週刊READING LIFE vol.158

なぜ私たちは差別を止められないのか?《週刊READING LIFE Vol.158 一人称を「吾輩」にしてみた》


2022/02/21/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「愛の不時着」というNetflixのドラマで主演をしていたヒョンビン(リ・ジョンヒョク役)とソン・イェジン(ユン・セリ役)が結婚をするというにニュースを見た。「ああ、ドラマが現実になった……」と感動せずにはいられなかった。
 
「愛の不時着」は韓国と北朝鮮に住む男女が運命的な出会いをし、数々の試練を乗り越えながら互いに惹かれ合い、愛を育む「恋愛ドラマ」だ。
しかし、正直言って私はこの手の「恋愛ドラマ」が苦手で、ちゃんと最初から最後まで見た作品はほとんど記憶にない。唯一あるとすれば豊川悦司と常盤貴子が主演していた「愛していると言ってくれ」くらいだろうか。その作品も1995年の作品なので今から四半世紀以上も前の話しだ。
(このドラマは30歳以下の人たちは見たこと無いと思うが、主題歌がDREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」だったと言えば、少しはドラマの良さが伝わるかもしれない)
 
話しを愛の不時着に戻すが、このドラマはNetflixで公開されるや視聴数で一躍トップとなり、以後2年間にわたってトップ10圏内を維持し世界的に大ヒットした。とはいえ私は最初からこのドラマに興味を持ったわけではない。予告を見て恋愛ドラマだということが分かったとたん、私の興味は薄れていた。
 
「恋愛ドラマ」の構成はおおよそ男女が運命的な出会いをして、最初はそんなつもりなかったのに何かをきっかけにお互いが興味を惹かれ、そして恋に落ち、その後恋のライバルや、困難が訪れ、そしてその困難を乗り越えて再度結ばれ、そしてハッピーエンドとなるというお決まりのパターンだということが透けて見えてしまい、「愛の不時着」もどうせ同じだろうと考え興味を持てなかったのである。
 
ところが友人たちがSNSで「このドラマは面白い」「見始めたら絶対に止められない」と絶賛し始めたため、「いやいや、大げさ!!」と思いながらも、そこまで言うならと、こっそりと第一話を見始めた。しかしその1時間後には「ヤバい、マジ面白い」と、私はすっかり「愛の不時着」にハマってしまったのだ。
 
このドラマの面白さは既に色んな人が書いているので他に譲るが、私が面白いと感じた理由はやはり北朝鮮の生活を初めて垣間見たからだと思う。
 
北朝鮮といえばニュースで流れる政治的な情報以外は、ほとんど知ることが知らなかった。ただ何となく生活水準は低く、一般市民は貧しい暮らしを強いられているのだろうという程度の想像しか出来ていなかった。愛の不時着の中で描かれている北朝鮮の暮らしが実際の状況に近いのかどうかも私には確かめるすべはないが、韓国で制作されているドラマなので、日本人が作るよりは現実に近いのだろう。
 
そこで描かれている一般市民の暮らしは、おそらく日本で言えば昭和初期ぐらいの状況ではないだろうか。電気は満足に引かれておらず、もちろんインターネットやスマホなどの通信機器は軍人や一部の富裕層は持ってはいるが、おそらくかなり制限が入ったものではないかと思う。
物質的な観点から見た豊かさで判断すれば、控えめに言っても豊かだとは言えない。もちろん幸福度を物質的な物差しだけで測ることは出来ないが、軍事部門が大きな力を持っていて、一般市民の暮らしも監視されている状況を見ると、自由や平等といった点からも、本当の豊かさは享受できていないように感じた。
 
私はこのドラマを通じて北朝鮮という国を知り、そして朝鮮半島の南北問題を垣間見た。そしてこのドラマの面白さは、そういった文化や歴史的な背景を恋愛ドラマに上手に組み入れているところにあり、その脚本力にあるのだと感じた。そして同時に私はこうも考えた。
 
「韓国にこんなドラマを作る力があって、なんで今の日本にはないんだ?」
 
しかしエンタメ業界を見れば、日本に比べて韓国の方が世界的に1歩も2歩も先を行っているのは疑いようもない事実である。BTSに代表されるようにK-POPは既に世界レベルで評価をされているし、映画も「パラサイト 半地下の家族」はカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞している。もちろん日本も過去5作品受賞しているが、現在世界のドラマ視聴の主戦場であるNetflixで上位を占めている作品はほぼ韓国作品である。勢いは間違いなく日本より韓国にあるだろう。
 
私の頭の中には「韓国が日本を追い越し、世界的に評価をされ始めている」という考えがあり、そしてそれを悔しいと感じているのである。
 
しかし、この悔しさは一体どこから来ているのだろうか?
本音を言えば、おそらく私の中に「韓国よりも日本の方が優れているはずだ」という考えがあるからだろう。
私が子供のころから感じていたのは、日本経済や製品力、そして文化的なものは、アジアの各国よりも日本の方が評価をされてきたという体感であった。もちろんそれは日本国内にいる子供が知りえた情報の中で感じたことなので、偏りがある情報に基づいた印象に過ぎない。
しかし、1990年の世界時価総額ランキングで上位50社のうち32社が日本企業だったことを考えれば、おそらくその感覚もあながち的外れでもなかったのだろう(現在そのデータを見るのは、時価総額世界ランキングで日本がどれほど凋落したのかという、日本の惨状をあらわすときに使われているのだが)
 
突き詰めて考えれば、私は日本の方が韓国よりも優れているという意識を持っているのだ。これがアメリカやイギリスなどで制作されたドラマが上位に来ていたら、私はそんな感情は持たなかっただろう。「やはりアメリカのドラマはスゴイ」と思って、素直にその面白さを受け入れていたに違いない。
 
つまり私は「日本」や「日本人」というものを世界中の国々の中で優劣をつけて捉えているのである。
そしておそらくその発想は世界の中で自分たちの方が上、アジア各国は日本より下という「差別意識」とも関係しているのだ。
 
日本の中にいて、日本人として暮らしている限り、自分たちが「日本人」として差別を受けることはまずありえない。それは私たちが「マジョリティ」だからだ。しかし世界的な視点で考えれば、人口70億人にたいして日本人の人口は1億2千万人しかおらず、わずか1.7%にしかならない。
宗教という側面から考えれば、日本は仏教国と言われているが実際にはほぼ無宗教か、国家神道で独自の宗教観を持った国民である。一方ではキリスト教は20億人、イスラム教16億人もいるため、実は私たちはかなりマイノリティな存在なのである。
 
実は私も初めて行ったニューヨークで、あからさまな差別を受けたことがあった。
外から見て雰囲気の良さそうなレストランがあったので、私と妻はそのレストランでランチを食べようと中に入った。しかし案内された席はレストランの一番奥の席だった。ふと見まわしてみると、私たちの周りには同じくアジア人と思われる人たちが座っていて、窓際には白人が座っていた。その時私はこのレストランでは窓際のいい席には白人が座り、アジア人は外からは見えない奥の席に座せるというルールがあることに気がついたのである。それにも関わらず私たちは外から見たこのレストランを「雰囲気の良さ」に自分たちも加われると思っていたのである。
 
おそらくこんなことは世界各国どこでもあるのだろう。メジャーリーグで活躍したイチロー選手ですら差別を受けていたと告白している。アジアから来た小さな人間が、メジャーのような世界のトップリーグで活躍することを快く思わない人たちが実はたくさんいるのである。
 
おそらくほとんどの国で一定の教育を受けた人たちは差別が良くないものということは知識として持っているはずだ。しかし、私たちの中には「自分(自分たち)」を基準に上と下があり、その上下関係の中で自分がどの位置にいるかという視点で人を見ているのである。
 
そしてこの上下関係はあらゆる場面に存在している。
自分より学歴がある人を見れば「あの人より自分は劣っている」と感じるし、自分よりも背が高くてカッコいい人を見れば「あの人は自分よりも異性からモテるに違いない」と卑屈に考えてしまう。結局こうしたコンプレックスは自分が周りと比べて相対的にどの順位にいるのかという体感に他ならない。
 
そしてこういった上下関係の中で、人は自分の順位を出来るだけ高い状態で維持したいという強い欲求が働いているのである。それが自分よりも下の順位にいるはずの人たち自分たちの地位を脅かすときには、恐れや悔しさを感じ、排除したくなるのである。
 
つまり私が「愛の不時着」を見て感じたあの悔しさは、私たち日本人が韓国人よりも相対的に優れた存在であると思っていたから感じた気持ちなのだ。
 
こんな私の気持ちを見透かしたかのように、私はたまたまある一冊の本を手にした。
 
「差別はたいてい悪意のない人がする」
 
この本の著者はキム・ジヘという韓国人である。
私は障害者支援の仕事をしているため、障害者への差別ということに関してはずっと自分のテーマの一つとして勉強してきた。障害者差別に関しては「優生思想」など根深い問題があるが、突き詰めればこれも「健常者」と「障害者」という対比の中で、健常者の方が障害者よりも上であるという比較意識から発生したものだ。
 
この本の冒頭のエピソードでも、著者が講演中に「決定障害」という造語を使ったところから、自分が差別意識を知らず知らずのうちに持っていたことに気が付いたという話しからスタートしている。
自分には「何事もぐずぐずして決めることが出来ない」特徴があるということを「決定障害」という造語を使って自己卑下のつもりで話しただけであった。
ところが、その講演に来ていた聴講者から「どうしてあなたのような人が『決定障害』なんて言葉を使ったのですか?」と問われ初めて自分が「障害」という言葉の中に「不足」や「劣等」という意味が含まれていることに気が付いたのである。つまり「障害者」という言葉には「劣った人」という意味が含まれていることに気が付かずに「障害」という言葉を使っていたのである。
 
著者は本の中で、障害者だけでなく女性や性的マイノリティの人たちがどのような理由で差別を受けているのか説明している。私たちは人生の中で様々な「立ち位置」を持っていて、その立ち位置によって「マジョリティ」と「マイノリティ」、「強者」と「弱者」が決まっているのである。またこの「立ち位置」は常に揺れ動き、そして「多重的立ち位置の複合体」が人間なのである。
 
私たちはある「立ち位置」にいるときは「マジョリティ」となり、「マイノリティ」の人たちを見下すことが出来る立場になれる。しかし当然ある場面ではその逆の立場になることもある。
もし自分が「マイノリティ」になったときには、大きな不利益を被ったり、悔しさを感じたり、委縮して普段の自分を表現することが出来なくなるなど、ありとあらゆるマイナスの感情を逆なでされる。それが恐いから、人は自分の「立ち位置」を気にして、少しでも自分が下の立場に行かない様に努力をしているのである。
 
私たちが本当に差別のない社会を作っていくためには、何か物事を考えるときに自分という「一人称の視点」で見るのではなく、二人称、三人称で物事を考える「複眼的な視点」をどれだけ持てるかにかかっている。
 
「自分は差別なんてしてない」と思うかもしれないが、私たちは社会の中で生活している以上、必ず何かしらの「立ち位置」を持っている。つまりどんな人の生活の中にも「差別する・される」可能性は内包されているのである。おそらくこの記事を読んでくれている人の中に、悪意を持って差別している人はいないはずだ。
 
しかしもし皆さんが自分の活動の目的を「他人と比較して優位性を保つこと」に重きを置いていたら、無意識のうちに差別をしているかもしれない。そうではなく、自分の基準でゴールを設定し、そのゴールにたいして自分はどこまでできたのかを指標にすれば、他人と比較をする必要が無くなり差別しないで純粋に自分の成長を楽しむことが出来るだろう。
 
著者は差別をなくすために、「自分が差別されないための努力」から「自分が差別しないための努力」に意識を変えることだと言っている。
私たち一人一人の意識が社会を変えていくに違いない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
大手人材ビジネス会社でマネジメントの仕事に就いた後、独立起業。しかし大失敗し無一文に。その後友人から誘われた障害者支援の仕事をする中で、今の社会にある不平等さに疑問を持ち、自ら「日本の障害者雇用の成功モデルを作る」ために特例子会社に転職。350名以上の障害者の雇用を創出する中でマネジメント手法の開発やテクノロジーを使った仕事の創出を行う。現在は企業に対して障害者雇用のコンサルティングや講演を行いながらコーチとして個人の自己変革のためにコーチングを行っている。

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2022-02-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.158

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