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週刊READING LIFE vol.160

職員室で握り拳を作った日《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》

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2022/03/07/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
正月に祖母の家に行った時、一台のカセットテープを見つけた。
実家が近いとはいえ、もう何年も何年も一人で暮らしている祖母は、好きな音楽や落語のテープをいまだに愛用しているらしかった。
祖母が不便しないように退屈しないようにと、祖母の息子である僕の父は大きなテレビを買ったが、祖母はほとんどそれを使わないらしい。どうやらエアコンも苦手なようで、冬の寒い日でもエアコンもつけずに過ごしている。息子である父が心配するのは当然である。もう90歳を超えているのだから。
 
僕らはどうしても新しい家電やデバイスに、すぐ飛びついてしまう。新しいiPhoneが発売されれば、アップルショップに長蛇の列を作り、春の新作は試さずにはいられない。
しかし、古いものや使い慣れたものを愛用している祖母の気持ちは十分にわかる。自分が慣れ親しんだものを使い新しいものを拒絶することは、楽だ。そんなんじゃワクワクしねーじゃん、と、ノリノリで話しかけてくる自分も心の端っこにいるものの、いやーやっぱこれだよね、と、今まで自分が“普通だ”と思ってきたやり方を守る自分も確かに存在はしている。
 
どちらが良い、悪いではない。きっとそのどちらも、自分の引き出しに入れておくことが大事なんだ。そう思ったのは、僕が教育実習で母校に通っている時だった。

 

 

 

「いいじゃん、この指導案!」
教員免許の取得を目指すゼミでのことだった。来週から始まる教育実習に向けて、それぞれが自分の担当教科の担当範囲に関して、指導案を作成してみんなで意見を出し合っていた。
例えば、担当教科が「国語」で範囲が「短歌・俳句」だったら、教科書に載っている代表的なものを参照しながら、15分でその定型や季語について勉強する。その後、その内容解説に15分。そして自分で俳句を作ってみる、に15分。
今書いたものはとても大雑把なものだが、教員の方々は、それぞれの授業一回一回に関して、このような指導案というものを作成している。その授業の目的は何か、この授業を通して生徒にどんなことを教えたら良いのか、それをどれぐらいの時間でこなすのか。授業についての、具体的な設計図を作るのである。
ゼミの生徒は自分も含めて、緊張と不安が入り混じった面持ちだ。
自分が必死で考えた指導案のフィードバックを受けるのである。“絶対、教師になるんだ”と鼻息荒く勉学に励んできた、真面目な教員志望の学生にとっては、「教育実習」というのはこれまでの勉強の総仕上げである。そして、これからの自分の教員ライフのスタートの合図でもある。気合が入るのも当然である。
僕はまぁなんとなく教員免許は取っといたほうがいいよね、ぐらいの緩い感じだったのでそこまで熱心でもなかったが、さすがに教育実習となると背筋が伸びる思いでいた。
 
僕が入っていた教育系のゼミの教授は、教育学の世界では有名な先生だった。
自身は大学教員でありながら、教育・教養に関する書籍を何冊も出版し、ヒットも飛ばしている方だった。自分の能力の高さを全く隠そうともせず、自分は才能がある、と本気で語る姿は強烈なフォロワーとアンチを生んでいたけれど、それでもその人の元で学びたいと集まってくる学生は多かった。
僕はまぁせっかくだから有名な人の話を聞きたいな、ぐらいのミーハーな気持ちでそのゼミに入ったが、その手法の斬新さにすっかりハマっていた。
“つまんない”“よくわかんない”という人も多い、学校の授業の中に、取り入れてみたい斬新な手法をいくつも学ぶことができた。自分が担当する授業では、是非いろんなやり方を取り入れて授業を展開してみたい。それまで、少し面倒だった教育系の授業が楽しくなってきていた。
 
実際の授業に向けての指導案を生徒同士で見せ合い、お互いにフィードバックし合う。
僕の授業案も、ペアの相手の授業案も、その教授の影響をモロに受けたものだった。
え、めっちゃいいじゃん。ほんとこれ斬新だと思う。
いやいやそっちこそ! このやり方、俺も授業で使わしてもらうね。
ダメ出しするところなど見当たらず、終始お互いの授業案を褒め合った。実習での大活躍の太鼓判をお互いに押し合った。
まさか、その数日後。その実習案を破り捨てることになるとは、この時は想像さえしていなかった。

 

 

 

「これじゃダメだね。もう一回考えてきて」
母校の中学校の、職員室だった。一日の授業は終わり、夕焼けが眩しかった。
他の先生方は至って、通常営業だ。明日の授業準備をしている先生もいれば、部活動の指導で笛を吹きながら大声を出している声も聞こえてくる。いつもの学校のいつもの風景の中で、僕は一人、職員室で拳を硬くしていた。まさか、こんな目にあうとは。
もう何度目だろう。いつになったら、僕の授業案はOKされるのだろう。
教育実習生には、指導教官が付く。実習生が実際に授業を担当する前に、この指導教官が僕の作成した指導案にゴーサインを出さなければ授業をさせてもらえない。
僕の担当になった先生はこの道30年以上のベテランの先生だった。その厳しさは生徒たちから恐れられていたけど、当の本人は全く気にしていないようだ。淡々とこなす自分の仕事に、静かに誇りを持っているような。そんな女性の大先輩だった。
「わ、わかりました。あのぅそれで、どこを修正すればいいでしょうか」
「んー、この冒頭のこのやり方。あまり良くないと思う。違うやり方に変えてみて」
指摘されたところは、大学のゼミの教授から教わった手法の部分だった。僕の“授業の中でやってみたい手法リスト”の最上位にあったものだ。これは変えたくない。
でも、指導教官のOKが出ないと授業もできない。それでは元も子もない。
でも、これはあの教授から習った“新しい”手法なんだ。この指導教官の先生もあの有名な教授のことは知っているだろう。経緯を話せば、わかってもらえるんじゃないか。
「あのうこれは◯◯教授が……」
「あー私、あの人嫌いなんだよね」
 
き、嫌い? 多分実際の時間にしたらほんの一瞬だったろうが、僕は数分固まった気分だった。確かに尖ったことを言いがちな教授だからアンチは多いが、まさかこの場でそんなことを言われるとは全く予想していなかったからだ。指導教官は続けて言った。
「新しいことやりたいのはわかるけど、違う方法を考えて。明日までに直してくれないと、授業させてあげられないかも」
 
試したい手法があった。それを黒板の前でやっている自分とそれを聞いている中学生たちの姿を想像してきた。緩かった僕も、この教育実習に向けて少々気合を入れて勉強してきたつもりだった。でも今指導教官の「嫌い」という一言が壁のように僕の前に立ち塞がっていた。
自分の部屋の机の前で、小一時間、腕組みをして固まっていた。
このままでは、やりたいことが何もできない。指導教官があの教授のことが嫌いなのであれば、“やりたいことリスト”が一つも消化できずに、この教育実習は終わってしまうかもしれない。いや、終わることができればいい方で、途中で実習打ち切りということもありうるかもしれない。
壁にぶつかってへこたれていた気持ちが、だんだんと怒りに変わってきた。大体なんだよ“嫌い”って。そもそもそんな個人的な感情で判断していいのか。好き嫌いで判断していいのか。でも負けたくない。こんなんで終わりたくはない。
沸いた怒りは沸々と煮えながら、どこかで冷静な自分が居た。
あれ、そもそも。何が目的だったんだっけ。
 
確かに僕はあの教授から、その著書からいろんなことをゼミで学んだ。
国が定める公立学校の学習指導要領に沿った、画一的で使い古された授業手法。そのやり方をひっくり返してみたかった。せっかく教育実習に行くのだから、せっかくのチャンスなのだから新しいことを試してみたかった。ここまで考えて、はたと思い当たった。
あ、俺、自分のためにやってたわ。
そうだ。あの手法もこのやり方も、全部自分が試したいだけだった。自分が試したいだけで、それが“生徒にとって”最適か、考えていなかった。いや、正確に言えば考えてはいたのだけれど、「授業の目的」を「自分の目的」が上回っていた。よく言えば「チャレンジ精神」だが、こうなっては「やりたがり」なだけだ。極端に言えば教育実習の私物化だ。
 
確かに、あの教授の手法は新しかった。斬新だった。
でもそれはイコール“良い”とは限らない。それはあくまで手法であって、手法は目的のために存在しているからだ。サクサク仕事をしたいからiPhoneの最新機種を買い求めるし、パンを美味しく食べたいからバルミューダのトースターを買うのだ。
“新しいもの”に飛びつく、試すようにするのは大切なことだと思う。でも飛びつくこと・試すこと自体が目的になっていた自分が居た。使い古された“古い”手法は“悪い”のではない。もちろん改善の余地があることは多いが、その古い手法が最適解なこともある。
もう一度、練り直しだ。このままでは終わりたくない。
至ってベーシックながら、自分がその時「最適解」だと思う授業案が出来た頃には、空がぼんやりと白み始めていた。

 

 

 

コロナによる緊急事態宣言が明けた、今年の正月。祖母に久々に会うことができた。
高齢の祖母に感染させてはならないと、この2年ほど会えないでいたからだ。
皆でおせちを食べ終わると、祖母は静かに席を立った。きっとお気に入りのテープを聞くのだろう。そう思って見ていると、祖母はカセットテープが置いてある棚には見向きもせず、最新式の大型テレビの電源をつけた。
新春特別番組がやっていた。祖母は昨年ブレイクしたお笑いコンビのネタで、大きな声で笑っていた。一緒に居る家族も、それを見て笑っている。確かに、今はこれが“最適解”かもしれない。
「古い」も「新しい」も、それはそれ以上でも以下でもない。
「古い」から「悪い」のでもないし、「新しい」から「良い」でもない。
そのどちらも自分の引き出しに入れて、目的に応じていつでも出し入れ可能にしておくこと。時には壁にぶつかって考える時間も必要だな。
なんだか小難しいことを考えて、一人神妙になっていたが、それを吹き飛ばすように祖母は笑っていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.160

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