週刊READING LIFE vol.176

チャンスはピンチの顔をしてやってくる《週刊READING LIFE Vol.176 人間万事塞翁が馬》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/04/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※このお話はフィクションです
 
 
北川のぞみは同級生の中でもひときわ異彩を放つ存在だった。
 
見た目で目立っていたというわけではない。デザインや美容専門科がある高校なので、在籍している生徒たちは、目の覚めるようなピンクや青やら金髪やら、かなり個性的な髪の色をしている。彼女の茶色っぽい髪の色はむしろ大人しいほうだった。スカートの長さも靴下の履き方もメイクも、この学校の生徒だったら見た目で浮くことはまずない。
 
ただ、9月から転入してきたということや、本人の思いと母親の彼女に対する評価があまりにもギャップがありすぎて、何かと気になる子だった。とにかく、彼女が卒業してから20年近く経つけれど、印象に残っている生徒の1人だ。
 
彼女が転入してくる直前の夏休みに、担任の私との顔合わせということで、のぞみと彼女の母親と三者面談をした。その当時、私は大卒で教師になって3年目で、初めて担任を持った年だった。そんな私は、のぞみの目にはどのように映っていたのだろう。
 
ごく一般的な親がそうであるように、彼女の母親も謙遜という大義名分のもとで、のぞみの悪口をさんざん並べあげた。最後に、ご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いしますと頭を下げた時には、ちょっと気の毒になるくらいの悪人に仕立てあげられていた。もしも、彼女が母親の言う通りの人物だったら、担任は、絶望的な子供を預からなければいけない憂鬱で、夏休みを台無しにしていたところだろう。当の本人は、何の表情も浮かべないまま、窓の外を眺めていた。
 
「お母さん、のぞみさんが素敵だな、と思うところも教えてもらえると嬉しいです」
 
のぞみは相変わらず窓の外を眺めていたが、肩先が少しだけ揺れた気がした。
 
「そうですね、特に何ができるというわけではないんですよね。明るいわけでもないし、いつも本ばかり読んでいて何考えているのかわからないし」
 
もう一度、のぞみの肩がゆれた。今度は、明らかにため息をついていた。せめて、母親の口から彼女の良い面が出れば……と思って水を向けたが、かえって逆効果で、私ものぞみのため息が伝染しそうになるのを必死でおさえた。
 
彼女が窓の外をひたすら眺めているのは、それが母親をやり過ごす最善の方法だと知っているからだった。目線を外して、母親の投げてくる言葉に必要以上に傷つかないように心を閉ざすのぞみの姿に、自分の思春期を重ねて切なくなった。でも、悲劇的なことに、こういう親子関係は珍しくない気がする。
 
「お母様のお話は十分理解できましたので、のぞみさんと二人で話をさせて下さい。隣に会議室がありますので、そちらでお待ちいただけますか」
 
ごく丁寧な口調で伝えると、のぞみの母親はわかりました、と立ち上がった。会議室まで誘導して、私はのぞみの待つ応接室に戻った。
 
「お母さんの悪口を言ってしまうようで申し訳ないけど……親って子供の前で堂々と悪口を言うよね、あれ、誰かにやられたら絶対腹立つって思わないのかなあ」
 
その時、初めて、のぞみが私を見てほんの少し笑った。
 
肩先の髪が揺れて、くすぐったそうに髪をかきあげながら、つぶやいた。
 
「先生、正義感が強いんだね。私、そういう気持ちをどこかに忘れてきたみたい。正直、どうでもいいんよね」
 
思ったよりも、ハスキーな声が大人っぽい。切れ長の目が私をまっすぐに捉えた。
 
「なんで前の高校をやめて、うちに来たの?」
 
「この髪の色だと浮いちゃうんだよ。あそこは、みんな真っ黒でね。教室の後ろの席からその黒い森を見てると息苦しくなるの。私は生贄だった、勝手に悪いって決めつけられて、なんでも私が悪いことになってた。お母さんも、先生も、同級生も、みんな私のことを悪いやつだって決めつけるから。羊の群れの中にオオカミが紛れ込んでいるようなものよ。何もしませんって言っても、オオカミは目立つから信じてもらえないんだよ。一番悪いのは危害も加えないオオカミを悪だと決めつけて、団結して攻撃してくる羊やそれを取り巻く人間だよ」
 
のぞみの瞳がゆらめいた。応接室を出る後姿は小さく、はかなげだった。
 
幸い、転校後、のぞみは、日に日に元気になっていくように見えた。転校の挨拶から、普段の生活態度まで、彼女はごく普通の女子高生だった。母親から出て来たのぞみ像は別人なのではないかと疑ってしまうくらい、彼女は巷によくいる元気な女子高生だった。
 
「先生、前の学校は見える景色が真っ黒で苦しかったけど、今は色んな色の子がいるからさ、お花畑みたいでピクニックしてるみたい!」
 
「慣れたみたいでよかったね」
 
1か月くらい経った放課後、のぞみを呼び出して学校の様子を聞いてみると、彼女は、とても素直に、嬉しそうに話してくれた。夏休みの表情とは、まるで別人のようだった。あきらめていた表情は随分と大人びて見えたけど、今は、年相応に見える。
 
「うん、元々ね、オープンスクールを見て、ここに来たかったんよ。けどね、親にダメって言われて前の学校に行ったんだ。やっぱさー、自分が行きたいところに行かなきゃダメだよね、だから、私、すごいツイているよね!」
 
「ツイてる?」
 
「だってさ、中学校にしたって高校にしたって、学校が合わないなんて思う人は沢山いると思うんよ。でも、それを、自分が悪いんだって思って、自信を無くす人なんて沢山いるじゃん。だけど、実はそうじゃなくて、たまたま、その学校が合わなかっただけなんだよ。めぐりあわせが悪かっただけ。私は、前の高校で気まずくなって、こっちに入った。だから、あの学校がたまたま合わなかっただけだってわかった。前の学校が合わなさ過ぎたから転校できたのってツイてるって思わない? むしろ、やっぱり自分が行きたいっていうところに行かないとダメだよね。直感って大事だった!」
 
あとね、私、最近すごく身体が楽になったんよ~! と彼女は続けた。確かに、夏休みに会った頃に比べて、のぞみの顔色が良くなった気がする。
 
「なんで、身体が楽になったの?」
 
「先生、ヨガって知ってる?」
 
「ヨガ……? なんかストレッチみたいなやつ?」
 
「うん、まあ……そんなイメージかね。もう少し深いんだけどさ、まだ、難しいことまでは私も説明できないの。みーこにも、『なにそのOLの趣味みたいなやつ』って言われちゃったんだけどね」
 
そんなことを言いそうだ。のぞみと仲の良いクラスメイトのみーこを思い浮かべながら、一緒に笑った。
 
「近所の友達のお母さんが、最近ヨガを教え始めたから、一緒にやらないって声かけてくれてね、そのお母さん、うちのお母さんがあまりにも私の悪口をいうもんだから、気の毒になって声かけてくれたみたい。あんなにひどいこと言われたら、気持ちも身体も委縮しちゃうから、ヨガをやりにおいで、って言ってくれて。それで通ってるの」
 
「怪しくは、ないの?」
 
「ないない。だって、集まってるの、近所のおばちゃんばっかりだもん。みんな知ってる人。それでね、少しずつ身体が楽になって来たなあと思ったら、なんだか気持ちも前向きなんだよ」
 
学校が楽しくなったのもそのせいかもしれないなあ、とのぞみは笑った。「あと、意外と、うちのお母さんのこと、みんなが、あれは言い過ぎだよね、のぞみちゃんは悪くないよ」って言ってくれたのもすごい救われてるんだ、と付け加えた。
 
「そうか、だったらよかった」
 
「先生、私さ、アルバイト始めようかなって思って。学校は変えられるけど、お母さんは変えられないじゃん、そうしたら、お母さんがいても自分が元気でいられるように工夫したらいいんだなって思ったの。バイトしてお金貯めて、就職したら、実家を出ようと思うよ。それで、働きながら、ヨガのインストラクターとって、私みたいに窮屈な思いをしている人達の気持ちが楽になる場所を作ってあげたい」
 
職員室を出るのぞみの背筋がまっすぐ伸びた後姿が眩しかった。

 

 

 

突然、校長に呼ばれたのは、2年の最期の期末試験前のことだった。私は、のぞみたちの学年の担任を終えて、再び1年生の担任をしていた。
 
「小山先生、実は、去年、担任をしていた北川のぞみさんのお母さんから、退学届が出ているんです」
 
「え? どういうことですか?」
 
のぞみのことは、担任を終えたあとも気にかけていたけど、深刻な様子はなかった。アルバイトも順調で、卒業したら、そのまま就職もできるかもしれない、と嬉しそうに話していた。それなのに、どうして?
 
「それが、昨日、直接お母さんから、僕宛に届いたんです。うちの学校にいたら、望さんの態度が悪くなって手が付けられなくなった、うちの学校の指導が悪いせいだ、というのです。小山先生は、1年生の時に担任だったから、どんな様子だったのか聞いてみようと思ってね」
 
「あり得ないです。北川さんもそんな様子は全く見られませんでした。あの、こんな言い方するのは嫌なんですが、それ、お母さんの独断なのではないでしょうか」
 
「転入の時にものぞみさんとお母さんの人間関係が心配、と言っていたね」
 
「はい、どうも、あのお母さん、のぞみさんを目の敵にするようなところがあって……気になります」
 
「そうですか……。北川さんにも意向を聞いた上で、慎重に対応しないといけないようですね」
 
その2、3日後、校長室から出てくる、のぞみとのぞみの今の担任をしている木田に声をかけられた。
 
「……小山先生、大丈夫だよ。私、お父さんに頼んで退学届を取り下げてもらうから。ごめんね、迷惑かけちゃって。あのね、私、ヨガ、やめたの。お母さん、私がヨガの先生のせいで宗教にハマって大変なことになっているって、近所中に噂して回って、ヨガの先生に迷惑かけちゃった」
 
のぞみは泣きそうになっていた。ほとほと困ったという顔だった。
 
「北川さん、どうしても、どうしても困ったら教えて。私も助けるから」
 
のぞみの鼻の頭が赤くなり、目が潤んだ。木田が、
 
「まず、お父さんに連絡をとってみよう。小山先生も、僕も北川さんを守るから、がんばろうな」
 
のぞみが顔をくしゃくしゃにしながら、腕で何度も涙をぬぐった。「ホントに、この学校入ってよかった、絶対にやめたくない」絞り出すようにつぶやいた姿をみて、こちらも涙が出てしまった。木田も奥歯をグッと噛みしめて、のぞみと私の背中にそっと手を置いた。とてもあたたかい手だった。

 

 

 

「小山先生、声かけてくれて、本当にありがとう。この学校で授業持てるなんて嬉しい」
 
暖房が暑くて少しのぼせる。小山先生が校長になるなんてびっくりだね~! と言いながら、応接の椅子に座った。その脇には2歳くらいになるだろうか、小さな男の子がミニカーを握りしめながらきょどきょどと部屋を見回している。そんな息子の姿を優しく見つめるのぞみはすっかり母親の顔をしていた。
 
北川のぞみは、漆黒で長さのある髪をポニーテールにまとめていた。髪の色以外はまとう雰囲気は学生時代のままだった。
 
「息子くん、北川さんにそっくりね。えーと、苗字は変わったのかな?」
 
「あ、私、結婚してないの。子どもは生みたかったけど、結婚したくなくて。彼もそうだったから、同意のもとで、養育費だけサポートしてもらってるんだ。でもね、両親には、ついこの間初めてカミングアウトしたよ。まさか、2歳にもなっているなんて思わなくて、お母さん、激怒しちゃってさ」
 
それ以来、お母さん、私と顔合わせてくれないんだ。彼女は笑う。普通の家族だったらありえないような事件だけど、のぞみの家なら仕方がないと思えてしまう。そんな家庭環境でありながら、のぞみがしなやかに生きていることにホッとする。あの、入学前の死んだ目をしていた彼女が、わが校に通ったり、ヨガやアルバイトなどをしたりしながら、自分らしさを取り戻せたことは、本当に嬉しいことだ。
 
「結局、アルバイトのまま就職して、本社配属になって大阪行って、そのおかげで、すごくレベルの高い大阪のヨガスタジオでインストラクターの資格を取れたの。働いていた会社は結局つぶれちゃったけど、最初にヨガを習った友達のお母さんが、今、スタジオ持っていて、うちのスタジオで働きなさいって、クラス持たせてくれてね。あの時に迷惑かけちゃったのにすごくありがたかった」
 
のぞみのヨガは地元ではとても珍しいクラスなので、スタジオでも、とても人気のクラスになっているのだそうだ。
 
「北川さん、今、何歳だっけ?」
 
「35ですよ。私、ホントに、ツイてるよね。高校もあの時に転校してきたからすごく楽しかったし、アルバイトから正社員になって、大阪に行けたし、大阪でヨガのインストラクターを取れたから、こうやってこちらに戻ってからも仕事もあるし、今回学校にも呼んでもらえた。でもこれってさ、あのお母さんがいなかったら、今の私はないわけ。なんか、悔しいけどさ、身をもって、娘の明るい未来を作ってくれているんだなって。いまだに仲良くはなれないし、私が実家に戻ると散々だけど、でもすごく感謝してるんだ」
 
「そうね、私も、最初は北川さんのお母さんのこと、すごくびっくりしたけど、よく考えてみたら、私が、木田先生と結婚することになったのも、元はと言えば、北川さんのお母さんがいきなり退学届出してきたところから始まっているんだなあ」
 
のぞみは、それもそうだよね、と嬉しそうに笑った。
 
「小山先生、私、4月から教える子達が、ヨガや身体のクラスを受けることでどんな影響があるかはまだ分からないけど、でもさ、自分が高校生の時にヨガに出会って変わっていけたから、一人でも沢山の子の身体と心が楽になるように伝えていくね。先生、私のことを覚えていて、声かけてくれて、ありがとう」
 
それでね、のぞみは、ニヤリと笑いながら続けた。
 
「チャンスはピンチの顔をしてやってくるって教えてあげたら、うちの学校の子達、それだけで勝ち組になれると思わない?」
 
のぞみの子どもが、ミニカーを走らせながら、「ブーッ」と機嫌よく叫んだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2022年は“背中を押す人”やっています。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season総合優勝。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

【6/4(土)〜6/12(日)の期間限定)】

天狼院読書クラブ“新規入会キャンペーン”!!〜期間中に年間契約をしていただいた方限定で!66,000円以下の対象講座がどれでも1講座「無料」で受講できるお得な入会キャンペーン!〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



2022-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.176

関連記事