週刊READING LIFE vol.166

美味しい“物語”が食べたい!《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
おかしい。私が頼んだものは、こんなものではない。
彼はきっと自分の期待と、出された皿という現実の間で揺れていたに違いない。
 
 
薩摩藩士・東郷平八郎は若い頃、イギリスへ留学していた。
彼は現地で食べた料理「ビーフシチュー」なるものが忘れられなかった。当時の日本には肉食文化そのものは存在していたものの、まだ珍しかっただろう。西洋料理は日本ではなかなか食べることができない。懐かしく思った東郷は、軍部の料理人に素材を伝え、「ビーフシチュー」の再現を依頼した。
しかし、日本はまだ江戸時代。赤ワインやデミグラスソース、バターなどはなかなか手に入らない。もちろんレシピも知らない料理人は、身近にあった酒、醤油、砂糖などでの「再現」を試みた。
その結果生まれたのが「肉じゃが」である。
ビーフシチューを食べたくて、ワクワクしていた東郷平八郎は出された料理を見て、困惑したことだろう。目の前にあるのは、どう考えても醤油で味付けされた日本料理だ。口に運んでみると、予想は全く外れることなく、当然ながらこれは「ビーフシチュー」ではない。
だが……美味しいじゃないか。慣れ親しんだ“和”の味だ。
つまり「肉じゃが」は、料理人の苦労も虚しく「再現失敗」から生まれた料理なのである。
こうしてできたビーフシチューの失敗作「肉じゃが」は、大衆に広まっていくことで、市民権を得ていった。
その失敗という評価を塗り替えられ、成功というタスキをかけられたのだ。
(※「肉じゃが」の誕生エピソードは諸説あります)
 
 
成功と失敗を分けるものはなんだろう。
僕も含めて、人はその答えを簡単に欲しがってしまう。
書店のビジネス書コーナーに行けば、平積みされているイチオシ本の中に「成功の秘訣」を語った本や「失敗しても逆転できるメンタル本」は多数並んでいる。それだけ多くの人が成功するための秘訣や、失敗しても何度でも立ち上がることのできるマインドセットを求めているということなのだろう。
かくいう僕も、そういう本を手に取ってしまうし、それが今注目のインフルエンサーや時代の寵児と言われる著名人ならなおさらだ。
広い意味で考えれば、料理のレシピ本や街のグルメガイド本なんかも、そういう「失敗を避け成功をもたらす本」の一種なのだろう。
ふらふらっと街を歩いて適当に出会った店に入る。その店が自分の舌に合わない店だったら、取り返しがつかない。
「今行くべきラーメン屋10選」は、失敗したくないという現代人の心理をついたコンテンツと言えるのかもしれない。
 
そうだ。皆、成功したいのである。
食に関して言えば「成功したい」というより「失敗したくない」のである。
こういった心理は、当然ながら料理の“受け手”の心理だ。街を歩けば、さまざまな飲食店、レストラン、行ったことのない国の食べたことのない料理の専門店、そして便利なコンビニ。多種多様な「食の受け手」としての選択を迫られる。
しかし、同時にそこには「食の攻め手」つまり料理を提供する側が存在する。
彼らが生み出す料理の数々は、当然ながら試行錯誤の結果だ。僕らが食べているのは、数えきれないほどのチャレンジを乗り越え、失敗を糧にして完成された、もはや“作品”と言える。
冒頭に例に出した「ビーフシチュー」が「肉じゃが」になったように、失敗が成功へとつながった料理は意外に多い。
そこに存在する「食の攻め手」つまり、料理の作り手であり、作品・コンテンツの作り手の心理とは、どういうものだったのだろうか。
 
 
 
「あぁ……やってしまった」
多分彼女も、その瞬間は自分の失敗を悔いたことだろう。
フランスでホテルを経営するステファニー・タタンは厨房で、ミスを挽回する策を探していた。
その日は狩猟解禁の開けた日曜日で、ホテルの厨房は大忙しだった。ひっきりなしに客また客。その日のランチは大賑わいだった。
慌てたステファニーは、リンゴのタルトを焼く時にパイ生地を下に敷くのを忘れてしまっていた。しばらくしてそのことを思い出し、オーブンを開けたが時すでに遅し。元々甘くシロップ煮されたリンゴはそのままじっくり焼かれ、茶褐色のカラメル色になっていた。
 
さて、どうしたものか。
お客は待ってくれない。今か今かと料理を待ち侘びている狩猟家たちでレストランはごった返している。
このまま捨てるか? 謝ってもう一度作り直す? いや、そんなことをしては食材が勿体無いし、時間もない。
ステファニー・タタンは、普通ならば焼けすぎた、すでにカラメルに色づいたリンゴの上にパイ生地を乗せ、さらに焼いて提供した。
おそらく苦肉の策だったに違いない。しかしこれが大ウケして、フランス中で愛される「タルト・タタン」というスイーツとなった。
 
確かに彼女は、「目指した料理」は作れなかったのかもしれない。
恐らくそれまでお客さんに提供していた「リンゴのタルト」のレシピがあり、その工程を辿ろうとしていたはずだ。うっかりした「失敗」が、いつものタルトより香ばしくカラメルに焼かれたリンゴを生み出し、大ヒットするスイーツにつながった。
彼女が目指していた「成功」は「いつものリンゴのタルト」だっただろう。しかし「失敗」することで、予想外のことが起こった。それまで辿る予定だった道を外れて、そこから無理矢理にでも発想するしかなかったのだ。
お腹を空かせて待っている客のため、彼女はその場で「即興」し、ピンチを切り抜けたのである。
 
 
これは「ポテトチップス」にも言える。
ニューヨークのレストランの厨房。料理長のジョージ・クラムもきっと同じように憤っていたに違いない。
 
客からの再三の要求に耐えかねてのことだった。付け合わせのフライドポテトが厚すぎるとのクレームだった。この店ではフライドポテトは、ジャガイモを棒状にカットして揚げていたらしく、作り直してもクレームは続いた。
「今までのやり方を、やめよう」
たぶん彼はそう思った。そこで、棒状にカットしていたジャガイモを、ペラペラにスライスしたのだ。そして揚げた! 今までにない薄さの、サクサクとしたジャガイモ・チップスに、客はとても喜んだという。
 
彼もそうだ。
それまでの「成功」を捨て、新しいやり方にチャレンジした。それはまさに“賭け”とも取れるギャンブル的な行為だったかもしれないが、結果的にそれは世界中で受け入れられ、今この瞬間も老若男女に親しまれている。
結果として彼の取った、それまでの成功を逸脱する行為は、世界的なポテトチップスの流行という成功を収めるに至ったのである。
 
 
 
成功と失敗を分けるものとは、何なのだろうか。
そもそも、その二つは、分けて考えるものなのだろうか。
これまで挙げてきたような「食の攻め手」であり、失敗者たちのエピソードは、代表的なモノだが、おそらくこの有名なエピソードたちの影に、何千何万という人たちの失敗が存在する。
それら数多の失敗と、彼らの「成功へとつながった失敗」の差は何なのだろう。
 
 
きっとそこには「粘り」があった。
このままで終わってなるものか、という逆境でも負けないメンタルがあったのだ。
 
もちろん、そのメンタルやマインドセットの有無だけが、彼らを成功に導いたとするのは早計だし、失礼だ。ピンチを乗り越えようと、死力を尽くして考えたのは彼らだけではないだろう。
だがきっと、少なくともそのメンタルがなければ、その「失敗」は「失敗」で終わっていた。肉じゃがが僕らの食卓に並ぶことも、晩酌にポテトチップスを摘むこともなかっただろう。
 
きっと全ての「成功」と「失敗」には、こういう「物語」があるのだ。
だから僕は、その試行錯誤も含めて、食べたいのである。「物語」を受けとりたいのである。
最初から当たり・成功が確約された店は、つまらないのである。
グルメサイトにも、町のおすすめの店10選にも載っていない“密かな名店”を求めて、今日も路地裏を歩いてみる。
そこにはもしかしたら、それまでの一般的な「成功」レシピを捨てた、「失敗」のリスクを承知でチャレンジした、料理の攻め手の苦悩と心意気という「物語」が乗った一皿に出会えるかもしれないからである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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