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週刊READING LIFE vol.166

成功の前に立ちはだかる〈怖さの化身〉を攻略するために《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
我が家の洗面所には、うごかない体重計がある。
 
うごけば、100グラム単位で重さを測れるし、体脂肪率、骨格筋率、BMI、基礎代謝、内臓脂肪レベル、そして体年齢まで計測できる。無線でスマホとつながり、毎日の記録をアプリで管理できるスマート体重計だ。
 
そんなスマート体重計がうごかない。
理由は簡単。
 
電池切れ。
 
だから、単4形電池4本を新しいものに替えればすぐにまた、使える。
 
でもまだわたしは、電池を交換したくない。
うごかないのではなく、うごかしたくないのだ。
 
ワケがある。
体重計にのるのが怖い。
 
二ヶ月ほど前、体重計にのってわたしは悲鳴をあげた。
体重計のデジタル表示には、これまでみたこともない数字が並んでいたからだ。
確かに最近、ズボンを履けばおなかの肉がベルトにのるし、Yシャツを着れば首周りはキツいし、ジャケットを羽織れば前ボタンをとめづらい。だから、体重が増加傾向にあることは気がついていた。しかし、予想を上回る体重増加に驚いてしまった。
 
食べ過ぎというほど食べているわけではない。ただ、以前と比べて身体をうごかすことができなくなった。
一年ほど前にわたしは、下半身不随になったため手術を受けた。その後、リハビリによって歩けるまで回復できた。だが、まだ思い通りに身体をうごかすことはできない。日常の運動量が以前より少ないのに、以前のように食事をすると体重が増えてしまう。
 
これ以上体重が増えると、まだ筋力が元通りには戻っていない自分の身体には負担が大きすぎる。
だから減量することにした。毎日の食事の量を抑えて、毎日体重計にのって体重管理をはじめた。
 
しかし、一度増えた体重はなかなか思うようには減らない。
すこし減っては増え、また減っては増えの繰り返し。
それでも体重を気にしながら、毎日を過ごしていた。
 
そんなある日、体重計にのってもうごかなかった。
電池切れであることはすぐにわかった。
でもわたしはもう、毎日体重計にのり、体重の増減に一喜一憂するのがイヤになっていた。
電池が切れて体重計がうごかないことを言い訳に、体重計にのるのをやめてしまった。
 
一旦、体重計にのらなくなると、次に体重計にのるのが怖くなった。
それなりに食事制限はしているつもりなのに、自分のお腹をみると体重が減っている気がまったくしない。
やはり効果的に減量するには、体重計にのって〈みえる化〉することは必須。さっさと電池を交換して体重計にのらなければ。
そうは思っていても、体重の増減で一喜一憂するあのイヤな気分を思い出すと、電池を替えたくなくなってしまう。
体重が減ってきたことを実感できたら電池を交換しよう、などと考えてもう二週間以上、放置している。
 
ああ、ダイエット失敗道をまっしぐら。
 
そんな自分の残念な姿を客観視して、感じることがある。
怖さを感じてしまってしまったら、それはもう失敗なのではないかと。
 
怖くて失敗するんじゃない。失敗するから怖いんじゃない。
怖さそのものが失敗なのではないだろうかと。
 
入試で不合格のときも、就職面接で不採用のときも、女の子にふられたときも。
失敗したと思うときは、いつも怖さがあった。
その怖さには、理由がはっきりしていることもあれば、得体のしれないこともあった。
いずれにせよ、怖さを感じた記憶がいまでも残っている。
 
一方で、うまくいったときには得体のしれない自信があった。後から振り返れば根拠もなく、危なっかしい自信だったと思う。だがその当時は気にせず前に進んでいた。
 
そこに怖さの記憶はない。
はじめから怖さを感じていなかったのか。あるいは怖さを忘れることができたのか。

 

 

 

実は、失敗しても怖くないと思えることが、わたしの日常にはある。
〈実験〉だ。
 
実験での失敗といっても、実験操作や実験計画を間違えるといった〈ミス〉による失敗は怖い。なにより事故につながることがあるので怖い。
事故にはならなくても、時間と研究費を無駄にしてしまうので怖い。
 
だが、ミスではない実験の失敗は怖くない。
実験は、「こんなことが起きているのでは?」といった仮説を立てて、仮説が正しいならこんなことが起きる出るはずだという仮想的な実験結果を考えてからはじめる。これが研究の目的になる。
いざ実験してみると、思い通りの結果が得られない、失敗であることが圧倒的に多い。
 
だだ、こんな実験の失敗はまったく怖くない。
実験が失敗に終わったその瞬間から、失敗した結果を吟味する。
 
ときに、当初の実験目的とは視点を変えてみる。
すると、当初想定していたこととは違う現象がみえてくる。
ひとりの女性が描かれた一枚の絵なのに、若い女性にも年老いた女性にもみえる『娘と老婆』と呼ばれる〈隠し絵〉をみたことはないだろうか。
わたしの場合、あの絵をみてはじめは若い女性がみえる。だが、見方をいろいろと変えはじめに年老いた女みえみえてくる。
この隠し絵のように、見方を変えることで違う事柄がみえてくることが、実験結果を考察するときにも起きるのだ。
 
新たにみえてきた結果については、あらためて論文など文献を調べ直すなどして丁寧に検討していく。
そうして失敗した実験結果を踏まえて、次の実験計画を考え、次の実験に挑む。
実験の失敗を次に次にとつなげて、結果を積み重ねていく。
 
ただ、自力で視点を変えるのは難しい。
きっかけが必要だ。
そのきっかけを求めてわたしたち研究者は、研究グループ内で話し合ったり、学会発表して討論したり、論文を公表して電子メール等で議論を交わす。
こうした研究者間でのコミュニケーションによって、さまざまな気づきを得て、成功への道を探っていく。
 
もしかしたら若い頃は、実験をはじめるときに怖さを感じていたのかもしれない。
だが、経験を積み、たとえ実験に失敗しても次につなげる手段を知っている。失敗することの価値を知っている。だから今は、失敗を怖がらずに毎日、実験に励むことができているのかもしれない。

 

 

 

時間をかけて経験を積む以外にも、怖さが薄れた体験がある。
一年前に下半身不随になり、手術を受けた後のことだ。
 
今後は車椅子での生活を覚悟するようにいわれ、手術後もほんのすこしだけ足の親指がうごかせる程度だった。うごきはするが、力ははいらないし、思いどおりにはうごかない。そのうごきはまるで蛙の足に電気を流したときや、眠っているときに身体がビクッと痙攣するような、反射的なものだった。
 
手術翌日は、切開した背中の痛みがひどくて、ベッドの上で上半身を起こすだけで精一杯だった。
数日後、痛みが和らいだ頃からリハビリは始まった。
はじめは、ベッドから足を下ろして座るだけ。
それに慣れると、リハビリを担当してくれた理学療法士から「すこし立ち上がってみましょう」と言われた。
 
ためしに、ベッドから脚を下ろして地面につけた。
感覚はあまりない。
 
下ろした脚の上に上半身をのせてみようと力をいれた。
だが、足下はスポンジのよう。
微かに感じる脚の感覚は、四角くて平たい積み木がいくつか重なったよう。
スポンジの上に重ねた積み木の上に乗っかるようで、堅くて、不安定。
すぐに身体が崩れ落ちてしまいそうだった。
 
怖くてしかたがなかった。
 
すると、理学療法士がわたしにこう言った。
「僕は野球で鍛えてます。たとえ倒れそうになっても僕が支えられますから信頼してください。大丈夫です!」
 
立ち上がり歩けるようになれるなら、なりたかった。
そのためにはリハビリするしかない。
ならば、理学療法士の彼を信頼しよう!
 
決意したわたしは、彼の腕をつかみ、立ち上がった。
 
ゆっくり、ではない。
膝を後ろに押し付けて、いきおいで足をまっすぐ伸ばす感じだ。
普通の立ち上がる感覚とはまったく違う。それでも、どうにか立ち上がることができた。
 
立ち上がれたときにはもう、怖さはほとんどなかった。
 
グラグラするし、足には痛みともちがう違和感だらけだった。
力をいれている感覚は下半身にほとんどなかった。
理学療法士さんの腕をつかむわたしの腕にばかり力がはいっていた。
 
それでも怖さはなかった。
 
車椅子の生活を覚悟しなければならないかもしれない。
それでも、立ち上がることができた!
その喜びのほうが何十倍も何百倍も大きかった。
また歩けるようになるかもしれないという希望が微かに生じた。
 
この立ち上がりが、歩けるようになるための第一歩になった。
 
ひと月半後、わたしは車椅子なしで生活できるようになり、さらにふた月後、杖を使わずに歩けるようになって退院した。間違いなく、手術も、リハビリも予想を超える大成功だった。

 

 

 

理学療法士の「大丈夫です!」という言葉がなければ、わたしは怖さをずっと引きずり、思うようにリハビリが進まなかったかもしれない。歩けるようにはならなかったかもしれない。
 
怖さが怖さのままでいると、その怖さは失敗へと姿を変えてしまう。
失敗は、〈怖さの化身〉なのだ。
 
失敗すると人間は、逃げたり、知らんふりしたり、投げ出したり、隠したり、ごまかしたり、いろいろと手を尽くして避けようとする。
失敗を素直に認めればいいのになぜ? と傍目からみれば不可解に感じる。
しかし、失敗が〈怖さの化身〉ならば理解できないだろうか。
怖いことからはだれでも逃げたい、避けたいと思う。
だから、怖さが姿を変えた失敗からも逃げたい、避けたいと思うのは自然のことだ。
 
ただ、失敗を避けたとしても、そこには成功はない。
失敗と成功が、陰と日向、表と裏のような関係ではないからだ。
 
成功した人たちは知っている。
失敗をのりこえたところ、〈怖さの化身〉を攻略したところに、成功への道がのびていることを。
たとえ失敗しても次につなげられることを。
だから口々に、「失敗を恐れずチャレンジしよう!」と言う。
 
その言葉に間違いはないだろう。
だが、〈怖さの化身〉が失敗であるならば、「失敗を恐れない」というのはかなりハードな要求に思える。
 
〈怖さの化身〉を攻略するためには、怖さに寄り添う人がいてくれたほうがいい。
ただ怖さに寄り添ってくれることで、怖さが和らぐ。
わたしの場合、理学療法士の一言で立ち上がることの怖さが和らぎ、リハビリへの一歩を踏み出すことができた。そして、回復に向けて前進する大きなエネルギーになった。
 
失敗に寄り添ってくれる人が増えれば、成功に向かってより前進しやすくなる。
わたしのリハビリでは、多くの病院スタッフが励ましてくれた。わたしが実験の失敗に怖さを感じないのも、学生時代に指導教員や先輩、同期、そして後輩に寄り添われ、励まされながら実験をしていたからだ。〈怖さ〉に寄り添ってくれた人たちが大勢いてくれたから、いまのわたしがある。
 
わたしはまだ、〈怖さの化身〉と戦うために寄り添ってくれる人を必要としている人間のひとりだ。
だが、わたしもまた、〈怖さの化身〉に立ち向かう人たちに寄り添える人間のひとりでもありたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

千葉県生まれ東京育ち。現役理工系大学教員。博士(工学)。生物物理化学と生物工学が専門で、酸化還元反応を分析・応用する研究者。省エネルギー・高収率な天然ガス利用バイオ技術や、人工光合成や健康長寿、安全性の高い化学物質の分子デザインなどを研究。人間と地球環境との間に生じる”ストレス“を低減する物質環境をつくりだすことをめざしている。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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