週刊READING LIFE vol.160

弱さを知ることが思いやりの第1歩《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》

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2022/03/07/公開
記事:後藤 修(READINGLIFE編集部ライターズクラブ)
 
 
人間40歳を超えると、頭が痛い年中行事が加わってくる。
それは勤労感謝の日ならず、‘体労感謝の日’と呼んでもいい日。
 
それは人間ドッグを受ける日だ。アラフィフの僕には、拷問のように
思える時がある。
 
これは身体測定から血液検査、お腹のエコー検査などの体が検査漬けにされる日。
体を労わるためとはいえ、‘痛う~!’と感じる検査ばかりだ。
体が次々可視化されてなんだか気持ちが悪い。
 
そこで、‘あなた、体をねぎらっていませんね!? ’と突き付けられると
精密検査という‘牢屋’に連れていかれてしまう。
 
僕はアトピー性皮膚炎の影響から、血液検査で‘捕まり’精密検査を受けるはめになった。
が、幸いにも、再検査の結果‘シロ’とジャッジされ、永久牢獄とはならなかった。
 
つい最近、僕の母親が僕と同じような目に遭った。
そして、それを通じてあることを考えさせられた。

 

 

 

クリスマスが終わり、師走の忙しさがピークだった昨年末のことだった。
仕事が終わり、会社から帰ってきた僕はポストを覗いた。
そこには、四角い茶封筒がポストの幅いっぱいに収まるように入っていた。
 
来た。母親の人間ドッグの結果だ。
 
毎年、このころの恒例であった。
 
僕は母親と2人暮らし。隣町には、兄と姉が住んでいる。
2人の甥がいるが、2人は離れた場所に暮らしている。
僕の家族構成はこんな感じだ。
僕は父が亡くなってから、母親と一緒に25年ほど暮らし続けている。
僕らの仲はとてもよい。親子ともいえるし、友達ともいえるし、盟友ともいえる。
 
盟友とは言いすぎじゃない?
 
こんな質問が飛んできそうだが、これは言い過ぎでもなんでもなく真実だ。
それはお互い、体に悩まされながら生きてきた身の上だからだ。
 
母親と僕は体がねじれているように体が硬い。
例えていうなら、体全体がねじで巻かれるように曲がっている。
 
なにそれ? と思うかもしれないが、これは当人同士の感覚で、
僕と母親は同じような‘ねじれ’を感じているのだ。
 
こんな経験をしている方はほぼいないだろうと思われる。
 
さて、話を戻すと、僕らは‘不健康’に悩まされているという‘共通項’があり、
どのようにして健康に生きていくかを最大のミッションとして過ごし続けてきた。
毎月、5種類の整体院に2人そろって行脚しているのは何よりの証拠だ。
 
時が経つにつれて、そんな共通項が手伝い、元々の良好な関係がさらに良好となり
お互いを思いやれる関係もアップし、一緒に過ごす時間はやさしい空気感に
包まれている。
 
だから、僕にとって、母親はかけがいない存在なのである。
母親の健康状態は‘日常生活の気になることランキング’の常に1位か2位であるのだ。

 

 

 

「ただいま!」
 
僕は靴を放っぽるように脱いで、キッチンにいた母親に
 
「人間ドッグの結果が届いていたよ。中を見ていい?」
息を少し切らしながら僕は声を発した。
 
「いいよ」
母親はそう言った。僕ははさみをチョキチョキさせて茶色の封筒の上
を切った。
数枚のA4の用紙を取り出して、目を走らせた。
すると、あるところで目が留まった。
それは腫瘍マーカーの箇所。正常値よりも若干高かったのだ。
精密検査が必要と載っている。
 
え……。これはまずい? 毎年、上がっていたけどまずい……。
しばらくそこを凝視した。
 
これが嘘であってほしい。でも、これは事実。母親に言わなければ。
 
少しの動揺を抑えて、腫瘍マーカーの値が高く検査が必要だと伝えた。
 
母親は冷静にああ、そう。と答えた。続けて言った言葉が僕を悩ませる。
 
「今は、寒くて動くことがしんどいからね。年があけてから、日程を決めて
病院に行くから」
 
うーん……。僕にとってはめちゃくちゃ大事なんだけど。
でも、母親の言う通りだ。
母親は80歳を超えて、若者のようにすぐ病院には行けない。
無理をさせるわけにいかない。
 
僕は気持ちを呑み込むように声を発した。
 
「……そうだね。じゃ、年明けてから、病院へ行こう」
自分が感じた不安を飛ばそうと高らかに声を出した。
 
かくして、この懸念は年越しとなったのだ。

 

 

 

年が明けてから1か月後、僕と母親は病院へ行った。
母親に届いた精密検査のという‘赤紙’を持って内科を受診。
そこで、お医者さんから二つの検査を勧められた。
 
1つは膵臓、肝臓などの臓器を診るCT検査。
これはそんなに負担がないものらしい。安心した。
しかし、もう1つが難敵だった。
 
この大腸検査は僕は経験していた。
これはハーフマラソンを走るようなものでかなりの苦行。
なにせ、大腸を診る前に、数時間にわたり、液状の整腸剤を飲み続ける。
そして、全てのモノが出たらカメラを大腸に入れる。
そのカメラが通る時は、本当に生きた心地がしなかったのだ。
 
それを後期高齢者である母親が受診するかどうかを決めなければならなくなった。
 
大丈夫か?
高齢の母親はこの検査に耐えきれるか?
受診して悪影響がでるのではないか?
 
しかし……受診しなければ、‘ああ、あの時どうして受診しなかったのだろう?’
と思う場面がくるかもしれない。そこで、家族が後悔することは自明だった。
本当に難しい選択だ。
 
そんな思いが去来する時に、お医者さんは
「年齢からしても、受診をお勧めします」
 
それから、30分ほど、喧々諤々に僕と話し合いをして母親は受診を決めた。
 
ほっとした。でも、複雑。雲をつかむようでなんかもやッとしていた。
 
しかし、そう思ってもいられない。
これからやってくるサバイバルに母親とともに、戦う決意を僕はしたのだった。

 

 

 

兄と姉に母が受診する決意を伝えて、2人に同意してもらった数日後。
僕と母親は病院へいざ出陣した。
 
開始時間は10時。
‘牢屋’ともいうような検査センターへ足を踏み入れて
受付係の人へ声を掛けた。
 
「では、着替えて指示を聞きながら行動してくださいね」
母親ははいと答えて、着替えを始めた。
 
僕はこの場にいるのはあまり好ましくないと考えて
「じゃ、病院の受付のあたりで座って待ってるよ。本でも読みながら」
 
母親はじゃ、そうしてと答えて更衣室へ入っていった。
その背中は覚悟を決めた‘女武者’な空気をまとっているように見えた。
 
(なんとか乗り切ってね)
僕はこんなことを思った。そして、1時間ごとに母親の様子を見に行くことにした。
 
最初の2時間ぐらいは特に変化はなかった。しかし、3時間ぐらいしたら
雲行きがあやしくなってきた。
 
整腸剤を飲み、トイレへ行くことを繰り返すことで母親に疲れがたまってきた。
また、持病の体の硬さが顕著になってきた。そして、ついに
 
「体が痛い……。ああ……」と苦しそうに倒れそうになった。
 
これはまずい。なんとかしなければ、どうする? 僕?
 
その時閃いた。
そうだ。マッサージだ。この待合室にある長椅子に母親を寝させて
体を按摩することを思いついた。
 
「おかあさん、体をよこにして! 体を揉むから」
 
考えてみれば、時々母親の体を揉んでいたので、この行為に抵抗はなかった。
誰にこの様子を見られても平気だった。
だって、僕の母親だから。当たり前のことと思った。
 
揉み続けて10分後。
「気持ちいい~。助かったあ~」
母親の柔らかな声が響いた。
僕はほっとした。
「良かったあ~。もうちょっと揉むね」と言った時だった。
後ろから
 
「いいね。あなたの息子さん。そんなことまでしてくれるんだ」
 
見知らぬおばさんが僕らに話しかけてきた。
母親と同世代のような風貌の方だった。
おばさんは続けた。
 
「あんた、今日は休みなの?」
「はい。会社を休んで母の付き添いに来ました」
「ま? そうなの? うらやましいねえ~。私のとこは娘が‘受けに行って来い’というから
来たんだけどね。まあ、あんたのとこと大違いだわ。付き添いになんてこやしない」
 
それから、そのおばさんは80歳であることや、娘さんと同居しているものの冷たくされると話していた。なんでも、娘さんの旦那さんと一緒に住んでいるが
一緒に住み始めてから、仲がこじれてきてしまったと話していた。
 
例えば、どこかに連れて行ってくれと娘さんに伝えると、‘一体どこ行くの!’と強く言われてしまう。それは叱られている気分になると嘆いていた。
そんなおばさんの話を数分に渡り僕は聞き続けていた。
 
ああ。そうか。
 
僕は改めて思った。
僕は体調を崩して、だいぶ経つ。母親との生活も長く続けてきた。
今いるのは、母親が不健康の僕を救ってくれたから。
親子とでもあり、友達でもあり、盟友でもあり、さらに恩人だから。
その優しさがあってここまで生かされてきた。
 
だから、おばさんの娘さんのように、冷たい言葉を掛けることなんて考えたこともない。
 
僕は健康を失ったことで、人は弱い生き物だと知った。
だから、人はお互いにどんな場合でも、相互に助け合いながら生きていかねばならないことを学んだ。それを今も実践して継続できていることを改めて感じた。
 
僕は少し、間をおいて言った。
 
「そうですか……。血がつながっていても、同居すると難しいものですね」
 
「そうだよ。昔、私も若いころ、一緒に住んでいたうちのおばあちゃんに歩けないことを
‘なんで歩けないの!’って言ったんだけど。あんなこと言ったから今、バチが当たっているのかな?」
 
僕は黙ってしまった。

 

 

 

それから、1時間後に母親は呼ばれた。
 
「検査時間は何もなければ、5分ぐらい。けど、ポリープがあれば50分ぐらい
かかります」
 
看護師さんの言葉に不安を感じた。が、僕は待つしかない。
祈るような気持ちで待ち続けた。
 
5分。10分。20分。30分。40分。待てども待てども母親は診断室から出てこない。
 
ああ。何かあったのか? これからどうしよう?
心は暗くなった。
汗が出てきた。頼む~。頼む~。僕はアマテラスに祈るように念じた。
 
すると、母親が出てきた。
隣にいた看護師さんが
 
「おかあさん、頑張りましたよ……。腸の形が特殊でカメラが入っていかなかったんです」
だからこんな時間がかかってしまって。申し訳ありません」
 
ああ。そうだったんだ。僕は肩の力が抜けた。
 
「で、ポリープはあったの?」
僕は母親に聞いた。
 
「うん。あったよ。けど、ちっちゃいのがいくつか。多分、大丈夫だよ。
けど、こんなに時間がかかるなんて、全く。まさか、こんな目にあうなんてね……」
想像以上にかかったことで、母親は顔が真っ青だった。でも、元気な声で答えた。
 
「本当に死闘だったね。でも、まずはよかった。はやく着替えて帰ろう」
 
僕の声は軽やかだった。

 

 

 

その後、僕らは帰った。
僕は家に着くと、緊張感とけだるさで横になった。
横になって思った。
 
ほっとした。
まずは大事なさそうだ。
疲れたけど、母親に付き添えてよかった。
 
僕は疲れがたまっていて早く寝てしまった。
 
 
翌日、目が覚めた。
昨日の疲れはだいぶ取れた。疲労と緊張は大体とれていた。
まずはよかった。生還したんだ。僕も母親も。
今日はにこやかに会社へ行ける。
 
僕は明るい気分で出社した。

 

 

 

母親が無事に検査を受けて、特に病理も見つからなくほんとに安堵した。
 
その傍ら、高齢の親との接し方について考えさせられもした。
 
それは高齢の親へ対する接し方がおざなりになっているのではないかということだ。
僕が出会ったおばさんの意見はどこの家庭に関する悩みのように思われた。
 
おばさんの話からすると、その原因はお互いのコミュニケーションが足りない、つまり意思が疎通されていない現実だと感じた。
 
若い世代では、共働きが標準となりつつある。
その中で、夫婦の関係もさることながら、親子との関係もかなり複雑になってきて
病院で出会ったおばさんのような‘親子でも仲が悪い’と思う高齢者は多いように思えた。
 
今後、ますます高齢化社会になるにつれて、家族との関りはますます重要だ。
 
人間は誰もが年を取る。そして、誰かに面倒をもらいながら生きなければいけない局面は
たくさんある。そんな時こそ、優しい言葉を掛け合える‘お互い様精神’を持ち合うためにも、
人間ドッグのように、‘家族関係ドッグ’を各家族で定期的に開いていくことが必要ではないかと思う。
チェック項目はいろいろある。でも、必ず入れるものとしてはこれではないだろうか?
 
「人は弱い生き物だと思う?」
 
この質問に皆が‘はい’と答えられるようになるまで議論してはどうだろうか?
そうすれば、今の僕と母親の関係のように
家族皆に対して優しい思いやりの気持ちを持つ第1歩を歩むことができるかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
後藤 修(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。会社員として23年間勤務。2年前に今までの人生を振り返って
自分らしさを持ちながら生きることを決意し、コーチングを取得。
来たるべき時期に会社を退社して、コーチングを使い本来の自分を取り戻し、‘ありたい自分’で生きていきたい人を支援する活動する計画を着々と進めている。

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2022-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.160

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