初めての授業参観に行ったら、彼は泣いていました《週刊READING LIFE Vol.167 人生最初の〇〇》
2022/05/02/公開
記事:西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ん? んん?
目に飛び込んできたその風景が見間違いなのかと思って、私は目を細めたりこれ以上開かないくらいにカッと見開いたりして対象物へのピントを何度も合わせる。
間違いない。泣いている。
出席番号20番、ちょうど教室の真ん中あたりに位置するイスに座った長男はその小さい背中をヒックヒックと震わせていた。机の上に置いていた手を目元に持っていき、何回も何回も小さいグーでその涙を拭っている。おそらく、溢れ出す涙を止めることができないでいるのだ。
何!? どうした!? 一体何があった???
小学校に入学しておよそ10日。初めての授業参観に喜び勇んで出かけた日、長男は泣いていた。これからいよいよ「こくご」の授業が始まるという時に背中を震わす長男をみて、私は訳が分からなくなった。
もしかしたらお友達と何かあったのか、それくらいしか今は思いつかない。
様子がおかしいことに気づいた担任の女の先生が、長男の机の所まで来てしゃがみ込む。もう既に予鈴は鳴り終わっており、授業開始までの残り時間はわずかだ。
「○○くん、どうしたの? 先生お話きくよ?」
先生は柔らかい眼差しで長男を見つめながら、フワフワの綿あめみたいな優しい声で尋ねている。さすがはまだ幼い新一年生を担当しているだけあって、その振る舞いは階段を下りてきてゆっくり手を差し伸べているように丁寧で安心感を与えてくれるものだった。
しかし、長男は首を横に振るだけで何も答えようとしない。というより、今の気持ちを率直に言えるだけの勇気が出ないのかもしれないし、整理がつかず何と言っていいのかわからないかもしれない。
キーンコーンカーンコーン……
授業開始のチャイムが鳴ってしまった。
このあたりから私は別の意味でも心がざわつきだす。
いつまでも泣き止むことのできない長男に次第に注目が集まっているように感じたからだ。そりゃそうだ。私が別の保護者であっても「あの子何で泣いてるんだろう」と思うに違いない。
コロナ禍ということもあり、参観は授業の前半後半で保護者たちの入れ替え制となっている。前半、教室と廊下およそ半々で参観していた保護者たちが後半に差し掛かるとお互いの場所を移動するのだ。教室前までたどり着いた時には既に教室参観組が多数おり、私は廊下の端の方から長男を見つめていた。
廊下の端からじりじりと開け放たれた後ろの扉に近づき、長男の小さい背中に念を送る。
おい! 長男! おかあさん、ここ、ここ! こっち見て!
とにかく私の顔を見れば少しは落ち着くかと思い、全神経を集中させて、星飛雄馬の父みたいな目力でありったけの念力を送った。
お? 通じたのか?
先生に促されて長男がゆっくりとこちらを振り返る。私の顔を視界に確認した瞬間、長男はギリギリのところで踏ん張っていた堤防が外れたみたいに「わあぁぁ」と顔を一気に歪ませ、大泣きしだした。長男は大波にさらわれていったようだ。きっと先生も廊下の端から尋常じゃない気合いを滲ませ子供を見つめる母の姿に怯えただろう。
作戦失敗!
今私の顔を見てしまったら、逆にもう我慢できないのかもしれない。私は小さい握りこぶしを作って長男に向け、謎に「うん、うん」としつこく頷きながらアシモみたいに若干膝を曲げた状態で後ずさりして、大勢いる保護者の合間にいったん消えることにした。
(すいません、すいません……)いつまでも授業が始められず、クラスメイトや他のお母さんたちに対する申し訳なさを感じながら、私はまた廊下の端に戻った。
進まない船に乗らされたクラスメイトと保護者のために、先生が提案をする。
欠席でたまたまひとつだけ空いていた廊下側の席で、今回に限り授業を受けられることになった。長男はこくごの教科書と筆箱を胸に抱え、おずおずとした足取りで廊下側の席まで歩いてきた。やっとのことで授業が始まりそうだ。
どうやってこの場面を解決するのかと不安だった私は、少しだけ胸をなでおろした。
といっても、さっきまでヒックヒックしていた長男がすぐに100%気持ちを切り替えられるわけもなく、椅子に座って少々うつむきながら一生懸命ヒックを抑え込もうとしている。
わかる。私も子供時代にそういうことがあった。もう気持ち的には泣いてないのだけれど、泣いていた名残りで横隔膜あたりが自分の意思とは裏腹に勝手に上下に動いて、それが口元まで伝わりヒックが出てきてしまうのだ。もうこうなってしまった以上は時間が解決するのを待つしかない。
静かに身を潜めていた長男だったが、15分くらいが経った頃、ようやく本来の姿を取り戻し始めた。顔を上げ、先生の話を聞いたり、手の動きを目で追ったりしている。この日は音読中心に「あいうえお」の練習をしていたが若干小さくはありつつも声を出せているようだった。
20分が経過し、入れ替えの時間がやってきた。
ん? 待てよ?
いまここを離れたら、長男の様子が観察しにくくなるぞ? かろうじて横顔を観察できる今のポジションを誰かに明け渡すのが惜しいような気がした。教室に入ってしまえば、おそらく長男の後ろ姿しか見れない。できたら本人の近くで見守っていたいなぁ。
本来のルールを無視しているのだから周囲に迷惑をかけるという懸念はあったが、今日だけはそうしてあげたい気分だった。
今日だけは見逃してください!
誰に言う訳でもないが、心の中でごめんと手を合わせた。
結局、その後は大きな動きはなく無事に授業は終わりを迎えた。帰りの会を終えた子供たちが教室の外へ飛び出してくる。若干遅れて出てきた長男を手招きして呼び寄せる。
「ね、ね。どうしたの? さっき何で泣いてたの?」
「おかあさんが来てないと思って、さみしくなっちゃった」
少々はにかみながら告白してくる長男の回答に拍子抜けした。
おいおい、そんなことで泣くなよー! 一年生!!
小柄な体にはデカすぎるランドセルを背負う長男が急に赤ちゃんみたいに幼く見えた。
可愛くて抱っこしたい衝動に駆られたが、その反面不安も頭をよぎる。こんなスタートで果たして長男はこれから学校になじんでいけるんだろうか。だって、誰もそんな事で泣いたりしていない。そして、母親としての責任を痛烈に感じてしまうのだ。私、育て方、間違ったのかなぁ……。
これからの学校生活を考えるとモヤモヤが消えない。新一年生ということもあり、他の家庭同様学校近くまで一緒に登校しているが、案の定、翌朝は下駄箱までついてきてほしいと言った。本人も不安があるのだろう。
学校まで送ると、今度は次男を幼稚園へ送る。
この日は幼稚園時代からのママ友に誘われており、お家へ訪問。ママ友の家庭も今年小学校に入学した長男と幼稚園に通う次男がいるのだ。最近、ママ友と会うと「長男どう?」と新生活に身を投じた一年生の息子の話題で持ち切りになる。母親たちは息子たちと同じくそわそわした毎日を送っているのだ。
早速、授業参観での件を相談する。実はこのママ友、元小学校教諭という肩書があり教育心理学などの分野にも詳しい。それで私は何かとこのママ友を頼りにしているというわけだ。ママ友は私にとって育児のブレーンだ。
ひととおり流れを説明すると「えー! 授業参観で泣く子は……さすがに見たことない」と言った。そわそわして落ち着きがなくなったりする子は結構いるが、母親が見当たらず泣くというのはなかなか珍しいケースらしい。
そうだよね。だって私もびっくりしたもん。
話を聞いてもらって嬉しい反面、あまりいないと聞いて不安になる。
すると、ママ友が少し考えたあと、こう言った。
「○○ちゃん(うちの長男)ってさ、視覚優位な方かな? 聴覚優位な方かな?」
そんな事考えたこともなく戸惑う私に
「うちの○○(ママ友の長男)はさ、視覚優位な方なんよ。だから、ここぞという大事な場面では紙に書いた情報を見せながら話をするんだよね」と教えてくれた。
初めてのおつかい、初めてのお留守番など小さい子供にとっては多少なりとも緊張感を伴うようなイベントの時にその手を使うらしい。
わからないなりに考えた結果、紙を見せながら話す方がやっぱり理解が深まるだろうなと思い
「うーん、うちも視覚優位になるのかな……?」と答えてみる。
「そっか。じゃあさ、今度同じような事がある時、事前に紙に書いた情報を二人で確認するのはどう? それで本人の不安はかなり薄らぐと思う」
書き方にもコツがあるらしく、文末は必ず肯定で締めるということだった。
「うちが留守番の時に書いたのはさ、①玄関のピンポンが鳴っても開けなくていいです②やけどすると危ないので火は使わなくていいです……こんな感じでさ」
禁止事項でも○○するな、と書かれるとその否定の部分だけが強く脳に残り重く感じてしまうという。へー! なるほど! それはすぐにでも取り入れられる方法かもしれない!
「だから、もし次に授業参観とかのイベントがあったらさ、①もし遅れる事があってもお母さんは必ず来るので安心していいです! って書いて事前に一緒に読んでから送り出したらいいかもよ」
このママ友は決してガンガン前に出るタイプでもないのだが、育児で何か困った事があって相談すると、感情面に寄り添いながらもこのように具体的アドバイスを授けてくれるのだ。今回も子供の心の準備の仕方を教わって、本当にありがたかった。そして、私は感じるのだ。育児は愛情を注ぐことが大事だと言っても、このようなあらゆる手段を知っているか知らないかでは全然違ってくる。母親の負担も減るし、何より子供が安心して育つ要因だろう。
帰宅して、あまり理解していなかった視覚優位と聴覚優位についてググってみる。それを読んでみると、どちらが優位に働くかは生活のあらゆる場面で判断ができるとあった。
そもそもママ友が教えてくれた話は「認知特性」の話らしく、「外界からの情報を頭の中で整理し、記憶し、また外に表現する能力」の事であるらしいというのがわかった。
視覚優位の特徴として、
・工作やモノづくりが好き(立体のイメージが出来る)
・球技、道具を使う運動が得意
・人の顔を覚えるのが得意
などが挙げられていた。
それに対し、聴覚優位の特徴としては
・モノマネが得意
・歌う時に音程を取るのがうまい
・リズムに合わせて動くときにミスが少ない
などの項目が挙げられていた。
これを見てハッとする。
ママ友に聞かれた時、とっさに「視覚優位かな」と答えたのだけれど、長男はどちらかというと聴覚優位の特徴の方に多く当てはまる。
特にモノマネに関しては、よく義父(長男の大好きなじいじ)を真似るのだが、その特徴を捉え過ぎて本人が降臨したのかと思うくらいに似ており、私はいつも笑いを堪えることが出来ない程なのだ。それに球技などは不得意な長男が、音楽は得意でカラオケに家族で行くときも、その確かな音程に親ばかながら感心する。
聴覚優位なタイプには「言葉で段取りを説明してもらう方が作業を進めやすい」とある。
これから何かの行事がある時は、言葉で丁寧に説明をすることで本人の不安を多少は軽減してあげられるかもしれない。
とはいえ、母親というのは、こと子供については心配しすぎる面がある。視覚優位の側面も捨てきれず、紙に書いて、口頭で……としばらくは過剰に説明してしまう自分がいそうな気もしている。
これから長男には初めての遠足、初めての運動会、初めてのテスト……小学校での初めてづくしが待っている。親子で一緒にひとつひとつ事前の準備をして、ひとつひとつ経験を増やしていく。彼の物語はいまスタートしたばかりだ。泣いてもいいじゃない。そうやって少しずつ強くなっていくんだ。近くから、遠くからいつでも長男を見守り、寄り添っていけたらと思う。
□ライターズプロフィール
西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。男児二人を育てる主婦。「書く」ことを形にできたら、の思いで目下走りながら勉強中のゼミ生です。日頃身の回りで起きた出来事や気づきを面白く文章に昇華できたらと思っています。
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