週刊READING LIFE vol.157

40代娘が母とお風呂に入って思うこと《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》


2022/02/14/公開
記事:izumi(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
母と一緒に、お風呂に入っている。
わたしは40代、母は70代だ。
 
これを読んでいるあなたは、一瞬頭の中にはてな? がいっぱい浮かぶだろう。
なんで? お母さんは、病気なのかしら?
もしかして、介護ではないか?
一緒に入る理由を、想像するだろう。
 
子供と母親が一緒に、お風呂に入るのを卒業するのは、一般的に小学生低学年から高学年にかけてが多いようだ。
早ければ、小学校3年生頃から、遅ければ小学校5、6年生で卒業するのではないか。
小学校で卒業するはずのお風呂に、まだ一緒に入っている。
この話を人が聞くと、ちょっと変わっていると思うかもしれない。
 
なぜいい年をしたわたしが、母とお風呂に入っているのか?
母は、病気ではなく、介護が必要なわけではない。
ただ母とわたしが、お風呂に入るタイミングが重なるという理由。
夜ご飯を食べて、テレビを見たり、本を読んだり、くつろいだ後が、お風呂に入るタイミングだ。
そろそろ眠たくなってきたし、お風呂に入っておきたい。
このタイミングで入らないと、寝てしまう。
タイミングを逃すと「うぅ……眠い。明日朝にシャワーを浴びよう」と考えが変わってしまう。
眠さに負けて寝てしまい、朝にシャワーを浴びることもある。
 
朝の忙しい時のシャワーは、大変じゃないのか?
特に冬は、風邪をひくのではないかと、思うだろう。
だが、朝のシャワーには、メリットがある。
眠気で、心と身体はぼんやりしているが、熱いシャワーで目が覚める。
「起きろよ!」と夢見心地の世界から現実へと、引き戻してくれる。
体がシャキッとしていく。
一日行動が出来る心と体に、変わるのだ。
 
 
夜にゆっくりと湯船につかると、体の疲れもとれるし、リラックス効果もある。
ボーッと何も考えずに、ただ体が暖まるのを感じる。
わたしは、仕事柄一日中パソコンとにらめっこしているため、背中や首が痛くなる日が多い。
シャワーで済ますのではなく、お風呂に入ると、体がほぐれるのは間違いない。
背中や首を同じ角度で過ごしているので、体がつらくなるとマッサージに行く。
マッサージをしてくれる人に、だいたい同じセリフを言われる。
 
「こんなに硬い背中や首で、つらくないですか? ガチガチですよ」
「お風呂、湯船につかっていますか?」
 
「いえ。シャワーですましています」
 
ちゃんとお風呂にお湯をためて、入ってくださいと指導されるのだ。
 
「シャワーよりお風呂の方がいいのは、分かってはいるのですが……」
 
こんなやり取りを、マッサージにいく度にする。
 
実際、湯船につかると、体にいいことは分かっているのだ。
趣味でランニングをしていて、走った後に銭湯で、汗を流すことがある。
体を洗って、大きな湯船に入った時の解放感。
何も考えずにボーッとつかる。
体がじんわり暖かくなってくる。
死んだ細胞が、生き返っているかのようだ。
銭湯で湯船に入った次の日は、体の調子がよい。
体の中の細胞が新しくなり、生まれ変わったような気さえする。
お湯の中で、ホッと一息つく感覚が、たまらない。
 
体のために、ゆっくりお風呂に入って寝よう。
湯船につかることに気を付けていると、以前よりお風呂に入る回数が増えてきた。
だが、だいたい母の長風呂の時間と、わたしの入りたい時間がかぶるのだ。
母は入浴剤を入れて、できるだけゆっくりと、長い時間お風呂に入る。
入りたいタイミングになっても、母が入っているので、待っているうちに眠くなり寝てしまう。
 
どうしよう……。
わたしが取った、強硬手段だ。
「一緒にお風呂に入るということ」
とりあえず母に、問いかけてみる。
 
「まだなん? いつお風呂からでる?」
 
「お母さん、入ったばかりやもん。まだ出ない」
 
「うそやろ。どんだけ長い時間はいってるねん」
 
まだ出ないと分かった瞬間、わたしはずかずかとお風呂に入っていく。
 
母は、驚いた様子も見せない。
立場が逆なら、イラッとくるだろう。
人がゆっくり入っているのに、勝手に入ってこないでよ。
待てばいいでしょと言うのではないか。
我が家は大きなお風呂ではなく、ごく普通の家庭用で、大人2人で入ると狭い。
どちらかが、湯船に入り、どちらかが体や髪を洗う。
 
「お母さん、今日の入浴剤は何が入ってるん?」
 
「今日は新緑の香り、どう?」
 
「うーん。よくわからん。新緑っぽい香りと言われれば、そうかもしれん。お母さん入浴剤入れるの好きやな」
 
たわいもない会話だ。
何も話さないで、お互いに黙々と交代で、体を洗っている日もある。
 
この間、母の体を見て、きづいた。
ずいぶん痩せて、細くなったなあ。
昔の母は、足や腕にもっと筋肉がついていた。
いまは、老人の体のようだと思った。
70代は、りっぱな老人の年齢である。
友達と話していると、他と比べて母はずいぶんと、元気があるように見える。
 
母は毎朝散歩をして、道にあるゴミを拾うようにしている。
住んでいる家は高速道路に近く、高速から出てきた人がゴミを捨てるので、道路にはゴミがよく落ちているからだ。
 
「今日は、こんなにたくさんゴミが落ちていたわ」
 
「エロ本が捨ててあったけど、拾ったきた」
 
「お母さん、よくそんな本拾うなあ。勇気あるな」
 
どんなゴミが落ちていたかという会話に朝から、プッと笑ってしまう。
 
歌うのが好きで、カラオケ教室に通うのが趣味だ。
どこからか舞台衣装を買ってきて、発表会で歌った時は驚いた。
各自持ち歌を練習して、市のホールで歌うのだ。
 
人前で歌うのが苦手なわたしには、驚きの行為だった。
みんなの前で、舞台衣装を着て、1人で歌う。
よくこんな度胸があるなと感心した。
今はコロナウィルスの影響で、休止されていて、どこか手持ち無沙汰のようだ。
 
趣味があり、運動をして、いつまでも年齢を感じさせない、母のような気がしていた。
だが、老いは確実にきている。
最近、わたしが何かを言った声は、母に届いていないことも多くなった。
以前なら、明るく返事が返ってきていたのに。
大きな声で話すと聞こえるのだが、え? なんて? と聞き返される時も多くなった。
耳が遠くなっていると分かった。
 
細くなった母に気づいてから数日間は、いろいろな考えが頭にうかんできた。
人間はいつかは、いなくなってしまう。
そんな当たり前を、受け止められそうにない。
小学生の時、死について考えて、怖くなって眠れなくなったことがある。
人は死んだらどこにいくのだろう。
魂は現世に残っているのだろうか。
死とは真っ暗な暗闇の中を、さまよい歩く感覚なのでは?
今の記憶が、なくなってしまうのは嫌だ。
小学生の時以来、死についての恐怖が訪れた。
 
母がいなくなるのを、想像してしまった。
いつかは、いなくなってしまう。
年齢の順番でいえば、あたりまえかもしれない。
不安でこわくて、たまらなくなった。
真っ暗な死という恐怖の穴に、落ちていくような気がした。
 
そんな時に偶然、友達と介護について話す機会があった。
友達は、高齢の義母の介護に奮闘している。
一緒に、お風呂に入る話になった。
できるだけ水圧をゆるくして、義母を優しく洗ってあげている。
介護が必要になってからは、外泊は出来なくなったと寂しそうだ。
 
「大変やけど、あまり無理しないようにね」
と友達にかけた言葉の返事に驚いた。
 
「お義母さんとは若い時に、よくけんかしたわ。いやなことを言われた時もあった。でも今は昔のことは、どうでもよくなった。優しくしてあげたい」
友達は、マリアさまみたいな、優しい笑顔だった。
笑顔の裏には、大変な思いを経験してきているのだろう。
その結果、優しくしてあげたいという、気持ちになれたのだ。
 
人間は生まれてきて、赤ちゃんの時にお風呂に入れてもらい、老いてからは誰かにお風呂に入れてもらう。
そう考えると、お風呂に入るのは、あかや汗を流すだけでないのだ。
最初から最後まで、人と触れ合うことができる、尊い行為のように思えた。
人間は、必ず誰かの世話になり、人は1人では生きていけない。
 
わたしも、友達のように、今は元気な母を、介護する日もくるかもしれない。
そう考えると、心にズキッと何かが刺さったような気がした。
母の体の細さに気づいて、不安になった日から考えていた。
いままで、母の老いがこわくて、気づかないふりをしていたのだ。
まわりに比べると、元気な母の老いはこないのだと、思い込むようにしていた。
この家族でいるのは、一生に一度きりだ。
人は死ぬと、新しい生命に生まれ変わると言われているのが本当であれば、次に生まれ変わる時は、同じ家族ではない。
 
これから、どんなことが起こるのだろうか。
介護、病気、老いというものに、振り回される日がくるかもしれない。
起こっていない悲しい出来事を想像して不安になるより、いま何が出来るか考えてみる。
意識するのは、生きている今なのだ。
不安でいっぱいになり、大切な気持ちを見失いそうになった。
出来なくなっていく数をかぞえるより、できること、楽しさの数をかぞえたい。
 
何ができるのだろうと、考えてみる。
日常生活のありがたさに気づく。
たとえば、一緒に買い物に行く楽しさ。
健康で過ごしていることへの感謝。
朝に行っている散歩に一緒に行く。
ありがとうと素直に言えないけれど、言葉に出して言うようにする。
できそうなことが頭に浮かんできた。
 
もっと母と一緒にお風呂に入って、話してみよう。
最近はどんなことを思っているのか。
何か不安はないか。
カラオケ教室が休止になって、さみしくはないか。
だけど、一緒にお風呂に入ろうなんて、恥ずかしくて言えそうにない。
さりげなく、一緒にお風呂に入る回数を、増やしてみよう。
泣いても笑っても、この家族でいられるのは、今だけなのだから。
 
いままで何気なく見ていた、母の姿を忘れたくない。
全ての景色を、しっかりと見るのだ。
朝、散歩に行く母の小さくなった後ろ姿を見て、愛おしくなった。
母の後ろ姿を、心の中でぎゅっと抱きしめた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
izumi(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年7月よりライティング・ゼミ超通信コースを受講。2022年1月よりライターズ倶楽部に参加。ランニング、トレイルランニング歴10年。最近山登りにハマってテント泊を実現したい。誰かの応援になる文章を、書けるようになりたいと日々特訓中。

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2022-02-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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