夏本番になったのだが、本格的に暑くなった頃から見かけなくなってしまった。
どこかへ縄張りを変えたのか、それとも……。
心配したけれど、どうにもならない。いったん諦めたのだし、私がしてあげられることは何もなかったのだ。
 
しかし、まだ暑さが残るがだいぶ涼しくなってきた9月半ば頃、またそのノラ猫と再会した。
夏前に何度か会って、よく近寄っていたからか、ノラ猫の方から近寄ってきた。
犬を抱っこしたまま、猫のそばにしゃがんで猫を眺めていると、通りかかった人に話しかけられた。その人が言うには、噂だから真相はわからないけれど、数年前にこのあたりに住んでいた人が引っ越しの際に捨てて行った、それからずっとノラ猫生活をしている、近所の人が菓子パンをあげたりツナ缶をあげたりしているのを見たことがある、とのことだった。
そうか、悲しい運命をたどってきたけれど、気にかけてくれている人もいて、それなりに楽しく暮らせているのかな? だからこんなに人を怖がらないんだ、私が無責任に関わる必要はない、遠くから見守ろう。
 
しかしそう思いながらも、それからは、無責任にごはんだけあげるのはいけないとわかってはいたが、愛犬用に煮た鶏肉を少し分けてあげることもあった。
そうこうしてだんだん寒くなるにつれて、ノラ猫の元気がなくなってきた。もともと痩せていたけれどさらに痩せたようだったし、それに大好きな鶏肉をあげても、歯が痛いのかうまく噛めないようで、ほとんど食べなくなってしまった。細かく切ってあげるとやっと少し食べる程度だった。
10月末頃から急激に寒くなった。愛犬が定期検診のときに、いつもお世話になっている先生に、ノラ猫について相談してみた。体の状態や食べる様子を伝えたところ、口の中、歯なのか歯茎なのか何かしら問題があってうまく食べられないからどんどん痩せてしまっているのでしょうね、年もだいぶ取っているようですし、これから真冬になったらその体では冬を越すのは難しいかもしれませんね……、と。
 
その言葉を聞いて、いてもたってもいられなくなった。
きっと、このノラ猫は冬を越せない。猫は死ぬときは姿を消すとよく聞くから、私が猫の死を確認することはできないだろうけれど、冬になって猫の姿を見なくなったら、それはどこかで死んでしまったということだ。無責任に少しごはんをあげたりして、もしかしたら私がノラ猫として生きる力を奪うことに加担してしまったのだろうか。数年前からごはんをあげたりしている人がいるらしいとは噂に聞いたが、ごはんをあげている場面に遭遇することはなく、本当にごはんをもらっているのかも不明だった。でも、数年前からごはんをあげている人がいるとしても、結局はごはんをあげるだけで、それ以上のこと、飼い猫として迎えるとか飼い主を探すことはしてくれていないから、今もノラ猫として生きているということだ。
私はこのノラ猫のためにできることはないのだろうか。無責任に関わってしまって、寒さに凍えてひっそりと死んでいくのを、黙って見ているしかないのだろうか……。
 
何日も何日も悩んだ。
愛犬にも相談した。うちに猫が来たらどうする? 一人っ子でのびのび生きているのに、それは嫌だよね……。愛犬は少し首を傾げてじっと私を見ていた。
最後まで、愛犬のことを思って悩み続けた。でも、あのノラ猫を見殺しにすることはできない。
私が行動するしかない。私にしかできないことだ。もちろん、もっとふさわしい、たとえば広い一軒家に住んでいる家族とか、他にも猫を飼っているベテラン飼い主とか、適任な人はいくらでもいるだろう。もう少し待てば、そういう人が現れて保護してしあわせにしてくれる可能性もあるかもしれない。
でも、その前に死んでしまったら?
それならば、条件はかなり良くないけれど、我が家へ来た方が、死ぬよりはよっぽど良いのではないか?
 
そうして、保護を決行し、病院へ連れて行った。しばらく入院して、いろいろと治療を済ませて我が家へやって来て、1年と数ヶ月が過ぎた。
最初に捕まえようとしたときは勢いよく逃げたのに、保護したときは、もうそんな力も残っていなかったのか逃げようともせず、捕まえても暴れることもなく、あっさりキャリーバッグにおさまってくれた。あまりにも簡単に捕まって拍子抜けしたが、でもそれは、ノラ猫が我が家へ来ることを受け入れてくれたのだと、勝手に都合のいい解釈をしている。
私に与えられた使命なのだと強く思い、それは勘違いだったのかもしれないし、それが正解なのかもわからないし、それを確かめようもないのだけれど、でも、運命だったのだと、きれいごとのようだけれどそう思っている。
 
はじめて「私にしかできないことがある」と思い、行動できたことで、今までにない自信が持てるようになった。
私だって、やればできる、行動力だってある、と。
具体的にどこかどう変わったのか、人生の流れが変わったとは? と聞かれると困るのだが、でも自分で自分が信じられるようになったというか、もちろんまだまだ駄目なところは満載なのだが、「よい方向へ変わっていかれるはず」という思いがもてるようになった。
そして、愛犬と愛猫はまったく仲良くできず、というか犬の方が嫌がってなにかにつけてちょっかいを出しているが、猫の方はなにをされても怒ることもなく、達観した表情で、犬の届かない所へ登って、私と犬を見下ろしている。
 
泣いても笑っても、愛猫は近い将来、旅立つ。もちろん、いつかは愛犬も。
考えたくもないけれど、それはどうにもならない。
今までの愛猫の生きてきた経緯はわからないけれど、あの冬に寒さに凍えてひとりぼっちで死んで行くのではなくてよかったと、最期は私の元で安心して旅立てるように、残りどのくらいかはわからない貴重な時間をともに過ごしたいと思っている。
そして、泣いても笑っても一度きりの人生で、こんな貴重な体験やしあわせな時間をくれた愛猫に、もちろん愛犬にも、感謝をしてもしきれず、私はしあわせものだと心から思うのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田みのり(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)

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2022-02-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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