週刊READING LIFE vol.163

学びとやさしさと暴力と罵声をくれた、忘れられない人《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》

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2022/03/28/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ついさっきまでそこにいたのに、いや、今もいるのだけれど、触れることだってできるのに、今だって体温は残っているのに。
でも、声をかけても、もう届かない。
反応してくれることもない。
なにかの本で読んだのか、テレビで見たのか、人は死の直後、数十グラム軽くなるとか。
それが、魂の重さなのか、なんなのか。
私のイメージでは、命は小さな炎、火であって、死の瞬間にその小さな炎がふっと消えてしまう。
消えてしまった、命の火。
煙となって天に昇っていくのか? とか時にはロマンチストな想像をすることもある。

 

 

 

私は31歳の時に、介護士として働き始めた。
介護の仕事がしたいと思ったきっかけは、祖父の死だった。
祖父は訪問看護や訪問介護など、たくさんの介護保険サービスに支えられて、最期まで自宅で過ごすことができた。
それまでは、なんとなく介護という仕事がある、でも大変で志が高い人にしかできない、私なんかに務まるわけがないと、私とは別世界のことのように思っていた。
しかし、祖父がきっかけで介護は身近な存在となり、また祖父の死から人生や仕事についてあれこれ考えた結果、介護業界へと転職することとなった。
 
30歳で祖父を亡くすまで、私は身近な人が亡くなるという経験がほとんどなかった。
親戚も皆元気だったし、近しい知り合いが亡くなるということもなく、それが幸せなことだとは気付かずにいた。
社会人になっても元気に生きていた祖父は、いつまでも死なないような気がしていた。
数年に一度しか田舎の山奥まで会いに行かなかったが、いつでもやさしく迎えてくれるような、そんな気がしていた。
しかし、もちろんそんなわけはなく、祖父が亡くなったことを、母からのメールで知ったのだが、電車の中だというのに涙が自然とぽろぽろと出てきて、どうにも止めることができなかった。
「おじいちゃんの火が、消えちゃったんだな」
そんな考えがふと浮かんで、あまり会いにいかなかったことを後悔した。
 
介護士として働き始め、もちろん大変なことも多かったけれど、お年寄りと関わるのは楽しく、天職かもしれない、なんて思った。
しかし、それは経験年数とともに薄れていき、天職だなんて思えなくなってしまうのだけれど、でも、日々の業務の中で楽しいことや嬉しいことはたくさんあったし、また人生の大先輩からの学びは何にもかえがたく、いい仕事だという思いは変わらなかった。
特養で働き始め、右も左も分からず、私が配属になったフロアの職員は20代の若い人たちばかりで、年下の先輩方に手取り足取り教えてもらった。
働き始めて2か月ほどたった頃だろうか。
担当しているフロアの、Yさんが亡くなった。
その方は、胃ろう(お腹から胃にチューブを通してあり、そのチューブから直接栄養を注入する)をしており、認知症も進んで話はできず、部屋で横になっていることが多かったけれど、でも体調がよい日は車いすに座ってリビングで過ごしていた。声かけや介助に対して表情が少し変わったり、リビングにいる時は他の入居者を目で追ったり、言葉を超えたコミュニケーションは取れる方だった。
その日も、いつも通りの一日だと思っていた。
私は入浴業務のためフロアを離れ、浴室にいた。
入浴業務が終わりフロアへ戻ると、バタバタと騒がしく、看護師が何人もその方の部屋へ駆け込んで行った。
ただごとではない雰囲気だったが、自分の業務があり、聞くに聞けないまま仕事をしていた。
そして、しばらくすると、先輩職員からそっと、「Yさん、お亡くなりになったから。顔を見てご挨拶してきて」と言われた。
介護士になって初めて、関わっている方が亡くなった。その事実が衝撃的だった。
部屋へ行き、顔を見ると、とても穏やかな表情だった。
息をしていない、心臓が動いていないという事実を目の前に突きつけられ、でも、手に触れるとまだ体温が残っていて、あたたかかった。
肌が透き通るようにどんどん白く、質感ものっぺりとしたように変化していき、その白さは血が通っていないことを物語っていた。
初めて立ち会う死に、祖父の死を知ったときのように、涙が自然と出そうになったが、介護士は決して現場で泣いてはいけない、と言われている。悲しむのは家族の役割、介護士はそのサポートをする役割で、泣いている場合ではない。
涙目になりつつも泣くのは必死にこらえた。
連絡を受けたご家族たちが到着し、家族だけで最期のお別れの時間となった。
ご長男から、「間に合わなかったのは残念ですが、私たちの希望通り最期は自然に、病院ではなく慣れ親しんだここでという思いを叶えてくれて、最期まで面倒をみてくれて、ありがとうございました」とのことだった。エンゼルケア(体をきれいに拭いたり、更衣等)はご家族と看護師、先輩職員が行い、新人の私は通常業務へ戻った。
いつも通り、残り数時間、業務を行った。
業務を終えた帰り道、涙が止まらなかった。その当時勤めていた施設が駅から20分ほど距離があり、駅に着くまでに泣き止めばいいやと人通りが少ない道を選んで、とぼとぼと歩きながら泣いた。
介護士になったばかりで、関わりが短くてもこんなにショックを受けて、死と隣り合わせの仕事なのに、これから先やっていかれるのだろうかと不安になった。
 
初めて関わっている方の死と向きあい、Yさんが教えてくれたことは大きかった。
祖父のときのように、私は毎日、出勤すればいつもの顔ぶれが、当たり前に存在していると思っていた。それまでに、私が働き始めてから他のフロアでは亡くなった方がいるのは知っていたけれど、それでも自分とは無関係のことのように思っていた。
私だって、誰だって、明日の命がどうかなんて、誰にもわからない。
でも、入居している方々は、高齢であり、病気を抱えており、急に体調を崩す可能性、入院する可能性、そして最悪の場合はもう会えなくなってしまう可能性だってあるのだ。
一日一日を大切に、真摯に向き合わなければ、後悔する。
そう教えてくれたのはYさんだった。
 
それから10年以上介護業界で働いてきて、何人もの方の死と向き合ってきた。
入院先で亡くなってしまうこともあり、最期にお会いできないこともある。そのときは、
やり残したことが山ほどあるような、無念な思いだけが残り、悲しみが不消化となる。
施設で最期まで過ごされて、最期まで関われて、エンゼルケアまでさせていただいたり、お通夜やご葬儀に参列することもある。しかしそれでも、病院で亡くなってしまい最期にお会いできなかった方と変わらず、やはり何かをやり忘れているような、もっとできることがあったはずなのにと、また違った無念さで、悲しみが不消化なのは変わらない。
たくさんの死と向き合ってきても、慣れるなんてことはもちろんないのだが、それに慣れるだなんて失礼だとも思うのだが、でも初めてのYさんの死に直面したときより成長したのか、ある意味死と向き合うことが当たり前で自分のつとめなのだと理解できるようになったからなのか、たんたんと受け止められるようになった。でもやはり、それは慣れてしまったということで、経験年数とともに、大切なものを忘れてしまったのかもしれない。
でも、大切なものを忘れてしまったのかもしれないが、それとは引き換えに、やはり経験を重ねたからこそ、たくさんの死と向き合ってきたからこそ、自分なりの確固たる考えを持つようになったことがある。
それは、『介護士だって、泣いていい』ということ。
ヘルパー2級(現在の介護職員初任者研修)の講習でも、研修でも、施設での勉強会でも言われる、介護士は利用者や家族の前では泣いてはいけない、ということ。
実際に現場で死に立ち会ったときに泣いてしまい、上司や先輩から注意を受けたことも何度かある。
でも、どうして泣いてはいけないのだろうか。
家族ではないけれど、家族との絆や積み重ねた時間にはとうてい及ばないし比べられるものではないけれど、でもその方が晩年から死に至るまでの短い間でも濃密に関わり、人として尊敬していて好きなのだから、その人の死を悲しいと思うのは当然だと思う。
だから、泣いたっていいのだと思う。業務に支障をきたすのは論外だが。
今まで泣いてはいけないと思いつつも泣いてしまったこともたくさんあるし、ご葬儀後にご家族がご挨拶に来てくださったときに、感謝の言葉をいただいて思わず泣いてしまったことや、亡くなった方の奥様が「ひとりになっちゃった」と泣いていて、思わず抱き合って泣いてしまったこともある。
自分が今まで泣いてしまっているから注意できないということもあるが、後輩職員が死と向き合って泣いていても、それが正しくて、人として当然のことだと思うから、注意はもちろんしたことはない。

 

 

 

最初に向き合った死、考えさせられて、多くの学びをいただいた、Yさんは忘れられない人だ。
しかし、そうやってYさんにはじまり今まで関わってきた方々を思い出すと、あの方はこんなことを教えてくれた、あの方は何をしても丁寧に「ありがとう」と感謝を言葉にしてくれて嬉しかった、あの方は私を娘と勘違いしていつも「ゆう子」と呼んでかわいがってくれた、あの方は会話はできなかったけれどいつも笑顔で癒やしてくれた、あの方には毎日すごい力で爪を立てて腕を掴まれてあざがたえなかったし殴られてしまったこともあった、あの方には毎日怒鳴られて落ち込んだ、あの方には毎日泥棒よばわりされて大変だった、あの方には夜勤のときに5分おきにコールで呼ばれて対応にほとほと疲れ果てた、あの方には……ときりがなく、命の火が消えてしまった方々を思い出す。
どの方にも、関われたことに感謝をしているし、その当時は本当に悩んだり困ったりしたこともあったが、ふとした瞬間に思い出す、忘れられない人たちだ。
本当に日常の、どうしてこのタイミングで、と思う瞬間に、ふとその方々が現れる。(怖い意味ではなく、私の脳内に)
仕事中にふと思い出したり、同じような口癖を聞いて思い出したり、テレビを見ていて思い出したり、面影や生きる姿勢が似ている人を見て思い出したり、はたまた、ただ歯磨きをしていたり、電車に乗っていたりするときに急に浮かんできて、「そうそう、○○さん!」と、くすっとなることもある。
そうやって、忘れられない人が、私の中にはたくさんいる。
日々の業務に追われ、ついつい感謝や、やさしい気持ちを忘れがちだが、そういうときこそ、Yさんをはじめとする私の中にいる忘れられない人たちに、力をかしてもらおうと思う。
 
 
 
 

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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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