週刊READING LIFE vol.177

非現実を現実にする《週刊READING LIFE Vol.177 「文章」でしかできないこと》

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2022/07/11/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
 「この夜景を君にあげよう」
 
そう聞いてときめく人が、今はどれほどいるのだろうか。
私も聞き及んだ限りであるが、かつてはそういう口説き文句があったらしい。
それにしても突っ込みどころ満載だ。
だいたい「夜景をあげよう」って、何だ? その街の支配者にでもしてくれるのか? 相手はそれほどの権力を持っているのだろうか?
 
おそらくこの言葉は理性で考えてはいけない類いのもので、例えばこの時間だけはあなたがこの景色を独り占めできる、とか、今日の記念に覚えていってくれ、とか、これを見せたかったんだよ、あたりの意味なのではないか、と推察される。
 
いや、正確な意味はこの際たいした問題ではない。
なぜなら、「この夜景を君にあげよう」と言った相手は、確かにあなたに、眼前に広がる美しい光の海をプレゼントしたのだし、あなたはそれを受け取ることができるのだ。
そして、あなたが風情を解する精神を持ちあわせているのであれば、相手はあなたに、この上なく極上の贈り物をしたということと、どれだけあなたを大切に思っているか、その大きさが分かるであろう。
 
納得がいかないだろうか?
しかし、これこそが言葉の持つ力であり、言葉の集合体である「文章」が生み出す力であり、そして、「文章」でしかできないことなのである。
 
「夜景をあげる」「空を飛ぶ」「魔法を使う」「○○の生まれ変わりとなる」などなど、抱腹絶倒、荒唐無稽、焼肉定食……は関係ない、とにかく、おおよそ現実とは全くかけ離れた事象を、現実に生み出す力、それが「文章」が持つ力の一つだ。
 
それは、多くの場合、「小説(フィクション)」という形で、私たちの前に現れる。
小説を読んだ人は、それがどれほどでたらめな世界であろうとも、受け入れる。そして、頭の中で思い描く。あたかも現実のように……
 
文章は自由だ。何せ書くだけならタダだから。
ずっと寝ていてもよし、職場を爆破してもよし、嫌な奴を不幸に陥らせてもよし。
文章として「書くだけ」ならば、誰にも迷惑をかけない。かけない上に、なぜか、この上なくすっきりするのである。
 
インターネットのSNSを見てほしい。
不満や愚痴や恨み辛みがごまんと書き込まれているではないか。意図的かどうかは分からないが、あれはあれでストレス発散の一手段となっているのである。
まあ、この場合大勢が見られる状態なので、全くの無害かと言われると、そうでもないのだが……
 
文章はリアルであると同時に非現実だ。
私たちはそのいいとこ取りができる。
現実に影響を及ぼさない範囲で、自分の感情をぶつけることができる。
空想に具体的な形を与え、筆者や読者の脳内で、それらを実際に出現させることができる。
そして時に、現実に干渉して、非現実を現実にする。
あなたがあの「輝く夜景」をもらったように。
 
そういう考え方をしていると、今度は現実に厚みが出てくる。
あそこにたたずんでいるアオサギ、実は夜な夜な人間に化けておしゃべりをしているんじゃないか?
暗闇で見る山々が、笑っているように見えはしないか?
はたまた、先ほどすれ違った人は、狐が化けた姿ではないか?
 
それはさながら、事物にタグがついたような状態だ。
目に見えないタグに、さらに上のような文章が書いてある。
 
現代風に言うならば、これはAR(拡張現実)というやつだ。
特殊なソフトウェア(アプリケーション)とカメラを通して見ることで、現実世界に現実には存在しない文字や絵・アイコンなどを登場させることができる機能だ。
 
文章を解し、そのいいとこ取りができる我々は、あり得ないものを、都合の良い現実に、持ち出すことができる。
たった一つの石を眺めているだけでも、この石はきっと山の源流へ帰りたがっているに違いない、とか、「おい、蹴るなよ? 絶対だぞ、蹴るなよ?」なんて言っているに違いない、など、2重3重に現実に語りかけてくる。
 
一つの事物に対して、何重にもARが浮上するようになる。それこそ、言葉と文章の力に魅入られた人の末路であるとも言えよう。
 
それは言い方を変えれば、「想像力が豊かになる」と言うことに似ている。
何でもありの文章の世界をのぞき、その世界にどっぷりとはまれば、世界の全てにARや物語を見ることができる。
  
現実は拡張し、一つの物が固定された一つの物でいられなくなる。
そうなると、もう、文章はあなたの現実を侵食している。そう、あなたの世界・現実は、どんどん拡張されていくのだ。厚みを持たせられるのだ。
 
文章は世界を拡張する。
当たり前だと思っていたものに、まさかの異なる形を与えてくれる。
昔話や怪談を作ってきた先達が見る世界は、驚くほど豊かに見えていたことであろう。
 
しかしながら現代の我々は、素直に現実を拡張することが難しい。
タダでさえ文章に接することを嫌い、拒む人々が多い世の中である。
確かに文章は理解することに時間がかかり、頭の中で映像化するのに労力を要する。
今のトレンドはやはり動画である。ダイレクトに視覚に情報が入り、脳内変換をせずともよい。
多くの文字を読まなくても、早送りを駆使して要点だけ見ることだってできる。
 
現代は、より理性的、合理的、現実的判断を速やかに求められるため、という考え方があるようだが、確かに、それは感じられる。
そりゃあ「この夜景を君にあげよう」と言われて、口をぽかんと開けてしまうのも無理はない。
 
高校で国語の教員をしている関係上、現代の高校生の読書事情というものが見て取れる。
想像通り、読書離れは進んでいるが、読書というより、活字離れが進んでいるようでもあるのだ。
私は、生徒達が本をあまり読まない前提で、それでは漫画の話からしていこう、と思ったのだが、生徒たちは漫画もあまり読まないようなのだ。
どうやら、そういった文字すらも読みたくないらしい。確かに、文字である以上、脳内変換(声とか音とか)は必要だし、静止画を頭の中で動かさなければならない。
しかもよく海外の人から言われることだが、日本の漫画は、読み方複雑なのだ。そのため、読み慣れていない人には読みにくい。だから世界では縦スクロール漫画という、タブレットなどのデバイスで、ただひたすら下に読み進めていけばよい、という方式が人気だという。
 
先ほども言ったが、現代の主流は動画である。脳内変換もそこそこに、ダイレクトに情報が入ってくる。
労力を最低限にし、他の方面へ力を取っておく、と言われればそうかもしれないが、私はこの少々短絡的すぎる傾向に、一抹の不安を覚える。
言わずもがなだが、現実が拡張してこないのではないか、ということだ。
動画はそれ自体で完成されている。そこから何かを想像することが、文章以上にはできないはずだ。
 
もちろん、それはただの杞憂にすぎない上に、すべての学生に当てはまるわけではない、と言われれば、そうかもしれないと引き下がるしかないのだが、この不安はどうにも拭いきれない。
 
今改めて言おう。「文章」にしかできないこと。それは「非現実」を「現実」にすることである。
ただ、この「現実」というものが、必ずしも実際の「現実」であるわけではない、ということ難点かもしれない。
 
「夜景を贈る」ということは、確かに現実に可能である。もちろん、相手の“読解力”は必要にはなるが。
 
では、「空を飛ぶ」という事象はどうだろう。可能なのは、あくまで文章を読んだ人の脳内である。現実のように想像はできても、あくまで想像は現実ではない、と言われればそれまでだ。
 
だからこそ、もしかしたら、文章を読まない人たちは、文章の力に幻滅してしまったのではないだろうか。
所詮は想像の中でだ、現実には何にもならない、読む労力を損するだけだ、などなど……子どもの頃はよく本を読んだのに、高校生くらいになると読まなくなる、ということも、これに関係するのかもしれない。
 
なるほど。ならば、私も思い違いをしていたのかもしれない。
「文章」でしかできないこと、それは、「非現実」を「現実」にすることではなく、頭の中の世界や感情を、具体的に表すことではないか。
絵のような一場面とも違う、動画のような確定的なものとも違う、ある程度抽象的で、読み手によって完成に至るものだ。
 
書き手の世界感を、読み手が理解し、双方の世界が重なったとき、「100万ドルの夜景」は受け渡しに成功し、二人はその愛情を確かにするのである。
 
読み手における、書き手の世界感の模索。
これこそ、文章を読む醍醐味でもあるだろう。如何に相手の世界に入り込めるか、相手の世界を自分の脳内で展開できるか、それは、この上なくエキサイティングな行為だ。
 
書き手が描く世界を、読み手が正確に、そしていささかの自分なりの拡張を含んだとき、物語は動き始める。これがもう、一度はまるとやめられないのだ。
 
「不言実行」「沈黙は金」
日本人は古来、一つ一つ言葉にすることを嫌ってきた。
空気を読む、気配を読む、表情を読む、言わなくても言いたいことが分かる、というのを最上としてきた。
しかし、国際化されて、それが通じづらくなった今、紙面(or画面)に綴られた文章の力というものを意識してみる必要がある。しゃべることが苦手でも、文章でなら自分の思いをしっかり書ける、という人だっているだろう。
言葉は、文章は、誰かと誰かの思いをつなげてくれるものであると、そう思いたい。
 
「文章」でしかできないこと。
それは、言い換えれば、「誰かが誰かを思うがために、世界を構築すること」と、そう良いかえてもよいかもしれない。
 
そう文章を読むとき、誰かが、読み手であるあなたを思っていることを、どうか忘れずに。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2022-07-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.177

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