コンサートホールで見つけた生き方のヒント《週刊READING LIFE Vol.161 人生100年時代の働き方》
2022/03/14/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
都内のコンサートホール。開演間際に席に着くと、演奏が始まるまでのざわざわとした感じに少し気持ちが高ぶる。隣に座る両親も、久しぶりのコンサートで楽しそうにプログラムを確認していた。
開演を知らせるブザーとともに、客席のざわめきが消える。次々に舞台袖からオーケストラのメンバーが現れ、席についた。拍手をしながら、オーケストラを迎え、そのあといよいよ指揮者の登場だ。指揮者が入ってくると、いままで以上の拍手が起こり、そして、指揮者が指揮台にあがると一瞬で静かになった。
演奏が始まると、私はまずゆっくり目を閉じる。そして、全身で振動を感じた。
「そう、この感じ」
音が響きわたり、そして音楽ホール全体の空気が振動する。私はこれを感じたくて音楽ホールに足を運んでいると確信する。
そして、また静かに目を開けると、目の前に指揮者と演奏者の人たちの動きが目に飛び込んできた。
舞台の上にはオーケストラが並び、女性指揮者が中央にいる。彼女の手の表現、全身の表現によって音楽は創り出されていく。演奏者は、その表現を感じながら、自分の楽器を通して音を紡いでいく。
コンサートの醍醐味の一つは、生の音と振動を全身で感じることができることにあると思う。音の良いオーディオ、スピーカーから出てくる音、振動とはまた違った趣がある。
そして、目の前で音楽が創り出されていくところを見ることができる。たとえ同じ楽器であっても、演奏者一人一人の動きは微妙に違う。その人が動き、身体で表現しているところを眺めるのも好きだ。
まさに、そこは目の前で、その瞬間の音が創り出されていると思える。
その日のコンサートのオーケストラのメンバーの中には友人がいた。私は、舞台の上の友人をみながら、以前彼が話していたことを思い出した。もう、数年前、コンサートのあと、舞台からおりた彼とお酒を飲んだことがある。その時、彼はとても晴れ晴れとした表情で約束のお店に現れた。演奏が終わって興奮していたのかもしれない。とても上機嫌に楽しそうにお酒を飲んだ。
その日、私は演奏中に、寝ているとも寝ていないとも区別のつかない、意識がはっきりしないふわっとした感覚で演奏を聴いていたことを話した。すると彼は、
「あの交響曲はそんな気分になりますよ。僕も演奏しいて、意識が別のところへ持っていかれます」と答えたのだ。彼は、自分が演奏しているのに、演奏している曲に聴き惚れている時もあるという。演奏そのものにどっぷり浸っているというのだ。
そして、演奏が終わった今の気分ってどんな感じなのか話してくれた。
演奏会は生ものなので、アクシデントがないわけではない。でもいつも終わってしまえば、いい演奏会だったと思えると言うのだ。音は流れて消えてしまうので、仮に何かミスがあっても残らない。だから、終わってしまえば全てやりきったと感じることができる。お客様から多くの拍手をもらい、大抵の場合、喜んで帰ってもらえる。それでとても充実感が得られると言う。
なんていい生き方なのだろう。好きな音楽を奏で、そして、本番のあとはやり切ったと思え、完全燃焼できる。もちろん、舞台に立つまでは多くの練習の時間を費やすことになるのだろう。しかし、その大変さはお客様からの拍手、笑顔でみんな帳消しになるのだ。
オーケストラに所属している彼は演奏することが仕事である。そして、お客様を楽しませるために働いている。私はそんな風に、楽しげに話す彼を羨ましく思った。
1曲目の演奏が終わると、2曲目は女性バイオリニストが加わり、演奏が始まった。
少し小柄に見えるソリストは、初めこそ動きが少なかったけれど、どんどん身体を使った大きな表現になり、その演奏はとても魅力的だった。指揮者とコンタクトをとりながら音を奏で、そしてオーケストラがその演奏に厚みをますように音を重ねていく。約30分間にわたる演奏中、はっと心を揺さぶられる音と彼女の全身の表現に引き込まれっぱなしだった。
もちろんそれは、ソリスト、指揮者、オーケストラの3者がぴったりと調和しているからこその発揮される魅力であると思う。
演奏を聴き、その表現を眺めながら思った。誰が欠けてもこの感動は得られないものなのではないかと。ソリストだけでは、この演奏は成立しない。ソリストは目立つ存在ではあるが、今ここで創り上げられる音楽の世界は他のメンバーが必要なのだ。指揮者、オーケストラのメンバーひとりひとりに役割があるのだ。そして、それぞれが自分の役割をしっかりと果たしている。
演奏が終わると、大きな拍手が鳴り止まなかった。バイオリンを持った彼女は、何度も大きく頭を下げ、その拍手に応えていた。そして、アンコールの曲を一人で演奏した。
その音色は、オーケストラと重ねていたものとはまた違う音色で、一つの弓で弾いているとは思えない幾重にも重なる音と流れるメロディが聴衆の心を魅了した。皆、彼女の別の魅力に驚きと感動をもって、また大きな拍手が起こった。そして彼女はまた深々とその拍手にお礼をして、舞台をあとにした。
「すごくよかったわね」母が興奮気味に話す。父も「バイオリニストも指揮者も素晴らしかったね」と同意する。両親は今までの演奏の素晴らしさに感激し、このコンサートを心から楽しんでいた。
休憩時間も終わろうとした時、指揮者がマイクを持って舞台中央に出てきた。そこにいた全ての人が客席から固唾を飲んで見守る。指揮者は静かに話し出した。
「音楽はいつも平和のためになければならいと思っています。いつ、どんな時も、音楽家は平和を祈っています。最後に演奏するドヴォルザークの「新世界より」はドヴォルザークがアメリカで受けた刺激を表現しているとも言われていますが、それと同時に、故郷であるチェコへの望郷の念も表しています。演奏から、自分の国を思う気持ちを感じてください」
2022年3月、彼女は今の世界情勢に心を痛め、そして、音楽家として精一杯できることを伝えたかったのだと思う。聴衆はその言葉に耳を傾け、そして彼女の指揮する「新世界より」を精一杯感じようと思ったに違いない。
約40分間の演奏は素晴らしいものだった。コロナ禍で「ブラボー」と感嘆の声をあげることはできなかったが、客席からは指揮者、演奏者に惜しみない拍手が送られていた。
コンサートホールでの生演奏は、指揮者、演奏者、そして聴衆が作り出す空気が存在する。まず指揮者が、メッセージによって、はっきりとその空気のきっかけを作った。そして、人がその瞬間に発揮する力がある。演奏者も指揮者のメッセージに共鳴したに違いない。聴衆もそれを受け止めようとし、生身の人間が目の前でその瞬間全力で音楽に向き合っているのを見て感動し、その音楽を思いっきり楽しんだ。
ソリストも指揮者もオーケストラの演奏者も、大きな拍手を得るために大変な努力を重ねているのだろう。そして、この拍手は生身の人間でなければ生み出すことができないと思う。これこそ、人の力なのだ。この3者は聴いてくれる人々に、楽しみと喜びを与える、とても素敵な生き方をしている。そして、それは同時にお金を得る職業でもある。彼らの生き方は、とても素敵な働き方であると言えそうだ。
近年、これから先デジタル技術が進み、AIが活用されてくると、今は人間がしている仕事の中でもAIにとってかわられ、なくなる仕事もあると言われている。そんな中で、間違いなく、指揮者や演奏者はAIが発達してもなくならない職業だ。
どんなに上手い演奏者のテクニックを学び、それをもとに上手にロボットが楽器を操っても、その情緒とか感情とかは学びきれない。そして、演奏者が身体から伝えるものは、その人の個性であり、決してロボットには真似ができるようなものではないと思う。
そんなAIやロボットが真似できない仕事だからこそ、人々はその活動に感動し、心を動かされるのだ。
人生100年時代。そんな言葉が聞こえてくる中で、長くなった人生をどうやって生きていこうか、と思う時がある。
昔より長くお金を稼いでいくことも必要なのかもしれない。お金を稼ぐため、生計を立てるためにも仕事を持ち、働く必要がある。
かつて昔は、「働いてその引退後に老後の生活を楽しむ」という考えがあったと思う。でも今はどうだろう。人生100年時代に、私たちは65歳で仕事をやめ、その後の人生を働かずして生きていくことは不可能なのかもしれない。
この人生において働いている時間は非常に長い。だから、働くということを単にお金を稼ぐ手段と考えると、それは少し寂しいことだとも言えないだろうか。
仮に、お金の心配がないとしても、100歳までの人生の後半を働かずに過ごすことは幸せなことなのだろうか。
コンサートを聴きながら感じた指揮者や演奏者の働き方を振りかえると、人を楽しませるために働き、そして人にしかできないことに懸命に取り組んでいた。AIやロボットに置き換わらない働き方。それがこれからの働き方のヒントになるような気がした。
彼らのように、ある種の芸術家でなければ人を楽しませることができないわけではない。考えてみれば、人を楽しませることは誰でいつでもできることなのだ。
例えば、楽しませるということをシンプルに考えて、「笑顔にさせる」ということに置き換えてみたらどうだろうか。誰かが「笑顔になる」ということは少なくとも、気分がいい状態や楽しい気分を味わった時だ。そう考えると、誰かを笑顔にすることはそんなに難しいことではない。
朝、立ち寄ったコンビニで「おはようございます」と声をかけられたら、少しいい気分になる。これが機械に挨拶されても、なんの感情も伴わないかもしれないけれど、そこに人がいて温かく挨拶されたら、大抵の人はいい気分になり、笑顔になるはずだ。
レジや支払い会計は機械にまかせても、人との関係を円滑にするためにも人の力は必要なのだ。
それはお金を稼ぐ仕事でなくても同じである。自分が誰かに必要とされ、その人を笑顔にできるとしたら、それはとても幸せななことだ。この世の中に起こる感動は、コンサートでの調和と同じように、そこにいる人たちの調和が必要なのだ。
こんな風に、人間同士の調和とコミュニケーションは決してAIやロボットが担えることではない。
そして、もはや、働き方は生き方と言えるのではないか。
AIやロボットにとってかえることのできない人間のあり方を追求する。人間にしかできない人間同士の関係を考える。
コンサートを聴きながら感じた彼らの生き方に、これからの人のあり方を感じた。
「働く(はたらく)」とは「傍(はた)が楽(らく)になるようにすること」と言われることもあるが、せっかくだから、「傍(はた)を楽しませる」と考え直して、生き方を見直してもいいのかもしれない。
□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。
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