週刊READING LIFE vol.173

フリーダムな中国の地下鉄車内で見かけた優しい一コマ《週刊READING LIFE Vol.173 日常で出会った優しい風景》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/06/13/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
日本から持ってきた分厚い資料とノートパソコンを詰め込んだ鞄はズシンと重かった。滞在しているホテルから仕事場までは、地下鉄とバスで小一時間ほどかかる。7月の中国・南京は朝から太陽が照りつけて暑かった。ホテルから地下鉄駅まで5分ほど歩くだけで、額に汗が浮かぶ。
 
「いよいよ初めての中国での仕事が始まるのだ」
 
私は物珍しさと緊張が入り混じった気持ちで、地下鉄がホームに入ってくるのを待っていた。南京の地下鉄2号線は、沿線にいくつか大学があったりして、ラッシュアワーは人が多い。以前に何度も出張に来ていて通い慣れている同僚が、
「だいたいこの駅を過ぎるまでは混んでいて座れないですよ」
とホームにある路線図を指差しながら説明してくれた。
 
しばらくすると銀色の車体に赤色のラインが入った地下鉄がホームに入ってきた。思ったよりきれいでカッコイイ車両だ。乗降口では皆並んではいるけれど、扉が開いて車内から人が降りるのとほとんど同時に、皆我先にと乗り込み、空いている席を目指す。
 
中国に出張する前、上司や同僚から
「中国では降りる人を待ってたら、いつまで経っても乗れないよ。皆押しのけて乗るから、遠慮しちゃだめだよ」
と言われていたけれど、本当にそうだった。降りる人の脇から皆、どんどん乗り込んでいく。半ば押されるようにして地下鉄に乗り込む。ずっと車通勤をしていた私にとって、電車通勤は久しぶりだった。ほぼ隙間なく人で埋め尽くされて、身動きできない。どこの国でもラッシュ時は一緒だなと思っていた。
 
沿線に大学があるせいだろうか。乗客は若い人が多かった。私の目の前には、ノースリーブのシャツに短パンの女の子や、真っ赤なミニのワンピース姿の女の子たちが座っていた。派手だし、随分と肌の露出度が高いのが意外だった。それまで中国に対して、これといった印象を持っていなかった私だが、何となく頭の中で描いていたのは「厳しい校則のある学校」のイメージだった。ところが、目の前にいる人たちは、思い思いの自由奔放な格好をしている。なんだかイメージと随分違うなと思いながら、私は彼女たちを見ていた。
 
地下鉄は駅を過ぎるごとに、少しずつ人が減ってきた。座席はいっぱいだけど、通路に立っている人同士の間隔も、随分と余裕ができた。「この駅を過ぎるまでは混んでいる」と言われた駅まで、あと3つ。重い鞄を持つ手を変えながら、もう少しの辛抱だなと思っていた。
 
ほどなく地下鉄は次の駅に停車した。降りる人はほとんどおらず、代わりに数人が乗り込んできた。その中に、60代くらいとおぼしき男性がいた。彼は車内を見渡し、席が埋まっているのを見ると、扉付近に立った。すると、すぐ脇に座っていた短パン姿の女の子が、その男性の腕をちょんちょんとつつき、何か話しかけ、すっと席を立った。
 
男性は笑顔で
「シェシェ、シェシェ」
とお礼を言いながら席に座った。
 
若者が年配者に自然と席を譲る。ちょっと意外な光景だった。
「あんなに人を押しのけて車内に乗り込むのに、席を譲るんだ」
珍しいものを見るように、その光景を凝視していた私に、隣にいた同僚が話しかけてきた。
 
「意外でしょ? だいたい皆、お年寄りとかに席を譲るんだよ。それがすごいなって思ってさ」
 
同僚が言っていた通り、私はその後、何度も同じような光景を目にした。地下鉄で、バスで、年配の人や小さな子どもを連れた人がいると、皆すっと席を立ち上がって譲るのだ。譲られた方も遠慮なく座る。中には、「おじいさん、あそこが空いてるよ」とわざわざ教える人もいる。それは見ていて気持ちがよい光景だったし、私も彼らの真似をして何度か席を譲った。
 
南京では通勤くらいでしか地下鉄を使うことがなかったが、その後に移り住んだ成都では、休日に市街地に買い物へ出かけたりする時、私はよく地下鉄を使った。通勤時と違って、休日の地下鉄は、小さな子ども連れが多い。
 
ある日、市街地へ向かう混雑した車内で、私の向かい側の席に座っていた女性が抱いていた赤ちゃんがギャーっと泣き出した。
 
「あぁこれ、日本だったら、お母さんが慌てて立ち上がって、車両の隅っこで周りを気にしながら、何とか子どもが泣きやむように、あやそうとする場面だな」
私はそう思いながら、中国人のお母さんがどうするのかを見ていた。
 
そのお母さんは慌てる素振りもなく、泣いている赤ちゃんに何かを話しかけている。すると、私の右隣に座っていた年配の女性が、向かい側の赤ちゃんに笑いかけながら、両手でバイバイをしてみたり、いないいないばあをするような仕草をしながら、何かを話しかけた。お母さんの横に座っていた男性も、「今何ヶ月?」みたいなことを聞いている。
 
赤ちゃんを見つめている人たちの視線は皆優しかった。赤ちゃんをあやしたり、お母さんに話しかけたりして、地下鉄車内は賑やかだった。その輪に参加していない人たちも、「そんな光景は当たり前」とばかり、ずーっと変わらずスマホの画面を見ている。「うるさいな」という表情を浮かべている人は誰もいなかった。
 
私は子どもがいないから、子どもが泣き出して苦労した経験はない。でも、もし自分があのお母さんの立場だったら、きっといたたまれない気持ちになったと思う。
 
「周りの迷惑になるからなんとか静かにさせないと……」
そんな風に思っただろう。そんな風に思うというのは、車内で大きな声で子どもが泣いたり騒いだりするのは、自分がその状態を「迷惑」と感じているからなんだなと気づいて、はっとした。
 
目の前の中国人たちは、誰もそんな風に思っていない。
「赤ちゃんが泣くのは当たり前でしょ?」
そんな空気が漂っていた。
 
迷惑だと顔をしかめたら、お互いに気分がよくないけれど、中国では赤ちゃんの泣き声をきっかけに、知らない者同士が言葉を交わし、あったかい空気ができる。「男の子? 女の子?」、「今何ヶ月?」などと声をかけて会話すれば、ムッとしているよりずっと豊かな時間が過ごせる。
「日本のお母さんたちも中国に来たら、気兼ねなく電車に乗れるだろうな」などと思いながら、私は今までの自分の心の狭さを反省していた。
 
日本でたびたび話題にあがる車内でのベビーカー問題も同様だ。中国では、混雑した車内でベビーカーをたたまずに乗っているお母さんを時々見かけたが、誰も迷惑そうな顔をしない。逆に、乗り降りの時に手を貸している人もいるくらいなのだ。
 
駅のホームでは駅員が「降りる人が先!」と叫び、足元やホームドアには「文明乗車」と乗車マナーを向上させようとするスローガンがあちこちに掲げられているが、そんなのはお構いなく、我先に乗り込もうとする人は後を絶たない。車内では大声で電話をしている人もいるし、動画を見て声をあげて笑っている人もいる。かなりフリーダムだ。日本のしんとした車内とはまるっきり違う。けれども、中国の地下鉄には、お年寄りや子ども連れ、妊婦など、立場の弱い人に優しい雰囲気が漂っていた。
 
先日名古屋市内で地下鉄に乗った時のことだ。一番端の席に座っていた私の前には、2人の若い女性が通路を塞ぐようにして、私に背を向けて立っていた。次の駅で、私の右隣に座っていた2人組が地下鉄を降り、席が空いた。私の左脇すぐの入口からは、年配の女性が乗ってきた。私の右隣の空いた席に座ろうと思っていたようだ。すると、ほとんど同じタイミングで私の前にいた2人の若い女性たちが後ろを振り返り、「2人分空いてるよ」という感じでお互いに目配せをした。そして、自分たちのすぐ後ろにいて、その席に座ろうとしていた年配の女性に気づかず、スッと席に座ったのだ。タッチの差で席に座り損ねてしまった年配の女性は、ちょっと残念そうな、不満げな表情を浮かべた。私は、「彼女たちは、席を譲るかな」と思っていたけれど、彼女たちはおしゃべりに興じていて、そんな素振りは見せなかった。仕方なさそうに私の前に立った年配の女性に、私は席を譲った。以前は「断られたらどうしよう」等と思って、席を譲るのにも勇気が必要だった私だけれど、中国にいる間に、なんのためらいもなく席を譲ることができるようになっていた。
 
「こんな時、中国だったらどうだったかな」
おしゃべりに興じる若い女性たちを見ながら、私は中国出張第1日目の地下鉄車内で見た、短パン姿の女の子を思い出していた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。

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2022-06-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.173

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