週刊READING LIFE vol.166

「学歴のない奴は終わってる」という洗脳《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:那須信寛(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
中学生のとき僕は『学歴のない奴は終わってる』と本気で思っていた。今考えると、そんな考え方をしてるやつの方が終わってると思うのだが、当時中学生だった僕は、塾の先生に言われた、「学歴の高い人は良い人生を送る」という言葉を拡大解釈していた。
 
中学生に良く聞かれた。
「先生って中学生のとき勉強できたんですか?」
僕の答えは決まって
「塾に3つ入ってたからね。だから先生は母親に無理やり作られた塾サイボーグなんだよ」
僕が最初に通ったのは英国数を教えてくれる進学塾。中学1年生の夏休みを終わったときくらいに、母親が「このままじゃまずい。塾に入りなさい」と言い出した。たしかに、成績は中くらいから少しずつ下がり始めて、学校の授業はついていくのが大変になってきていた。友達も少しずつ塾に入る生徒が増えていた。そうやって塾に入っていた友達が学校のテストでも高得点を取っていたので、「塾に入れば成績上がるかも」と僕も塾に対して前向きな気持ちだったのですぐに入塾することになった。
その塾は生徒の学力別に3つに分かれていた。僕は一番下のクラスに入った。塾に入ると伸びると思っていた成績は全然伸びず、塾の中でも落ちこぼれの部類に入り、塾内テストでも学校のテストでもなかなか成績が振るわなかった。僕は塾の授業が思っていたより面白くなく、成績も伸びていなかったので、塾へのモチベーションが次第に下がってきていた。僕は成績のことはあまり気にせず普通に過ごしていた。
 
しかし、母は違った。「このままじゃまずい」再び母はそう言って、対策を考え始めた。そして「良い塾を見つけたからそこに行きなさい」と言って、入塾案内を持ってきた。そこは数学専門の補習塾だった。50歳くらいの、女性の先生がマンションの一室に机を5個ほど並べて、各自が問題を解いていくスタイルの塾だった。数学専門の寺子屋のような場所だった。そこに週2回、塾で分からなかった問題を持っていき教えてもらい、関連する数学のプリントをもらいひたすら解いていくスタイルで学習した。どんどん問題を解いていくのが僕に合っていたのだと思う。僕の成績は少しずつ、伸び始めた。学校のテストでも90点近く取れるようになり、数学が得意科目になってきた。ただ、他の教科は変わらず、平均点くらいだった。一度成功体験をした母は、英語もこの方法で行けると思ったのだろう。似たようなスタイルの英語専門の塾を見つけてきて、そこにも入った。そして、英語も成績が伸び始め、学校のテストで90点を超えるようになった。英語と数学が伸びてくると不思議なもので、国語も他の教科も伸びていき、クラスでもトップレベルの成績を取れるようになってきた。塾でも、一番下のクラスから、一つ上のクラスに上がり、中2になると一番上のクラスになった。勉強をやればやるほど伸びていくので勉強がものすごく好きになった。学校でも優等生的な扱いを受けることが多くなり、僕は自信をつけ始めていた。
 
 
自信と過信の違いはどう違うのだろうか。僕の抱いていた気持ちは自信から過信に変わりつつあったのだと思う。もちろん当時はそんなことに気づきもしなかったのだが。
 
 
その頃、僕は親より、学校の先生より、塾の先生を信頼していた。そして、塾の先生がよく言っていた言葉が「学歴が高い人は良い人生を送る」だった。この言葉は何度も僕の頭に刷り込まれ、自分の成績が伸び悩んでいたときは自分を叱咤し、伸びているときは自信をつけた。そして、僕の中で、その塾の先生の言葉は少しずつ変わっていった。「学歴が高くない人はダメな奴」こういう発想になっていた。だから、学校で周りの友達を見ると心の中で見下していた。僕は、足が遅いし、運動神経もあまり良くない。絵も歌も楽器も下手だった。
 
自分より得意なことがある人たちのことを、「将来何の役に立つんだよ」と心の中で見下していた。見下せば見下すほど、僕の成績は伸びていった。勉強をちゃんとしてない人たちを見て、あんなやつらと同じ人生を歩みたくないって思いが強くなっていった。
 
塾の中では、同じモチベーションで勉強に取り組んでいる仲間がたくさんいた。一番上のクラスは本当にレベルが高くて、学校ではトップクラスの成績を誇る僕でもまるで歯が立たない人がいた。僕は必死に追い付こうと努力したが、僕が追い付こうとする速さより、相手が突き放していくスピードの方がはるかに速かった。そんな仲間との競争が次第に自分の限界を意識させたのだと思う。
 
中3の夏休み、受験生にとってもっとも大切だと言われる期間だ。僕は、初めてのスランプを迎えた。勉強に身が入らなかった。塾の宿題をサボるために、いろいろな工夫を始めた。授業中も話を聞かずにボーっとしていることが多かった。やる気がなくなった原因は分かっていた。授業の難易度が異常に上がったのだ。進学塾の一番上のクラスは早稲田と慶應を目指すクラスで、夏休みから本格的にそのレベルの問題を扱うようになったのだ。僕には歯が立たなかった。もちろん、多くの生徒が苦戦していた。塾側もそれを見越して、早い内から取り組ませていたのだと思う。ただ、勉強に身が入らなくなっていた僕の心はポキッと折れてしまった。
 
僕はそもそも勉強ができる人間ではなかった。どちらかというと苦手だった。しかし、母が塾に3つ入れることで強制的に勉強をしなくてはいけない環境を作りあげ、成績を上げていった。そう、どんどん伸びていく成績のせいで、勘違いしていたが、自分は自ら進んで努力していたわけではなく母が作ったレールにただ乗っていただけだったのだ。まるで母に作り上げられたサイボーグのようだった。自らの意思がなく、ただ命令通りに勉強する。スポーツもできない、特技もない。勉強しかできない。そんな僕が勉強に手がつかなくなったのだ。僕は荒れ始めた。塾も少しずつサボるようになった。塾の時間、本屋さんを巡って漫画を読んでいた。一箇所にいると注意されるので何件も本屋さんやコンビニを回った。とにかく時間をつぶした。塾が終わる時間に家に帰り、塾に行ってきたふりをした。英数国の進学塾はサボると家に連絡が入るが、補習塾の方は連絡が入らないようだった。夏休みが終わるころ塾をサボっていたことがついにバレた。母は鬼のように怒っていた。どういう理屈で反論したのか全く覚えていないが、わけのわからない理屈で反論した。いや、逆ギレした。さすがに母に手を上げることはなかったが、家の壁などをバンバン殴った。
勉強へのモチベーションの低下、学習内容が難しくなったこと、塾をサボったことがバレたこと。これらが一度に重なって、自分でも訳が分からなくなっていた。それが反抗期と結びついたのだと思う。そんな状態で夏休みが終わろうとしているとき、父から意外なことを言われた。「すまないが、会社の業績が悪化して、私立に行かせてあげられない。公立に行ってくれ」
 
 
僕は私立、特に早稲田と慶應に行くために塾で勉強に取り組んでいたが、実際に入試の過去問題を目の前にして、自分の能力の無さを痛感しているところだった。その事実が母との対立の根本的な原因になっていた。
 
父から私立に行くのは金銭的に難しいと言われた。そして僕は、公立の入試の過去問題を見てみた。驚くほど簡単だった。野球選手のバッターが、打てると確信したときに「ボールが止まって見えた」と表現することがある。僕にとって都立高校の問題は「止まって見えた」。
 
 
今の都立高校の偏差値が上位の高校は、自校作成問題と言って、難しい問題を作成している。しかし、当時はそのような問題はなく全ての都立高校で同じ問題を解いていた。当然、難しい問題はあまり出題されない。
 
 
肩の荷が下りた気分だった。母とも話し合い、私立に行くための塾は必要がないということになり、夏期講習が終わると同時に退塾した。残りの2つの塾はそのまま続けたが、今までやってきたことの復習の内容だったので、そこまで負担ではなかった。
 
 
学校が始まって、一つ大きな問題が出てきた。都立高校の入試問題は心配無さそうだったが、都立高校の入試を突破するためにはもう一つ大きな要素があるのだ。学校の5段階の成績、内申点である。私立の受験には内申点が関係なく、僕は学校の授業にあまり真剣に取り組んでいなかった。提出物もめんどくさいと感じて、あまり出さなかった。僕は、学校の成績を挽回するために授業に真剣に取り組むようになった。内申点のためだけに授業に取り組んでいたのだが、頑張れば頑張るほど授業が楽しくなってきた。1学期までは、まるで魅力を感じていなかった授業だったが、真剣に取り組むことでこれまで塾では教わることがなかった教科の楽しさが感じられるようになった。英語と数学に関しては、ほとんど理解している内容だったので、学ぶ楽しさのようなものは無かったがその代わり、周りの友達に教えて欲しいと頼まれることが多くなった。1学期までは、全力で塾の宿題をやっていたので、友達に教えることはほとんどなかった。友達に教えて、感謝されることで英語や数学も楽しい時間になっていった。
 
 
塾に行く日も少なくなったので、放課後友達と遊びにいく日も増えた。あまり、遅くなると母に怒られたが、中1の2学期から失われていた中学生らしい学校生活を楽しんでいた。僕が見下していた、あまり勉強に取り組んでいなかった人たちとも話したり、一緒に帰ったりするようになり、今までの考え方を反省した。勉強も大事だが、友達と遊んだり、話したり、絵が好きな人は絵を描いたり、色んなことを学ぶのが中学生にとって大切なことだと思った。だから、今度は逆に中学校生活を勉強のせいで無駄にしてしまったように感じた。でも、大人になりそれもまた違うと感じるようになった。僕は中学生のとき死ぬほどやった数学の勉強のおかげで中学校の教師となり、数学を教えることができたのだ。何が将来役に立つかなんて、本当にわからない。だから、今、目の前にあることを心から真剣に取り組むことが未来につながっていくのだと思う。だから、教師という仕事に一区切りつけたけど、真剣に教師をやってきた経験は必ず活きるはずだ。僕はそう信じている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
那須信寛(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

元中学校正規教員。現時間講師。教壇に立つ傍ら、バーテンダーをしたり、小説を書いたり、YouTubeをしたり、いろんなことに挑戦しています。そんな様々な挑戦を、文章に書いてみたいと思っています。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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