週刊READING LIFE vol.176

塞翁のように前を向けなくても、ドロップキックはやってくる《週刊READING LIFE Vol.176 人間万事塞翁が馬》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/04/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人間万事塞翁が馬、とは、いいことも悪いことも巡ってくるものなのだから、安易に喜んだり悲しんだりしてはいけないよ、という話らしい。
語源は、塞翁の馬が逃げてしまったことから、巡り巡っていく。まるでジェットコースターのような物語だ。
 
でも一度考えてみたい。
安易に喜んではいけない。本当にそうだろうか。
 
安易に悲しんではいけない、と言うのは比較的簡単に理解できる。
人生いろんなことが起こる。いろんなことが起これば、もちろんいいことばかりではない。いいことと悪いことがイーブンで、人生半々なのだとすれば、人生の50パーセントは悪いことのはずだ。
だけど、その50パーセントの時間にいちいち悲しんで歩みを止めていては、どうしようもない。何かやりたいことや目標がある場合にはなおさらである。
悲しんでいる時間がない、と言うのが、ある意味理想的な状態と言えるかもしれない。
つまり、結果が得られなくても、評価を得られなくても、その作業に夢中である、と言う状態が必要だからだ。だから、一時的な結果に一喜一憂し、手を止めてしまうのは、あまりに勿体無い。
うまくいかない理由や原因を分析して、対策してという地道な作業の先に、自分のやりたいことの最終的な結果が得られるのであって、ほとんどの、僕も含めた凡才は、トライアンドエラーを繰り返すしかないわけだ。
最初から、何も考えずひょいと出来てしまう人を、人は“天才”と呼ぶのかもしれない。ほとんどの人間はその逆だ。
立ち止まってはいけない、とするのは確かにあまりに苦しいが、立ち止まる時間が惜しいのは、ある意味平凡な僕らに課せられた使命みたいなものかもしれない。
 
では、安易に喜んではいけない、とはどういうことだろうか。
ふと思い出すのは、子供の頃に知った「勝って兜の緒を締めよ」という言葉だ。
小学生の時、ことわざを調べる授業で、友達とかぶりたくなくて、このことわざを調べた記憶がある。確か親父の本棚の端っこにあった辞典を引っ張り出してきて、聞いたことがないことわざ、かつ、意味のわかりやすいものはないものかと探した。
「すごーい、ものしりなんだね」
「いいセンスしてんじゃん」
と、クラスの友達に思われたかったのである。
幼い頃からの自分の自己顕示欲の強さに少々飽き飽きするが、もう20年以上前のことなので、生暖かい目で見守ってほしい。
しかもこの“ことわざ探し”は、完全なる計画失敗に終わった。
カブリを避けようとして一生懸命辞典をめくったが、僕以外の二人の生徒とカブってしまったのである。
 
もちろん、授業の趣旨としては、それぞれが“ことわざ”や慣用句について辞書で調べること。その言葉についての理解を深めることを目的としているから、もちろん被ったっていいのである。しかし、そんなことは、僕の(幼い頃の)自己顕示欲が許さなかった。同じ課題を与えられても、何か“人と違うもの”を出さなければいけないと思っていたし、人と“同じ”というだけで、ダサいと思っていた。
それに語感がなんともカッコよかったのである。
「馬の耳に念仏」とか「石の上にも三年」とか。その当時すでに知っていたであろうものと比べてもこの「勝って兜の緒を締めよ」は戦国武将になったようで妙に心地よかった。今思えば、その心地よさ、つまり男子の侍の姿への憧れは当然僕だけのものでなく、男子三人が同じことわざで被るという結果を招いてしまった。
 
それ以降、三人は何かとセットで扱われることが多くなった。
ここでは彼らをAくん、Bくんとしよう。
 
男子三人女子三人の、男女混合の班を作るときは大体この三人でまとめられたし、掃除の担当なんかも一つの括りでまとめられることが多くなった。先生も、まぁ僕らがあまりふざけるタイプではなかったので、静かに見守っていてくれたのだと思う。
三人のタイプはそれぞれで、Aくんは小学生にして目鼻立ちもはっきりして見た目も良く、喋りも上手い、クラスの中心になるタイプ。だが実際は、“クラスの中心はダサい”と思っているのか、それを少し遠巻きに見ているヤツだった。
それに対してBくんはそんなに前に出ていくタイプではないが、ぼそっとつぶやく言葉が面白く、静かなタイプだった。僕ら三人は、クラスの中心のキャピキャピしたグループを少し遠くのところで眺めながら、そのほか数人を加えて、僕たちだけのグループを形成していた。
“独自路線”がかっこいいと思っていたのである。
 
しかし、そんな時間が長くは続かない。これはどの国・どの時代でも共通なのかもしれない。
Aくんが親の仕事の都合で転校してしまったのである。
彼は僕らのグループに所属しつつも、運動神経も抜群で勉強も出来る方だったので、クラスの中では一目置かれていた。だから彼が転校して以降、僕らのグループだけではなく、クラス全体がなんだかしょんぼりとしていた。
当然、中心的存在を失った僕らのグループは、意気消沈である。
 
給食をいち早く食べ終え、グラウンドに駆け出して精を出していたドッヂボールも、休み時間のたびに繰り広げられるカードゲームのバトルも、なんだかふやけてしまった麺のように、ハリがなくなってしまった。グループの他のメンバーも違う友達と遊んだり、一人で過ごすことが多くなっていたように思う。
かくいう僕も、一人で本を読んでいることが多くなった。

 

 

 

「6年生を送る会で、何か出し物をしてみない?」
A君の転校から約4ヶ月後。小学五年生の冬、最終学年になるのを控え、僕らは少し落ち着かない日々を過ごしていた。そんな時、担任の先生から不意にこんな話を持ちかけられた。
僕らの一つ上の学年がもうじき卒業してしまう。それに伴って恒例の「6年生を送る会」を開催して、気持ちよく卒業していってほしい。
しかし、クラス全体で出し物を作り上げるのは、なかなかスケジュール的に難しく困っていた。
そこで先生は、A君がいなくなり腑抜けてしまっている僕らに、なんとか元気を取り戻させる意味でも、何か一致団結して創ってほしい、ということらしかった。
 
さて、何をしようか。
色々と思案した結果、ボソッとB君が言った「……コント」という言葉に先生がやる気づいてしまい、演劇すら未経験だった僕らは、コントを上演することになったのである。
 
そこからの日々は本当に怒涛だった。
下敷きになる脚本は言い出しっぺであるB君が作り、みんなで練習しながら色々と修正していった。必要な小道具を買うために商店街を歩き回ったり、見つからないときは材料を揃えて、みんなで工作した。
時には「お前のギャグの言い方は面白くない」と喧嘩になったりもしたが、今思えばそういう喧嘩や些細ないざこざも全部が全部、楽しかった。協力したりぶつかったりしながら、僕らはA君が抜けて以来久々の充実感を感じていた。
 
ついに「6年生を送る会」の当日になった。
何だか晴れやかな顔をしつつも、少し恥ずかしそうにしている6年生。
その後ろに、僕らがやるコントを品定めするようにニヤニヤと、同じ5年生の面々が座っている。その様子を僕らは、体育館のステージ脇の袖から見つめていた。
 
見つめていた、というのは正確な表現でないかもしれない。
あまりの緊張感に、内臓が全て口から出てきそうだった。お客さんを見ると緊張してしまうのがわかっていても、それをただ凝視することしか出来ない。完全に空気に飲まれ、手足がちゃんと付いているかどうかも疑わしい。誰だよ、コントなんかやるって言ったの。
 
「では、次の出し物です! 5年1組の有志によるコントです! どうぞ〜!!」
 
司会の生徒の威勢のいい呼び込みで、僕らは舞台に走り出た。
というか、気持ちの準備もつかないままに、呼び込みに応えるように足が勝手に駆け出してしまったという方が正しいかもしれない。
 
生徒たちの視線にさらされた僕らは、なんとか練習どおりにセリフを言おうとした。
が、出てこない。セリフは僕のはずだ。僕がB君と考えた渾身のギャグから始まるはずだった。しかし、喉の奥で蓋が閉まっているように、音が出てこない。
僕はもうほとんど泣いているような顔で、口をパクパクさせていた。
頭は真っ白、目の前にいるのが、友達なのか先生なのかも判断がつかない。
呼吸ができない。今すぐ逃げ出したい。
 
その時だった。
硬直する僕の尻に、B君はアドリブでドロップキックをかましてこう言った。
「セリフ忘れてるやないかい!」
その瞬間、ワッと場が湧いた。会場の温度が一瞬で高まり、広い体育館が笑いで包まれた。体勢を立て直しながら、忘れていた呼吸をする。少し汗臭い体育館の匂いを胸いっぱいに吸うと、視界が一気にクリアになった。
もう、大丈夫。
 
その一発の大きな笑いに救われた僕らは、練習の成果を発揮できたのか、大盛況のうちにコントを終えた。
信じられないくらい、汗をかいていた。
 
人生いいことも悪いことも、次々に襲ってくる。
僕の人生でこのことを最初に実感したのは、この時だったかもしれない。
カッコつけたいという願望から、不思議な縁で仲良くなった三人を中心に、コントを上演して、大きな拍手と笑いをたくさんもらった。
そう、もらったのだ。
人生がジェットコースターとするなら、間違いなく運転しているのは僕だ。
だが、カッコよく旋回しているかと思ったら、次の瞬間には山を登っている。そして気がついたら、地面に向かって一目散に落下している。
運転手なら、その全てをコントロールしたいと思うのが当然かもしれない。
 
しかし、いいことも悪いことも、自分で制御できることは限られている。
嬉しいこと・楽しいことがあった時「勝って兜の緒を締めよ」と心の中で唱えながら、疾走する自分を楽しむしかない。
嫌なこと・大変なことがあった時、まさに目の前の坂が、まるで壁のように聳え立っている時、僕らに猶予はあまり残されていない。
なんとか自分を納得させて、頭の中だけでも、前を向いていくしかないんじゃないだろうか。馬に逃げられた塞翁のように。
 
まだまだ人生のうちで、大変なことは起こるだろう。
どうしようもないことも、あるかもしれない。自分一人では前を向くことはできないかもしれない。
でも、なぜか安心している。
きっと僕がどうしようもない現実に立ち尽くしている時、あの時のドロップキックがまた飛んでくるような気がするからである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.176

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