ひと夏の冒険で出会ったヒーロー《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》
2022/03/28/公開
記事:河口真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私は島で生まれ育った。
インターネットが当たり前になった今の時代なら、そこまで不自由なく離島で暮らすことができるかもしれない。でも私が島で暮らしていた約20年前は、とにかく不便だった。
服が欲しくても若者向けのアパレルのお店がない。
ファーストフード店もない。
遊園地もなければ、映画館などの娯楽施設もない。
そんな学生時代を送っていた私にとって唯一の楽しみだったのは、貯金したおこづかいを使って、半年に1回くらいのペースで、本島まで買い物に行くことだった。
朝いちばんのフェリーに乗って、4時間かけて本島まで移動すると、港近くの大型ショッピングセンターで、夕方近くまで買い物を続ける。そして、夕方の最終フェリーに乗って、島まで戻る。
島にはないおしゃれなお店で買い物できることが何よりも楽しみだった。
独り旅行に慣れてきたころ、どうしてもやってみたいことが出てきた。
それは、映画館で映画を観ることだ。
島には映画館がない。
話題の映画を観ようと思ったら、公開から1年後くらいにレンタルビデオ店で、VHS(ビデオテープ)で見るしかなかった。
一度でいいから、公開されたばかりの映画を巨大なスクリーンで観てみたい!
映画館で映画を観ようと思ったら、いつもの日帰り旅行は難しい。
何時間もかけて船にのって本島まで移動して、映画をみて、帰りの船の時間までに間に合わないだろう。
……それなら、思い切って、福岡までいってみよう! 福岡までだと、飛行機で30分で着く。福岡には映画館もたくさんあるだろうから、どうにかなるかもしれない。
思い立った私は、お小遣いを奮発して、夏休みに福岡まで日帰り旅行をすることになった。
福岡という街自体は家族と行ったことはあったけど、独りで行くのは初めてだった。
初めて独りで飛行機に乗り、初めて独りで切符を買って地下鉄に乗った私に、試練はいきなり訪れる。
地下鉄や電車に乗ったことのない私は、買った切符をどこに入れたらいいのかわからず、改札機の前でオロオロしてしまったのだ。
後ろからどんどん人が流れてきていたにも関わらず、私がそれをせき止めてしまったものだから、すぐ後ろにいたスーツを着たオジサンに「そんなところで急に止まったら、邪魔になるでしょ!」と怒鳴られてしまった。
「すみません」と言いながら、慌てて横によけ、改札の奥に流れていく人たちを呆然と見つめる。
みんなが時間に追われ、せわしなく歩いている。
改札機で戸惑う私を誰も助けてくれない。
都会、怖い。福岡、怖い。
もしかするとオジサンは怒鳴っていなかったのかもしれない。でも、知らない土地で、初めてのことばかりしようとしている私にとって、周りの大人、都会の人たちが、とてつもなく怖いものに見えた。
私は改札口から、少し離れ、改札口を通る人たちの手元を観察した。
この切符を改札機のどこに入れてるんだろう?
改札を通ったあとは、切符はどうなってるんだろう?
みんなを見て、私も同じように真似して、ようやく改札を抜けることができた。
映画のついでに福岡ドーム(現在の福岡ヤフオクドーム)を見てみたかった私は、福岡ドーム横にあるホークスタウンの映画館を目的地にしていた。
博多駅からホークスタウンまでは、バス1本で行くことができる。迷わずバスに乗り、なんとかホークスタウンまでたどり着くことができた。
真っ暗な空間、大きなスクリーンにスピーカーから聴こえる立体的な音、ポップコーンの香り、お尻がフィットするフカフカのソファ。映画館という空間を五感で体験し、もうそこにいるだけで幸せを感じることができる。
「これが映画館かぁ」
人生で初めての映画館に私の心はドキドキが止まらなかった。
上映された作品もとても面白く、記念にパンフレットまで買い、気分は高揚していた。
バス停の案内もよく見ずに、帰りのバスに乗り込み、映画の余韻に浸っていると、違和感を感じる。
……おかしい、こんなんだったっけ? 来た時と車窓の風景が違う気がする。
バスの窓から見える外の風景は、来たときに見ない建物ばかりだった。
もしかすると、遠回りして博多駅に戻るかもしれない。もう少しだけこのままバスに乗ってみよう。
……やっぱり、なんか違う!
このバスどこ行ってるの!? 乗るときに確か「博多駅」って文字が表示されてた気がするのに……。
誰かに聞こうと周りを見渡すと、みんな外を向いてたり、イヤホンをしていたりと、私との間に、目に見えない壁が見えた。
朝、地下鉄の改札口で怒鳴られたし、怖くて聞けない。帰りの飛行機の時間があるのに、このまま戻れなかったらどうしよう!
大通りを走っていたバスが、信号停車した。
この信号、変わるまで時間かかりそう! 今なら聞けるかも!
私は運転席まで行き、小声で運転手さんに声をかけた。
「すいません、このバス、博多駅行きますか?」
「博多駅? 博多駅は行かないよ。このバスは反対だね。ほら、あっちのバス停から博多駅に行くバスが出てるから、ここで降りて!」
そういうと、バス停でもない場所で、バスの扉を開けてくれた。
博多駅とひたすら反対方面に進み続けた私の運賃は、結構な料金になっていた。
私が慌てて財布から小銭を出し、料金箱に入れようとすると、バッ! と目の前を黒い影が飛び込んできた。視線を財布の中から、その黒い影にピントを合わせてみると、運転手さんの手だった。運転手さんは、料金箱の入り口を手でふさいで、こう言った。
「お金はいいから! ほら、信号が青のうちに早くバス停へ行って!」
「すみません! ありがとうございます!」
私はバスを降りて、横断歩道を走りながら、運転手さんに頭を下げた。運転手さんは笑って見返してくれた。
走ったからなのか、運転手さんがしてくれたことがびっくりしたのか、ドキドキが止まらなかった。
帰りのバスや飛行機の中、ずっとあの運転手さんのことを考えていた。
大げさに言えば、スパイダーマンなどのアメコミのヒーローに助けられたヒロインになった気分だった。
あそこはバス停じゃなかったのに、わざわざドアを開けてくれた。
きっと、バスの運転手として、やってはいけないことだったのかもしれない。
さらには、お金まで受け取らなかった。
こんなにかっこいい大人もいるんだ。
初めての映画で頭がいっぱいだったはずなのに、いつのまにかバスの運転手さんのことばかり考えていた。
今思えば、本当に些細なことだ。
もしかすると、あんな風にバスに乗り間違える乗客の対応は、運転手さんの日常なのかもしれない。
それでもあの運転手さんのことは、20年以上たった今でも忘れられずにいる。
顔は全く覚えてないけど、助けてもらったときの気持ちは今でも鮮明に覚えている。
福岡市内を走る路線バスを見かけるたびに、あの人のことを思い出しては、温かい気持ちにさせてもらえる。
ほんの些細なことでも、こうして誰かの記憶に強烈に残ることがあるのだ。
仕事で表彰されたり、名前を残したりと業績を残すことは価値のあることなのかもしれない。
けれども、こうして、たったひとりでも誰かの心にずっと残り続け、幸せな感情を引き起こさせることには、何にも代えられない価値があるように思えてならない。
□ライターズプロフィール
河口真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県在住。システムエンジニアとしてIT企業に17年間勤務。
夢は「おばあちゃんになってもバリバリ働いて、誰かの役に立ち続けること」 40歳で人生をリニューアルスタート(予定)。ライティングをはじめ、新しいことにチャレンジしながら夢に向かって猪突猛進中。
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