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週刊READING LIFE vol.167

燃えていたのは、夏の太陽と甲子園球児だけではない《週刊READING LIFE Vol.167 人生最初の〇〇》


2022/05/02/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
終わった。初めてのコンクールが、終わってしまった。
夏の大会にかけているのは、真っ黒に日焼けした高校球児だけではない。僕が所属していた吹奏楽部でも、夏の甲子園と同じように、コンクールに向けて汗水垂らして練習した夏があった。
全力を尽くしたつもりだったが、次の県大会への進出はならなかった。先輩はそれぞれ悔しそうに泣いている。それに釣られて、僕たち後輩も一人二人と涙を流す。
しかし、僕は、涙も出なかった。いや、涙を流す資格なんて自分にはないと、そう思っていたのだ。
ステージに立てなかったわけではない。ステージに立ったのに、演奏しなかったからだ・

 

 

 

「すまん! この楽器に転向してくれないか?」
吹奏楽部に入部して1ヶ月が立った頃。二つ上の先輩に部活後に呼び出され、恐る恐る部室に来たら、開口一番、先輩たちは頭を下げてきた。
せっかくならかっこいい楽器をやりたいと思ってサックスを初めて1ヶ月。段々と音は安定してきていたし、指の使い方も覚えてきていた。そんな矢先のお願いだった。
目の前には部長・副部長の先輩を中心に5、6人の上級生がいたと思う。傍らには、見たこともない変な楽器が置いてあった。上級生たちが演奏しているところを、一度も見たことがない楽器だ。先輩曰く、そのマイナーな楽器“ファゴット”にサックスから転向して、夏のコンクールの舞台に出てほしいというのだ。ファゴットが舞台に必要なのだと。
いや、待て待て! コンクールは2ヶ月後やぞ! こっちは昔、習い事でピアノをやっていたから譜面は読めるものの、吹奏楽器を触るのはあくまで初心者だ。しかもこのファゴットとかいう、大きな“木の棒”みたいな楽器、動かし方どころか、その音さえ聞いたことがない。
そんな大役、僕には無理です……と、即答で答えようと思っていたところに、僕の返答は予想済みだったのか、部長がすかさずこう言った。
「大丈夫、演奏するのは一曲でいいんだ。もう一曲は“吹きマネ”でいい」
 
 
高校の吹奏楽のコンクールでは、各校2曲ずつ演奏を行う。
まず一つ目が課題曲。その年の課題曲として提示される4、5曲の中から1曲を選ぶ。部の中の楽器の編成によっても得意・不得意があったり、それぞれ曲調に個性があるから、それにあった1曲を選ぶというわけだ。
そしてもう一つが、自由曲である。
これは文字通り、選曲は自由だ。吹奏楽曲として譜面が出版されているものなら、なんでもいいらしい。が、あまりポップスや歌謡曲の編曲は審査員ウケが良くないので、どちらかというとクラシックに近いような、芸術的に良いとされる選曲をする傾向にある。
1曲目の課題曲は比較的シンプルな曲で、練習次第で演奏は可能そうだった。
しかし2曲目の自由曲は、難解な曲調と早い指づかいが求められる難曲だった。この2曲目は吹いている“フリ”、つまり“吹きマネ”でいいというのだ。
 
僕が任された“ファゴット”という楽器は、クラシックではよく目にするが、吹奏楽ではあまりメジャーな楽器ではない。
交響楽団や管弦楽団では、ファゴットは必ず2、3人ほどいる楽器だが、人数の限られた高校の部活動では居ること自体珍しい。
部員が50人を超えるような大所帯の吹奏楽部なら一人や二人いてもおかしくないが、僕の入ったのは全学年合わせて30人にも満たない、中規模の部活だ。当然、ファゴットの先輩は存在しない。
 
 
ではなぜ“ファゴット”が必要だったのか。
先輩曰く、ファゴットがいるだけで“ナメられない”のだそうだ。
本来、中低音で落ち着いた美しい音を奏でることができる。調べるとベートーベンが「天使の声だ!」と形容した、伝統ある“シブい”楽器だった。
だが残念なことに、元々そこまで大きな音量が出る構造をしていない。
つまり、サックスやトランペットやトロンボーンといった大きな楽器と一緒に演奏すると、その繊細な柔らかい音色はほとんど聞き取れないのである。実際、指揮者にも聞こえていないようで、曲を部分的に練習した時に「あれ、ここファゴット吹いてたっけ?」と言われることもしばしばだった。
 
つまり音のためではなく“見た目”のために、ファゴットに転向して欲しい。そういうことらしい。
 
本当は野球部に入りたかったが、強豪ゆえに「3年間球拾いだぞ」と言われ入部を断念し、成り行きで入った吹奏楽部だった。
それでもせっかくならと、カッコよくて人気のあるサックスを始めてみたものの、吹奏楽の“花形”であるサックスは当然先輩も同級生も希望者の多い。同学年でもすでに何年もサックスに打ち込んでいるやつもいた。
そういう中で、僕がサックスで認められる日は来るんだろうかと、不安が少しよぎり始めていた時期だった。
マイナー楽器だがファゴットなら、誰とも被らない。競合がいない。
思春期特有の“自分は特別だ”と思いたい、という感情や“人と違うことをしたい”という気持ちが芽生えてしまっていた。ファゴットなら、それが叶えられる。
「じゃあ……コンクール限定でいいなら、やりますけど」
そういうちょっとした下心で、僕は“花形”サックスを置き、マイナーでシブい“いぶし銀”ファゴットに乗り換えたのである。
 
 
 
こうしてファゴットに転向して1ヶ月経った。
一年生で、吹奏楽初心者の分際で大会コンクールのステージに上がることを許されたのだ。初心者なりに必死に考え、がむしゃらに練習を重ねた1ヶ月だった。
しかし、部室の大きなホワイトボードに張り出されたリストには、見事に最下位に僕の名前があった。
 
大会やコンクール前に開催されるオーディション。一人一人、個室に入り顧問の先生の前で演奏し、得点がつけられ順位まで張り出される。当然ながら大会に向けてのものなので、本番のメンバーではない一年生は参加しない。つまり、このオーディションに参加している人間は、当然だが先輩だらけなのである。
 
最下位……。
いや、当たり前じゃんか。こっちはついこの間、ファゴットを触り始めたばかりだよ。
出来なくて当然、負けて元々。むしろ、よくここまでこの短い期間に演奏できるようになったな。多くの同級生や先輩はそういってくれた。
 
だが悔しかった。なんだろう、負けて当然の戦いなのに、自分の順位が最下位というのが、たまらなく悔しかったのだ。
しかも普通は2曲での審査なのに、僕はこのオーディションでも1曲しか演奏していないのだ。教本を読んだり、すでに引退した先輩に頼み込み、わざわざ来てもらったりして必死に練習したけど、流石に1ヶ月では、先輩たちの足元にも及ばなかった。
 
 
オーディションの結果を受けた僕は、それまで以上に必死に練習した。
課題曲だけじゃなく、自由曲だって吹きたい。せっかくやるのだから、全力を尽くしたい。
何より、みんな必死に演奏している本番の舞台で、一人だけ“吹きマネ”だなんて、惨めじゃないか。
そう思って、空いている時間はほとんど全て使って、ファゴットに打ち込んだ。
 
だけど、最後の最後まで、自由曲を吹いて良しというゴーサインは出なかった。
それほど難曲だった。そしてファゴットという楽器が、非常に難しい楽器だったのだ。
半端な演奏は、全体のバランスを乱すだけなのだ。
 
 
本番の舞台の直前。ステージに上がる舞台袖で、僕のパートのリーダーである先輩に僕は意を決して聞いた。
「僕、出来るところだけでも、自由曲を吹いちゃダメですか?」
先輩は、僕の言葉を聞くなり、泣いているような笑いを堪えているような、複雑な表情になったのを覚えている。
僕の直属の先輩だけあって、僕が必死に練習していたのを誰よりも見てきた人だ。
部活動が終わった後も、ギリギリまで居残って練習に付き合ってくれたし、とことんアドバイスもしてくれた。その人の楽器はファゴットではなかったが、僕の苦労も分かろうと、自分の楽器ではないファゴットのことも調べてくれていた。
この人に、止められたなら、僕は諦めがつく。
先輩は、舞台袖の暗がりを見つめて少し悩んだ後、僕にこう言った。
「すまん、予定通り演奏してくれ」
 
 
 
全ての学校の演奏と結果発表が終わり、僕らの夏の大会が終わった。
僕にとっての、吹奏楽部としての初めてのコンクールだった。結果はすでに書いたように、上の県大会には進めない。ここで3年の先輩方は引退となる。
あの先輩に言われたら諦めがつく。そう思っていたが、結局大きな間違いだった。自由曲の演奏中、本当に悔しくて悔しくて、それをぶつけるように必死に“吹きマネ”をした。
音が鳴らないように。息を吹き込むリードの先端を、ただ咥えることしかできなかった。
何度、いっそのこと演奏してやろうかと思ったかわからないが、その度に、僕に“吹きマネ”を頼んでまで、この大会にかけてきた先輩方の必死で演奏している顔が目に入った。
彼らだって、楽器を音楽を愛する人間の一人だ。僕が必死に練習したのに演奏できない悔しさを、わからないわけはない。先輩は演奏全体のために、苦渋の決断をしたのだ。
 
 
だから全部が終わり、泣いている先輩たちの横で、僕は泣けないでいた。
そして、泣けない自分を歯痒く思った。
 
僕に力がないからだ。演奏の技術がないからだ。
もちろん僕も僕なりに努力はしたが、結果として本番のステージでちゃんと“燃える”ことができなかった。文字通りの不完全燃焼。
ちゃんと悔しがるためには、ちゃんと燃えなければならない。そしてそのためには、技術を、力を身につけて、またこの舞台に戻ってこなければならない。
会場の神奈川県民ホールは、海のすぐ近くにある。カモメが空を悠々と泳ぎ、水面が光っている。
しょっぱい風が、妙にベタついて感じた。
 
 
 
「コンクールまでって約束だったけど、どうする?」
大会が終わって一週間後。先輩方は引退し、次の演奏会へ向けての練習に入ろうとしていた。
僕は顧問の先生に呼び出され、部室の端っこで一人、選択を迫られていた。
だが、答えは決まっていた。
「このままファゴットを続けます」
必死に練習するうちに、このマイナーで“シブい”楽器が好きなっていたのもある。だけど1番の理由は、コンクールでリベンジするためだった。ファゴットで受けた屈辱は、ファゴットで返したい。ちゃんとあの舞台で燃え尽きたい。
ここでサックスに戻っては、気持ちよく演奏できない。そう思った。
 
その次の夏、再びファゴットで上がったコンクールのステージのことは、おぼろげにしか覚えていない。
ただ、上の大会へ進めないのが悔しくて、子供みたいに泣きじゃくったことを、ただ覚えている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-04-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.167

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