週刊READING LIFE vol.160

「こんな目」にあうのは自分だけじゃなかった《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》


2022/03/07/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
思ってもみない災難に出食わすと、「まさか、自分がこんな目にあうなんて」と、人はつい思ってしまうのではないだろうか?
どうして、自分にそういうことが起こったのか、納得できる理由を探したくなる。
なぜ、「こんな目」に選ばれる結果となってしまったのか、原因がわからず不安になる。理由があるのなら、不本意ながらもまだ納得できるかもしれない。だが、例えば災害や事故などの不可抗力なものは、突然やってくると相場が決まっている。
 
そう私が実感したのは、3年半前のことだ。
いきなり、知らない病名を告げられたのだ。今考えれば、前触れらしきものは、肩こりと腕の痛みだったが、それは今までにも経験していたから、湿布でも貼っておけば治るだろうという素人考えだった。
 
地元の整形外科から、大学病院への受診を勧められた。何でもその病院には、この病のスペシャリストの医師がいるという。そうして大学病院の受診にこぎつけた結果、医師から告げられた言葉に、私はショックを受けた。
 
「これは難病指定の病気なので、効く薬もありません。手術も完治できるものではなくて、骨と脊髄の間に若干隙間を開けて、症状を抑えようとするだけのものです。人によっては手術しても症状が変わらない人もいます。症状が軽減するのは半分くらいの確率だと思って下さい」
 
私の病気は、後縦靭帯骨化症というものだった。簡単に言えば、首の靭帯が骨化していき、脊髄を圧迫するという病気だ。その影響からか、肩こりどころか、右半身に痺れを伴い、手足にしっかりと力が入らないようになっていた。時にはひどい頭痛や船酔いのような吐き気が襲い、仕事をしていても辛い症状が現れるようになっていた。
 
そんな。治らないなんて身も蓋もない。すがる思いで受診したというのに。
手術しても完治しないなら、どうしようもないではないか。このまま、悪化していくのを甘んじて受けるしかないのだろうか。私の頭の中には、寝たきりになって、次第に生気が無くなっていく自分の姿が思い浮かんだ。
 
「難病」という言葉のインパクトは強い。まさか、自分がこんな目にあうとは思ってもみなかった。動けなくなると確定した訳でもないのに、その言葉にダメージを食らう。
その一方で、「手術や薬でも治らないから、難病なのか」と妙なところで納得していた。ということは、一生この病気と付き合っていかなければならないということだ。
私は、覚悟もないまま、急に重い荷物を背負わされた気がした。
 
医師の話を聞きながらも、上の空だった。親族に同じような病気にかかった人はいないから、遺伝でもない。私は何か悪いことをしたのだろうか? 食生活のせいなのか、普段運動をしないからなのか? それとも誰かを酷く傷つけてしまって罰が当たったとか? 自分の人生を振り返って、何とか原因を見つけようとした。何かまっとうな理由がなければ、受け入れられない気がしたのだった。
 
散々迷った末に、私は手術をすることを選択した。やらないで悪化するのを待つより、今できることをやろうと、何とか踏ん切りをつけたのだ。けれど、首の手術と聞くと、周りの人たちは「それ、大丈夫なの?」とか「自分だったら、とても怖くてできない」なんてことを言いだした。
 
元々、怖がりで臆病な私だ。手術に対して否定的な言葉を聞くと、ついついネットで調べてしまう。そんな時に限って、手術しても症状が変わらなかったばかりか余計に酷くなった人の話や、症状が進んで寝たきりになった人の話ばかりが目についた。
 
もう手術日まで決めてしまったというのに、なかなか日程の取れないスペシャリストの医師に、今更「やめます」なんて言えるはずもない。しかもドラマで手術シーンを見るのも苦手な私は、「骨を切開する」だの、生々しい臓器や器官のことを、模型を片手に医師に説明されても、クラクラして鳥肌が立った。なので、手術日までは、手術のことは頭から一切シャットアウトするという作戦を取ることにした。
 
そうしているうちに、手術当日がやってきた。ここまで頑張って手術のことを考えないよう、他のことで気を反らしてきたが、手術室に入れば、どうしても考えざるを得なくなる。
やはり怖い。どうしようもなく、怖い。こんなに心拍数が上がっていては、手術中にどうにかなってしまうかもしれないと思った。落ち着かせようと優しく声をかけてくる麻酔科の先生に、たまらなくなった私は訴えた。
 
「やっぱり手術怖いです! 無理です!」
「そうだよね~。怖いよね~。でも、もうすぐ眠ってしまうから大丈夫だよ~」
先生の声は、切羽詰まった私とは対照的に、憎らしいほど安らかだ。まるで子供をあやすように、私を優しくあしらう。そしてその言葉通り、私はあっけなく眠ってしまったのだった。
 
術後から丸2日間、私は観察室というところで過ごした。点滴と痛み止めに繋がれ、自分では動くこともできない。意識ははっきりしているのに、自分で動くことのできない不甲斐なさ。寝たきりで介護されるのって、こんな感じなのかと思った。ようやく自分の病室に戻れたのが3日目で、自力で座れるようになるまでに更に2日を要した。補装具で首を固定しているとはいえ、私の首は頭をしっかりと支えることができず、背もたれをしていても軟体動物のようによろけてしまうのだった。
 
ところが食事を口から採れるようになると、不思議なもので活力が湧いてきた。筋力をつけるためのリハビリも始まり、最初は車椅子だったのが、少しずつ自力で歩けるようになった。赤ちゃんができることが増えると動きたくなるように、立ち上がって歩きだすと今度は歩かずにはいられなくなり、病院の中をリハビリも兼ねて歩き回るようになった。
 
そんなとき、談話室での休憩中に、同じく入院中の父親くらいの男性と出会った。
その男性も、私と同様、首にコルセットのような補装具を着けていた。彼の補装具を目にした瞬間、ほのかに仲間意識が芽生えた。向こうもそうだったらしく、どちらからともなく近づいて話し始めた。
手術までの経緯を語り合った後、「大変でしたね」と共感して頷こうにも、補装具が邪魔をしてぎこちない。その姿に、互いに笑い合う。似たもの同士、目には見えない絆が瞬時に生まれた。
 
その男性、仮にAさんとしておこう。Aさんは、不調を感じ始めて3年間、様々な病院を巡ったというが、これという病名が分からないまま不安な日々を過ごしていたそうだ。体調の悪化と不安で辛くなり、やはり、どうして自分がこんな目にあわなくてはならないのかと思った、とAさんは苦笑いをしながら振り返る。
 
私は、Aさんの気持ちが痛いほどわかった。
みんな、思うことは一緒だ。やっぱり、何か自分を納得させられるものを探したくなるのだ。
「私も同じことを思いました」と告げると、Aさんは何度も補装具を揺らしながら頷いた。
そうやって話している間にも、談話室には似たような補装具を首に着けた人たちが入ってきた。1人の補装具は、私が着けているものより少し短く、もう1人の補装具は形がAさんのものと似ている。
 
「この病院にいると、自分だけじゃないんだよね」
Aさんが、私の視線の先に気づいて微笑んだ。
確かにそうだ。この病院には首のスペシャリストがいるということで、私のような症状の患者が集まっていた。後ろから呼ばれても、体ごとひっくり返さなければ返事ができず、そのユーモラスな動きは、さながら直立不動のミーアキャットの集まりだ。他の病院では、あまり見かけることのない光景だろう。
Aさんが言うように、「自分だけ」がこんな目にあっているのではなく、「あの人」もこんな目にあっているのだ。自分一人だけが、「こんな目」に選ばれたのではないことがわかって、なぜかホッとした。
 
そういえば退院後、私の首の病気のことが職場で広まると、「実は私も」と、名乗りを上げる人がいて驚いた。全く同じ病気ではないにしても、似たような症状で苦しんでいる人が身近にいたことを知った。Aさんのときと同様に仲間意識が芽生え、「痛いときは、この鎮痛剤がいいよ」とか、「リハビリは、こんなことをするといいらしい」とか話したり、お互いの症状を確認し合ったりしては、改めて自分一人じゃないんだと思わされた。
 
昨年、乳ガンになったときも同じだった。手術で、乳房の全摘出の可能性があった。手術のために休むことを職場に告げると、こっそり「実は自分も全摘出したよ」と言ってくる同僚がいた。そのことを全く知らなかった私は、驚いた。彼女は、私にいろいろと心構え(女性にとって乳房は思い入れがあるものなので)や術後のことを語ってくれた。結果的に、私は部分切除で済んだものの、彼女のアドバイスや気遣いは、とても私の心に沁み込んだ。
 
術後の放射線治療のときも、同じ時間帯に治療を受ける女性と待合室で話すようになり、お互い5年後(ガンでは、5年経って再発しないと治癒したとみなされるということから)には大丈夫でいようねと、一緒に不安から抜け出そうと励まし合った。
 
「こんな目」にあっているのは、自分だけじゃない。そう思えると、ちょっとでも「自分一人」という孤独から救われる気がする。
だからといって、「こんな目」にあっていいと思っているわけでもない。どんなことがあっても大丈夫だなんて、ポジティブなカラ元気を装うことなんてできない。
 
ただ、人生には予想できない出来事が降りかかることがあるというのは、身を以って実感した。
誰だって、「こんな目」にあうことは避けたいし、まさか、「こんな目」にあうとは誰も思ってはいない。だから、予期せぬことが起こったら嘆くのが普通だろうし、また、そうしていいと思う。
しかし、理由探しに躍起になっても、事実は変わらない。どういう理由で、などと考えても分からないことが、この世の中にはたくさんあるのだろう。
 
それでも、「こんな目」にあっているのは、自分だけじゃない。
自分だけが、と思いがちだけれど、言わないだけで、周りには似たような体験をしている人が必ずいる。同じ思いをした人たちと話してみると、心が軽くなるから不思議だ。
傷の舐め合いだと思われるかもしれないが、同類という連帯感は傷を和らげることもあるのだ。自分一人だけが、理不尽な目に遭っているのではない。そんなふうに、気持ちの変換ができる。
 
自分一人では持てない荷物も、誰かが少し持ってくれれば楽になる。それに気づくと、誰かが荷物を落としてしまいそうな瞬間に、お節介かもしれないけれど、手を出したくなる。人に全ての荷物を預けることはできないけれど、そう思っている人が近くにいると思うだけで、自分だけという心細さから、少しは安心できるのではないかと思うのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

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2022-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.160

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