週刊READING LIFE vol.158

いつの日か、クジラになることを夢見て。《週刊READING LIFE Vol.158 一人称を「吾輩」にしてみた》


2022/02/21/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
青、青、青。
 
時に波にさらわれる水面に映る雲。それが無かったら、どこまでが海なのか、どこからが空なのか、わからなくなってしまいそうだ。ねぇ、まだかな、幼い女の子が父親に尋ねている。
 
その時だった。鏡のような水面が突然、盛り上がった。現れたのは真っ黒な物体。あっというまに5メートルを超える高さに達したそれは、まるでこちらを見下ろすかのように、巨体を見せつける。そして、全身を水面に打ち付け、盛大に水しぶきをあげて水中に戻っていく。どうだ、おれはすごいだろ、と言わんばかり、自信にあふれたその姿は、まさに雄大というにふさわしい。
 
びしょぬれになった女の子が興奮気味に声を上げる。ねぇ、すごい、大きいね、やっぱり海の王様だね。その声を聞いた瞬間のことだった。ぼくは思った、これこそがぼくが求めているもの、そう、ぼくはクジラになりたかったんだ、と。
 
いつか見た動画の話だ。詳しくは思い出せない。でも、これだけは、はっきりと覚えている。あの時、ぼくは確かに求めていた。すべてを吞み込むような超然とした姿。海の王者としての自覚か、下々の者どもよ、吾輩を見るがよい、とでも言いたげに、我が物顔で泳ぎまわり、そして、ダンスを踊るように楽しそうに宙を舞う。水しぶきでびっしょりになる人間のことなど、お構いなし。ぼくもそんな大きな存在になりたいと憧れた。あれから、ずいぶんと時間が過ぎた。ぼくはクジラになれたのだろうか。
 
いろんなものを呑み込んできた、ということは間違いないだろう。ただ、残念ながら、それはクジラのような超然とした姿からは、ほど遠い。ぼくが呑み込んできたものは、ぼく自身だからだ。
 
他人より秀でたい、みんなに注目されたい、自分の思っていることを思うとおりに表現して、認められたい、でも、うまくいかない。そんな苦い気持ちを、ずっと呑み込んできた。そして、自分自信に言い聞かせてきた。みんなが、みんな、自分の思うとおりに生きられるわけじゃない。だから、与えられた役割を果たそうと。たとえそれが自分の望むものでなくたって、仕方ない。置かれた場所で咲くのが花なんだ、と。
 
それに実際のところ、自分で言うのも変な話だが、ぼくは置かれた場所で花を咲かせてきた。結果を残してきた。それがぼくの特技といったっていいんじゃないかと思っているくらいだ。
 
例えば、それは小学校の頃のサッカークラブ。当時は、漫画「キャプテン翼」が大人気。そして、ぼくが憧れたのは、もちろん翼君。それも中学校になって、周りを上手に使ってゲームメークをする喜びを知った「大人」の翼君じゃない。一人でドリブルして、一人でゴールをガンガン奪っていた小学校の頃の翼君に憧れた。
 
だから、希望のポジションは、点取り屋の定番、センターフォワード、だったのだが、ぼくに与えられたのは、ミッドフィールダー。攻めの時にはフォワードとのつなぎ役に徹し、ひとたびボールを奪われれば、ディフェンスラインと共に守りに入る。攻守の要と言えば聞こえはいいが、攻めでも守りでもない。役割は、どの選手よりも走り回って、攻めも守りも困らないようにサポートし続ける。
 
事実、ぼくはよく走った。周りのみんなはどう思っていたのか、確かじゃないけれど、少なくとも自分ではそう思う。どこかで困っている選手がいれば、駆け寄ってサポートした。サッカーって、こんなに走ってばかりなんだっけ、思い描いたものとは違うんだけど、そう思いながら、走っていた。でも、仕方がない、だって、それがぼくに与えられた場所なんだ、そう思いながら、のどを渇かせ走っていた。あの時に呑み込んだつばは、きっと苦かったに違いない。
 
もちろん、ぼくのそんな特技が注目されたのは、サッカーだけじゃなかった。与えられた役割をこなしてくれるというのは、使う側からしたら便利なものだ。嫌だ、嫌だ、そういいながらも、最後には何とかしてくれる、そんなぼくには、学級委員、学年委員といった生徒代表という「立派」な役から、遊んでもらえる仲間のいない下級生の面倒を見るといった、誰もが引き受けたくない役が回ってきた。そして、ぼくは、何度か逃げ出すこともあったけれど、周囲の大人に文句ばかり言っていたけれど、それなりに役をこなしてきた。まったく楽しくなかったけれど、投げ出してしまうことなく、吞み込んでいた。
 
その後、中学、高校、大学、そして社会人となり、その間、年相応の反抗期があり、年相応の自分らしさの追求があったりしたけれど、ぼくは変わらなかった。自分がやりたいこと、感じることは脇において、みんなの調整役、つなぎ役という役割を引き受けた。そして、ぼくは相変わらず、その役割を上手にこなした。いや、それはもう、こなすというレベルじゃなかったかもしれない。幼いころから磨きをかけた技、ぼくのやり方はこうだ。
 
こっちの人はこう言っている、でもあっちの人は、違う意見。そんな時は、まずは、言いたいことを、言いたいだけ言ってもらう。吐き出したいだけ吐き出してもらう。すると、次第に、どんな人でも文句を言うのに疲れてくる。おっしゃる通りです、大変ですよねと、ぼくの意見をはさむことなく、聞き役に徹していると、相手の方は、主張ばかりじゃ物事は進まないと、気づき始める。と、ここまで来てしまえば、しめたもの。大抵の場合、あとは自然と進む。ぼくがなにも言わなくたって、勝手に譲歩案を出してくれる。気には入らない現実だけど、受け入れて、自分でやるしかないと、勝手に動き始めてくれる。楽なもんだ。
 
そう、楽なのだ。自分を出さないで、柔軟に相手を受け入れているのは楽なのだ。もちろん、最初はちょっと、うっ、とくる。面倒くさいな、と思う。でも、大抵の場合、そんな時間は長くはない。しばらくすれば、相手の勢いが落ちてくる。こっちが、自分が言いたいことをぶつけなければ、のれんに腕押し、戦っても仕方ないと、向こうから折れてくれる。だから、ぼくがなにかしなくたっていい。楽なことこの上ない。
 
つい最近だってそうだった。それは、ぼくが、5年ほどかけて作ってきた、会社の業績見通しのための仕組み。世界各地に広がる子会社、日本国内の様々な関係者、そんなところから情報を集め、それを複雑なシステムに取り込んで、一つの数字にまとめ上げる。
 
でも、まとめるだけじゃない。ひとたび問い合わせがあれば、迅速な回答が求められるし、お偉いさんが気に入らなければ、数字は何回だって修正する必要がある。それを、何度も何度も繰り返して、正確かつ簡略な仕組みを目指してきた。
 
面倒な仕事だった。誰も進んでやりたがらない仕事だった。でも、だからこそ、自分の強みが出せると頑張ってきた。与えられた役目を果たそうと努力してきた。そして、つい最近、本当につい最近だ、やっとこれなら使える、そんな仕組みが出来上がった、そう思った時のことだった。ぼくの仕事は別の人が担当することになった。
 
いや、正確に言うなら、ぼくの仕事はあった。でも、それはただのシステムへの入力屋さんだった。将来の見通しに必要な情報の収集、相手との交渉、そういった核となる仕事は別担当者に移しますよ。でも、このシステムを使うのは難しい。だから入力作業はお願いね、というわけだ。
 
なるほど、わかりました。それがぼくに求められていることならば、やりますよ。それに、新しい担当のあの人なら、きっとぼくよりそっちの方面が得意だから。ぼくは、ぼくが与えられた役割をこなしますよ、とは思えなかった。システム入力なんて、楽な仕事なのに、なんだか翼をもがれたような気がした。
 
かける思いも、こうしたいという望みも、うまくいかなかった悔しさも、譲れない苦しさも、グッと呑み込んで、苦いのは初めだけ、そのうち慣れるからと、言い聞かせてきたはずなのに。そうすれば、楽になれると思って生きてきたはずなのに。受け入れられなかった。
 
やっぱり、ぼくはクジラになれなかったのだろうか。酸いも甘いも、きれいな思いも汚い思いも、すべてを呑み込んで、それでも悠然と楽々と大海原を渡っていく、そんな生き方はぼくにはできないのだろうか。あの時の、あのクジラの姿が目に浮かんだ。そう、あの、余を見よ、吾輩はクジラであるぞ、とでも言いたげな、我が物顔で楽しそうに宙を舞う、盛大に真っ白な潮を噴き上げるあの姿を。
 
その瞬間ことだった。ぼくの中で何かがクリックした。そうだ、クジラは決して呑み込んでいるだけじゃない。息を吐いているのだ。それも、あり得ないくらい盛大に。大きく息を吸って、海中に潜り、がまんしてがまんして、そして、最後には思い切り潮を吹いているのだ。周りが、ずぶ濡れになろうと、汚かろうと、そんなことは知ったことじゃない。生きていくためには、呑み込んだものは、吐かなければ生きていけない。そして、次のダンスを踊るのだ。再び悠然と海に潜るのだ。決して楽な生き方じゃないはずだ。でも、だからこそ、その必死に生きる姿が美しく見えるのだろう。だからこそ、その宙に舞う姿が輝いて、楽しんでいるように見えるのだろう。
 
そして、それはぼくだって同じに違いない。呑み込んで呑み込んで、自分を抑えて、相手を受け入れて生きたら楽なのかもしれない。流れ、流され生きていくことだってできるだろう。でも、そこには決定的に欠けているものがある。それは、生きる必死さだ。
 
どうしてもこうしたいという思い、もちろんそんなものを前面に出せば、必ず誰かとぶつかるだろう。説得するのに気の遠くなるほどの時間をかけて、時には議論どころか、喧嘩になることもあるだろう。これまで誰にも見せたことのない汚い自分に、幻滅するかもしれない。でも、そうやって、自分の思いを吐き出して、必死に生きる道を探るからこそ、美しく輝ける。
 
そう、今まで吞み込むばかりだったぼくに必要なのは、吐き出すこと。決して楽な道じゃないだろう。ぶつからないように、うまく役割をこなすようにと生きてきたぼくには、つらい道になるかもしれない。でも、そんなふうに自分を吐き出して、必死に生きた先に、踊り出したくなるような、宙を舞うような、あのクジラのような楽しい人生が待っている、そんな気がしたのだ。
 
もちろん、だからと言って、明日からなんでも好きなことを吐き出して生きる、そんなことはできやしない。実際のところ、ぼくはクジラじゃないのだ。でも、少しでもいい。今までだったら、グッとこらえてしまったところでも、なにか一つでもいい、自分の意見を言ってみたい。自分の信じる道を選んでみたい。
 
ぶつかったっていい。うまくできなくなっていい。だって、ぼくはまだ泳ぎ始めたばかりの子クジラだ。彼らだって、最初からうまく踊れるわけじゃない。潮吹きだって上手にできないはずなのだ。でも、そんな少しずつを積み重ねていった先、自由に、楽しそうに宙を舞う、そんな雄大な人生が待っている。吾輩はクジラである、そんな風に胸を張って言えるような、大きな自分になれるよう気がする。そしてその時、見上げる空は、あの映像と同じ、気持ちのいい、どこまで続く空なんじゃないか、そんな風に思った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2022-02-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.158

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