週刊READING LIFE vol.165

母に書いた最後の手紙《週刊READING LIFE Vol.165「文章」の魔法》


2022/04/11/公開
記事:西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
文章にもいろいろあるが、読み手の心をぎゅっと掴むのは、おそらく手紙だろうと思っていた。
書き手と読み手との関係性にもよるが、心が通じ合っている場合、特定のある一人の読み手に向けて100%の思いがしたためられた手紙は、想いを伝えるには十分過ぎるほどのエネルギーを秘めている。
 
これまでの人生で、手紙の書き手として一番高いエネルギーを放出したのは27才の時だ。
しかし、悲しいことにその手紙には読み手がいなかった。死んだのだ。
 
母がまだ54才の若さで亡くなった時の葬儀で私は弔辞を読んだ。
いや、弔辞はもっともその故人と親しかった人が家族の要請を受けて読むものであるから、厳密には弔辞とは言わないのかもしれない。私は渾身の力で母へ最後の手紙を書いた。

 

 

 

母の遺体を病院から葬儀場に移して間もなく、葬儀場の社員と怒涛の打ち合わせが始まった。
通夜、葬儀と続けて行ううえで決めなければならない事が山のようにあった。
並べるイスの数、祭壇の花の種類と本数、弔問客への返礼品、骨壺のデザイン、受付を誰に依頼するか……
加えて父はそれらを決めながらも、少し時間が空くと、知人たちに連絡しては葬儀の時間や場所を案内して忙しそうだった。バタバタと何かを決めていくなかで、母との別れをじっくり噛みしめることはまだ出来なかった。現実味がなく体がフワフワと浮くようだった。
 
打ち合わせも佳境に入った頃、葬儀場の社員が言った。
「もし、良ければご家族からのメッセージを賜わることもできますが?」
私は父と姉の顔を見ながら、間髪入れずにこう言った。
「私、やりたい。書いてもいい?」
 
病院での最期を家族みんなで夜通し見守り、葬儀場の空きの関係で通夜が始まるまで一日の空白ができた。安置所に寝かされた母からいっときも離れずにいた私たちは、結局丸二日間以上眠らない状態で葬儀場にいた。
 
無事に通夜が終わった。
それまでの連日の看護もあり、疲れがたまっていた私たちに、親戚たちは家にいったん帰って少し眠るように言ってくれた。本当だったら葬儀場で眠る母を置いていきたくはないのだけれど、父のあまりの憔悴ぶりにそういうことになったのだ。
 
タクシーで自宅に戻る。
母には言いたい事が沢山あった。最後に思いの丈を全て綴ろう。

 

 

 

母は元々快活なタイプでおしゃべりも大好きだったが、だんだんと弱っていくうちにおしゃべりどころでは無くなった。強い痛みを抑えるためにモルヒネを打たれた母は、ぼーっとして意識が混濁した。
母の死後、よく知人に「最期の会話は何だった?」なんて聞かれたりしたけど、そんな状況ではきちんとした会話も成り立たず、もう覚えてなかった。
そんな自分が悲しく、最期の会話について質問されるのは、辛かった。
それを聞かれると、苦しんだ頃の母の姿がまざまざと思い出される。それに、もっと死期や弱っていくことを想定して、母と娘の最後の言葉のキャッチボールを意識したらよかったのにと後悔の念が生まれることも嫌だった。当時はそんな冷静さはもちろん持ち合わせてなく、ただただ毎日を無事に過ごすことに集中していた。生まれて初めて感じたどす黒く大きな波のような喪失感に飲み込まれないようにするのがやっとだった。それくらい危うい時期を家族は歩いてきていた。
 
だから、手紙という形にはなったけれど、きちんと自分の思いを伝えたかった。
本来、弔辞やそういう場面で読むお手紙にはマナーがあるらしかったが、その当時はそんな事にまで頭が回らず、いかに自分の心の内を忠実に再現できるか、それだけだった。
 
何度も下書きを繰り返し、夜通し書き続けて、想いは3枚の便箋に収まった。
結局、少しも眠れないまま迎えた翌朝、母の待つ葬儀場に戻った。

 

 

 

葬儀の開始時刻が近づき、人がどんどん集まってくる。
関西や関東からも母にお別れを言いたいと、本当に沢山の友人が来てくれた。
「○○さ~ん!!」
棺で眠る母に駆け寄り嗚咽する人もいた。あぁ愛されていたんだなぁと静かな気持ちでその光景を見守る。
 
母はぶっ飛んだ社交性の持ち主で、ある時なんかは何かしらの講演会に出掛けていき、たまたま隣に座った女性に「よかったら、このあとお茶しません?」と声を掛け、友達になったことがあった。
五人兄弟の長女としての気概がそうさせるのか、面倒見のよい性格で、私が学校から帰るとリビングのテーブルで母と友人が楽しそうにお茶をしているという光景も珍しくなかった。友人は日替わりで色んな人が訪れた。
また、ある時は私が帰宅すると母の友人がリビングで着物を着て踊っていた。日本舞踊の発表会があるので、本番前に母に一度見て欲しいという。母は、日本舞踊は全くの未経験者なのだから、母が見た所で何のアドバイスも出来ないのは明白だったが、それでも友人は母に見てもらいたいらしかった。そして、友人が帰宅すると母はにこやかに笑ってこう言うのだ。
「○○さんって、本当にユニークでしょう」

 

 

 

時間になり、葬儀が始まる。
弔問客が私たち親族に向かって一礼をしながら、祭壇に向かう。
僧侶たちの唱える読経は、佇まいこそ静かだが、重みをもったその響きはホール中にこだまする。祖父母の家に帰省したときくらいしか仏壇に手を合わせる習慣がなかったが、母のために読んでくれているお経の響きがやけに胸に深く染みた。
(母との本当の別れが近づいてきている)
息を引き取った時に母の死は確実なものになったのに、まだ肉体がそこに存在しているというだけで尊く感じ、嬉しかった。この後母は白い煙となって天に昇る。そう思うと堪らなかった。この時間が長く続いて欲しい、とさえ思った。
 
弔問客全員が焼香を済ませ、式は徐々に終わりに近づいていた。
「ここで、次女の英恵さんからお母さまにメッセージがございます」
なんとなくホールがざわついた気がした。病状が悪化するにつれて私たち家族は徐々に無言を貫くようになっていた。きっと弔問客はそこで何が語れるのだろうかということに注目していたのだろう。
私は慣れない場ながら、おずおずと前に出る。そしてマイクスタンドの前に立つ。ひと呼吸置くと、祭壇の母に向かって語りかけるように手紙を読み始めた。
 
「おかあさん」
ホール一体が水を打ったように静まり返る。
 
終盤に無言を貫いてしまい、友人たちを心配させてきた。だからこそ、包み隠さず全てを語ることで安心してもらいたかった。
 
辛い治療だったこと。担当の医師に掛けられた言葉。母は気丈に振舞っていたこと。
病気が治ったら、したかったことリスト。一緒に病気と闘ってきた家族の思い。
なるべく母の最期の状況を想像してもらえるように書いた。
それは「今日か、明日か」とそわそわ過ごさなければならなかった日々の気持ちを、整理するものでもあった。
 
「病気になってからのお母さんはそれまで以上にとてもチャーミングで可愛らしく、いつもニコニコして、見ているとぎゅっと抱きしめたくなるような存在でした」
本当は家族の方が精神的には支えられていたのだけれど、病気をしてからより一層周囲への感謝を忘れなくなった母は、ますます人間味を帯びていた。
 
「お母さんが私に強く生きていくことを望んでいたから、ひとしきり泣いたらもう後ろは振り返らないよ。お母さんの事いつも胸に抱いて頑張っていくからちゃんと見守ってて」
 
会場からすすり泣く声が聞こえてきていた。
本当だったらこんな場で言うのはふさわしくなかったのかもしれない。
でも、どうしても伝えたい言葉があった。
 
「すごく楽しかった」
母のパワーはいつも太陽のような明るさとカラッとした陽気さで、私たちを照らしてくれた。
 
「私の事を産んでくれてありがとう。お父さんと、この家族を作ってくれてありがとう」
最後にこうやって、私は手紙を締めくくった。
 
葬儀がいったん幕を閉じると、私に近づいてきた叔父が目を赤く腫らしてこう言った。
「おい、あんまり、おじちゃんを泣かせるなよ」
でも、その顔は笑っていた。
叔父は母の年の離れた弟で、母のことをずっと慕っていたのだ。
 
満足だった。
肉体は死んでいるけど、きっと母には伝わったはずだ。そして、この場にいる母のファンのような友人たちや家族とその思いを共有できた気がして、心は温かくて軽かった。

 

 

 

母が亡くなって15年の月日が流れた。
あれから数年間は何度も泣いたけど、時間が薬となって私は復活した。母へ宣言した通り、悲観的に後ろを振り返らずに、前を向いて歩いて来れた事が大きいように思う。母と交わした約束が私を強くさせた。
そして新しい家族をつくり、今は二児の母親をやっている。
 
あぁ少し勘違いしていたなぁと思う。
手紙を書いて母や母の友人たちに思いを伝えることが全てだと思っていた。でも、そうじゃなかった。自分の思いの丈を真直ぐにぶつけて救われたのは、私の方だ。
これまで吐露出来なかった思いも全て吐き出した時、そこには最上級の癒しが待っていた。そういう意味では開放感があった。
 
もう母の辛い姿をみなくていい。
そんな母の事を隠さなくていい。
今まで感じてきた辛さ、悲しさ、喪失感、母にもらった愛情と希望。
それをみんなに聞いてもらうことで、私の思いは昇華したのだ。
 
文章を読んで何かの知識を得たり、考え方を教わったり、存在すら気づいていなかった感情に名前を付けてもらったりすることがある。
でも、それだけじゃない。
文章は書き手にこそ、最大の癒しと勇気を与えてくれる。それが文章の魔法だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。男児二人を育てる主婦。「書く」ことを形にできたら、の思いで目下走りながら勉強中のゼミ生です。日頃身の回りで起きた出来事や気づきを面白く文章に昇華できたらと思っています。

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2022-04-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.165

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