週刊READING LIFE vol.163

“はじめて”を奪った男《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》


2022/03/28/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「今日、誰にあったと思う?」
リビングでソファにだらりと腰掛けながら、バラエティを見ている最中だった。家に帰ってくるなり、普段は寡黙な親父が開口一番、微笑みながら話しかけてきた。いいことでもあったのだろうか。
僕は、楽しみにしていたバラエティの方に意識を持っていかれながら、ある程度の興味のあるふりをして答えた。んー、なんか有名人とか?
父は、僕の質問を遮るように言った。
「違う違う、K先生だよ」
その言葉に、思わず意識はテレビ画面から離れた。15年以上ぶりに聞く、中学時代の担任の先生の名前だったからだ。
父の話によると、僕はK先生の“はじめて”らしい。
確かにひとつ、身に覚えがあった。

 

 

 

家から歩いて15分ほど。小高い丘を登っていった頂上に、その中学校はあった。
校門を入れば、卒業生寄贈の大きな桜の木があり、広いグラウンドがある。なんの変哲もない公立の中学校だ。そのエリアにはあまり中学がないので、その地域の子どもたちは皆この中学に通うことになる。当然ながら小学校からの友人だらけになるので、そこまで緊張もしなかったが、やはり環境が変われば鈍感な僕でも多少背筋の伸びる思いはするものだ。
春らしい強い風がグラウンドのネットを揺らしていた。
初めての中学校、初めてのクラスメイト。慣れない詰襟の学ランが、なんとなく緊張を煽ってくる。かすかな不安を感じつつ、教室に入るとK先生はそこにいた。
誰よりも早く教室にいて、一人一人入ってくる生徒に笑顔で挨拶をしていた。視線は自分の腕時計とメモ帳、それに入ってくる生徒。休みなく動いて、忙しそうだった。
皆が教室に揃うと、K先生は全体を見回し、あらためてこう言った。
「皆、入学おめでとう! 緊張していると思う。大丈夫、僕も、とても緊張している」
中学生の僕から見れば大人の男性だったが、当時先生は22歳。大学卒業後、すぐに教員になったそうだ。
先生はひとしきり自己紹介をしたあと、一つゆっくりと深呼吸をした。不自然とも思えるほどの間をとってから、あらためてこう言った。
「じゃあ、出席を取るよ! 1番、いしわたひろむくん」
こうして、僕はK先生の“はじめて”になったのである。
しかし“はじめて”はこれだけではなかった。

 

 

 

人のことを覚えられない、という人のことが、実はあまり理解できない。
昔から、顔を合わせて挨拶した人なら、大方の人のことを覚えている自信がある。むしろ唯一の特技であるとすら思っている。もちろん、出会ってきた人の絶対数がそこまで多くないのかもしれないが、それでも僕が(あ、以前お会いした方だな)と思って
「お久しぶりです」
と挨拶すると、とても申し訳なさそうな顔で
「あー、お会いしたことありましたっけ?」
と言われたことは一度や二度ではない。その度になんとも寂しい思いをしている。
S N Sだけで繋がっている人がいたり、ネットを通じて最近の動向を知っているだけの人もいる。なんとも人との距離が測りにくいのは、きっと僕だけではないだろう。
一度だけお会いしたあと長らくS N S経由の繋がりしかない人とは、こういった悲しい事故が起こりやすいようだ。その度に(あぁこの人は僕のことを覚えているのかな)と不安な心持ちを抱えて、探り探り自己紹介などをしていくことになる。
だからほとんどの人のことを“覚えている”状態が普通なので、逆説的に“忘れられない人”がいないのである。その代わり“忘れてやりたい”と思うほどの人もいない。波風の少ない、平凡で凪いだ日々を送ってきたのかもしれない。
僕が一方的にその人を覚えていることはあっても、他人が僕のことを“忘れられない”フォルダに保存してくれている、というのがいまいちしっくりこないでいた。それまでの悲しいすれ違い事故の経験から、そういうことに期待しないようになったのかもしれない。
 
 
「いやぁだいぶ貫禄が出てたなぁ、K先生」
僕の父は小学校の校長先生の職を歴任したあと、区の教育振興課に勤めている。職場で進めている教員向けのセミナーの準備でK先生にばったり会ったらしい。保護者と息子の担任として出会ってから15年以上。すぐにあの時の息子の担任だとわかった父もすごいが、K先生の方は“石綿”という苗字に引っかかり、僕の話になったらしい。
担当した生徒のことは覚えているのか、と以前父に尋ねたことがあった。「自分が担任した生徒は覚えてる、と言いたいところだが、忘れてる子もいるかもね」となんとも曖昧な返答をされたが、15年以上前の生徒を覚えているK先生に親父は感心して、話が弾んだらしい。
「あぁそれは、K先生も初めての担任で、僕が出席番号1番だったからでしょ」
あの“はじめて”を覚えていたから、僕の方から父親に説明した。入学して初めての登校。初めての中学校。緊張で挙動不審気味の、若い担任の先生。
「いやいや、それが違うんだよ。どうやら卒業式のことらしい」
ニヤニヤしている親父は、何かを懐かしむように微笑んでいた。

 

 

 

その日は、春らしい強い風がグラウンドの土埃を舞い上げていた。
中学校に入学した年、ニューヨークで同時多発テロが起きた。“ゆとり世代”と呼ばれて、土曜日の授業があったりなかったりした。ベルリンの壁崩壊と共に生まれた僕らの世代は、何やらこういった世界的事件と時を重ねているらしい。
そんな僕らにも、卒業式の日はやってきた。
いつもは学校指定の青いジャージしか着ない生徒たちも、この日ばかりは学ランに袖を通す。たまにしか着ることがないので、背も伸び盛りの生徒の中には丈が短く、何やら気恥ずかしそうにしているヤツもいる。
「卒業生、入場」
司会の先生の号令で、卒業生が列になって入場した。体育館の前方に設られた卒業生用の席に、一歩一歩進んでいく。体育の授業や雨の日の部活動でしか使わなかった体育館だが、なんだか名残惜しく感じるものだ。床に染み込んでいるのか、汗の少しすえた匂いすら、嫌じゃない。
 
式は滞りなく進み、僕のクラスの卒業証書授与の番がやってきた。
卒業証書の全文を読まれるのは、式の一番最初の生徒だけで、あとは略式で扱われる。生徒の名前だけが担任の教員から呼ばれて、壇上に上がり、校長から卒業証書を受け取る。その一連が、まるでベルトコンベアーで流されていく食品工場のようで、生徒たちは正直に言って飽きている。僕のクラスは最後の方だったので、皆の空気の緩みもはっきりと実感し始めた頃だった。
担任のK先生が、専用のマイクスタンドに向かった。
様子がおかしい。
泣いている、のか?
そう見間違えてしまうほど、顔は真っ赤で何度も手汗を拭っている。表情から読み取れる緊張と不安とは裏腹に、マイクスタンドに向かう動きはわずかな澱みもない。まるで何度も何度も練習された、社交ダンスのステップのようだった。そのギャップに、一部の先生は思わず出てしまう笑みを誤魔化そうとしていた。
K先生は、学年のムードメーカー的な先生だった。
若く、生徒に一番年齢が近いからか、僕らの話を聞いてくれる“兄貴”的な存在だったし、体育祭や文化祭などの行事では誰よりも率先して楽しんでいた。
何か悩みがあれば耳を傾け、不味いことがあれば、全力で怒った。顔を真っ赤にして、本気でぶつかってくるK先生の姿は、それまで経験してきた年配の老練な先生方からは感じられない“フレッシュな熱”を感じた。
僕だけではない。クラスの、いや学年の皆がK先生を慕っていただろう。毎日配られるK先生の学級通信を、大事にファイリングしていたほどだ。
だから僕らは、緊張でちょっとおかしなことになっているK先生を見て、泣くでもなく呆れるでもなく、応援していた。兄貴、頑張れ、と。
 
K先生はマイクスタンドの前に着くと、また、不自然なほど間をとったあと、大きく深呼吸をした。ゆっくりと口をマイクに近づける。うわずった声で、ゆっくりと味わうように僕の名前を呼んだ。
「1番、石綿大夢」

 

 

 

父曰く、先生は僕を“忘れられない生徒”だと言ったらしい。
自分で言うのもなんだが、僕はそんなに素行が悪かったわけでも、成績が良かったわけでもなかった。どこにでもいる普通の生徒の一人だったろう。
だからそれは“初めての担任クラスの出席番号1番だったから”だと僕は思っていた。
しかし、それは勘違いだった。
 
僕が“初めて送り出した卒業生の1番”だったから、である。
 
お分かりの通り、K先生はとても緊張しやすいタチである。おそらくそのせいで数々の失敗をしてきたのだろう。だから“あがり症”の対策をした。
とにかく、練習をしたらしい。
体育館の壁際の教員席からどのように立ち、どのように歩き、名前を読み上げるか。最初の生徒の名前が出てくれば、あとは問題ないはずだ。だから1番の僕の名前を何度も何度も読み上げた。
時には誰もいなくなった教室で。時には自宅のお風呂で。繰り返し繰り返し、練習したらしい。後にも先にも、僕以上に名前を呼ぶ練習をした生徒はいないそうだ。
「だから僕には“忘れられない生徒”なんですよ」
K先生も懐かしそうだったよと、父もニコニコしながら夕飯をほうばっていた。
 
 
自分のことを“忘れられない人”だと言ってくれる人が、一人いるだけで、背筋が伸びる。
K先生の中で、あの頃の記憶が、美化されながらも生きている限り、悪いことはできないなぁと、胸を張れないことは出来ないなぁと思う。
自分も時折、今までの人生を振り返って、関わってきた人たちの顔を思い浮かべてみようと思った。
そして、その時関わっている人に、K先生のように熱く本気でぶつかれば、また僕のことを“忘れられない”と言ってくれる人に、もしかしたら出会うかもしれない。
そうやって、人と人との繋がりは、続いていくのかもしれない。
 
K先生は、僕のこの記事を見て、どんな顔をするだろうか。
きっと、あの頃のように、顔を真っ赤にして照れてくれるかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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