週刊READING LIFE vol.163

私とおばあちゃん先生の二人三脚《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》


2022/03/28/公開
記事:三武亮子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私には、子どものころから私の心に生き続けている、おばあちゃん先生がいます。
 
小学生の時に学校で出会ったおばあちゃん先生が、「天の神さまと地の神さまと自分」という教えを私にくれました。この言葉は、ぐさりと私の幼心につきささり、「この人にはお見通しなんだ。悪いことはしちゃダメだ」と直感したほどの衝撃でした。
 
その言葉で目覚めた私は、おばあちゃん先生がくれた教えのおかげで、目の前に広がる道を歩み続けることができています。いつ思い出しても、心にほわっと小さな火が灯る、そんな存在です。
 
おばあちゃん先生と知り合ったのは、私が小学校1・2年生の頃にまで、さかのぼります。当時、元気の塊だった私は、授業が終わると学校の友達と校庭で遊ぶのが常でした。かくれんぼをしたり、かけっこをしたり、だるまさんころんだをしたり。駆け回っているのが大好きだったので、日が暮れるまで、めいっぱい学校で遊んでいました。
 
ある日、いつものように校庭で遊んでいると、一人のおばあちゃんが声をかけてくれました。
 
「何してるの?」
「何年生?」
 
最初は、そんな些細な会話でした。
 
子どもの目線にたって話をしてくれるので親しみやすく、日を追うごとに、そのおばあちゃんに会うのが楽しみになっていきました。
 
家に帰ってからも、よく母にこのおばあちゃんの話をしていたら、数日ほど経って、母が、このおばあちゃんは同じ学校の先生だと教えてくれました。担任をもっているのかどうかは、分かりませんでしたが、柔和な笑顔と子どもたちを包み込んでくれる包容力のある陽だまりのようなおばあちゃんは、学校の中でも立派な方だったのではないかと推察しています。
 
そのおばあちゃん先生が、ある日、「天の神さまと地の神さまと自分」という話をしてくれました。なぜ急に、おばあちゃん先生が、私にこの話をしてくれたのか、前後の記憶がまったくなく、はっきりしたことが思い出せないのですが、この話を聞いた瞬間に”びくっ”として戒められたと感じたことは、今でもはっきり覚えています。
 
この教えは、他の人を誤魔化せたとしても、誤魔化せないものが世の中には3つあるという話です。
 
つまり、「天の神さま」は、いつも天からみんなのことを見ている。「地の神さま」は、地面からみんなのことを見ている。そして、「自分」は、自分が見ていると、おばあちゃん先生は、ご自分の胸を指しながら言いました。
 
当時の私は、幼い子どもがやりがちな、人に嘘つくことがよくありました。自覚があるものだですと、テストの点数が悪いと先生の採点ミスのような細工をしたり、遊んでいて帰宅時間が遅くなった時には、下校途中にランドセルが軽いと感じて忘れ物に気づき学校に取りに帰ったと両親に言い訳をしたり、人の物をとっても平気で知らんぷりをしていたり……。
 
今、思い出した内容だけでも、結構な悪ガキっぷりだったことが伺えます。
 
特に、帰りが遅くなった理由を、ランドセルの軽さに気づいて学校に取りに帰ったと両親に話した時、父親が烈火のごとく「嘘をつくな! そんなことに気づくわけがない」と、怒ったことは忘れられません。
 
愚直なまでに正直者だった父親らしい反応ですが、本来であれば、子どもがなぜ見え透いた嘘をついたのか、理由を丁寧に聞いてあげるのがよかったのではないかと思います。
 
私が嘘をついていた理由の多くをたどっていくと、それは明らかに親に怒られないための防衛策としてのものでした。
 
私の両親は、愛情豊かである一方、心配性で規律に厳しく、子どもの教育に熱心でした。周囲に迷惑をかけてはいけない、まっとうな人間に育てなければいけない。偏差値の高い学校に我が子を通わせることが、人生で最も重要なことであるいう「学歴至上主義」のようなところがありました。
 
それは、自分たちの周囲に、高学歴の大学に通う子どもが多かったので、私にも高学歴の学校で教育を受けさせなければ! という気負いがあったのでしょう。
 
裏を返せば、学歴社会の日本で、我が子が食いっぱぐれないように、人様の前で恥をかかない人に育つようにと心配する親心の現れでもあるのですが、6・7歳の子どもには荷の思い注文が多かったのだと思います。
 
そんな家庭の事情を、おばあちゃん先生にお伝えした記憶はありませんが、私との会話の中で何
かを感じ取ったのでしょうか。真相はわかりません。
 
しかし、自分にとって都合の悪い事実を隠す傾向にあった私は、おばあちゃん先生が教えてくれた、あの時のあの言葉で我に返り、以後、人が変わったように物事を誤魔化すクセが薄れていきました。
 
とはいえ、子どもが嘘をつくのは子どもの成長過程において自然なことで、嘘をついた時に大人が子どもにどう伝えるかが大切と言われています。偶然だったのか必然だったのか、おばあちゃん先生の言葉が子どもの心に響き、自ら気づき改善するよう導いてくれたことは、感謝の一言に尽きます。
 
あの時、あの言葉がなかったら、私は平気で嘘をつく大人になっていたかもしれません。一つの嘘が嘘を作り、雪だるま式に大きくなって、ずっと嘘を重ね続けていく人生になっていた可能性だってあります。
 
アイルランドの劇作家ジョージ・バーナード・ショウの言葉に、このようなものがあります。
『嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけではなく、他の誰をも信じられなくなるということである』
 
なんと哀しい人生でしょう。
 
このおばあちゃん先生との出会いから数年経ったある日、母からおばあちゃん先生が亡くなったことを聞きました。
 
その頃の私は、もう友だちと校庭を駆けずり回ることもなくなり、中学受験に向けて塾へ通う受験生になっていました。友だちと遊んだり語らったりする時間よりも、机に向かって黙々と宿題をする時間が増えたせいか、母からおばあちゃん先生の名前を聞いた時は、寂しい気持ちの中に懐かしさと温かな感情が湧いてきたものです。
 
おばあちゃん先生の姿はなくなっても、「天の神様と地の神様と自分」という教えは、その後も私の心に寄り添い、折に触れて思い出されるものでした。
 
「正直であれ」
そんなおばあちゃん先生の声が、聞こえてくるかのようでもありました。
 
大人になるにつれ、この教えの本質には、正直であるだけでなく「公明正大であれ」、という願いがこめられているのではないかと思うようになりました。
 
人は成長するにつれ、関わる人や社会の範囲が広がっていきます。多種多様な人と出会い、日々多くの人と同じ時間と空間を共有するようになります。
 
気の合う人、合わない人、わかり合える人、わかり合えない人、いろいろです。また、自分の権利を守るために損得勘定で動いたり、自分に不利な状況になると発言内容を変えて何食わぬ顔でやり過ごす人もいます。
 
大人の悪意ある「嘘」は、数え上げたらキリがありません。
 
そういう中にいればいるほど、おばあちゃん先生の言葉が、強く自分を支え、意識を正常な位置に戻すレバーのような役割を担ってくれていることに気づかされます。
 
特にそれを感じたのは、創立10年ほどの若い外資系企業で、秘書として働いていたときのことです。本社が米国にある以外、世界480の拠点はすべて営業オフィスという仕組みだったため、日本のオフィスは、常に高い目標を掲げた売上を追いかけて動いていました。
 
数字、数字、数字。
 
一週間ごとに売上の達成率や見込み率を確認し、達成率が低ければ、当然上から厳しい言葉が飛びます。それが度を越せば人間関係の摩擦の原因になり、互いの信頼関係が崩壊することにつながることもあります。
 
また上司が部下を信じず厳しい言葉を浴び続けると、部下は上司に真実を伝えなくなり、気づいたときには手遅れだったということも。
 
上司と部下の関係だけでなく、同僚の関係も複雑です。同僚は切磋琢磨する仲間でもありますが、同時にライバルでもあります。担当する顧客によって売上が見込みやすいところと見込みにくいところが出てきます。いわゆる”あたりはずれ”です。
 
それにより、やっかみが生まれたり、自分はできているのにお前はできていないと相手を見下すような発言が生まれることもあります。
 
「弱肉強食」という四字熟語がぴったりの世界は、「公明正大」とは対極にある場所です。自分がその環境に巻き込まれたら、たちどころに食べられてしまいかねない……。
 
当時の私は、今以上に発想の転換をするのが苦手だったせいもあり、自分が置かれている無秩序な環境を嘆き、周りの反応や対応に一喜一憂してイライラしては、自分を消耗させていました。
 
そんな時、自分を中庸に戻す手伝いをしてくれていたのは、他でもないおばあちゃん先生のあの教えです。
 
中庸に戻す作業が必要だった理由には、秘書業をする上で「人との信頼関係」を最も大切にしていたことがあります。私が理想としていた秘書とは、仕事のミスをしないという大前提があっての、人と人の潤滑油を担うことだったからです。
 
一般的に「秘書」と聞くと、自分と上司の良好な関係を思い浮かべると思いますが、それに加え、上司の部下と上司、自分の部署と他の部署、自分が働く会社と外の会社など多方面での潤滑油になることでした。
 
その全方向で、良好な人間関係を構築できれば、スムーズに仕事を運ぶことができ、上司の時間をムダにしないですみます。仕事を効率的におこなう上で、最小限のエネルギーで最大限の結果を生み出せる望ましい形だと信じていました。
 
それに、関わる人の間で信頼関係が築けていると、トラブルを最小限に防ぐことができることも感じていました。人と人が関わる場では、往々にして認識不足や確認不足により、行き違いや勘違いが生じるものです。
 
日頃から、まめに人とコミュニケーションを取って、双方の仕事の内容や仕事の進め方などを共有しておくことで、誤解やもめごとが減って、物事をスムーズに進められれうようになります。
 
また、互いに気心がしれていれば意見がいいやすくなるので、急ぎの仕事があったり、改善したいことがあれば伝えやすくなるし、聞き入れてもらいやすくなるというメリットもあります。
 
親密度が増して相手の力量を理解していれば、溜め込んでしまいがちな仕事も、ためらわず相手にお願いすることができるようになり仕事の効率が上がります。
 
おばあちゃん先生の教えが、こんなにも波紋を広げているのですから、いかに私の心をとらええたかを伺い知ることができます。
 
一つ注意することがあるとすれば、理想を追求しすぎるあまり、同僚に正論を並べまくっていたところがあり、中庸から離れてしまう場面もあったということでしょうか。
 
正直でいることは大切なことですが、正しいことをいっているからといって、すべてが許されるわけではありません。信頼関係を築くうえで最も大切なことは、相手の気持ちを尊重するということです。
 
理屈で人は動きません。この意識が足りなかったことは反省する点であり、以降、私が人と接する上で、細心の注意を払っていることです。
 
思い返してみると、おばあちゃん先生が私の中に顔を出す日が、以前より少なくなっているような気がします。少しずつ、中庸な生き方ができるようになってきたということでしょうか。
 
私が子どもたちの”おばあちゃん先生”になる日が、来るかもしれません。その日まで、おばあちゃん先生との二人三脚は続きます。
 
まとめ
幼い頃に教えられた教えが、今でも自分の軸になっています。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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