週刊READING LIFE vol.176

その道は棘なのか、薔薇色なのか《週刊READING LIFE Vol.176 人間万事塞翁が馬》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/04/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
東京メトロの丸ノ内線に乗る時は、少しだけ緊張する。そしてあの駅を通るたびに、私の胸のどこかがキリキリと痛み出す。そして陰鬱な表情になるのが自分でもわかる。
 
一体いつまで囚われているのだろう。とっくに終わったことなのに。
なるべく思い出さないようにして生きていこう、考えないようにしよう、そう思っても、ふとしたことで一気にタイムスリップさせられてしまう。懸命に振りほどいても、振り切ったつもりでも、いつの間にかまたまとわりついて離れない。心に染み付いて離れない出来事があるのは、私だけなのだろうか。

 

 

 

大学3年になって自分の就職先を考えたとき、普通に就活もするけれど、公務員試験も受けようと思い立った。理由としては「なんとなく選択肢の1つとして」としか言いようがない。
さて一体何をしたらいいのだろう。調べ始めると膨大な試験科目を勉強しないといけないことがわかった。とりあえず問題集を揃えるところから始まった。一体何冊買えばいいんだろう……。半分くらいの科目は高校の教科書があれば下地はできそうだけど、そんなものはとっくに捨ててしまった。経済原論だの政治学だのは全くわからなかった。唯一何にもしなくてもいけるんじゃないかと思えたのは専攻していた英語くらいなものだった。
 
周りはみんな一般企業のOB・OG訪問や情報収集、面接対策にかかりっきりだった。公務員試験を受けようなどという人は誰もいなかった。時はバブル真っ盛り、何にもしなくても受ければ内定はもらえる企業が大半だった。内定を10個20個持ちながらぶつぶつつぶやいている子がいた。
「今度受けるとこも練習なんだよね」
「なんか随分余裕だね、どこ受けるの?」
気だるそうに言う友達に企業名を問うと誰もが知っている上場企業だった。今ではとても考えられない。それがあの狂った時代の就活だった。
 
なんでわざわざ勉強するの? どこか企業受ければ楽勝で入れるのに。面と向かって私にそういう人も沢山いた。何も好き好んで苦労して勉強することもないじゃない、内定なんて向こうから持ってくるのに馬鹿みたい。みんなそう言いたげな顔をしていた。
 
それでも私が試験を受けようかと思った理由。それは父が公務員だったからだ。
父は生真面目な人で曲がったことが大嫌いな性分である。少しでも間違ったことをしているとすぐさまお小言やら注意が飛んでくる。仕事から帰ると必ず晩酌をして、プロ野球の巨人戦のTV中継を見て、巨人が勝てばニコニコして負けるとふくれっ面をするのが日常だった。
嫌いじゃないけど、お世辞にも「パパ、大好き!」なんて死んでも言えそうにない。しかしなぜかそんな父の背中が気になって仕方がなかった。そうやって父は私たち家族を養い、大学を出してくれた。そういう父の後をついていってみたいという気持ちも少しだけあったのかもしれない。
 
私が公務員試験を受けると告げた時、父は言った。
「そうか。頑張れよ」
私のすることに特に反対もせず、いつも黙って見守ってくれていた。そんな人だった。
 
その当時、母は病気で長期入院をしていた。家のことも、全部ではなかったけどそこそこやらなくてはいけない。
大学に通って授業を受けながら、卒論の材料を揃えながら、試験全落ちだった場合に備えて一般企業も受けないわけにもいかないので試験勉強と同時進行して面接も受けていた。そこに家事も入ってくると、試験勉強の時間が本当に取れなくなってきた。
「なんで私ばっかり、こんなにやることあるんだろう……」
模試を受けても成績は振るわずどんよりしていた。時間ない、でも勉強しなくちゃと気ばかり焦っていた。こんなんで受かろうと思う方がおかしいけど、それでも私は勉強を途中で投げ出したくはなかった。
 
そんな中、受けていた一般企業から内定をもらった。試験勉強があったので一般企業は1つの業界に絞って受けていたのが良かったのかもしれない。滑り止めと言ったら大変失礼だけど、行くところがとりあえずできたということが強かった。
(落ちても、受かっても、どっちでもいい。とにかくやれるだけやろう)
そう思いながら、大学4年の7月の試験までの残りの時間を過ごした。
 
公務員試験は職種によって難易度が違っている。難しいところは記念受験と割り切って、自分に可能性がありそうなところに絞って受けてみた。毎週のようにどこかに行って、どういうふうに面接や論文をこなしたのかは覚えていない。半ばやけくそみたいな感じで、とにかくやれるだけのことはした。その結果、受けた試験のうち半分は落ち、半分は合格していた。
 
合格した中から1つの職場を選んで、就職することにした。無事に大学も卒業して入職し、配属されたのは丸ノ内線沿いの職場だった。家からも比較的近かったので通勤も楽だったけど、入ってみて驚いたのは、役所というのは男尊女卑の塊だったということだ。試験に合格して入っても、女性は全員ひとかたまりで補助要員として扱われてお茶汲みをさせられた。日本で一番認識が遅れているのは、昔も今も役所に違いないと思っている。平成の初めなんて昭和とほぼ同じだったから、男性は職場の部屋の中で堂々とタバコを吸って、勤務時間が終わると職場の中で酒を持ち出して飲み会をする。そんな時代だった。
 
公務員なんておいしそうに聞こえるけど、一番下っ端の女性である私はあらゆる雑用を言いつけられたように記憶している。当時は試験を受けないでコネで入っている女性も多かった。そんな「お局様」も沢山存在していて、いかにして姐さんたちのへそを曲げないようにするかも気遣いポイントだった。それでなくても若くて試験に通って入ってきた女子ということで、ことあるごとに嫌味を言われて用を押し付けられていたからだ。
 
いいかげん職場の男尊女卑にうんざりもしていて、私一人が何か言ったところで睨まれて嫌がらせをされるだけなので、何も言えなかった。夫と知り合ったのはそんな時だった。
(結婚したら、ここから抜け出せるのかもしれない)
就職して丸2年が過ぎたところで、結婚をした。新居は職場からかなり遠く離れてしまった。通勤時間も倍以上になるし負担も大きかった。
(一応、結婚してからも共働きをしたし、もういいかも)
とにかく疲れるし、男尊女卑も一向に変わることがない現実から逃れた方が楽になれると判断して、私は結婚して1年後に退職することにした。そのことを父に告げた時、思いもよらない反応が返ってきた。
「お前、何考えてるんだ」
「だって、遠くなったし。大変なんだもん。全部自分でしないといけないから」
実家にいたときは家族がやってくれたことも、所帯を持ったら当然だけど全部自分でしないといけない。
「何のために試験受けたんだ。全く。あとで散々後悔するぞ」
私のすることを黙ってみてくれていた父だったけど、私が退職することだけは猛反対していた。夫や婚家は私が退職して専業主婦になることを望んでいたし、もう婚家の人間なんだからと言い張り、父の反対を押し切って、私は就職して3年で退職した。

 

 

 

退職してお局様たちの意地悪ともさよならしたし、女性を差別する不愉快な上司や、仕事ができない癖に残業代ばかり稼いでいた男性職員にも二度と会うこともないと、しばらくはのんびりとしていた。
 
それなのに、子どもが産まれてかかりっきりになり、やがて成長して入園、入学をして少しずつ手を離れると、それはそれで別の不満が出てくるのだった。何よりも感じたことは、自分を取り巻く世界はとても狭くなってしまったということだった。今の生活は悪くはないけど、決して満足はできない。自分が社会から隔絶されてしまったような気がしていた。
 
学童期の子どもを抱えての主婦の再就職が難しい時代になっていた。バブルはとうに過ぎ去り、中途採用の女性はアルバイトや派遣社員というポジションしかなかった。次第に私は最初の職場を辞めたことを後悔していった。父の予言した通りになっている。
 
(あのまま頑張って仕事を続けていたら、どうなっただろうか)
 
時々都内に出て、丸ノ内線に乗ることがあるととても苦しくなった。元の職場の最寄駅が近づくと泣きたくなった。どうして辞めちゃったんだろう。どうして周りの圧力に負けたんだろう。どうして我を押し通したんだろう。どうしてへこたれたり逃げ出したりしたんだろう。あのとき父の言うことを聞いていればよかった。ひたすら後悔するしかなかった。
 
あのまま続けていたら輝かしい日々のはずだったのかもしれない。でももう、過去は戻っては来ないのだ。
 
後悔を引きずったまま、私は仕事を探した。子どもたちが中学高校へと進んで手が離れてからは自由になる時間が多くなったので、探す幅も広がったが職も多く渡り歩いた。どんなに頑張っても非正規の仕事しか見つからずに10年が過ぎた。もうこれが最後と受けた面接で運よく正規の職に採用された。それが今の仕事だけど、お世辞にも素敵な職場とは言い難い。
 
どんなに辛くても最初の職場に勝るものはないなとは思いつつも、当時は辛いことに耐えながら続ける自信もなかった。そんなふらふらとした仕事探しの挙句、辿り着いた今の職場もユートピアではなかった。女性の多い職場では常に誰かが踏んづけられて傷ついているからだ。
 
青い鳥なんてどこにもいやしない。そんな気持ちで働いている中、Facebookの友達が押した「いいね!」ボタンをきっかけに、私は天狼院と出会った。遠い昔に憧れていた、文章を書くことを教わって少しずつ書いていった。最初は2,000字を書くのも四苦八苦だったけど、WEBに掲載されることが増えていった。それが5,000字になっても書けるようになり、連載を持たせていただけるようになった。さらにはライターの仕事まで舞い込むようになっていた。
 
小さい頃から本が好きで、国語も好きで、時々ブログも書いていた。書くことを仕事にできたらいいけど、果てしない夢物語だと思っていた。それがだんだん現実になってきていることが嬉しかった。何よりも自分自身が創り出したものが認められていることは、喜びなのだった。
 
もし最初の職場を辞めていなかったら、私は書くことに興味を持っただろうか?
時々そんなことを考えてもみる。公務員は兼業禁止なので、ライター案件は受けられないはずだ。第一、脇目もふらずに働かないといけない職場だったから、そんな余裕なんてなかったに違いない。
 
あの時ああしていれば、こうしていれば、今頃どうだったのだろう。今とは確実に違う環境で生きていたはずだけど、見ることがなかった生活は今よりも良かったのだろうか。こんなことをいちいち考えてしまうし、忘れようと思っても簡単に忘れられないこともある。
 
ただ言えることは、どの道を選んでも良きにつけ悪しきにつけ必ずそれにくっついてくることがあるということだ。もし最初の仕事を続けていたら、ある意味辛くても結局は平凡で楽なのかもしれないけど、自分で何かを創ることの喜びはなかったであろう。そして最初の仕事を辞めたからこそ出会えた人たちが大勢いる。その人たちのクリエイティブな面を大いに学びながら、私はこれからも書くことをしていきたい。ゼロから1を生み出すことの苦労をすることが果たして正解なのかとこれからも悩みながらも、それでも自分で創ることの尊さに触れてしまった以上、後には戻らない未来が見え始めている。
 
人生のターニングポイントを振り返ると、後悔が強く見えてくるのかもしれない。でもよく考えてみるとどこかに突破口も存在しているのだ。
今、自分が歩いているのは棘(いばら)の道なのか、それとも薔薇色の未来なのか。過去の忘れられないことも、今の自分も、何もかもひっくるめて、手探りで前に進むしかないようだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2022-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.176

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