週刊READING LIFE vol.173

「お先にどうぞ」で始まる未来《週刊READING LIFE Vol.173 日常で出会った優しい風景》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/06/13/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「お先にどうぞ」
 
まるでそう言っているかのように、目の前にやってきた車の運転席に座る男性は、手でそんなジェスチャーをしている。
私は普段の生活では、自転車を愛用している。
駅前周辺の商業施設や銀行などの用事を含めて、動くときには必ず自転車を使って行っている。
 
生まれ育って、結婚するまで生活していたこの街にまた戻ってきたのが18年前。
その時に一番感じたのも、そういったドライバーの思いやりのある行動だった。
そんな瞬間に出会うたび、「ああ、地元に帰ってきたんだな」と心から温かい気持ちが湧いてきて、とても嬉しかったものだ。
 
結婚して、最初に生活したのは海外、台湾だった。
その赴任を終えて日本に戻ってきたのは、人口もかなり多く、車や自転車、人の往来がひしめき合っている街だった。
勝手な印象かもしれないが、皆がセカセカと忙しくしていて、車や自転車の動き自体も激しく、どちらかというと落ち着かない街でもあった。
その当時も、私の移動手段は自転車で、大きな交差点や狭い道など、たくさんの自転車や歩行者の行き交う中、私も日々走っていた。
 
今思い返すと、そこでの日常では、車も自転車も皆が我さきにと急ぐ姿が印象的だった。
これは、地方からやってきたドライバーさんの感想だが、その街では黄色信号の交差点で車を止めると、後続車からクラクションを鳴らされるというのだ。
黄色信号は、止まるのではなく、GOなのだ、と。
なんで止まるんだ、と。
これは、極端なたとえ話かもしれないが、あながち外れてもいない内容だ。
それくらい、先を急ぐ人たちがひしめき合う街でもあった。
 
そんな街で暮らしていた時、いつものように自転車で走っていると、その先に道幅が狭い所があって、どう考えてみても自転車は一台しか走れない。
そうなると、向かい側から来る自転車とは行き違いもできないので、一台ずつ通るしかない。
その狭い道へと差し掛かり、明らかに私の方が先にそこに到達する予測が出来たので、私はスピードを緩めることなく走って侵入したのだ。
すると、向かい側からやってきていたおじさんが私に怒鳴ったのだ。
 
「何を先に行っているねん」
 
つまり、お前(私のこと)は、ワシ(おじさん)が通るのを待て、と言いたかったのだろう。
でも、こういった行き違いの場面では、その時々のタイミングで咄嗟に判断して行くしかしかたないのだ。
どちらか早い方が先に通ることが、なぜ悪かったのだろう。
逆に、早めに到達する私が先に止まって待ってしまうことで、ただでさえ狭いその道の往来を滞らせてしまうはずだ。
そんな一瞬の判断は間違っていないと確信していたのだが、思わぬおじさんからの怒りの言葉にとてもモヤモヤしたことを思い出す。
どちらが先に走り抜けるか、ただそれだけのことなのに。
圧倒的にどちらかが悪いということでもなく、交通ルールを守らなかったわけでもなかったのに。
良い大人がいちいち怒りをあらわにするそんな体験に私はうんざりしたものだ。
 
でも、そんなイヤな経験をしながらも、私にだって我さきに行ってしまう時がなかったかと言うと、それはウソになる。
街の、人のせいにするわけではないが、そういう環境で生活していると、いつしか自分の気持ちも我さきにとセカセカとしていったのも事実だ。
 
そんな街だったので、買い物に行ってもすれ違う時にお互いの肩や鞄がぶつかっても知らん顔だったり、気持ちが荒んでゆきそうになったりする経験をたくさんしていた。
なので、今思うと気持ちがささくれている日が多かったように記憶している。
 
その後、その大都市の街を離れ、私たち家族は私が生まれ育った街へと帰ってきた。
生まれて育った街を離れて10年と少し経っていたが、かつて過ごしていた時とちっとも変わっていなかった。
この街は、言い例えると、時間が流れるのが少しゆったりしているように感じられた。
車や自転車の往来はあるにしても、住宅街を走ることもあってか全てがとても緩やかだったのだ。
血相を抱えて風のように走り抜けてゆくような自転車もなく、すぐにクラクションを鳴らして相手を焦らせるようなドライバーもいない。
思わず私は、「ああ、そうそう、この感じよね」
 
再び暮らすことになった地元の街への懐かしさとともに、人に感じる懐かしさもあった。
 
そんな街で生活をするようになって、相変わらず自転車で走っていると、ある時、目の前の四つ角で車が止まったのだ。
どう考えても、車が優先で走っていってもいいのに、自転車の私が通るのを待ってくれるのだ。
もちろん、後続車もいないので、交通を渋滞させることもない判断からのことだったと思う。
私側からも見える運転席の男性は、手で「お先にどうぞ」と示してくれている。
私は、車内の男性に見えるように、少しオーバー気味に会釈をして礼を伝えた。
すると、軽く相手の男性も会釈を返してくれる。
なんだか、たったそれだけのやりとりなんだけれども、そのやりとりがとても心を温かくしてくれるのだ。
 
譲りあいの精神、とでも言うのだろう。
そう言ってしまうと、なんだか何でもないような簡単なことのように響くが、それがいかに人の心に豊かさを与えてくれることか。
そんなことがあった日は、その日一日がまるで違う時間の流れになるようにさえ思えた。
 
地元の街に戻って、そんな譲り合う心には至るところで出会うことが出来た。
そう、皆さん、まずは自らが譲ってゆくのだ。
誰も我さきに行く人はいない。
例え急いでいて先に進んだとしても、「お先に失礼します」と言いながら、会釈までしてゆくのだ。
 
そんな姿に出会う時、私はかつて大都市で生活をしていたころのことを思い出した。
街がざわついているから、人が多いから、皆がセカセカしているから、と、周りの環境のせいにしていたところがあった。
どんな街にせよ、人に譲るという精神を持つことは出来るし、そんな人だっていたはずだ。
そんな街に暮らしているんだから、私も我さきになってしまっても仕方がないじゃないか、そんな勝手な解釈をしていただけかもしれない。
そんなことを顧みると、とても自分を恥ずかしく思う。
ただ、自分にゆとりがなかっただけなのだ。
誰かが譲ってくれたら、私だって譲るのに。
そんな、まるで子どものような思考と行動だったことを反省したくなる。
 
地元に戻り、18年暮らしている今のマンション。
そこの住人の方も18年の間には入れ替わりがずいぶんあった。
つい先日、若いお母さんと2歳くらいの女の子と廊下ですれ違った。
きっと最近、引っ越して来られた方だろう。
先にエントランスのドアに差し掛かったその母娘。
ドアを手で開けたまま私が出るのを待っていてくれたのだ。
それがわかると、私は小走りにドアへと駆け寄っていった。
すると、その小さな女の子までもが、「どうぞ」と言ってくれるのだ。
母娘で先にドアのところに行っているのに、すぐ後から来る私を先に出してくれるのだ。
なんだか涙が出そうになるくらい、そのしぐさが嬉しくて泣けそうだった。
こんな小さな子どもが、こんな思いやりのある行動が出来るなんて。
きっと、お母さんがいつもやっていることなんだろう。
それを側で見ている子どもも、真似をしてやっているのだろう。
正直、その意味はわかっているかどうかはわからない。
でも、お母さんがやっていることをカタチから真似て、それが身について行ったとき、この小さな女の子の人生はずいぶん違うものになるんだろうな、そんなふうに思った。
 
それと同時に、あの大都市に住んでいた時の、30代前半のいい大人だった自分の行動が急に恥ずかしくなってきた。
まずは自らが人に譲るという行動を示すこと。
そうすることで、その先のこと、人との関係はきっと変えてゆくことが出来たはずだ。
 
あの、狭い道ですれ違うタイミングで私が先に自転車を走らせず、向かい側から来るおじさんに道を譲っていたとしたら、あのおじさんは、「ありがとう」と言って通り過ぎただろうか。
いや、そんなことを考えても期待してもしかたがないこと。
そんなことを求めることでもないのだ。
自分で行動して、その行動に自分が満足すること。
きっとそれしかないんだろう。
 
たまたま廊下ですれ違った、新しいマンションの住人のお子さん。
そんな孫のような女の子に、私は大切なことをまた教えてもらったようなそんな気がした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。

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2022-06-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.173

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