週刊READING LIFE vol.170

あなたの「まだまだ、いける!」が心配です《週刊READING LIFE Vol.170 まだまだ、いける!》


2022/05/23/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「まだまだ、いける!」というのは、ここ日本において、いや、おおよそ世界的にだと思うが、美徳とされていると思う。
 
もうだめだ、苦しい、やっぱり自分なんか……そんな考えが頭をよぎったとき、この言葉は救いであり、励みであり、あるときは真実だ。
 
「まだまだ、いける!」
 
あきらめかけていた思いを奮い立たせ、苦しさを乗り越えさせ、自分に自信を取り戻す。
ま、少々おおげさかもしれないが、この言葉とその実践、すなわちあと一息力を振り絞ることで、何かを成し遂げることができた、という経験は、誰しもが持つところではないだろうか。
 
もちろん、私とてその一人である。
勉強でくじけたとき、仕事で失敗したとき、何かを諦めかけようとしたときに、いや、まだだ、まだまだいける! と自分を奮い立たせ、結果、悪くない成果を出したことはある。
 
某有名ロボットアニメでも、
 
「まだだ、まだ終わらんよ!」
 
とは屈指の名言となっている。諦めかける心に火をつける、着火剤のような金言だ。
 
しかし同時に、これがいついかなる時にも通用するかというと、少し事情が異なる。
例えば、卑近な例えで甚だ恐縮だが、ここに賞味期限を1週間過ぎたお菓子があるとしよう。
過ぎているとは言え1週間、それに、こういうものの賞味期限は、あくまでおいしく食べられる期限であり、実際の時期より早めに記されている場合が多い。
 
「まだまだ、いける!」
 
あなたは少しの勇気を出して、そのお菓子を食べてしまうだろう。私もそうする。
では、この賞味期限が2週間、いや、1ヶ月ほど過ぎていたらどうだろうか?
 
「まだまだ、いける!」
 
とそれを食すだろうか? だが、もしかしたら、その結果待っているものは、激しい腹痛かもしれない。
つまり、
 
「もう、いけない」
 
という領域に入っていた場合、それは食すべきではない、諦めるべき事象として、そこにある。
 
要は、何でもかんでも「まだまだ、いける!」を適用していたら、実際、中止すべき案件に待ったをかけられない場合が出てくるということだ。
 
「まだまだ、いける!」というのは、時と場合によるのだ。
 
当たり前かもしれないし、それは読者の皆さんがよく分かっている事柄であるとは思うが、しかし、この判断が、意外と難しい。
 
先ほどの例で言えば、では、1週間と3日過ぎていたら、まだいけるのか? そのお菓子が乳製品だったら、あなたは手を出したか? 未開封だとしても、夏の暑い日に、冷蔵庫ではない場所で保存しておいたら、それを食べようとするだろうか?
 
まあ、その場合、判断ミスをしても、待っているのはせいぜい腹痛程度だ。それはそれで結構イヤなものがあるが……
 
しかし世の中には、その判断ミスが、死を招くことだってある。
 
先日、「八甲田山の遭難事件」を特集したテレビ番組を見て、私はしみじみとその恐ろしさを知った。
 
「八甲田山の遭難事件」とは、正確に言えば「八甲田山雪中行軍遭難事件」という名で知られている。
1902年1月、日本陸軍第8師団の歩兵連隊が、青森県の八甲田山で訓練中に遭難し、199人の死者を出した凄惨な事件である。
この事件の原因としては、未曾有の気象条件(かつてないシベリア寒気団が日本列島を覆っていた)や、指揮官を始め隊員たちの雪山に対する認識不足が挙げられている。
それに加えて、テレビ番組の最後には、このような言葉で締めくくられていた。
 
「まだまだ行けるという言葉が、人間の判断を惑わす」
 
人間は視覚を奪われるとまっすぐに歩けないらしい。
少しの距離を、まだまだいけると頑張ろうとして、結果あらぬ場所へと迷い込み、遭難してしまったのでは、という内容を説いていた。
 
なるほど、「まだまだ、いける!」と判断するには、高度な判断力が必要であり、その判断ミスが命とりになる場合もあるのか。
 
寝っ転がってテレビを見ていた私には、最初、そんな感慨しか浮かばなかった。
「まだまだ、いける!」は良い意味として使われ、また美徳とされているけれど、必ずしもそういうわけではないのだな、と。
しかしその言葉がじわじわと頭の中で繰り返されるに従って、なるほど、と納得することになってきた。
 
私自身、「まだまだ、いける!」と体を痛め続けてきたではないか、と。
 
このサイトの記事でも何度か書かせていただいたが、私は幼少期より腎臓の病を持っていた。
しかし、それを周りにこれ見よがしに知らせることは、正直“悪”だと思っていた。
恩師である小児科医の先生から、「不幸なのは自分だけだと思わないでほしい」と言われ、その言葉の実践として、自らの不幸=病を周知させるのを嫌がったのだ。
 
そのこと自体を悪いこととは思っていない。思っていないが、それを理由に体を痛め続けてきたことは、今更ながら反省すべきことだと思っている。
 
例えば、自分だけ特別に仕事を早く終わらせるとか、少なくしてもらうとか、ましてや手を抜いてよいとか、そんなことは考えられなかった。
 
考えられなかった結果、体を酷使しすぎたことはある。まだまだ、いける! と普通の人はこれぐらいではへこたれない、と、何か暗示めいたことを自分にかけて、日々の仕事を必死でこなしていた。
 
あるいは、まだまだ、いける! と自分の臓器にこだわっていた。
年齢のためか、度重なる仕事のためか、私の腎臓はもう限界寸前まできていた。というか限界だった。
主治医からは透析治療を薦められた。これは、腎臓が持つ濾過機能を、機械に代わらせるという治療である。血液を機械に通して清浄し、体に戻すのだ。
 
それ自体はかまわなかったが、しかし、透析に移行するということは、自らの腎臓に見切りをつけるということである。
機械に頼っていると、その腎臓は水分を出す機能すら無くしていくという。
 
それが、私には、とてもイヤだった。
 
長年ともにあり、親の庇護を受け、周りの愛情とともに育ってくれた臓器である。
そう簡単に手放せるものではない。
 
「まだ大丈夫、まだまだ、いける!」
 
私はその言葉を引き合いに出し、最後の最後まで、透析に踏み切れなかった。
しかし、その間も体は確実にむしばまれていき、体調は日に日に悪くなっていく。毎日がだるく、足腰にも痛みが走る。
最後には、それが災いして事故を起こしてしまう始末である。
 
他人に迷惑をかけてしまったことで、私は目が覚めた。
 
「まだまだ、いける!」は、正しい判断のもと、実行すべきだ、と考えるに至ったのだ。
このケースに限っていえば、私は判断を誤った。
「まだまだ、いける!」と思っていたが、もうすでに「いけない」ところまで来ていたのだ。
この判断ミスのおかげで、何回かの入院を経て、透析治療に踏み切ることができた。
 
「まだまだ、いける!」の判断は、このように慎重を期すべきであり、その結果は正しいことが求められる。
 
まだまだいけるのに、最後の一歩を踏み出さないのも問題かもしれない。
しかし、もういけないのに、谷底への一歩を踏み出してしまうのも大変問題だ。
 
そして、失敗することを恐れて、判断すらせずに「もういかない」のは、一番大きな問題である。
私たちは、それでは、この問題にどう対処すればよいのだろう。
 
と言ったら、私はそんなに困ることはないと考える。
すなわち、思い切って判断すれば、それはそれで選んだ道が正解となる、そう思うからだ。
 
積極的な選択と言ってもよいかもしれない。自分の意志で、しっかりと意見を持って、その上で思い切った選択ならば、それは、少なくとも選択した自分にとっては、正しい選択なのだ。
その判断を、外部の誰が否定できるだろうか。結果として後悔するようなことになっても、
 
私は断腸の思いで、積極的に、「まだまだ、いける!」を否定することを選んだ。
「まだまだ、いける!」を選んでいたら、それこそ瀕死の状態になるまで、何もしなかったかもしれない。ただ、それでも後悔もしなかったと思う。
 
結局は、そのリスクをどう考えるか、によるのかもしれない。
私が「まだまだ、いける!」を選び続けていたら、待っているのは確実な死だ。
ただ、そのときの私にとって、“死”は大したペナルティーにならなかったのだと思う。
それこそ、この腎臓を捨てるくらいなら、死んだ方がましだ、くらい思っていたのかもしれない。これだから中二病は……
 
あきらめないことは大事だ。
「まだまだ、いける!」と最後まで力を振り絞ることも大事だ。
「まだまだ、いける!」と年齢を言い訳にしない高齢者の方々のなんと輝いていることか。
 
ただ、残酷なことに、事実は事実、なのである。
 
もういけない場合もある。力が残っていない場合もある。その人の特性に合ってない場合もある。
 
いろいろな理由で「まだまだ、いける!」ができない人やケースはたくさんある。
それを怠慢などの言葉で、一概に非難したくはない。
 
頑張ることは大切だ。
頑張り続けることも大切だ。
あきらめずに最後の最後まで力を振り絞ることも、本当に大切だ。
 
しかし、その結果、体や心を痛めてしまうことは、これはいけない。
「まだまだ、いける」の判断ミスの先に待っているのが、自分や自分の体を痛めつけることである場合、これは積極的に「もういけない」をとる方がよいのではないだろうか。
 
誰しも諦められないことはある。
誰しも譲れない物事はある。
 
ただ、たまには一息ついて、その先のことを考えてみてほしい。
その果てに、あなた自身の犠牲があるのなら、少し、「まだまだ、いける!」の判断基準を変えてみてはいかがだろうか。
 
私を含めたあなたの周りの誰かは、「まだまだ、いける」あなたの心と体を、ヒヤヒヤとした思いで心配しているのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2022-05-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.170

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