週刊READING LIFE vol.167

人生で初めてやってみたことで、気がついてしまったこと《週刊READING LIFE Vol.167 人生最初の〇〇》


2022/05/02/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
2022年の初め、お客様である皮膚科クリニックの先生からメールをもらった。久しぶりのご連絡だ。その内容を読むと、先生の困りごとはそんなに難しくなく解決できそうな感じだった。すぐに、対応についてお返事のメールをする。そして、もともと仕事以外のことでも親しくさせて頂いていたので、メールの最後に最近気になっていることを書いた。
 
「まったくプライベートなご相談なのですが。頬のところにシミができていて、かなり目立つようになってしまいました。クリニックに一度ご相談に行ってもよいですか? クリニックでやっていただけるのかわからないですが、お肌のことは先生にご相談するのが一番安心だと思っています」
 
正直に言うと、その左頬のシミはかなり前から私の鏡を見る時間を憂鬱にしていた。写真を撮った時にも、なんとなくそのシミは写っている。そして、美容クリニックのシミ取りのコマーシャルが気になりだす。そんな情報を受け取りながら、でも行ってみる勇気もなく、相談するならやっぱりその先生のところだ、と思っていた。そう思いながらも日々の仕事のスケジュールが優先され、なかなか連絡をとれないでいたのだ。
 
先生からは「シミの件は早いうちに一度みせていただけると嬉しいです」と、私の悩み事に対応できる様子のメールが返ってきた。このタイミングで行くしかない。私は早速、スケジュールを確認してクリニックに予約を入れる。
 
予約した日にクリニックに行くと、久しぶりに会ったにも関わらず、先生はにこやかに以前と変わらない様子で私に話しかけてくれた。そんな様子に私は安心する。
先生は私の頬をみながら、
「このモヤっとしたシミを消してからじゃないと、ここの濃いはっきりしたシミをレーザーで焼くことができないのよ。このままレーザーで焼くと、この全体的に薄く広がっているシミがレーザーの刺激で濃くなるのよね」
と説明をしてくれた。
 
私の左頬はよく見ると、全体的に薄いシミがあり、その中で私が気にしていた濃いシミが重なって存在していた。毎日鏡を見ている中で、この全体的に広がっているシミを、実はそんなに気にしていなかった。むしろ、気がついていなかったと言ってもよい。年齢も年齢だし、肌がくすんでいるのも仕方がない、そんな気持ちでいた。
 
レーザー治療は紫外線が強くなる3月いっぱいまでしかできないと言う。その前までに、全体のシミは飲み薬を使って消していくことになった。もし、3月までに全体のシミが薄くならなければ、秋まで薬を飲み、それからレーザー治療になる。
先生にそう言われ、私はいきなりレーザー治療でないことに少しホッとした。と同時に、このシミを消すと言うことが結構な時間がかかることにも驚いた。
 
まあ、長年かけて紫外線などのダメージを受けてできたシミが、一瞬にしてなかったことになるなんて、そんな虫のいい話もあるわけない。そう思うことにして、処方された飲み薬を薬局で受け取り、仕事場に戻った。
 
それから毎日、私は薬を欠かさず飲んだ。その薬は朝晩の食後30分以内に飲むように指示されていた。たまに、時間を守ることができないこともあったが、飲まないよりはいいだろうという気持ちで、とにかく飲み続けた。
2週間ほど飲み続けた時だった。朝、鏡を見て肌が明るくなっているように感じた。気のせいかと思いながらも、思ったより早く薬の効果を感じることができて、嬉しかった。その後も欠かさず薬を飲み続け、薬がなくなる前にまたクリニックを訪れた。
 
先生は私の頬をみて、効果が出ていると嬉しそうに言ってくれた。
「もしかして、毎日ちゃんと薬飲んでいる?」と聞かれる。飲んでいると答えると、先生は「意外とみんな、毎日ちゃんと飲まないのよね。だから効果も出にくいのよ」と言う。私はその言葉に驚いた。私はシミを消したくてクリニックに来ている。だから先生がやりなさいということは守ろうと思う。薬を飲むのは面倒なことではあるけれど、飲みさえすれば効果が出る可能性があるわけだ。ちゃんとやらない理由がない。
 
結局、もう1ヶ月薬を飲んで、そして3月中旬にレーザーの治療をうけることになった。レーザーを当てている時間はほんの数秒だった。ピリッと少し刺激があったが、思ったよりもずっと一瞬の出来事だった。薬を塗ってもらい、焼いたところを保護するテープを貼ってもらう。そのテープは2週間貼りっぱなしにするように言われた。もし、途中で剥がれてしまったら、薬を塗り直してまたテープを貼る。テープを長く貼っていれば貼っているほど、焼いたところにきれいにカサブタができる。2週間後、そのテープを剥がした時、シミがあった部分はカサブタが剥がれて綺麗な皮膚が再生されているというのだ。
 
こんな顔のシミ取り治療を地味にしていた頃、私は新しい出会いをしてしまった。
それは、とある居酒屋で友人達2人と飲んでいた時のことだった。
友人はその居酒屋の常連で、駅から離れたところにあるせいか、周りのお客様も常連客が多い雰囲気だった。お酒が入り、最近の仕事の出来事や色々なことを友人達と話す。その中で私は、ちょっと心に引っかかっていた出来事を話した。
 
少し前、私はある会で一緒になった女性から、自慢話を聞かされていた。仕事のこと、収入のこと、子供の学校のこと。そして、異性にどれだけ好意をよせられているかということ。ありとあらゆることが、「私ってすごいでしょ」ということに繋がっていた。よく、女性が男性の自慢話に「さしすせそ」で答えるというけれど、まさに私もその状態になっていた。
 
さすがですね
知らなかった、そうなんですね
素敵
センスある
その通りですね
 
なんでその状況に陥ったかわからないけれど、隣にいるその女性にそう相槌を打ちながら、早くこの時間が終わればいいのに、と思った。そして段々怒りにも似た苛立ちが湧いてきた。なんとかタイミングを見つけて彼女から離れることができた時、正直ほっとした。私に自慢話をして、結局何がしたかったのだろうか。私の中では疑問しか残っていなかったし、ただ、嫌な気分という言葉で表現される感情が残った。
 
友人に話すと、「マウントとられたんだね」と笑われた。私には、彼女がそれをする理由がわからなかった。
友人は言う。「特に理由なんてないのかもしれないよ。ただ、自分の方が優位な立場にあるとか、何か示したかったんじゃないの」
そんなことの標的にされて、思い出すだけでもまた気分が悪くなった。
 
隣にいたもう一人の友人は、私達の会話に交わらず、後ろの席に座っている常連客の人たちと話をしている。
そして、私達の会話が切れた時、私に、話をしていた人たちを紹介すると声をかけた。
そう言われて私は振り向いた。そこにはとても綺麗な女性が座っていた。目が合って、にっこりと微笑みかけられた。
 
「同じ業界だと思うから、名刺交換でもしたら」と友人に促され、私は名刺を差し出し挨拶をした。彼女から受け取った名刺を見ると、確かに同じ業界だった。しかし、女性の経営者が珍しい分野だった。思わず、なぜその分野を仕事のフィールドとして選んだのか尋ねた。
 
「地味だけど、とても大切な重要な分野だと思ったから。元々は伊藤さんと同じ分野だったんだけど、両方知っていたら強みになるでしょ。そうこうしていたら、こっちの分野の方が仕事の量が多くなっていったのよ」
彼女には明確なビジョンがあった。そして、彼女の言葉はクリアでなんの迷いもないものだった。
 
会話の中から見えてくる彼女は、本当にスッキリとした考えを持って、自分の道を進んでいる人だった。そして、何よりも穏やかな雰囲気をもっていた。彼女と一緒に飲んでいた仕事関係の人が彼女の交友関係の広さや仕事ぶりを話した時も、彼女はそっと微笑んでいるだけだった。
彼女との会話には、見えすいた「さしすせそ」なんて必要なかった。素直な気持ちで心の底から感心し、興味を持ち、会話を楽しむ気ことができた。彼女には私をそういう気持ちにさせてくれる雰囲気があった。
 
私より少し歳上の彼女は、それこそ、顔にシミもなくスタイルもよく、輝いていた。
そんな彼女に「肌がきれいだけど、何かしているの?」と聞かれた時、思わず、頬のテープを押さえながら「最近、シミ取りをしまして。それで、お薬を飲んでいます」と答えた。
そんなことを答えながら、私は恥ずかしくて仕方がなかった。
彼女を前に「顔のシミ取りは少し進んでいますけれど、心の中はシミだらけです」そんなことを言いたくなる気分だった。
 
私は長年かけて、いつの間にか浴びてしまっていた紫外線のようなダメージを溜め込み、シミができて、心がくすんでしまっているようだった。そんな心から出てくる言葉はちょっとくすんでいるのではないか、彼女のようなクリアな言葉が発せられていないのではないか、そんなことを感じていた。
 
マウントとるような相手の言葉に反応し、心にシミを作っているのかもしれない。日々のイライラした気持ちや明確にならない考えや不安が、薄く広くシミを作っているのかもしれない。シミでくすんだ心で、彼女のように穏やかにいられるはずもない。
 
彼女の心の中はどうなっているのだろう。
あんな女性になりたい。また会いたい。彼女がどんなことを考えているのか知りたい。
次の日、私は彼女にお礼のメールを出した。

 

 

 

どうしたらあんなにクリアな言葉を発することができるのだろう。心のシミという考えが私の中に浮かんできて、そして、私はその心のシミを消したいと思った。
もっと自分のビジョンを明確にしたい。スッキリした心で穏やかに物事に対応したい。
 
そんな時、ある友人が、私も以前読んだことがある本を読んで、「私にタイムリーな本でした」と情報交換の場で発信していた。私もその本を読んだことがあり、その時、とても感じることがあったことを思い出した。本棚のどこにあるのかもすぐに思い出せた。
ちょうど週末、私はその本を取り出して、ソファの上で開いてみた。そして、一気に読み返す。すると、次々に同じ著者の本もよかったと他の友人達からもコメントが入る。私はそれらも電子書籍やオーディオブックで手に入れ、朝の時間や移動中に読み耽った。
 
本を読むのは嫌いではない。しかし、最近忙しさを理由にそのペースは落ちていた。それに、知識を身に付けるための本を読むことが多く、それはいわゆる勉強に近いものだった。自分の心に栄養を与える本とは違っていた。
 
友人達が勧めてくれた本は、全て私の心を動かす内容だった。久しぶりに心を動かす本に出会って、私の気持ちの中に変化が現れた。
だから、素敵な本との出会いが心のシミを消すことになるのかも、今、そう思える。
そして、心のシミを消すための素敵な本との出会いは、シミを消す薬と同じように、続けなければ本当の効果は現れない。長年かけてできたシミが簡単には消えないように、心のシミも同じである。
 
シミには薄く広がるものと、濃くなってしまってレーザーのような刺激がないと消えないシミがある。心の中の濃いシミは、人との強烈なやりとりで作られてしまうこともあるけれど、人との出会いという刺激によって消すことができるような気がした。私は居酒屋で彼女と出会った時、素直な気持ちで彼女に向き合っていた。そして、気がついてみれば、彼女との出会いは自分のわだかまりとも言える心の濃いシミを薄くしてくれているようだった。
 
顔のシミはレーザーで焼いた2週間後、テープをはがしてみると、カサブタと一緒に綺麗にとれてしまった。
しかし、治療はこれで終わりではない。レーザーを当てたところが、半年ほどの間はまたシミが浮き出たようになるという。そのために、毎日薬を塗るようにする。そして、毎日薬を飲むようにと言われた。もちろん、私はきちんと続ける。
そう、できてしまったシミが全くなかったことになるなんて、そんな簡単なはずもない。
 
心もいつの間にか、知らず知らずのうちにダメージをうけているのだから、心にできるシミもそんなに簡単にはとれないのかもしれない。そして、シミとなってしまう前に継続的な日々のケアも必要なのだろう。
スッキリしてきた気持ちを実感しながら、心を動かす本との出会いを求めて続けることを決める。本を読み、そしていい人と出会って行きたい。
 
それにしても、人生で初めて顔のシミをとってみようと治療をしたら、心のシミにも気がついてしまった。幸せになるためには、心のシミをとった方が良いのかと思うけれど、やっぱり美容も気になるところだ。
今年は、心身ともに長年かけてできてしまったシミをとることを一つの課題とすることにしよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。何かを書き続けられるのであれば、それはとても幸せなことだと思う日々を過ごしている。

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2022-04-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.167

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